風にまかせてふわふわり。。。

生きていると色んなことがある。

何が、そうさせるのか…?

2010年01月28日 15時57分57秒 | 感じたこと
昨日のこと。

息子の通う中学校の前は、スーパー。

私はそこで買い物をして、帰ろうと自転車に乗っていた。

「パンパンパンパン~」とけたたましく爆音が鳴った。

何事かと中学校の方を見ると、

生徒達が数人、校門前で大騒ぎしている。

昨日は、3年生の学年末試験の中日。

丁度、試験を終えた3年生が下校している所だった。




今日、仕事から帰った私に、先に帰っていた息子が話すには、

「昨日、校門前で、爆竹を鳴らした生徒についての、

 感想文をオレ等が書かされた。意味分からん」と。

話をよく聞くと、爆竹を鳴らしたのは3年生だったと言う。

しかも、1・2年生は授業中であったにも関わらず…。



息子達の学年は、入学当初から、かなり荒れていた。

授業がまともに出来ないほど、酷い有様だった。

先生が次々に鬱病で休職、退職して行った。

それがゆえに、息子は一時、登校出来なくなった。

今では「まし」になったとは言え、

受験を控えた今の時期でも、授業中に騒ぐ生徒が居るらしい。

しかも、先日の実力テストの平均点が50点以下。。。

それで、この爆竹騒ぎ…。







何が、不満なんだろう。

何を訴えたいんだろう…。

何がしたいんだろう…。

どうして欲しいんだろう。。。



そういう行動に出てしまう子。

そういう手段しか取れない子。



胸の内を思うと、可哀相でならない。。。

寂しさと諦めと虚しさを感じる。。。



きっと…、

優しく肩に手を置いて、

ギュッと抱きしめて欲しいだけなんだろう。

安心できる場所が、欲しいだけなんだろう。

「アンタはそれでいいんだよ」と認めて欲しいだけなんだろう。






認められない子どもほど、寂しく悲しいものはない。

何にも出来ないけど、そんな息子の同級生達にも、

幸多かれと祈るばかりだ。

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2 コメント

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う~ん (ねじ)
2010-01-29 22:24:30
昨年の10月においらのブログで『下流思考』内田樹著の話を途中まで書いたけど・・・。
上手くまとめきれてない。

世の中の親の愛情が薄くなっている傾向は、ないと思うよ。戦後の貧しい時代に比べ親が子供に関与するゆとりも経済的な余裕も充分過ぎる筈。
学校も一時期の進学競争、戦争の影はなくなったし、おいらたちのひと世代上の50人学級なんて夢見たい話やん。

戦後そうやって子供たちの事を思って、いろいろ頑張って来た筈なんよ。
で、結果が荒れる教室、ってのは皮肉というか驚愕する結果だよね。
単純に『子供たちを甘やかせた結果』と言う積りはない。

たんぽぽさんの言う
>何が、不満なんだろう。
>何を訴えたいんだろう…。
>何がしたいんだろう…。
>どうして欲しいんだろう。。。
は、恐らく子供自身は言葉では答えられないんよ。『なんかムカつくんよ』『我慢できない』という漠然とした不満、不安感があるんだろうと思う。

もう少し『下流思考』を読み砕くから、期待せずに乞うご期待。
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ねじさん☆ (たんぽぽ)
2010-02-14 12:10:09
>世の中の親の愛情が薄くなっている傾向

愛情が薄い…というよりも、関心が薄い…んじゃないかと感じるんだわ。
目に見える部分での関心は異常なほどにあるのに、目に見えない部分、評価しにくい部分での関心が薄い…んじゃないかなって。
例えばさ、食事。
目の前に食べる物があればいいんじゃないと思うんよね。
お腹が満たされればそれでいい…って話じゃないと思うの、子どもにとっては。
作って食べさせてもらえているかどうか。
レンジでチンとか、コンビニのお弁当じゃなくって、自分の為に作ってくれるかどうか…ってこと。

お金をかけてもらっても、手間隙をかけてもらっていると感じてる子どもが少なくなってきているんじゃないかと思うんよ。

生きる為に頑張る親の姿を見ている子は大丈夫。
そうじゃない親が増えているんじゃないかなぁ…。
私達の年代…なんだけどね。
親が大人になりきれていない。
責任転嫁が多すぎる…同じ年代の親として、そう感じるよ。

「下流思考」私も探して読んでみるよ。
ありがと☆
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