ご近所に赤ちゃんが生まれたようだ。
時々、大きな泣き声が聞こえてくる。
お母さんは、想像するにまだお若い方なんだろう。
「どうして欲しいの、なんで泣くの」と、これまた泣きそうな声で言っているのが聞こえた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そう言えば、ウチの子もよく泣く子だった。
家の中が静か過ぎたのだろうか…私の笑い声にまで驚いて泣いていた。
掃除機の音にも驚いて泣いた。
おっぱい、オシメ、本当によく泣いた。
赤ちゃんは泣くことが仕事。
泣くことで、自分を主張し、自分の欲求を伝える。
2ヶ月の頃だったろうか…帝王切開で産んだ身体は、冬の寒さもあって、なかなか回復しなかった。
泣き声が苦痛になって、腹を立てたことが一度だけある。
まだ首も据わらない子を布団の端に追いやった。
さらに火がついたように泣き続けた我が子。
その泣き声にハッとした。
“こんなに小さな子どもにも、意思があり、
一人の人間として生きようとしている”
これに気付いてから、私は子育てが面白くなった。
出来ないことを手伝ってやればそれでいい…そう思えるようになった。
保母(保育士)をしていたので、そのノウハウは大変子育てには役立った。
子育ては、奇麗事ではすまない。体力勝負だ。
子どもを育てている…と言うよりは、“人間を作っている”という感覚だった。
質問されると、その年齢に分かる言葉で、分かる内容で、本人が納得のいくまで応えた。
「待ってて」と言った時には、必ず、待たせた分だけ、彼の要求に応えた。
ダメな時には、どれだけ駄々をこねられようと、頑として譲らなかった。
彼もいつも真剣だったろうけど、私もいつも真剣…正直言って疲れる。
いつしか、「子育ては魂と魂の闘い」 と感じるようになってきた。
決して、楽しいだけが子育てではない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今、子どもは小学5年生。
ギャングエイジと言われる徒党時代…反抗期に差し掛かっている。
家にいるより、友達がいい…親に秘密もできてくる頃だろう。
“性”にも目覚め始めてきている。
もう保母時代のノウハウは通用しない。
手探り状態 ――― 本当に魂のぶつかり合い、真剣勝負になってきた。
質問してくることも難しくなってきた。
頭を使って考えなくては分からないことが増えてきた。
ここで「わからんわ」なんて言っては、負けである。
負けたときには負けは認める。
一生懸命考え、分からない時には一緒に調べる。
教えてもらうことだって増えてきた。
「お母ちゃんも忘れて分からんことがあるから、教えてや」と言っておく。
得意げに教えてくれる…。有難いことだ。
身体も大きくなってきた。
力では、もう負けそうだ。
事実、先日じゃれ合っていて不意をつかれ、それを避けようとして手を引いたところ、「プチッ」と音がした。
肘に痛みが走った。病院行き…。
成人した子どもを持つ友達は「まだまだこれから、まだやりやすいわ」と言う。
何がやりやすくて、何がやりにくいのかは分からないけど、私は子どもも一人の人間として信頼し、人格は尊重して対等な関係でいたいと思う。
そして、人生の先輩を敬う気持ち、弱者に対する思いやりの気持ちは、忘れずに伝えていきたい。
物分りのいい親にはなろうとは思わないけど、子どもに恥ずかしくない親でいたいとは思う。
まだまだ、私の真剣勝負は続く。
時々、大きな泣き声が聞こえてくる。
お母さんは、想像するにまだお若い方なんだろう。
「どうして欲しいの、なんで泣くの」と、これまた泣きそうな声で言っているのが聞こえた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そう言えば、ウチの子もよく泣く子だった。
家の中が静か過ぎたのだろうか…私の笑い声にまで驚いて泣いていた。
掃除機の音にも驚いて泣いた。
おっぱい、オシメ、本当によく泣いた。
赤ちゃんは泣くことが仕事。
泣くことで、自分を主張し、自分の欲求を伝える。
2ヶ月の頃だったろうか…帝王切開で産んだ身体は、冬の寒さもあって、なかなか回復しなかった。
泣き声が苦痛になって、腹を立てたことが一度だけある。
まだ首も据わらない子を布団の端に追いやった。
さらに火がついたように泣き続けた我が子。
その泣き声にハッとした。
“こんなに小さな子どもにも、意思があり、
一人の人間として生きようとしている”
これに気付いてから、私は子育てが面白くなった。
出来ないことを手伝ってやればそれでいい…そう思えるようになった。
保母(保育士)をしていたので、そのノウハウは大変子育てには役立った。
子育ては、奇麗事ではすまない。体力勝負だ。
子どもを育てている…と言うよりは、“人間を作っている”という感覚だった。
質問されると、その年齢に分かる言葉で、分かる内容で、本人が納得のいくまで応えた。
「待ってて」と言った時には、必ず、待たせた分だけ、彼の要求に応えた。
ダメな時には、どれだけ駄々をこねられようと、頑として譲らなかった。
彼もいつも真剣だったろうけど、私もいつも真剣…正直言って疲れる。
いつしか、「子育ては魂と魂の闘い」 と感じるようになってきた。
決して、楽しいだけが子育てではない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今、子どもは小学5年生。
ギャングエイジと言われる徒党時代…反抗期に差し掛かっている。
家にいるより、友達がいい…親に秘密もできてくる頃だろう。
“性”にも目覚め始めてきている。
もう保母時代のノウハウは通用しない。
手探り状態 ――― 本当に魂のぶつかり合い、真剣勝負になってきた。
質問してくることも難しくなってきた。
頭を使って考えなくては分からないことが増えてきた。
ここで「わからんわ」なんて言っては、負けである。
負けたときには負けは認める。
一生懸命考え、分からない時には一緒に調べる。
教えてもらうことだって増えてきた。
「お母ちゃんも忘れて分からんことがあるから、教えてや」と言っておく。
得意げに教えてくれる…。有難いことだ。
身体も大きくなってきた。
力では、もう負けそうだ。
事実、先日じゃれ合っていて不意をつかれ、それを避けようとして手を引いたところ、「プチッ」と音がした。
肘に痛みが走った。病院行き…。
成人した子どもを持つ友達は「まだまだこれから、まだやりやすいわ」と言う。
何がやりやすくて、何がやりにくいのかは分からないけど、私は子どもも一人の人間として信頼し、人格は尊重して対等な関係でいたいと思う。
そして、人生の先輩を敬う気持ち、弱者に対する思いやりの気持ちは、忘れずに伝えていきたい。
物分りのいい親にはなろうとは思わないけど、子どもに恥ずかしくない親でいたいとは思う。
まだまだ、私の真剣勝負は続く。
先ほどはありがとうございました。
いつも読んでくださって嬉しいです。
ほんとう。
真剣勝負ですね。
私はもっと楽しめばよかったと
いま、思います。
中学になれば、もう完全に友達との関係。
小学生までですね。
親も知らない、わからないことは、
子に教えてもらうこと大事ですね。
子どもは得意顔で話します。
これってすごくいいことだと思いますね。
そして恥ずかしくない親でいたい・・・
まったく同感です。
子どもがいるからがんばれること多いです。
先輩ママとしてお役に立つことあったら、
嬉しいです。
友達感覚で子供と接するのが良いというふうに受け取っているのではないでしょうか?
子供を叱るときは遠慮してはだめなはずなのに、子供に嫌われたくないから
叱れない.....
子供が怖い.....そんなふうにしたのは、両親のはずなのに....
女性の自立が進み、女性一人でも生活できる社会構造が出来たことで、男親
の威厳もなくなっているいまの社会では、子供が何かを敬う気持ちが育たな
いうちに体だけ大きくなってしまっているようで心配です。
このような状況の中での子育て本当に大変だと思います。
一人の人間として接し、でも大人と子供の関係、他人との関係を理解できる
子育てが必要なんでしょうね......
あ...まとまりなくてすみません。
誤解されるような文章ですが、お許しください。
男女平等 = 全てが同じ ではないと思っていますが、どちらが偉いとか言う
つもりはもうとうありません....苦笑い。
やはり、仕事にかまけ、また妻に頼り、子供と共に考えることなんてほとんどなかったように思います。
きっとお子さんは、Hiromiさんの、思いと姿勢と努力を体いっぱいに取り込んで成長されることでしょう。
せめぎあい、楽しんで、がんばってくださいね。
私には子供がいないから実感ないけど、感心するよ。
だけど、それだけ、やりがいがあるお仕事だね。
きっと、いいお母さんなんだね。Hiromiちゃん♪
未歩さん♪
子どもが欲しくてたまらなかった、独身時代。
生まれてきた子どもは、嘗め回すように育てています。(笑)
でも、いつまでも嘗め回していられません。
人格が出来てきて、大人に近付いてきていますからね。
思慮の足りない大人…「ことな」と私は揶揄して言いますが。(^^ゞ
(今はそんな大人も増えていますけどね。苦笑)
人生の先輩として、先輩ママとして、困った時には教えてくださいね。
心強いです。
ありがとう。
40おやじさん♪
>子供に嫌われたくないから
>叱れない..... 子供が怖い.....
今、こんな親子増えていますね。
一緒に子育てしていた人達にも、こういう人が多かったです。
子どもの機嫌をとる必要なんてないのに、機嫌を取っている親。
ここで叱らなきゃ!ってところで叱らずに、どうでもいいようなところで感情的に怒鳴り散らしている親。
そんなんじゃ、子ども、何がよくて何が悪いのかなんて、わからないよね。
40おやじさんが仰るように、女性の自立の問題も、少なからず関係していると私も思います。
>男女平等 = 全てが同じ ではない
これにも、同感です。
男女間の差別はあってはならないものだとは思っていますが、その役割は男女で違うものであってもいい筈だと思うからです。
何でもかんでも、男女平等…ってのは、自然の摂理に反しているのでは…と。
お互いの性差を認識して、お互いを思いやる気持ちがあれば、「平等」がどーのこーのってのは、なんら関係ないと思うのですが…。
女である私がこういうことを言ってはいけない…のかな?(笑)
どっちにしても、親になった人には、もっと真剣に子どもと向かい合って欲しい ―― と願ってやみません。
止めるように話したのですが、複雑な気持ちになり心が痛みました。
おーちゃん♪
私は鍵っ子でしたし、親も早くから働いていましたので、殆どほったらかし状態で大きくなりました。(^^;
けれど、親が必死で働いているのを見ているので、自分たちも頑張らなくちゃ!…と、子供心に思ったものです。
ただ、私は自分が「こうして欲しかった」というのを子どもに押し付けているのかもしれません。
それがいいのか悪いのかは、これから子どもが信号を送ってくれることでしょう。(笑)
風民さん♪
子育てが大変…と言うよりも、ヒトの世話をすることは大変…だと思うのです、私は。
風民さんだって、介護をしてらっしゃるでしょ。
そういう意味では、同じだと思うんだけどな。(^^)b
ただこちらが与える情報が、全て子どもの頭にインプットされていくことが違うだけで…。
影響力、大きいよね。責任、感じるわ。
「ぺんぎんの子が生まれた」 川崎 洋
ぺんぎんの子が生まれた
父さんと母さん
それぞれのおじいさんとおばあさん
さらにはひいじいさんとひいばあさん と
ほんの二五代さかのぼっただけで
この子の両親を始めとする先祖の総計は
六七一〇万八千八百六二羽となる
そのうちのどの一羽が欠けても
この子はこの世に
現れなかった
ぺんぎんの子が生まれた
そう聞くと、益々、闘志(?)が燃えます。(笑)
向き合うことの少ない家庭が増えているように感じます。
ウチの子の友達にも、目に輝きのない子がいます。
悲しいな…と、感じます。
ペンギンの詩、やまぶどうの詩、子どもに読んでやりました。
ペンギン→そう思うと、すごいなぁ~
やまぶどう→おもしろいなぁ~ の感想です。
自分は生まれてきてよかったので、命は大事にしたいそうです。
ありがとうございます。
どうして泣いているのかな??
なんで泣き止んでくれないのかな??
私だって寝たいのよ~~
と泣きながら抱っこしていた時期もありましたね。
そういえば。
子どもたちって、大人が思うよりもうんと
「真実」を見抜く目を持っている気がします。
どんなに可愛い可愛いと育てても
旦那じゃないほかの人に恋心を持っている大人は
見抜かれるし。
どんなに邪険にしていても、根底に愛情がある
親は子どもに愛を与えられる。
言葉や表面を子どもたちは見ていないようですね。
hiromiさんのおっしゃるとおり、恥ずかしくない
生き方を、背中を息子に見せなくちゃ。
それだけは感じる今日この頃です。
そう言えば、私も息子に頼っているなぁ~(^^ゞ
>どんなに邪険にしていても、根底に愛情がある親は子どもに愛を与えられる。
これ、同感。
ホントにそう思います。
子どもは真実を見抜く心の眼がある…。
同じトシの子を持つ親同士、頑張りましょうね。(^^)b
室井佑月(作家)の見解です。参考になりますかどうか。
世間一般でいわれている良い母親であるということを、あたしがあきらめてどのくらいたつだろうか。たしか息子が一人でウンコをできるようになってからだから、もう半年にはなるだろう。母親らしい母親になろうと一応頑張ってみたものの、それはあたしに向いてなかった。
不器用なあたしは、母親としても、仕事を持つ社会人としても、すべてにおいて中途半端な人間になってしまった。
「これではいかん!」と思ったのが半年前。それからはオリジナルな母親像を目指し、日々精進している。
仕事時間が不規則なため、あたし以外の家族、息子、じいちゃん、ばあちゃんの健康的な生活を妨害しているという理由から、住居とは別に仕事部屋を借りさせられた。早朝や深夜の仕事が続くとき、あたしだけが家族と離れ仕事部屋で生活している。
あたしは仕事部屋から息子に会いにゆく。原稿の締め切りが立て込んでいる月末などは、顔を見にゆくといったほうが正確かもしれない。
そんな日ばかりではなく一日中家族と過ごすこともあるけれど、普通の母親にとってそれが当たり前なわけで、やはりあたしは規格外の母親ということになるんだろう。
しかし、世間常識から外れているものの、あたしは息子の母親であり、やつの前で胸を張って、
「あたしがお前の母親だ」
いつもそういえる自分でなければと考えている。けれど、その思いの行方も、ほかの母親とちょっとズレているんだろうな。
あたしにとってそういえる決め手は、今の自分が恥ずかしくない生き方をしているかどうかということ。息子のきれいな瞳に映る自分は、絶対にきれいな人間でなくてはと思っている。自分の人生をのろっているような、どんよりした人間であってはならないと。
息子のいちばん身近な大人であるあたしは、とにかく格好良くなきゃ。もちろん、逆に「母ちゃんてどうよ?」といわれる恐れもあるわけだけど。
そのときは素直に謝ればいっか。親子なんだから、謝れば済むでしょう?そう考えるあたしは甘いかな。
そういえば先週、徹夜が続き、
「もう仕事したくねー」
と泣いていたら、息子に肩をたたかれ、
「頑張れや。僕が大きくなったら、手伝ってやっからよ」
といわれた。あたしは思わず、
「格好良い!」
と息子にしがみついてしまった。あらがう息子を羽交い絞めにして、キスの嵐をお見舞いした。
あたしではなく、息子が格好良くなってきた気がする。それならそれで万々歳よ。
基本的な社会のルールや道徳は、じいちゃんとばあちゃんに習っているようだし、じつはあたし、
「弱い者イジメはするな」
それしか息子に教えていなかったりする。最も大事なことだと思うから。やつが将来、格好良い大人になるために。
<日本経済新聞05.09.21>
面白く読ませていただきました。
室井佑月さん、恥ずかしながらこの作家の方は存じ上げないのですが、『頑張れや。僕が大きくなったら、手伝ってやっからよ』こんな風に子どもに言ってもらえる母親は、もうそれで十分に思いを伝えているのだろうし、母親としての生き様を子どもは認めていると思うのですが、いかがでしょうか。
それにしても、親というのはこれ以上することはない!ってことはないのだと思うこの頃です。
どこまで手を出すか、それが難しいところで、子どもを思う気持ちは永遠なのだと感じています。
「これでいいのだろうか」――絶えずそう思いながらの子育て…です。
きっとどこの親も同じ…なのでしょうね。
Michikusaさん、このコメントを記事にして紹介したいのですが、よろしいでしょうか?
ブログもされているようですね。
いくつか興味を惹く本があったので、図書館で探して読んでみようと思います。
>裸で付き合える親子が理想なのでしょうね
ホントにそう思いますが、根気・体力要りますよね。
“闘い”です、私の場合は。(笑)
文字数、カットされていましたか?
それは申し訳ないことになってしまいました。m(_)m
コメント、記事にさせて頂きます。
ありがとうございます。