土曜日、標記演奏会に行ってきました。
会場には知った顔がいたのですが、
演奏についての意見交換はしてないので、
他の方の印象は分かりませんが、
うーん、OBだからか、良いコメントが浮かんできません(苦笑)。
行ってない人はこの日記を読んで判断するわけですからね。。。
書きにくい。。。ぜひ他の人の日記も読んで下さい。
一言で言うと、声は出てるんだけど。。。
色々な部分が”雑”なんですよね。
なので、演奏を聴きながら考えていたことを少し。
10年前の自分です。
大学の3,4年と、ここで学生指揮者をしました。
3年のときは武満徹作曲の「うた」より4曲、
4年の時は後藤丹作曲の「気球の上る日」より2曲。
今年の学生指揮者を見ながら、
歌っている団員を見ながら、
10年前の自分はどうだったのか、思い出していました。
4年の時の定期では、失敗をしました。
その後(今)の糧になっている出来事がありました。
振っている自分がピエロだったということです。
3年のときは、とにかく必死でした。
演奏会直前に、学生控室で、
「tek310はどうしたいのか」と某団員に問われ、
僕が曲に対する思いを話すと、
「思ったとおりにすれば良いのに、何でカッコつけてるのか。」
といった内容のことを言われました。
4年の時は、個人的に精神的にうまくいってなくて、
団員からどう思われていたか、全く分かりません。
それぐらい、団員とコミュニケートできていませんでした。
3年のときは、上記のようなやりとりもあり、
周りに支えられて振れた気がします。
でも、実際どう思われていたのか、、、と。
自分で今思うのは、
あの頃はやっぱり、「分かりづらかった」なと。
あの時の自分を今見てたら、きっとやきもきするだろうと。
そんな思いで、学生指揮者や団員たちを見ていました。
周りも、何も多くのことを望んでいるわけじゃない。
ただ熱く、ただひたすらに、ただ思いを真っ直ぐぶつけていれば、
それで良かったのだと思います。
今の僕には、
若い人たちが歯がゆいんです。
合唱に対して、もっと真っ直ぐ思いをぶつけて欲しい、
そう思っている自分がいます。
身体から何かを発してほしい、そう思います。
何も多くを望んでいないのです。ただそれさえあればいい。
あの頃の僕も、周りからすると、
きっと歯がゆかったのだろうと思います。
分かりにくくて、何を考えているのか分からない、と。
ただひたすらに、ただ愚直に、真っ直ぐ進めばよかった、
10年前の自分を思い出していました。
「スマートに」「客観的に」
それが、自分らしい在り方だと、勘違いをしていました。
昔と比べれば
今の自分の方がまだ良いかなと、自分でも思います。
足りないものはたくさんありますが。
でも、どうなんだろう。
なんか、複雑な思いもあります。
指揮者って、孤独な生き物なのかな。。。