私の長男も2010年4月、社会人1年生として就職した企業の研修を受けた後、10月に岩手県盛岡市の営業所へと配属になりました。
翌年2011.3.11 長男も盛岡市で被災しました。
この日2011.3.11は私にとっても、身近で、とても生きた心地がしなかった時間になりました。
何度も何度も携帯に電話をしても、繋がらないもどかしさ。
繋がらないってことが、こんなに悲しいことなのか、生存が確認出来ないって、本当に心臓が止まりそうな恐怖が全身を貫きます。
私は狂ったように電話をかけまくり、半泣き状態で世間体も何もあったもんじゃありませんでした。
盛岡市はライフラインが止まってしまって、寒い中、暖も取れずに近所のご家族と長の部屋に集まって、肩を寄せ合って一夜を過ごしたといいます。
この時ほど、長男が遠く感じ、母としても何も出来ずに過ごした時間はとても悲しくて悔しかったです。
それと同時に、近くに住む人たちが、長男と共に助け合って共に過ごして下さり、本当にありがたかったです。
幸いにもと言ってもいいのか、未だその言葉を使っていいのか解りませんが、盛岡市は内陸部だったため、津波の被害はありませんでした。
それでもライフラインが止まってしまったので、交通機関も寸断され、物資を送りたくても個人的物資を送る事は許されず、長男に何も送ってあげることも出来ませんでした。
無力な母でした。
地震 ・・・・・・ 2011.3.11 その日は、慌てて携帯から投稿した日記から始まりました。
あの日・・・・・・3.11 ・・・・・・2012.3.11の日記です。
もう2年・・・・・・
まだ2年・・・・・・
止まったままの時間。
動き出した時間。
もう、戻せない時間。
あの3月11日の地震が起きる前に時間が戻せるなら・・・・・・
津波が来るって、あんなにおおきな津波が襲ってくるって解っていたなら
誰も犠牲にならなかったかもしれない。
私はやっぱり振り返ってしまう過去を・・・・・・
前を向いて歩いて行く勇気って本当に強い気持ちが持てないと難しい。
なのに、被災地の皆さんの方が、みんなみんな強い気持ちと強い心で、時間を大切に前に向かって生きている。
私は小さいな~
本当に小さい人間。
自分の前に何か問題が起こったり、何か哀しい、悔しい出来事があると、時間を戻したいと、そんなことばかり想って
なかなか前に進めない。
強い心・・・・・・負けない勇気・・・・・・持てるようになりたい。
祈ることしか出来ないけれど、皆さんが必ず「生きていて良かった」と思える人生の最期を必ず迎えられるように祈っています。
絶望とか、苦しみとかかぞえるんじゃなくて、希望を・・・・・・
暗闇の中からでも希望をかぞえて生きていく強い力が、僕等にもみんなにも、
人間にもきっとあるんじゃないかという希望を込めて・・・・・・by 桜井和寿
Mr.Childrenの桜井さんが作った『かぞえうた』