●歩いた日:2016年4月9日(土)
●歩いた所
・神宮寺:館の南、館の西、館の北、館の越、館の東
・花館(旧大曲市):間倉洲崎、間倉、柳原
●歩いた位置
●歩いたログ(足跡)(道のり4.9km)
(以上の地図:国土地理院)
今回もだいぶ前に歩いた記事です。しかも前々回に投稿した「旧大曲市花館・旧神岡町神宮寺を往く」と少し重なるところで、歩いた時期も同じ頃です。いったんどこかを歩くと、その時眺めた風景に魅かれて、すぐまたその近くに出かける傾向があるようです。歩く道筋はできるだけ重複しないようにしておりますが、「間倉」(「旧大曲市花館」)にはこれで3回訪れたことになります。
ところで、この時「歩いた所」の「神宮寺」の地名を見ていただくとわかるように、「館の越」をはじめすべて「館」の字が付いております。ということは、この辺りにかつて「館」があって、すべてその館に由来する地名のようで、これについては本文中で触れたいと思います。
それでは、本文に入ります。
前々回のブログ、「旧大曲市花館・旧神岡町神宮寺を往く」では歩いて渡った「玉川橋」を、「大曲」方面から車で渡る。
ここまで書いて気付いたが、ログ地図をよく見ると「玉川橋」が赤い(国道の印)上下の線のほかに、下流(西)側にもう一本描かれている。これは、今は撤去されてなくなった古い橋で、新しい橋に架けられた後もしばらく歩道として使用されていたものである。この古い橋の延長線上に、左に急カーブして昔の「羽州街道」が、また大きく左にカーブして旧国道13号線(現在黄線の県道30号線)がつながっていたことが、地図を見るとよくわかる。
車で橋を渡って左折して県道に入り、すぐまた左折して少し引返し、「羽州街道」に入る脇のスペースに車を置いてスタート。両側に「間倉洲崎」の家々が建つ旧「羽州街道」を西に少し進む。ここは前々回のブログでも歩いた道で、その時に右折して旧13号線に出た道をカメラに収める。
📷001:「間倉洲崎」の道
この道が旧13号線に出たところに「間倉」のバス停がある。道右側の木立などからも昔の雰囲気が感じられるが、S23年の航空写真にもはっきりと写っている。
今回は、この道に曲がらず昔の「羽州街道」を西に向う。「間倉洲崎」から「間倉」に入る。前にも書いたように、ここは「花館」(「旧大曲市」)に属する。
📷002:「間倉」から「西山」を望む
堤防越しに、右に「神宮寺岳」、左に「伊豆山」を望む。こうしてみると、とりわけ「神宮寺岳」はピラミッド型の端正な三角山で、自ずと神様を祀りたくなるような姿をしている。
数年前、両方の山に登ってみた。地図に載っている「神宮寺岳」の南側からの登山道は見当たらず(荒れてしまったのであろう)、藪こぎをして登り、何とか頂上にたどり着いた。下りは、写真右側の稜線をたどって「雄物川」岸へ出たが、そこには大きな鳥居があり、梵天奉納時の登り口はこの鳥居のところと思われる。この道は、山の傾斜からも容易に予測されるが、実際に下ってみると、まさに「胸を突く」ような険しい坂道で、梵天を担ぎ上げるのは大変なことだろうと想像される。
堤防の向こうに杉木立の上部がのぞいている。向こう側も手前と同じように、杉木立を防風林のようにして田んぼや畑が広がっている。
(その2に続く)
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