梅雨の合間に、久し振りにぶら〜りします。
集合場所の日暮里駅に早く着いたので、列車の通過が見られる下御院殿橋 跨線橋の「トレインミュージアム バルコニー」に行ってみます。
ここは、JRの新幹線や特急列車、京成線が、1日に20種、約2500本の列車が行き交います。
時計を見ると9時20分、「ん!」北海道から下りてくる臨時の「北斗星」が走ってくるはずです。
線路のかなたを見ると青い車体が、慌ててカメラを向けます。
お〜 索引車は、本来の「北斗星カラー」です。
また会えて嬉しい限り、最終日の8月23日までには何回会えるでしょうか。
集合時間です、抽選で当選した50人の方が集まっています。
年齢層を見ると私が一番若いくらいです。 今回は、観光ボランティアガイドと「まぼろしの音無川をたどる」2時間半のツアーに参加します。
石神井川の支流として東京都北区王子から分流した「音無川」、今は「暗渠(あんきょ)」となった田端〜西日暮里〜日暮里のJR線に沿って流れています。
日暮里駅前から、荒川区と台東区の区界を流れた跡を探しながらたどります。
観光ボランティアの方の説明を聞きながら、約3.3キロの道のりをゆっくり歩きます。
見つけました、唯一「音無川」の名称が残るプレートです。
音無川にかかっていた「将軍橋・御院殿橋・鶯橋・一本橋・初音橋」の橋を想像しながら根岸方面に向かいます。
途中、落語家の「林家正蔵」が住んでいる「ねぎし 三平堂」の前を通ります。
道すがら「正岡子規」が生涯を終えるまで俳句短歌を書き続けた「子規庵」に寄って見ます。
へちまが下がる庭が印象的です。
江戸時代の地図だと金杉村の畑に水が回るように、くねくねと流れています。
たどるとくねくね道がよく分かります。
暗渠になった道の両端を注意深く見て歩くと、道路より高く積まれた敷石が残っていて、当時の川跡を想像させてくれます。
※「暗渠」とは、川があった所を覆い道路にしたり、地下に設けたりして,外から見えないようになっている水路です。
この道(音無川)は区の境になっています。
下流に向かって左は荒川区東日暮里、右は台東区根岸、綺麗に分かれています。
道の端っこばかり見ていたら、大学芋・おでんが食べられるお店、「ねぎし丸昇」に出会いました。
大学芋はお土産に、一年中販売しているおでんも気になります。
まわりはカリッと中はほくほく、白蜜と黒ごまがからみます。
後日、自転車であの道をたどり、気になっていた「おでん」をいただきに。
綺麗なつゆです、醤油を使わず昆布と煮干しの出汁で作ったあっさり味です。
1976年から値段が変わらない玉子、頭が下がります。
音無川は、「三ノ輪」に向かっています。
途中、あのどこを切っても金太郎の「金太郎飴本店」が見えてきました。
※金太郎飴の由来は、 江戸時代の元禄飴が始まりだと。
大阪の「おかめ、福助」の絵柄を真似て、関東では足柄山が近かったので、子供の顔を「金太郎飴」と名づけたんだと。
当時あった「三ノ輪橋」に着きました。
橋の長さは約10m、幅は約6mあったそうです。
明治41年に農業用水として役目を終え、今は道路の下を伝い隅田川に流れ混んでいます。
「三ノ輪橋」という名が、今は「都電荒川線」の停留所名になって残っています。
江戸時代から昭和の初期まで流れた清流 音もなく流れるその川は、「音無川」 春は畔に桜が咲き、庶民に愛された川 当時の風景を想像しながら歩く日がな一日、三ノ輪橋下を流れる笹舟は、 日本堤、吉原、山谷堀を過ぎ隅田川にまざります。
短い時間でしたが、たまの青空の下、想いにふける散歩でした。
帰りは、ゴットンゴットンと三ノ輪橋駅から都電に乗って、4つの駅を通り過ぎ、甥っ子宅を右に見ながら帰ります。
幻の音無川
お付き合いありがとうございました。
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