●歩いた日:2018年12月21日(金)
●歩いた所
・本堂城回:城方小屋、百目木、道尻、館間、北館、田町
・土崎 :厨川谷地、北小屋、厨川
・払田(旧仙北町高梨):念仏谷地、大谷地
・板見内(旧仙北町横堀):百目木、千刈田
●歩いたログ(足跡)(道のり6.3km)
(以上の地図:国土地理院)
「払田川」に架かる橋を渡って、左手前方に「払田の柵跡」がある「長森」を眺めながら北に進む。
📷002:「払田の柵跡」
「長森」のほぼ全景である。ログ地図には「長森」に標高50m線が記入されていて意外に高いとも思われるが、「念仏谷地」には32mとあるので、高さ20m弱の丘である。隣の65m程の「真山」を除いて周辺はほぼ平坦なので、古代(8~9世紀)の柵が築かれる場所にふさわしい感じがする。
中央やや左寄りの、丸太が何本か立っているところが「外郭南門」で、そこから少し登った平らなところに「政庁」があったようだ。「払田の柵」は文献資料にその名がないため「幻の柵」とも呼ばれる、とあり、そのことがかえって古代史への想像力をかきたててくれるような気もする。
「大谷地」を通り過ぎ「長森」の東端をかするように進むと、また道脇に市町境を示す看板が立ち「旧千畑町千屋」に入る。こちら側にも「長森」への登り口がある。さらに少し進んだところで北を望む。
📷003:「百目木」を望む
道左側一帯は「百目木」。これに似た地名はこれまでも登場したが、川の流れ、水の落ちる音を擬音化したものである。ここは集落の向こう側を流れる「矢島川」の瀬音に由来した地名である。
先で左にカーブした道の右手は「城方小屋」。こちらは「本堂城」に関係がありそうである。
中央やや左寄りに、よく目立つ大きな木立が聳える。
道なりにさらに行くと右から合流する道脇に標柱があり、近づいて見ると「東門跡」と書かれている。さらに進むと今度は道左脇に石柱がある。
📷004:「百目木」の風景
「史蹟 佛田柵阯」と彫られている。字使いから戦前に建てられた石柱のようだ。
「払田の柵跡」から最初に柵木(柵を取り囲む太い丸太)が発見されたのはM35年頃、「千屋」地域において耕地整理が実施された際で、当時は燃料にされたり下駄に加工されたりしたようだ。昭和に入って本格的な調査が開始されて、S6年に秋田県で初めて国の史跡に指定されたとある。石柱の建つところは外柵が連なっていた場所のようである。
📷003にも写っていた中央の木立は赤松の大木のようで、そこに社でも建つのかと思って眺めたが、そのような建物は見当たらない。何か由緒があって残されているのだろうか。
さらに少し進んだところで柵方面を振り返る。
北側から望んだ「長森」で、右奥、家の後方に「真山」が横たわる。左手の家の道脇に前掲の石柱が写る。
「長森」の一番高いところから右手に下る斜面の裾の奥が「政庁跡」で、その下に「外郭北門」(右手家の奥辺りか)があったようだ。
(その3に続く)
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