佐藤匠(tek310)の贅沢音楽貧乏生活

新潟在住の合唱指揮者・佐藤匠のブログです。

合唱人生の始まり。

2019年09月28日 01時01分35秒 | 日記
 パソコンの前に座り
20分近く頭を巡らせていますが
適当な話題が浮かんできません。
今日はそれなりに色々動いてはいたのですが。
 
 
 なので昔話。
 
 
 自分の合唱人生について
ちょっとだけ振り返ってみたいと思います。
 
 私、色々ございまして
合唱のキャリアというのが
途切れている期間があちこち結構あります。
だからトータルみたいな話になると
非常に難しいんですよね。
 
 その一つとして
今日はスタートについて書いてみましょうか。
 
 何を合唱人生の始まりとするかが
非常に難しいですね。。。
 
 本格的に始めたのは大学入学後になりますが、
その前は
 
高校・・・合唱部のお手伝い(本番1ヶ月前から。
     高2からだったと記憶)
中学・・・Nコン参加のための特設合唱部
     (7月中旬に召集。1ヶ月間。中2、中3と参加)
 
 という感じで、
いわゆる部活強豪校で、みたいなのは無く
(それが良かったとは思っている)、
中高どちらも季節的な参加なので
期間だけで見ると隙間だらけですね。
 
 そういう意味で
始まりは中学校なのかなとは思いますが
原体験という意味では部活動ではなく
小学校と中学校の授業にあります。
 
 出身小学校に当時合唱部はありましたが、
私は体育部という部活に入っておりました
(ミニバス、水泳、陸上、スキーを年間順番に行う)。
ピアノは細々とやっておりましたが
運動が好きな子供で、合唱部には入りませんでした。
私の地元の方にはご存知の方も多いと思いますが
当時の合唱部の顧問は非常に実力のある方で
また当時色々な意味で若い先生でした。
 
 ただ、たまたま研究指定校だったこともあり
当時「生活科」という取り組みを
授業のそれなりの時間を割いてやっておりました。
小6ではその一環として、地元を題材とした
合唱創作組曲みたいなものを児童で作詞作曲して
卒業式で披露、みたいなことがありました。
 
 この話は正直ここに書けないことも多く、
涙無しには語れないのですが(笑)
大人数でそれなりの合唱をした経験は
記憶の中ではこれが初めてな気はします。
指揮は児童がしたのか記憶が曖昧ですが
合唱部の顧問が6年の担任を持っていたので
その生活科の一環ですので指導も受けていたと思います。
 
 その後中学へ進みますが
前述のように合唱部はNコン参加のための特設で
私は吹奏楽部に所属しておりました。
ただこの学校は当時
年間春秋の2回、つまり3年間で計6回の
クラス対抗の合唱コンクールがありました。
合唱が盛んな学校で
歌わない方が目立つような雰囲気はありましたね。
歌が好きじゃない人にとっては大変だったと思います。
  
 私はピアノを何となく続けていて
かつ吹奏楽部に入っていたこともあり
学年で1回ずつ、つまり3年間6回のうち
3回で指揮者を務めました。
合唱指揮の原体験というのは
ここにあるとは言えるかもしれません。
ここで指揮をしていなかったら
大学で学生指揮をすることはなかった気はします。
 
 正直クラス合唱でもありますし
何も出来なかった記憶しかありません。
まあでも楽しかったんでしょうね。
 
 ちなみに当時のパートはテノールでした。 
 
 中2の時に先生から声がかかり
前述の特設合唱部に参加。
中3では名ばかりの部長を務めました。
 
 でも、
当時色々こじれていた私は
高校入学後、バドミントン部へ。
結局色々あって半年で退部、
翌年2月ごろから歌を習い始め、
その流れで合唱部のとある方から声がかかり
お手伝いをちょこっとするようになりました。
 
 ちょっとダラダラ長くなりましたね(笑)
 
 話を戻しますが、
結局小学校も授業の体験、
中学校もあくまでクラス合唱なので
合唱のキャリアには入れにくいですよね。
部活との関わりも中高とも隙間があるから
通算の合唱人生というカウントも難しい。
 
 合唱指揮の話はまたにしますが、
指揮の”原体験”が前述の通り
中学校のクラス合唱にあることは
間違いないと思います。
ただ指揮生活には入れられないですよね(笑)
 
 以上、
私の合唱人生の始まりについてのお話でした。