今日は長崎原爆投下の日。
戦争と恩人を忘れない為にも、
何度でも記します。
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長崎原爆投下の日に
立秋を過ぎ…
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その日も
青空が広がっていたのだろう。
セミが賑やかに鳴いていたのだろう。
当時の恩人は医学生。
その日は、体調が優れなくて冴えない表情をしていたそうだ。
上官である医師から
「今日は休んでいいから、家に帰っておいしいご飯でも食べておいで」
と言われ、軍事作業を休んで長崎市内から佐賀の家へ帰って行った。
それが、早朝のこと…。
そしてお昼前、
長崎市内に原爆が投下された。
佐賀の実家で原爆投下を知った恩人は、
取って返すように長崎へ…。
投下の日から2日後に現地に戻った恩人が見たものは、
原型を留めない宿舎や軍事工場、働いていた医療施設…。
焼け野原になった町並み…。
あちこちに転がっている死体…。
恩人は百数十人の医学生の中で、
ただ一人生き残った…上官の一言で…。
「僕はね、生き残ってしまったんだよ」と、
恩人は悔いるように話された。
申し訳なさそうに、悲しそうに。。。
恩人、田尻俊一郎医師は、
働きすぎて死に至ることを「過労死」と名付け、
生涯、労働者の為にご尽力下さった。
今の私が在るのは、
田尻先生のお陰。
先生の想いを受けて、
平和と戦争反対を訴える。
先生が亡くなられて間もなく10年…
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