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「このガラス製のミツバチの巣箱では、蜂の動きが時計の歯車のようによく見える。巣の中で蜂たちの活動は、絶え間なく神秘的だ。乳母役の蜂は蜂児童房で狂ったように働き、他のはたらきばちは生きた梯子のようだ。女王蜂はらせん飛行、間断なく様々に動き回る。蜂の群れの報われる事のない過酷な努力、熱気で圧倒しそうな往来、房室を出れば眠りはない。幼虫を待つのは労働のみ。唯一の休息たる死もこの巣から遠く離れなければ得られない。この様子をみた人は驚き、ふと目をそらした。その目には悲しみと恐怖があった」
主人公の少女アナの父親で養蜂家であるフェルナンドはノートにこう記し、最後の数行を二重線で消す。それは、イザベラとアナの姉妹がベッドの中で夜毎“ささやき”声で語り合う精霊の作り話、または、母親が昔の恋人にしたためた内緒のラブレターと同等の、誰にも知られたくないここだけの話なのである。時代設定が1940年のためか、当時まだまだ検閲が厳しかったフランコ独裁政権に言及した演出とも思われるが、本作公開年度の1973年に我々はむしろ注目しなければならない。そして本作のテーマが、分断の危機が叫ばれる現代の世界情勢にもそのままあてはまる偶然に驚きを隠せないのである。
一見、いたいけな少女がみた夢を描いたファンタジーのように思える本作は、政治的メタファーにみちた映画であることがよく知られている。が、本作が公開された1973年の数年後にフランコが亡くなっていて、当時の映画表現に対する検閲も時代設定の40年に比べればゆるゆるだったことからも、スペイン内戦限定の映画ではない、もっと普遍的なテーマに言及した作品のように思えるのだ。アメリカがテト攻勢にあいベトナムから撤退した1973年は米ソ冷戦真っ只中、代理戦争という形で、資本主義と共産主義、右と左が激しいつばぜり合いを各地で繰り広げていたのである。現代の米中○○戦争、米国内における分断とまったく同じ構造と言えるだろう。
レビュー冒頭で記した🐝に関する考察は、資本家と労働者、集団農場で働かされる貧しい農民、もしくは戦争に借りだされる若者の悲しい末路にも思える。地平線まで続く一本道や鉄道のレールは美しい景色を“左右”真っ二つに分断し、スペイン内線で心に傷を負った夫婦はベッドでも無言のまま言葉を交わすことさえない。🐝の巣のような小学校に通う姉のイザベルは映画のウソに気づけるほどスレていて、純心無垢な妹アナに出鱈目ばかり吹込み煽動する。まるでどこかの国のマスゴミみたいだ。左右に並べられたベッドも印象的である。資本家は邪な思想の🌱=🍄を踏み潰す。超軍事大国を思わせる(ある意味無垢なる魂を持ち主)フランケンシュタインは、その力をどう使っていいかわからず、映画内映画の中で少女をその手にかけてしまう。
姉イザベルのウソを信じた純心なアナは、フランケンシュタイン=傷病兵を精霊と思い込み、その親切が仇となって傷病兵の命を奪ってしまったことに気づきショックを受けるのだ。女王🐝に操られる働き🐝のように、無垢なる魂が常に戦争に利用されるならば、少女アナのように“瞳をとじて”精霊に祈りを捧げるしかないではないか。左右中道を肉体的にイメージさせるトランスジェンダーやLGBTQが、国家をかえって分断し混乱を招くことが明らかになりつつある現代、“無垢なる瞳”の唯一の持ち主である子供たちに未来を託す以外、おそらく他に術がないのであろう。
ミツバチのささやき
監督 ビクトル・エリセ(1973年)
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