荷物が運び込まれたばかりの部屋にあった小さなしめ飾り。「まさか、こんな形で正月を迎えるとは…」。76歳の宮腰昇一さんは、痛む腰をさすりながらつぶやきました。
9月の豪雨で浸水した輪島市の「宅田町第2団地」。暮れも押し迫るなか、ようやく再入居がかない慌ただしい引っ越しとなりました。身を切る寒さに震えながら、配られたじゅうたんや電気ストーブを運ぶ姿が次々と。
宮腰さんもその1人。2007年に輪島を襲った地震で妻を亡くし、今年の地震で営んでいたすし店兼自宅を失いました。車中泊から避難所、ようやく仮設住宅に落ち着いた矢先、部屋は泥水につかりました。「何度もひどい目に遭い何度も絶望した。それでも生きているかぎりありがたいと思わなければ」。
元日の能登半島地震からあすで1年。複合災害でインフラの復旧は遅れ、地域を支えてきた1次産業の被害も深刻です。災害関連死は増え続け、いまこそ生きる希望のみえる支援が求められています。
先月、本格的に展示を再開した輪島の漆芸(しつげい)美術館。復興祈念と題した企画展はこの地の漆芸が歩んできた苦難の道のりをふり返っています。「大火、戦争、水害、地震に見舞われつつも、その都度人々は立ち上がり、技の限りを尽くして堅牢(けんろう)優美の輪島塗を生み出し続けてきた」と。
年明けから激動の日々を送った2024年。来年こそは穏やかに過ごしたいという宮腰さん。「周りががんばっていると、勇気がわいてくる。輪島の行く末を見届けたい」
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