「ふるさとがこんなにさびしく感じるなんて…」。避難指示が解かれて、すぐに戻った自宅。しかし当時から隣近所に人影はなく、いまもまばら。家の前の幹線道路もめったに車が通らず。
東京電力福島第1原発の事故による全町避難から浪江町に戻ってきた82歳の女性の嘆きです。にぎわうのは道の駅ぐらいで町中は閑散と。やっぱり故郷がいいと帰ってきたものの、孤独さが募る日々です。
生の声を聞いたのは10カ月ぶりだという75歳の男性は2年前に帰還。独り暮らしで毎日テレビをみて過ごしているといいます。震災前は2万人ほどが住んでいた浪江町ですが、現在はその1割ほどにとどまります。
避難の長期化で他の町でも帰還者は少なく、同じ苦悩を抱えています。戻る決断ができない最大の理由は原発事故がまだ解決していないこと。福島大の山川充夫名誉教授はそう指摘します。安全な環境とともに、生業や教育、医療や介護といった生活条件の整備が必要だと。
汚染水や除染土の問題は残ったまま、廃炉への道のりも遠く。14年がたっても、いまだ広い区域が帰還困難に。それなのに、自公政権は原発の再稼働や新たな増設にかじを切っています。被災者の苦しみや国民の不安に背を向けて。
原発災害によって住民が消えた土地で政府は企業の開発事業などを促進しています。住まいや生活を奪っておきながら。避難を余儀なくされた人びとは、あの日から、くり返しさけび続けています。原発なんかいらない。ふるさとを返せ―。
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