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ひとり ときどき ふたり旅 さんぽ 壱

恵比寿 ブラタモリ 三田用水 茶屋坂隧道 めぐる

 

あしたは、「ブラタモリ」のロケがあるそうな

何を見に来るのだろう? 高低差? 富士塚? 廃線?  いや いや

 

「三田用水」らしいよ !

 

「三田用水」とは、かつて「東京都世田谷区北沢」から「目黒区三田方面」を経て「白金猿町」に流れていた用水路です。

 

来る日はお休み、「タモリさん」は、どんな場所を巡るのか放映前に予想して書き綴ります。

 

近くの中目黒2丁目の崖上には、文政2年(1819)、幕臣近藤重蔵によって 自邸内に築いた富士塚があり、新富士として呼ばれ大勢の見物客が集まっていたと。

また平成3年に、新富士の地下式遺構が発見され、 石の祠や大日如来像などが出土され、新富士遺跡と名付けられ、 今は地中に静かに眠っています。

横には急な「別所坂」、息を切らして登ります。

 

今の「新茶屋坂通り」はこんな景色です。

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この道の頭上に「茶屋坂隧道(ちゃやざかずいどう)」のトンネルがかかっていました。

記念の碑にも、説明文が設置されています。

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私がいた頃、平成11年「茶屋坂隧道」この橋の上に三田用水の水路が流れていました。

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その説明によると、昭和5年に「新茶屋坂通り」を開通させるために、 用水の下を開削してできた長さ10メートルほどのコンクリート造りのトンネルで、平成15年、道路拡張に伴い撤去されました。

 

「区立茶屋坂児童遊園」から目黒三田通りに向かう道(三田2丁目5番22号)には、 「陸軍」と記した石柱が階段から30センチほど頭を出して残っています。

「陸軍境界石」と呼ばれています。

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記録がなくはっきりしませんが、明治13年(1880年)に、 現在の防衛省施設の位置に完成した目黒火薬製造所から、 現在の「白金自然園」の地にあった火薬庫まで、

製造した火薬を運搬した「軍用軌道の跡」と思われます。

用水を進むと、目黒三田通り沿いにある日の丸自動車学校前に達します。

その学校脇に、多摩川上水から分水した「三田用水」の説明板があります。

説明板の下の大きな石は、かつて用水の「木樋の下に設置されていた礎石です。

 

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タモリさんがこのロケで歩いたであろう、この場所にも、この様な礎石(そせき)を発見!

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「三田用水」と「軍用軌道」の道筋が平行に重なります。

もしかすると、用水の近くを線路が通っていたのか、 用水跡、軌道跡をめぐり 当時を馳せたくなります。

 

施設内にある、シダに覆われたこの空間だけが、別世界のようです。

ここは「三田用水」の名残りなのか?。

 

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水路みたいなコンクリ、右側の延長線状には「茶屋坂隧道」がありました。

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こんな風に三田用水が流れていたのか・・・ タモリさんから認定されました。

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階段を登ると、「タモリさん」も好きだと思う「コケ」が綺麗です。

「苔玉」にしてみたい。

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上から見ると350mの長〜い水槽、ここは船体の波の抵抗などを研究するところ。

そして、この大水槽は、『戦艦大和』の船型試験に使用された水槽です。

ここに満たされている水は、以前、三田用水から流して使っていたとか?

 

(恵比寿ガーデンプレイス39階から)

2016年12月12日21時03分30秒0001

 

さて、タモリさんは2016年12月17日の放映でどこを巡ったのでしょうか。

それまでのお楽しみ・・・

 

#57 東京・目黒 ~目黒は江戸のリゾート!?~

NHK総合 12月17日(土)午後7時30分~8時15分 ブラタモリ、久しぶりの東京! 

舞台は、タモリさんの地元・目黒!

 

目黒と言えば、落語「目黒のさんま」でもおなじみ。

いまでは高層マンションやおしゃれな店が立ち並ぶ、人気急上昇中のまちです。

そんな目黒が「江戸のリゾート」だったって・・・いったどういうことでしょう?

「目黒区に住んで、かれこれ30年」というタモリさんも驚きの、 目黒の知られざる姿をブラブラ歩きながら明らかにしていきます。

そもそも江戸時代、目黒は江戸の市中ではありませんでした。

そんな場所に大勢の庶民が押し寄せたのは、よく散歩した「目黒不動」というお寺があったから。

江戸の町から日帰りで参拝できるという絶妙の距離感もあって、門前町は大にぎわいだったといいます。

 

目黒不動でタモリ流「目黒のさんま」を披露!?

一方で、セレブにも愛された目黒には、大名の別荘が立ち並んでいました。

大名屋敷を支えるためにつくられた用水の痕跡をたずねて、 普段は立ち入り厳禁の防衛省の研究施設へ!

40年前に廃止になったはずの用水の水が、 今も残っていた?

衝撃的な事実に、タモリさん大興奮!

さらに日本初の総合結婚式場として有名な目黒雅叙園へ!

文化財になっている豪華な“百段階段”が物語る、目黒が愛され続けてきた理由とは?

 

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