旧街道を更に進むと「美作国七福神霊場毘沙門天清眼寺」の標柱と「奉納大乗妙典六十六部供養」という文字が彫られた石塔があった。ここから北へ延びる道が極楽山清眼寺(ごくらくざんせいげんじ)の参道である。 当寺はぼたん寺とも呼ばれ4月下旬頃には境内のぼたんを見に大勢の人が訪れるという。山門脇に「美作八十八ヶ所霊場第五十六番」の幟が立っていた。 参詣を済ませた私は七福神の後方にある古びた石造物に目をとめた。宝篋印塔(ほうきょういんとう)は明和四年(1767)に建立されたものだった。