<今回のログ(足跡)>
●歩いた日:2022年11月29日(火)
●歩いた所
・飯詰(飯詰):南中島、北中島、糠渕、上鶴田、中鶴田
・金沢西根 :上百目木、下町田、中町田、上糠渕、下糠渕
●歩いた位置
●歩いたログ(足跡)(道のり6.3km)
(以上の地図:国土地理院)
前回のブログで予告しましたが、今回も「出川」沿いの地域で、前回のさらに上流部に当たります。昭和の合併以前の旧村でいうと、タイトルにあるとおり「金沢西根村」と「飯詰村」にまたがる地域になります。
旧「飯詰村」は明治の立村・合併で「飯詰村」、「佐野村」、「天神堂村」、「境田村」、「上深井村」、「南町村」が合併して誕生した村ですが(「金沢西根村」は単独立村)、今回歩いたところは旧「飯詰村」のさらに昔の「飯詰村」に属するところで、「仙南村役場」があったところ(「北中島」)も含まれております。
それでは本文に入ります。
前回訪れた「上百目木部落会館」の駐車場に停めるつもりで車を走らせるも、走っているうちに、会館のすぐそばに野球場があり、そこにはもっと広い駐車場があったことを思い出す。「飯詰駅」前から「出川」にかかる橋を目指し、橋のすぐ南側にある十字路を左に折れて駐車場に入り、車を停めてスタート。
車を停めた場所のすぐそばに大きな石碑が建つ。
(「上百目木」の石碑)
前回のブログで触れた石碑である。石碑には「百目木堤水源池溜池蹟」と刻まれている。裏には開田以来この堤を主要な水源として利用してきたこと、S41年に仙北平野水利事業区域に入り、S62年の通水とともに水源を変更したとの説明も刻まれている。
写真奥に写る高く盛られた土は、ため池を囲む土手(堤)だったようだ。
駐車場から道路に出て行く手を望む。
(「上百目木」の一角)
道の右側が駐車場で、その奥に野球場のバックネットが見える。その横を通り過ぎる時、「南野球場」と書かれた看板を見る。
野球場の三塁側(道側)と一塁側に「ケヤキ」と思われるが木が連なっているが、高く盛られた土の上に植えられている。これも元々はため池の土手だったように見える。
野球場の脇を抜け、奥に見える家の側を通り過ぎると、左手から、そしてその後すぐ右手から道が合流する。この道は前回歩いた道である。そこを少し過ぎたところで振り返る。
📸001:「上百目木」の一角2
奥から来たところ。前回は左手から来て、ほぼ同じ位置で写真を撮って右端の家に向かって歩いた。
写真中央の木立の中が野球場。
(②に続く)
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