2011年3月11日金曜日、雪残る諏訪に旅立ちます。
今回は「上諏訪温泉・下諏訪温泉」を巡り、宿場町と諏訪大社を堪能してきます。
新宿から通勤客を横目に、「スーパーあずさ1号」に乗って上諏訪に向かいます。
途中、小淵沢駅で下車して駅弁を求めます。
小淵沢の駅弁屋「弁当の丸政」、品揃えは見事です。
若い頃よく食べた懐かしい駅弁は、テレビ朝日の「愛川欽也の探検レストラン」で企画して作られた「元気甲斐」。
二重の折りを重ねた豪華な弁当です。発売されて26年も経ちますが、いまでも人気がある商品です。
今回の駅弁は、41年前から販売するロングセラー「風林火山」を求めます。
武田菱を模した仕切りには、信玄ゆかりのアワビの煮貝寿司やアワビとシメジとショウガ入りの炊き込みご飯が盛られています。
小淵沢駅で見つけました。。昔なつかしい「汽車土瓶(きしゃどびん)」
お茶パックとお湯を入れて貰い、上諏訪駅に向かいます。
上諏訪駅で乗り換えて、各駅で下諏訪駅へ向かいます。
下諏訪を広くまわりたいため、駅前から商店街を通りぬけ「レンタサイクル」電動アシスト付自転車を借ります。
(1時間100円 身分証が必要です)
おじさんが丁寧に説明してくれます。
しかし、充電が足りるのか心配です!
山の斜面をスイスイ走ります、30分で「毒沢鉱泉 神乃湯」へ到着しました。
武田信玄が愛した湯、人に来ないように「毒沢(どくさわ)」と名付けました。宿のまわりには雪が残っています。
茶褐色な湯の色、みるみるタオルが染まります。
ゆったりと貸切状態です。
(700円 電話確認am10:00~ 0266-27-5526)
坂道をこがずに下ります。向かうは「万冶の石仏」なんとユニークな石像です。
参拝方法は、まず正面で一礼し、手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じます。
次に、石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周します。
そして、正面に戻り「よろずおさめました」と唱えてから一礼します。
「よろずおさまるように」と願った時間が、11時5分。
この後おさまらない天災地変が起こるとは知る由もありません。
「万冶の石仏」の後ろ姿は、東を向いて「よろずおさまるように」と座っています。
いたるところに 「お清めの水」が湧き出ています。
歴史の名残りが見え、宿場町の情緒溢れる町並みが楽しめます。
「春宮」「諏訪大社秋宮」、あの「おんばしら」をめぐります。
中山道と甲州街道が交わる温泉街。
ここは坂道が多いので、電動自転車ならスイスイです。
下諏訪には10ヶ所、上諏訪には6件の「源泉掛け流しの共同浴場」がふんだんにあります。
下諏訪の「菅野温泉 200円」「旦過の湯 220円」「みなみ温泉 220円」を巡ります。
お昼は、たまたま見つけた「蕎麦処 萩月庵 千ひろ」町屋風の土間を奥に入った長いうなぎの寝床です。
中庭のこけ色も鮮やかな場所で一杯、いいお店を見つけました。
お昼の先付、季節の天ぷら、わさびアイスが付く「名物手打ち蕎麦」を注文します。
玄関口で、春をやっと見つけました! 「ふきのとう」
お土産は、創業明治6年の塩羊羹で知られる和菓子店に向かいます。
「新鶴本店」上品な塩羊羹を求めます。14時20分
さっぱりして美味しい一品です。
「諏訪大社下社秋宮」に行かれたら是非「しんつる」おすすめです。
下諏訪駅から上諏訪駅に戻ります。
駅のホームにある足湯、入場券で利用できます。
14時39分、上諏訪駅から宿に向かいます。
改札を出て隣りのお土産屋さんに立ち寄ります。
カラスの鳴き声が響きます。
向かいの建物はデパートでしょうか?
見上げると屋上にはカラスの黒い群れが一直線に並び、うるさいほど鳴いています。
お土産売場の方に、こんなこといつもですかと聞くと首を振ります。その時でした!!
14時46分グラッ 下から突き上げてきます。
土産売場がきしみます。
呆然として立ちすくむ店内の人、声を高めて向かいのタクシーのロータリーに誘導します。
その横でタクシーが、上下左右に30センチほどバウンドしています。
カラスの群れが四方に飛び散っていきます。
幸いにも倒壊した建物はなく、この地震が東日本大震災とは知る由もなく
観光客も上諏訪の人たちも、いつもの時間が過ぎてゆきます。
地震の揺れとあわせて、突然雪が横なぐりに降って来ます。
雪を受けながら宿を探します。
やっと見つかりました、諏訪湖湖畔に建つ宿を見ると相当のねんきが入っています。
強い地震と震源地が気になったので、女将さんに尋ねると福島も東京も大変な被害とのこと。
すぐさま「職場とつれあいと実家」に私の状況をメールします。
勿論東京方面への電話は繋がりません。
つれあいには家に帰らず職場で待機するようと指示します。
ひと晩、職場の地震対応に頑張ったそうです。
そんなことをしている間にも余震で建物が揺れています。
すぐにでも帰ろうと思いましたが、鉄道は動いていないとのこと、明日一番に駅に行くことにします。
宿の風呂も余震で揺れるたびに湯がこぼれます。ねんきが入った建物が心配です。
夜中もすぐに逃げられるようにと、宿泊者全員と申し合わせ、扉を開けたまま床に入ります。
テレビでは、信じられないような被害の状況が刻々と入ってきます。
なかなか寝付かれません、結局朝方まで眠れず ウトウトしていると…
翌朝 3時59分 グラッグラッ 飛び起きます。
昨日より強い揺れです、テレビを見ると長野県北部で「震度6強」の地震です。
長野にいることを知る九州の弟から、心配して電話が入ってきました。
朝食もそこそこに、上諏訪駅に行ってみます。やはり動いていません。
向かいを見ると「JR高速バス」が停まっています。ということは「中央自動車道」には被害がないということです。
席があいているのを願って係の方に聞いてみると、空いてるとのこと乗車券を払って「東京新宿」まで乗車します。
渋滞することも考えて、おにぎりを買って乗り込みます。
バスはゆっくりと進みますが、窓越しに自衛隊のトラックが隊列を組み、スピードを上げて通りすぎてゆきます。
行動が早いですね、福島まで災害派遣に行くのでしようか。
4時間ほどかかったでしょうか、やっと「新宿高速バスターミナル」にたどり着きました。
ここから自宅までは、なんと3時間もかかってしまいました。普段なら35分なのですが、交通機関は乱れ、東京都心は大変なことになっています。
たどり着いた家は、書斎が崩れ落ち食器棚の茶碗は割れ大変な事になっています。
地震のあとも余震が続き、計画停電、断水で食料を求めてお店を探し回った記憶があります。
3.11が来るたびに思い出されます、
「万冶の石仏」に手を合わせ、「よろずおさまりますように」 と願うばかりです。
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