JR18切符を使って西国薬師37番浄瑠璃寺へ。
天王寺発大和路快速奈良行に乗って、奈良で下車。
我が家の好物!
みむろの最中を購入。。。
この為だけに、奈良駅で下車。(^_-)-☆
駅の改修工事をここ数年している奈良駅。
当初解体される予定だった旧駅舎。
住民の反対運動の結果、場所を僅かに移転して、残されることとなった。
旧奈良駅舎
中は観光案内になっていた。
保存の費用の問題もあるかもしれないけど、歴史的建造物を保存するのは、私はいいことだと思う。
奈良駅から加茂駅へ。
加茂駅からは木津川市のコミュニティバスで浄瑠璃寺へ。
まぁ、ビックリするほど細い山道を登っていく。
かつて住んでた吉野の道を思い出させてくれて、懐かしい気持ちになった。
浄瑠璃寺山門
三重塔
三重塔
三重塔は、藤原時代建立で国宝に指定。
平安末期に、京都一条大宮から、移されてきたとか…
その時代に、こんな大きなものを移設するとは、ものすごい労力と時間がかかったんだろうと想像できる。
この中に、薬師如来像が安置されている。
開扉日は毎月八日とお彼岸の中日、正月三が日…ってことで、残念ながら拝見できず。
本堂、九体阿弥陀如来堂
本堂には、九体の阿弥陀如来像が安置。
中は仏像を破損させない為、薄暗い。
当時(藤原時代)、京都を中心に競って建立された九体阿弥陀仏をまつる為の横長の堂で、現存する唯一のもの…だそう。
中央の阿弥陀如来中尊像のお背中には、1000体の阿弥陀様が前で拝む人を見守っていらっしゃる。
中尊像のお隣には、重要文化財指定の吉祥天女像が安置されている。
年に三度の開扉日には、そのお姿が拝見できる。
昨日は、残念ながらお写真だけ…。
お庭には萩の花が咲いていた。。。
バスを降りて山門をくぐるまでの細い参道は、両脇に馬酔木や萩が植えられていて、ニイニイゼミの鳴き声を聴きながら、のんびりと歩いた。
赤や白のミズヒキソウの姿も眺めることもできた。
自然の音、見える景色、それぞれが耳に目に心地いい。
残念ながら庭園はあちこちで発掘調査がされているらしく、ブルーシートと立ち入り禁止のロープが張られていた。
九体の阿弥陀様から言葉にならないほどの平穏が感じられ、機会があればまた訪れてみたいと思った。
満願まで、残すは一ヶ寺となった。。。☆
天王寺発大和路快速奈良行に乗って、奈良で下車。
我が家の好物!
みむろの最中を購入。。。
この為だけに、奈良駅で下車。(^_-)-☆
駅の改修工事をここ数年している奈良駅。
当初解体される予定だった旧駅舎。
住民の反対運動の結果、場所を僅かに移転して、残されることとなった。
旧奈良駅舎
中は観光案内になっていた。
保存の費用の問題もあるかもしれないけど、歴史的建造物を保存するのは、私はいいことだと思う。
奈良駅から加茂駅へ。
加茂駅からは木津川市のコミュニティバスで浄瑠璃寺へ。
まぁ、ビックリするほど細い山道を登っていく。
かつて住んでた吉野の道を思い出させてくれて、懐かしい気持ちになった。
浄瑠璃寺山門
三重塔
三重塔
三重塔は、藤原時代建立で国宝に指定。
平安末期に、京都一条大宮から、移されてきたとか…
その時代に、こんな大きなものを移設するとは、ものすごい労力と時間がかかったんだろうと想像できる。
この中に、薬師如来像が安置されている。
開扉日は毎月八日とお彼岸の中日、正月三が日…ってことで、残念ながら拝見できず。
本堂、九体阿弥陀如来堂
本堂には、九体の阿弥陀如来像が安置。
中は仏像を破損させない為、薄暗い。
当時(藤原時代)、京都を中心に競って建立された九体阿弥陀仏をまつる為の横長の堂で、現存する唯一のもの…だそう。
中央の阿弥陀如来中尊像のお背中には、1000体の阿弥陀様が前で拝む人を見守っていらっしゃる。
中尊像のお隣には、重要文化財指定の吉祥天女像が安置されている。
年に三度の開扉日には、そのお姿が拝見できる。
昨日は、残念ながらお写真だけ…。
お庭には萩の花が咲いていた。。。
バスを降りて山門をくぐるまでの細い参道は、両脇に馬酔木や萩が植えられていて、ニイニイゼミの鳴き声を聴きながら、のんびりと歩いた。
赤や白のミズヒキソウの姿も眺めることもできた。
自然の音、見える景色、それぞれが耳に目に心地いい。
残念ながら庭園はあちこちで発掘調査がされているらしく、ブルーシートと立ち入り禁止のロープが張られていた。
九体の阿弥陀様から言葉にならないほどの平穏が感じられ、機会があればまた訪れてみたいと思った。
満願まで、残すは一ヶ寺となった。。。☆
加茂駅からコミュニティバスがあるんや。
どうしても近鉄やJRの駅から徒歩圏内に限られてしまうね。
木津川市のコミュニティバスが1時間に1本の割合で走っています。
加茂駅から浄瑠璃寺まで約20分で400円でした。
暑かったのですが、自然の風は優しくて心地よかったです。
この後、加茂から柘植、草津を経て、大阪へ帰ってきました。