ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧神岡町北楢岡を往く(その1)

2018年09月21日 | 旧神岡町を往く

●歩いた日:2018年9月2日(日)

●歩いた所

・北楢岡:町頭、下新屋、布田谷地、北楢岡、金助谷地、沖田、一本木、小山田、沼の上

●歩いた位置

●歩いたログ(足跡)(道のり5.7km)

(以上の地図:国土地理院)

 久しぶりに「旧神岡町」を歩いてきました。歩いてきたところは、「神宮寺」の街部のすぐ西隣、「北楢岡」です。その中心地域は、「旧羽州街道」でもある県道(ログ地図の黄色の道、「神宮寺バイパス」が開通する以前は「国道13号」)沿いに家々が密集して小さな街を形成しているところです。この度は、県道の北側と南側を、家々が密集している地域を取り囲むように通っている道を主に歩いてきました。ログ地図に地名は大字の「北楢岡」しか記入されておりませんが、歩いた道筋である赤いログの内側の大半は、小字地名も「北楢岡」の「大仙市北楢岡字北楢岡」になります。

 ところで、「北楢岡」は、M22年の立村・合併では「神宮寺村」の一部になったものの、翌M23年には分村して「北楢岡村」になり、昭和の合併(S30年)にまた「神宮寺町」と合併して「神岡町」(「神宮寺」の「神」と「北楢岡」の「岡」をとった合成地名)になったところです。

 なお、「北」があれば「南」もあり、「南楢岡」は「雄物川」の対岸、「旧南外村」にあります。「南外村」も「南楢岡」の「南」と「外小友」の「外」をとった合成地名です。

 それでは本文に入ります。

 「神宮寺」の街から県道(「旧羽州街道」)を西に進むと、「北楢岡」のすぐ手前に、りっぱな杉並木をもつ昔の道跡が県道脇に残っている。ここには、以前のブログ、「旧神岡町神宮寺を往くー2」で立ち寄り、杉木立の藪の中に「江戸日本橋」から132番目の「小豆沢一里塚」跡の標柱を見つけたところ。残る道跡の真ん中付近に空地があるのでそこに車を置いてスタート。

 道跡を西に少し進むとすぐ県道に出る。さらに少し進んでカメラを取り出す。

📷001:「北楢岡町頭」方面を望む

 

 緩くカーブして行った先の県道の両側に「北楢岡」の家々が密集している。

 県道の左側に広がる田んぼはかなり低地にあり、かつては「雄物川」の氾濫原であったと思われる。田んぼの向こうに「雄物川」の堤防が見える。

 県道脇の白い建物からその奥の木立のある辺りは「町頭」であるが、ここは段丘上の小高い場所であることがわかる。

 なお、「地名への・・・」によると、「町頭」は「町尻」の反対で町の上の方の意とあり、町の入口を表す地名のようだ。

 地図を見ると、写真を撮った位置の県道北側に、家々(「下新屋」)を取り囲むように道があるので、その道を一回りし、再び県道に出たところで振り返る。

📷002;「下新屋」、「布田谷地」の一角

 

 写真右上隅から水路沿いの道を手前に歩いて来たところ。水路右側が「下新屋」、左側は「布田谷地」。

 水路際にまだ新しいと思われる切り株がある。ここに生い茂っていた木は、水の流れの邪魔になるなど管理上問題になるので伐採されたのであろうか。この場所に限らず、木が伐られた跡を見ると少し残念な気がする。

 奥に「神宮寺バイパス」、現在の「国道13号」のフェンスが見える。

(その2に続く)


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