ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧大曲市花館を往く(その2)

2018年03月09日 | 旧大曲市を往く

●歩いた日:2018年1月17日(水)

●歩いた所

 ・花館:柳町、中町、上町、佐野町、朝日町、大曲通町

●歩いたログ(足跡)(道のり8.2km

(以上の地図:国土地理院)

 改めて、「柳町」の旧街道を駅方面に向かって進む。道の両側には、新しい家々に混じって、店や道沿いに下屋をおろした町屋風の家が目に付く。

📷003:「柳町」の道

 左手前に町家風の家が並ぶ。右手に昔ながらの酒屋さんがある。

(訂正)

 ログ地図の003のカメラの方向が西を向いているが、これは誤りで、南西の街道方向に訂正願います。

 さらに進むと「中町」に入る。道の左側に「花館」の街の案内板がある。

 案内板の現在地は、まん中辺りに赤字で示されている。その隣の「田口とうふ店」のところに「とうふカステラ」と書かれているが、これは「大曲」周辺の名物で、あちこちで作られ菓子屋で売られている。

 とうふ屋さんから左に少し行ったところに前述した「小山商店(酒店)」が見える。右に行ったところに「大曲納豆」とあるのが目を引く。

 「旧大曲市」は美容院が多いといわれているが、探してみるとこの案内板にも床屋を含めて6店ある。

 さらに進んで「中町」に入ると道端に「花館小学校」の立て看板がある。

📷004:「中町」の一角

 看板横の電柱の根元に「高関下郷村(花館)駅場跡」の標柱が立つ。

 手元に「花館財産区」が発行した「花館の歴史」があるが、これを引用して駅場のことを書く。

 江戸時代の初期、参勤交代制の実施(1635年)に伴って「大曲」、「花館」を通る新しい「羽州街道」が開通した当初、「大曲村」が駅場の継ぎ立て行っていた。しかし、当時、一農村の過ぎなかった「大曲村」(後には川港の商業の地として栄えるが)が大きな経費を要する継ぎ立てで窮乏した。このため、「大曲」の加駅として「高関村」の「花立」の地(現在の「上町」、「中町」、「柳町」)に、周辺に点在する家を引き移らせて140軒余りの伝馬屋敷を造り上げて「花館駅場」とした(1664年)。これにより、月30日のうち上15日は「大曲駅場」で、下15日は「花館駅場」で継ぎ立てを行うことになった。

 その後(1673年)、「高関村」は高分けで「高関上郷村」と「高関下郷村」に分かれた。

 明治になって駅場制は解消し、「高関下郷村」は駅場の名称である「花館村」に改称される。「高関上郷村」はその後「四ツ屋村」に合併するが、現在も「大仙市」の大字としてそのまま残っている。

 字がかすれかかった駅場跡の標柱の背景にはこうした歴史がある。標柱後ろの建物は、前の街案内にも記載されている「中町会館」である。

(その3に続く)


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