この映画はヒッチコックお得意のサスペンスではないだろう。お迎えの部屋に住んでいる(レベッカを改竄しまくったプロデューサーデヴィッド・O・セルズニックがモデルの)セールスマンが一体何をしでかした(妻殺しではなく多分宝石窃盗の類いか?)のか、最後まで明かされないのだから。つまり、事件の真相そのものがマクガフィンになっている掟破りのミステリー?なのである。大衆迎合的な映画監督というイメージを覆す挑発的な作品ともいえるだろう。
「映画とは覗き見芸術である」と語ったのはたしかヒッチコック本人だった。他人の生活を覗き見することが大好きな観客の愉悦を満たすのが映画というわけである。この映画を通じて我々が覗き見させられているのは、(ロバート・キャパとイングリッド・バーグマンの関係をトレースした)カメラマンのジェフとその部屋に毎晩のように通ってくる(時々お泊まり♥️)金持ちお嬢さまリサ(グレース・ケリー)がイチャコラしている様子と、ジェフが双眼鏡や望遠カメラで覗き見しているお隣さんたちの私生活風景だ。
当然24時間観察しているというわけにもいかず、骨折して車椅子の上からほとんど動けないジェフは、時折寝落ちしてしまっていて重要な場面を見逃している。言い換えれば、他人の私生活の一部分しか見ていないのに、その全てを把握しているかのような全能感にひたっているのである。これすなわち、映画の表層部分だけを見てわかったような気分になっている観客への痛烈な批判にもなっているのだ。
あんな夜更けにしかも雨の中3度も外出して、でっかい肉切り包丁とノコギリまで。あの晩以来女房の姿を見かけていないし、でっかいトランクを運び出そうとまでしている。これは殺人事件で間違いない。さて真相はいかに....その真相を知りたくて知りたくてウズウズしている観客の好奇心を嘲笑うかのように、ヒッチコックは観客におあずけを食らわせたまま放置するのである。なんという底意地の悪さ。
当然観客はああだこうだと予想をめぐらすわけなのだが、その予想にも確信が持てないまま、ひたすらフラストレーションがたまってしまう、そんな作品なのである。事件の真相は最後まで解明されないものの、巨匠はラストお隣さんたちの生活の“真相”を観客に見せて、両足骨折して車椅子にもたれて💤をぶっこくジェフと対照的に描くのである。そしてその傍らのベッドには、看病をするリサの姿が...
お嬢さま育ちで何も出来ないと思っていたリサが、抜群の登攀能力を駆使して、セールスマンの部屋へと忍び込む。「寒さにはわりと強い方だわ」とも語っていたリサが読んでいた本は、なんと『ヒマラヤを越えて』(ポリオを患った判事が登山によって歩けるようになる自伝小説らしい)。もしかしたらリサには自分の結婚相手としてふさわしい適性がそなわっていたのでは(そんな男のあさはかな思い込みも次のシーンであっさり覆るのですが)。“人(映画)は見かけによらず”ってことを皮肉たっぷりに描いた作品だったのかもしれないですね。
裏窓
監督 アルフレッド・ヒッチコック(1954年)
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