ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧仙南村飯詰・金沢西根を往く(その7、終)

2021年08月20日 | 旧仙南村を往く

<歩いたところのH28年の航空写真(国土地理院)>

●歩いた日:2021年6月7日(月)

●歩いた所

・上深井(飯詰):谷地中、矢矧殿、松葉野、耳取

・飯 詰(飯詰):碇、披

・境 田(飯詰):下八百刈

・金沢西根   :上菻沢、中菻沢、下菻沢、釜蓋、下糠塚

・藤木(旧大曲市):乙板杭

●歩いたログ(足跡)(道のり6.2km)


(以上の地図:国土地理院)

 (📷15の)十字路を突っ切りさらに進むと再び十字路があり、そこを左折して「飯詰駅」前に至る。

(「飯詰駅」前の通り)


 スタート直後は右手の線路沿いの道に向かい、正面奥から帰って来たところ。

 駅に近い家屋が密集する道沿いは「松葉野」、「矢矧殿」、「谷地中」が入り組んでおり、その風景は「旧仙南村飯詰を往く-1」にも掲載している。

 駅舎に立ち寄り飲み物を買って車に戻る。早めの時刻にスタートしたはずだったが、足が遅いので昼近くになってしまった。

 最後にいつものように航空写真をご覧いただく。まずはH28年。


 美しい写真で、眺めているだけでも楽しい。

 「飯詰駅」の写真の外になってしまったが、📷01に写っていた赤い屋根の倉庫が上端に見える。

 「上・中・下」の「菻沢」からなる集落は、こうして見ても大きい。「佐藤 章」の石碑は集落の北西部、県道から少し東側のところ。そこに生家があったのだろう。

 本文で、上流(中央下端)の橋の上から眺めた「出川」の流れが、「釜蓋橋」のところよりだいぶ狭くなっている、と書いたが、それが写真でもはっきりわかる。

 「釜蓋橋」と並行してかかる「側道橋」が見える。

 中央やや右下に「上菻沢」の社、上の方に「下八百刈」の社の木立を見つけることができる。

 次にS51年。


 この写真も「飯詰駅」が外側になってしまった。

 S51年当時、「出川」の改修工事の最中で、「釜蓋橋」まで着手されている。「釜蓋橋」が下流側(左上)にカーブしたところに架けられているのは、工事期間中の仮設橋のためだろう。ここを直線でつないだ橋が現在の側道橋で、その上流側に隣接して県道の橋が架けられたようだ。

 「釜蓋橋」上流の「出川」は激しく蛇行している。青線は改修後の現在の流路。

 「上菻沢」の社の脇を通って北に向かった時、歩いている道と交差する道を見て、これが昔の道筋だな、と思ったので、その道を指し示してみた。この後のS23年の写真と比べてみたい。

 「披」の方に越える踏切の位置に留意しておいてほしい。

 最後にS23年の写真。


 明るさやコントラストは調整したが、実に鮮明な写真である。

 「飯詰駅」前を通る道筋には家並が続いて街を形成しており、3棟の大きな倉庫も見える。

 倉庫近くの踏切から南に向かう道筋がよくわかる。当時は「菻沢」の集落の中を通っている。現在の道筋は紫色の線。

 下部に激しく蛇行する「出川」が写る。

 「上菻沢」のところよく見ると、南からくねくね曲がってきた道は、今回社を見た時感じたように、社の手前で左に折れ、すぐまた右に折れて北に向かっている。その途中に、S51年の写真で「昔の道?」と印した道が合流している。

 ここも紫色で現在の道筋をたどってみた。すると、踏切の位置がだいぶ移動していることがわかる。

 今回歩いた、鉄道と並行して走る道は長い直線道路なので、最近整備された道と思っていたが、この写真から戦前に整備されたことがわかる。

 改めて全体を見渡すと、「奥羽本線」の西側の田んぼはほとんど未整備なのに対して、東側の田んぼは大半が整備済みである。田んぼの区画整理とあわせてこの直線道路を通したと思われる。

(終わり)

●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:512.1km)

 今回歩いたログは下端の緑色の線。

 猛烈な暑さが続いたこともあって、しばらく「仙北平野」歩きに出かけておりませんでしたが、去る8月18日に「旧仙北町横堀」を歩いてきましたので、次回からはその記事を掲載していく予定です。


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