ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧仙南村飯詰・金沢を往く②

2023年03月24日 | 旧仙南村を往く

<「飯詰山」と「鞍掛山」)>

●歩いた日:2023年2月23日(木)

●歩いた所

 ・飯 詰(飯詰):南中島、藤原、南飯詰、北飯詰、水上、槻木、沓形、轌町、北中島

 ・境 田(飯詰):上中野町、前村、箱出

 ・金 沢(金沢):中関、鞍掛、稜威女、向小屋、野中、小山城、北向小屋、小杉山、寺田

 ・野荒町(金沢):籠林、前谷地
 
●歩いたログ(足跡)(道のり8.4km)

(以上の地図:国土地理院)

 (📷002から)さらに南に進みながら右手に目をやると、田んぼの中に何やら軌跡がある。

(「藤原」の一角2)

 よく見ると、スノーモービルが走り回った跡のようだ。一面真っ白な田んぼを駆けたら爽快だろうなぁ~!。でも、雪景色をじっくり楽しむんだったら、何といっても歩くスキーだ。

 「藤原」の家々が集まるすぐ手前で東を望む。

📸003:「藤原」から東を望む

 平坦な田んぼの中にこんもりと盛り上がった山(丘?)は、ログ地図にあるように左手が「飯詰山」、右奥が「鞍掛山」。ここからすぐ南、「奥羽本線」の「後三年駅」の近くにもこんな山がいくつかある。どうやってできた山か分からないが、田園風景に独特の趣を与えている。

 ここから引き返してすぐ右折し、「鞍掛山」に向かって東に進む。しばらく行くと、「飯詰山」から延びる道との丁字路に至る。そこで再度東を望む。

📸004:「中関」の一角

 「鞍掛山」、ここからは馬の背に鞍を載せたようには見えないが・・。

 道の右(南)側に建ち並ぶ家々は「中関」、左(北)側に建つ家々は「鞍掛」。いずれも大字は「金沢」。ここから東側の広い範囲が旧「金沢町(村)」の「金沢」である。

 丁字路を左折し「飯詰山」に向かって進む。山の少し手前で北西を望む。

📸005:「南飯詰」から「北中島」方面を望む

 大きな建物が建ち並ぶところは、旧「仙南村」の公共施設が集中する「北中島」。中央やや右寄りの大きな建物は「仙南小学校」、左寄り白い建物は「美郷町仙南行政センター」、そのさらに左手にのぞくのが「総合体育館リリオス」。

 左端、「リリオス」の上に我が「西山」の「姫神山」が見える。

 道は「飯詰山」に突き当たると、左折して山の裾をたどるように延びている。山の西側を進んで行くと東屋がある。

📸006:「飯詰山・野守城休憩所」

 東屋には「野守城休憩所」の看板がかかる。「東北自然遊歩道(新奥の細道)」整備の一環として作られた施設とある。

 「野守城」は、ほかの資料によると「飯詰城」ともある。奥にかかる説明書きには、「野守城(久米氏10代栄華の跡)」のタイトル」の下に、「この丘は8・9世紀頃の蝦夷地開拓砦跡であり、後に、この地の名族「久米氏」の居城となった城跡です」とあり、また、「頂上には旧飯詰村一郷の総鎮守神明社が鎮座しています」ともある。古代から中世にかけてこの地を治める拠点となった由緒ある土地柄のようで、そのため、明治の立村・合併で誕生した村が、この山の名前、ここの地名を引き継ぎ「飯詰村」とされたものと考えられる。

 雪がなければ頂上まで足を運んでみたいところであったが雪のためかなわなかった。

 「飯詰山」の北西側、「出川」との間には大きな集落が形成されており、「飯詰山」を含めて「北飯詰」になるようだ。

(③に続く)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ★旧仙南村飯詰・金沢を往く① | トップ | ★歩くスキー、岩手・相の沢牧野① »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旧仙南村を往く」カテゴリの最新記事