Carry me back to Old Virginny

1974~1975年にわたるアメリカ・バージニア州R-MWCへの留学記(手紙)です。

Johnの来訪・その他つれづれ

1975-04-15 | RMWCの日々

12日付の手紙もらいました。なんと3日で着いちゃったわけね。世界は狭いですね。

そうそう、このまえ一度日本に帰る夢を見ました。またすぐこちらに帰ってこなくてはならない、という設定で、しかもみんなに知らせずにこっそり帰るの。かなり感激的な夢でした。あらためて海を隔てたところにいるんだなぁと実感。ここにいると、どうもちょっと隣町あたりに家があるような気がしてなりませんが。

この前、友達の一人に、いつも日本語で考えてるの?英語で考えてるの?と聞かれました。そういわれてみれば、何語で考えているのかわかりません。不思議なものね。そういえば、Annemarieは、もう今までに3回も家に国際電話をかけてるんだって。3分間で10ドルくらいというから、私もかけてみようかなぁ。もちろんcollect callで。もうすぐ帰るのに、馬鹿馬鹿しいかな。早々、念のために、こちらの電話を書いておきますが、大学は804-846-7392です。Webbの私のHallはextension 362。 各寮のフロアごとに電話がついているの。気が向いたら電話かけてください、ハイ。銀行の口座、この前も聞いたのだけど、そういうことに慣れていないらしくてはっきりしないの。また明日行って聞いてきますから。

結婚式がどんどんあるようですね。うちのクラスは本当に皆早いわね。私は絶対25,6まで頑張るぞ!---なぁんてもらってくれる人もいないのだけど・・・シュン。こっちにいると、スカートなんぞはくのは月に一、二度で、いつも薄汚いジーパンしかはかず。お化粧のケの字もせず、もうなりふり構わず、胡坐ばかりかいている、という始末で、まったく15,6歳ころに戻っちゃった感じ。将来のことを考える時間もなく、きままに暮らしています。

先週末はJohnが大学に来たので、ちかくのRandie'sで食事を一緒にしました。ちょうどJenniferがコロンビア大学に行っていたので、鬼のいぬまの何とやら、という具合。 Johnは、たまたまLynchburgに住んでいる友人の家に用があったので、Roanokeからやってきたの。 前から迷っていたのだけど、この夏からNew YorkのDivinity Schoolに3年間行くことにやっと決めたのですって。 私が日本に帰ったらすぐ就職先を決めるのでゆーつだゆーつだ、とこぼしたら、卒業後アメリカに来て、日本語を教えたらいいだって。なんでも中部のほうには、Quakersの組織する学校で、日本文化や語学を教えているところがたくさんあって、Native Speakerを求めているんですって。 私もR-MからTeaching Japanese to English Speakersとかいう単位をもらえるし、それも一手ね。

そのあと、JohnがR-Mに来たのは初めてだったので、大学内を案内して部屋でおしゃべりしてから、Johnの友人のJimの家へ行きました。Jimは去年までW&LでJohnのルームメイトで、今はハイスクールで教えているのですが、MarshaというSweet Brierの4年生と婚約していて、6月に式を挙げるのです。はやMarshaと共同生活しているようでした。そのあと、Johnは一緒にRoanokeへ来て週末に彼の家で過ごさないか?と誘ってくれたのですが、ご両親が会議でNew Yorkへ行っていて留守なのだそうなので、やめました。大学が終わったらまた行く機会もあるだろうから。

Roanokeといえば、今日Mrs.Klousにお電話しました。このところずっと通信が途絶えていたので。春のdance concertがこの週末にあって、彼女はそれを楽しみにしていたので、お招きしなければならないのであります。Jenniferのご両親も来るので、忙しくなりそう。ヤレヤレ。

今日、Ms.Rayal(テニスのコーチ)が、私のサーブをビデオテープで取ってくれると約束してくださいました。彼女がクラスでその提案をしたら、誰も立候補しないので、頼んだのは私一人だったの。みんなどうしてこう消極的なのかしらね?私がしょっちゅうPERビルに入りびたりなので、今日Ms.Tergeson(先学期のテニスのコーチ)が、私を見かけて、"Kumiko, are you sleeping with a tennis racket these days?"と聞いてきました。英語よりテニスの方がよっぽど上達したみたい。

この前Annemarieが部屋に来て、旅行のことを話していきました。私と彼女は7月にCaliforniaで落ち合うことにしているの。彼女はこの大学のラジオ局WWR-Mのメンバーなので、これからDJをするからリクエスト曲ないか?というので、Mamas and PapasのCalifornia Dreamin'をリクエストしておいて、ラジオを聴いていたら、さっそくかけてくれて、ラジオで私のこともしゃべってくれました。

この手紙の途中で(夜10時頃)廊下の外でとつぜん歌声が起こりました。出てみたら、Sophomoresがみんな白装束でキャンドルをもって、寮の階段に列になって、Seniorsのためのセレナーデを歌っていました。とても綺麗でしたよ。

今日Washingtonの日本大使館にチャーターフライトのいいのがないか、問い合わせの手紙を出しました。たしかに300ドル以下のがあるそうです。旅行はHisamiとするかもしれません。最近時間がなくて、旅行の計画がお留守になっちゃっています。そろそろYにも手紙出さなきゃ・・・

この前、Connieが部屋に来て、私は英語ができるし(彼女は日本人はABCも知らないと思っているの)テニスはうまいし(エヘへ)、バドミントンも強いし(この前、4,5人でやって私は皆を負かしちゃったの)、小さいのに何でもできるって感心されちゃった。Connieは巨大で、5フィート9あります。彼女が歩くと、ホールがミシミシいうの。でも5フィート9なんて、ここではざらです(お兄ちゃんより大きい)。Jenniferはかなり小粒の方で、私は同じくらいかと思っていたら、5フィート3はあるのdそうです(159センチ)。

今日はLord Byronの”Don Juan"(ドンファンのこと)という長詩を読んでいます。それでは、またね。