ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧仙南村金沢西根を往く⑧(終)

2023年01月20日 | 旧仙南村を往く

<ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:563.1km)>

●歩いた日:2022年11月18日(金)

●歩いた所

 ・金沢西根:下万願寺、中万願寺、上万願寺、釜蓋、西今泉、南今泉、北今泉、下千間谷地、北千間谷地、上百目木、下百目木

●歩いたログ(足跡)(道のり7.8km)


(以上の地図:国土地理院)

 最後に、いつものように歩いたところの航空写真をご覧いただく。歩いた範囲が東西に長いので、各年次とも2枚の写真となる。まずはH28年の西側の写真から。

 右上に「出川」が流れる。左上「P」が車を停めた場所で、そこから「釜蓋橋」へ、そして「県道263号」を南下して下端に見える「金沢西根コミュニティセンター」へと歩いた(黄色線のとおり)。

 帰路は、右端下寄りの黄色線のところに来て西、北西へと歩き、「万願寺会館」の脇を通り抜けて車に戻った。

 「釜蓋橋」から南にまっすぐ延びる「県道263号」は今回歩いた道であるが、この部分、S23年の写真を見ると道がない。当時は「釜蓋橋」のすぐ南が丁字路で行き止まりになっており、道は東西二つに分かれた後、それぞれが南に延びていたことが分かる。ピンク色の矢印は、現在も残るその道の一部分である。

 次にH28年の東側の写真。


 
 「金沢西根コミュニティセンター」から時計回りに歩いて、左上隅に行ったところ。

 📷010に写る「旧仙南西小学校」の校舎が見える。プールがあり、その北側の四角い建物は体育館だろうか。校舎南側の敷地はグランドだったと思われるが、そこには📷010に写っていたビニールハウスが建つ。グランドを農業施設に転用したようだ。

 中央やや上に「等心寺」が写る。📸018では、境内には中途から伐られた大銀杏と葉を落とした広葉樹が数本しか写っていなかったが、この写真を見ると、境内の西側に杉木立のような木がびっしり茂っている。これらの木々はその後全部伐採されたようだ。

 「出川」にかかる橋の南のたもと、青の矢印の道に注目しておいていただきたい。現在はほとんど利用されない細い道であるが、S23年の写真を見ると当時のメイン道路であったことがわかる。

 中央に野球場が写る。その北西側にも大きな広場があり、「百目木部落会館」もその広場の一角に建っている。本文では、会館周りの広場が田んぼの区画整理で生じた土地かも知れない、と書いた。ところが、その後(2022年11月29日)に野球場そばの駐車場に建つ記念碑により、これらの広場はかつてはため池だったことを知る。その様子はS51年やS23年の航空写真でも確認することができる。田んぼの区画整理とは無関係の敷地であった。

 次にS51年の西側の写真。

 区画は小さいが、すべての田んぼは区画整理済みである。従って、道筋は現在と全く同じである。

 以前のブログにも書いたように、「出川」がちょうど「釜蓋橋」まで改修された写真である。西側(下流側)に大きくカーブしたところにかかる「釜蓋橋」は仮設橋である。今回の写真で初めて気付いたことであるが、改修された河川敷の中に小さな白い構築物が写る。新しく架設する橋の橋脚のようだ。

 左上、現在「万願寺会館」が建つ場所に青っぽい屋根の建物が写る。これもよく見ると建物は道路に接するように建っており、道路から少し距離を置いているH28年の建物とは異なるようだ。古い「万願寺会館」だろうか。また、ここには現在のように広場がないので、この後の田んぼの大区画化に伴って捻出された土地のようだ。

 次はS51年の東側の写真。


  上端中央から右下にかけて蛇行する「出川」が写る。

 「出川」のほとりの、本文📸015に写る家、この家は川の改修前からここにあったのだろうか、と書いたが、その家は元からここにあったことがわかる。が、この写真をよく見ると(実は、S23年の写真の方がよく分かるが)、この家の奥(川に近いところ)とそのすぐ北側(写真015の0のすぐ上)に家らしい建物がある。改修後、これらの家はどうなったのであろうか。
 そこでもう一カ所気付いたところがある。野球場の場所の南東、道端に家がないことである。現在ここにある家々は、川の改修に伴って移転したのだろうか。

 上段に「等心寺」。やや葉色の薄い大きな木が、中途から伐採される前の大銀杏のようだ。

 野球場の場所の北西側に注目いただきたい。記念碑によると、ため池はS61年まで利用されていたようなので、S51年はまだ現役である。写真は稲の刈取り後で、ため池の水はほとんどない状態であるが、よく見るとその一部に水が溜まっているようだ。

 「仙南西小学校」は、道端の白っぽい校舎及びプールはH28年と同じあるが、H28年の写真に写る体育館と思われる建物はない。

 次にS23年の写真。これも西側の部分から。

 右上に「出川」。田んぼ全体が未整備の状態である。その中を通る道筋を見ると、直線的な道と田んぼの形状に沿って曲がりくねった道が見られる。この違いはどこから来るのだろう。一般的には、原野状態のところに道を通す場合は直線道路が多いと考えられるので、直線的な道は、この地域が開田される前に整備されたのだろうか。

 左上に車を停めた集落である「万願寺」、右上に「釜蓋橋」を確認できる。

 右上隅から「釜蓋橋」に向かって延びる現在の「県道263号」は、前にも書いたように、橋を渡ってすぐ丁字路になっている。現在の県道の道筋をピンクで書き入れた。当時、丁字路で分岐した2本の道はそれぞれ南に延びている。黄色の「➡」で示した部分が現在も残っているところ(H28年の写真にもピンクの「➡」で示した)で、それ以外の道は田んぼの区画整理に伴って無くなっている。

 次に東側の写真


 
 左手、「金沢西根村役場跡地」の石碑が建っていた場所に、木立に囲まれた建物が見える。余り大きくない建物であるが、これが当時の役場なのだろうか。

 「金沢西根小学校」の校舎がくっきり写る。北側の大きな建物が体育館のようだ。南側の校庭も含めて学校の敷地は現在の半分の広さもなく、グランドもない。

 一方、現在、野球場がある場所を見ると、トラックのような跡がある。小学校の運動会などはここで行われていたと考えられる。

 なお、ため池は一面黒っぽく写っている。全面に水を湛えているようだ。

 「等心寺」は鬱蒼と茂る木立に囲まれ、蛇行する「出川」のほとりに建っている。

 「等心寺」の南側を通る道(水色の「➷」)が当時のメイン道路である。現在の道筋はピンクの線で、ため池を区切る堤を通って西に延びている。(当時は寺の南側から南西にまっすぐな道が延びている。)

 橙色の「➡」は写真015の家。S51年の航空写真のところで書いたように、黄色の「➡」で示したところに家が写る。この場所は「出川」の改修後は完全に河川敷や堤防敷地に当たるので、どこか(たぶん、トラック跡が写る場所の南東の端)に移転したのだろう。

(終わり)

●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:563.1km)

 

 本文にちょっと書いたように、2022年11月29日に「上百目木」の野球場の駐車場に車を停め、そこから東側の「出川」沿いを歩いて来ましたので、「旧仙南村」が続きますが、次回からはその記事を掲載する予定です。


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