ひとり ときどき ふたり旅 さんぽ 壱

天竜浜名湖鉄道 天浜線で天竜二俣駅へ 光明鉄道跡

 ある年の大晦日、掛川から「天浜線」に乗って「遠江一宮駅」に立ち寄ります。


向かうは、無人駅舎の跡地にある「笊そば 百々や」


のれんを付け終わった主人が招き入れます。


頼んだのは、田舎蕎麦、かどが立ったのど越しのよい蕎麦です。

 

ここから乗り継いで、中継点の「天竜二俣駅」で下車します。


線路の敷地も広く、当時の繁栄をしのばせます。


「新所原」と「掛川」に向かう気動車が並びます。


奥には、「キハ20型気動車」と「ナハネ20型寝台客車」が静態保存で飾られています。


当時、疾走した「キハ20型気動車」 


「青森~上野間 "はくつる" B寝台 ブルートレイン」


駅舎とホームの間には、 「足こぎミニトロッコ」の線路が残っています。



当時の駅事務所、機関区も味わいがあります。


「SL機関車のターンテーブル(転車台)」、SL時代に、機関車の方向転換をしていた施設です。

今でも活躍中で、扇形車庫とともに全国的に見ても貴重なものです。


ふたまた町のごあんない

 

光明電鉄の跡①:大正から昭和にかけて

「中泉(磐田)」と「二俣」を結んでいた鉄道です。

終点の「二俣町駅」は美術館の下にあったようです。


光明電鉄の跡②:「二俣口駅跡」、今でもプラットホームが残っています。



天竜川のきわに建つ「二俣城」

天険要害で難攻不落の城といわれました。

戦国時代、「今川・武田・徳川」の戦いの場となった場所です。

特に、天正2年武田信玄による城攻めは有名です。

また、徳川家康の長男「信康」が

織田信長に謀反の疑いをかけられ

非業の最後を遂げた処で、数々の物語として語り継がれています。 

 

「天竜川」を渡れば、「浜名湖」を左に見ながら、

東海道線と接続する終点の「新所原駅」まで走っています。


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