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吉田千亜さん_「福祉のひろば」に記事掲載_住み続ける権利と生きる権利~~大阪市による避難者追い出しを許さないⅡ~

2025年01月01日 17時46分17秒 | 一言

「 原発事故避難者を大阪市営住宅から追い出さず命と人権を守るために公正な判決を求めます。」の発信者の 大阪市による避難者追い出しを 許さない会 さんが、最新のお知らせを投稿しました。


高校生たちの宣言

2025年01月01日 17時38分15秒 | 一言

 高校生たちの宣言が会場に響きました。「被爆者は、未来にむけて大切な宝物を残してくれた。その勇気ある行動によって、これからもたくさんの命が救われるよう、思いを受け継ぎたい」。

 広島高校生平和ゼミナールの面々です。先月、原爆被害者相談員の会が催した講演会で活動を紹介しました。被爆者の人生を形にして描く「ボディーマッピング」、日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める「高校生署名」、全国の仲間との交流集会。多彩な内容です。

 よかったね、おめでとう、これからもがんばって―。日本被団協のノーベル平和賞授賞式の後、原爆ドーム近くの元安橋で署名を集めた高校生は声援に勇気づけられたといいます。関心が高まり周りにも声をかけやすくなったと。

 今年3月には再び集約した署名を外務省に届け、交渉することに。核兵器が使われる危険性が高まっているいまこそ、唯一の戦争被爆国日本が核廃絶の先頭に立つべきだと訴えて。

 「核と人類は共存できないということを、もっと世界に知らせなければならない」。先の会で講演した日本被団協の濱住治郎事務局次長は、ノーベル平和賞を喜びだけで終わらせないと語りました。運動を継承する若い世代に希望の光を見いだしながら。

 今年は被爆、終戦から80年の節目です。平和ゼミナールで学び活動し自分自身も成長したという高校3年生は抱負を語りました。「大学に行っても新しい仲間をつくり、核も戦争もない世界をめざして突き進んでいきたい」


能登半島地震1年

2025年01月01日 17時37分28秒 | 一言

声を上げ要求し希望を開こう

 能登半島地震から1年。被災者が希望を持つために「被災地を見捨てていない」という意思を国が行動で示すことが、いま何より必要です。問われているのはこの国の政治そのものです。

■突出した復旧遅れ

 復旧の遅れは、過去の震災と比べて突出しています。人口流出と災害関連死が続き課題は山積みです。

 仮設住宅はプレハブで狭く、地域バラバラの入居で集会所のないところが多く、話し合って要望を行政にあげるのが困難です。過去の震災の教訓が生かされていません。食料などの支援が切られ、高齢者は買い物に行くのも困難です。

 現行制度の枠内では、家屋が半壊以下の判定だと仮設に入れず、公費解体、医療費減免などが受けられません。家屋の被害判定は、専門家の多くが引き揚げ、自治体職員が担っているため人手が足りず、不服による2次審査待ちも多く先が見えません。修繕に入れず、冬を迎え壊れた家に住む状況です。全国から専門家の応援が必要です。

 災害公営住宅の建設はこれからです。「住み慣れた地域に」という要望に添い、ケア体制と一体の計画で住み続けられる展望を示すことが求められています。

 展望が見えず人口が流出すると商店や介護施設も立ち行かず、施設がないと人が戻れない―その悪循環を断ち切る、断固たる国の姿勢が不可欠です。

 いま必要なのは、被災者の要望に添った制度の柔軟な活用や、既存の制度を超えた新たな支援の枠を国の責任でつくることです。

■新たな制度の枠を

 現状では、合併や公務員減らしで市町に余裕がないため、相談しても、現行制度の枠内で「制度上できない」で終わっています。

 能登は農林水産業を基盤に食文化、工芸などが一体となった地域です。伝統産業、朝市再建のためにも農林水産業の再建がカギです。泥で覆われた水田、隆起した港などの基盤整備は国の全面的支援なしにできません。従来の延長でない支援に国が取り組むことに地域再生がかかっています。

 「能登の里山里海」は世界農業遺産です。自然と人間の営み、歴史と文化の積み重ねの魅力に復興の可能性、潜在力があります。しかし、「創造的復興」の名で本来のよさを損ない、被災者の自己決定に寄り添わない効率化・集約化がすすみかねません。

 輪島市では九つの小学校を、子どもの減少と予算不足で三つにする案が出ています。学校がなくなれば集落が衰退する悪循環を招きます。9兆円近い軍事費を計上する国が、小学校再建の予算を出せないのか。地域を支える気があればできないはずはありません。

 能登で起きている問題は全国で起きうることです。国民の安全・安心を守るというなら、まず能登の復旧・復興に全力で取り組む政治が求められています。

 震災以来、自公政権は予備費で場当たり的に対応してきましたが、総選挙後、初めて補正予算で対応しました。選挙で示された民意が反映したものです。遠回りのようでも政治を変えることが一番の道です。住民と自治体一体で声をあげ要求を国に突きつけ実行を迫る、被災者が主人公の運動が希望を開く道です。


生活困窮者に弁当配布

2025年01月01日 17時36分05秒 | 一言

「てのはし」が生活・医療相談

東京・池袋

小池氏が訪問

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(写真)医療相談で参加者と語り合う小池晃書記局長(右奥)=31日、東京都豊島区

 路上生活者など生活困窮者の支援活動を続けるNPO法人「TENOHASI(てのはし)」が31日、東京都豊島区の東池袋中央公園で、無料の弁当配布と生活・医療相談を行いました。主催者によると、350人以上の弁当を配布しました。

 この日、冷たい風が吹くなか、弁当配布の締め切りの2時間前の午後4時には、公園を囲む長蛇の列ができていました。列に並んでいた台東区の男性(61歳)は、弁当に加え野菜やミカンも配布されていることに対し「生鮮食料品がいただけるのはありがたい。物価が急上昇するなかでも、生活保護費が上がらず苦しい」と食べることも切実だと訴えました。

 「てのはし」は、2003年12月に池袋で路上生活者を支援する複数の団体が集まり結成。以来、生活困窮者の支援活動を一貫して続けています。事務局の幸田良佑さんは「今年は連休が続き、役所や公共施設も閉まっているところが多い。年末年始も支援に応じている自治体の情報提供に力をいれている」と今年の状況を説明。「生活を乗り切る手段として、不安があれば遠慮なく利用していただきたい」と呼びかけました。

 医師でもある日本共産党の小池晃書記局長・参院議員と谷川智行・党政策委員会副委員長が現場を訪れ、医療相談に参加しました。小池氏は風邪などでやってきた人々の相談にのり、励ましの言葉を掛けました。

 2日も同公園で午後5時から医療・生活相談、弁当配布(同6時まで受け付け)を行う予定です。


能登半島地震1年 苦境の中で年越し

2025年01月01日 17時34分44秒 | 一言

いまだ仮設に入れず…

避難所・壊れた自宅で

 2024年の元日に北陸地方を襲った能登半島地震の発生から1日で1年となりました。最大震度7の激しい揺れを観測し、同年9月の奥能登豪雨でも大きな被害が生じた石川県輪島市では、避難所や仮設住宅に身を寄せる被災者が生活再建への不安を抱えながら年を越しました。大みそかの市内を歩き、被災者の声を聞きました。(丹田智之)


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(写真)仮設住宅団地の集会所で被災者の要望を聞く鐙史朗市議(右)=31日、石川県輪島市

 日本海からの冷たい風が吹く輪島市の中心市街地では、建物の解体が終わって空き地になった場所がある一方で、がれきも残っています。

 市内で水産加工業を営むAさん(76)は、地震で自宅の基礎や壁が壊れて傾きもあり、罹災(りさい)証明で「中規模半壊」と判定されました。亡くなった義母が住んでいた家や仕事で使う作業場も被災し、いずれも解体する予定です。

新年を祝えない

 仮設住宅に入居しましたが「自宅を解体する前に家具などを置く場所がなくて困っています。義母の家は屋根のブルーシートが強風で飛び、雨漏りがしています。少しずつ仕事を再開させていますが、まだ新年を祝う気分ではない」と落ち着かない様子です。

 地震により輪島市では6230棟を超える家屋が全半壊し、住宅被害は約1万500棟にのぼります。12月末の時点で市内に11カ所の避難所が開設されています。

 約20人が避難する市立河原田小学校で、妻と仮設住宅への入居を待つBさん(71)は「豪雨で自宅の裏山が崩れ、窓ガラスが割れて大量の土砂が流れ込みました。壁も壊れて半壊の状態です。被災後は食欲がなく、体重が6キロも落ちました。自宅の修繕には数百万円が必要で、貯金だけではどうにもならない」と頭を抱えています。

 日本共産党の鐙(あぶみ)史朗市議は31日、市内の仮設住宅団地で被災者の要望を聞きました。

 地震で自宅が半壊し、被災直後は近所の人たちとビニールハウスで避難していた女性(68)は「道路の状況が悪く、現在も電気と水道が復旧していません。今後の生活の見通しがたたず、不安で夜中に目が覚めて眠れない日もあります。仮設住宅は夫と住むには部屋が狭く、普通の生活ができないことにストレスを感じている」と訴えます。

 この女性は自宅の建て替えを望んでいますが、輪島市では11月末の時点で被災した建物の公費解体が完了したのは25・1%と遅れています。

市民の声届ける

 鐙市議は「まだ仮設住宅に入れず、壊れた家に住み続けている被災者もいます。今後は住み慣れた地域で暮らせるような支援が求められます。復旧・復興が加速するように市民の声をしっかりと届けていきたい」と話しています。

 共産党と民主団体が運営する「能登半島地震被災者共同支援センター」(同県羽咋市)では1日、復旧・復興への思いを語り合う「追悼と再生への夕べ」を地震発生の時刻に合わせて午後4時から開きます。全国各地から寄せられた支援物資の配布も行います。

 同センターの黒梅明事務局長は「被災者が住宅や生業の再建に悩んでいるのは、公的支援が圧倒的に足りないからです。生活を支える活動に取り組む中で被災者との連帯を強め、政治を変えて要求を実現する流れをつくっていきたい」と意気込んでいます。


石破内閣閣僚の政治資金パーティー

2025年01月01日 17時33分16秒 | 一言

収入2000万円以上が13人

透明度1割以下 利益率8~9割

隠れた企業・団体献金

 昨年末の臨時国会で、自民党、石破茂首相は政治資金パーティーを含む企業・団体献金の禁止に一貫して背を向けました。直近の政治資金収支報告書(2023年分)で石破内閣の閣僚のパーティーによるカネ集めの実態を調べると、13人が収入2000万円以上。しかも、大半が利益率は8~9割台で、購入者が判明している“透明度”は1割以下でした(表参照)。パーティーが隠れた企業・団体献金であり、裏金づくりの温床ともなっていることを浮き彫りにしました。(藤沢忠明)


 収入が一番多かったのは、加藤勝信財務相。資金管理団体で、「日本の未来を語る会」、自らが支部長の政党支部で、「明日の日本を語る会」などを開催、1億2000万円を超す収入を上げました。開催費用は2749万円で利益率は、64・7%でした。厚労相経験があり、20万円以上購入した日本医師連盟、製薬産業政治連盟、日本薬剤師連盟などの名前を報告していますが、“透明度”は6・8%にとどまりました。

 林芳正官房長官も資金管理団体が「セミナー」「朝食勉強会」など13回のパーティーを開き、約1億400万円の収入。利益率は78・2%、日本医師連盟、日本チェーンドラッグストア協会などが大口購入者で透明度は5・0%でした。

 石破首相は、資金管理団体で「セミナー」「囲む会」を開催、2991万円の収入。利益率は79・4%。ニトリホールディングスが100万円購入するなど、透明度は6・7%。

 4000万円超の収入があった鈴木馨祐(けいすけ)法相はじめ、江藤拓農水相、武藤容治経産相、岩屋毅外相は、購入者名を一切報告しておらず、透明度ゼロ。政治資金パーティーが隠れた企業・団体献金であることを示しています。

 石破首相は、企業・団体献金について、「禁止よりも公開だ」などといっていますが、これで「公開」とは…。

表:石破内閣閣僚の政治資金集めパーティー(2000万円以上)

最賃上昇 88自治体で

2025年01月01日 17時32分17秒 | 一言

米国 過去最多・20ドル超の市も

 【ワシントン=洞口昇幸】米国で1日、21州と48の市・郡で最低賃金が引き上げられます。10年以上にわたる同国内での低賃金労働者や市民が取り組む「公正な賃金」を求める運動は前進し、成果を上げ続けています。1日以降も引き上げが予定され、年内に合計で過去最多の88(23州、65の市・郡)の地方自治体が最賃を引き上げます。

 米民間非営利団体「全米雇用法プロジェクト」(NELP)の報告書によると、条件等で一部の労働者が対象の場合がありますが、今年の分を含むこれまでの米各地での引き上げにより、最賃が時給15ドル(約2350円)以上になるのは9州と61市・郡で、そのうち同17ドル(約2670円)以上は2州(カリフォルニアとニュージャージーの一部の労働者)と51市・郡となります。

 同報告書には首都ワシントンは含まれていません。ワシントンはすでに最賃が時給17・5ドルです。

 1日からワシントン州では、シアトル市が時給20・76ドル(約3260円)、シータック市で同20・17ドル(約3160円)になります。

 米国の最賃は連邦政府だけでなく地方自治体が独自に設定することが可能で、高い方の額が適用されます。

 労働者や市民の運動に押されて各地で引き上げが続く一方、連邦政府が定める最賃は時給7・25ドル(約1140円)で、連邦議会内共和党の反対などで2009年以来変わっていません。適用される最賃が連邦政府規定と同額なのは20州です。

 米シンクタンクの昨年4月の世論調査では、最賃を時給17ドルに引き上げるを64%が支持。共和党のトランプ次期大統領は昨年12月8日に米NBCが放送したインタビューで、連邦政府規定の最賃額は「非常に低い」と認め、引き上げを「検討する」と述べました。

 トランプ氏の発言を受け、進歩派のサンダース上院議員はNBCのインタビューで、連邦政府規定の最賃を時給17ドルに引き上げることを提案。「この目標を達成するために超党派で協力することを願っている」と訴えました。


25政局展望

2025年01月01日 17時31分13秒 | 一言

新しい政治プロセスへ希望の年に

 昨年10月の総選挙で自民、公明の与党が衆院で過半数割れし、その政治的大激動が続く中での2025年の幕開けです。「しんぶん赤旗」の裏金スクープと共産党の論戦が切り開いた新たな政治局面です。自民党政治に代わる新しい政治の中身を模索・探求する「新しい政治プロセス」を前に進める―最大の政局の焦点はここにあります。

 自公与党は「数の力」で法案を押し通すことができません。国民民主党や日本維新の会などの取り込みを図らなければ、通常国会で25年度予算案を衆院通過させることができず、予算を通せない事態になれば政権はたちどころに行き詰まります。不安定政局で、野党が結束して内閣不信任決議案を出せば可決される可能性もあります。そうなれば衆参ダブル選挙という事態にもなります。

 夏には東京都議会議員選挙と参院選挙が予定されます。内閣支持率がじりじりと下がるなか、自民党内には石破茂首相では都議選、参院選がたたかえないとの不安も高まっています。

 自民党は、国民民主党と年収の課税最低ラインの「103万円の壁」の引き上げなどをめぐって協議を続け、日本維新の会とは「教育無償化」をめぐる協議体を設置。両党から25年度予算案への「賛成」を引き出そうと多数派工作に懸命です。

 しかし、課税最低限の引き上げで生じる税収減をどのような財源で補てんするかは示されず、自民党税制調査会や財務省からの強い反発もあり協議は難航。議事録も残らない密室協議への批判もあります。国民民主、維新にとっては、政策協議と引き換えに自公政権の延命に手を貸していると批判されるジレンマもあります。自民党議員の中から「非常に難しい政権運営が続く」という声が漏れます。その根底には内政・外交全般にわたる自民党政治の末期的行き詰まりがあります。

 総選挙での「自公ノー」の厳しい審判によって、自民党政治に代わる「新しい政治」を模索・探求する新しい政治プロセスが始まっています。国民の声にこたえ、各党が行き詰まった自民党政治に代わる「新しい政治」の道筋を示すことができるかどうか、その真価が問われています。

真の政治改革へ

 自公への審判の大きな要因が裏金事件です。「新しい政治プロセス」でも当面の最大焦点となっています。裏金事件の解明と対策に国民の納得が得られなければ、夏の都議選、参院選で自民党、公明党に再び厳しい審判が下され、参院でも自公が過半数割れに陥る可能性があります。

 裏金問題の真相解明、企業・団体献金禁止は通常国会へと先送りされました。国民の参政権侵害を是正するためにも、引き続き最大焦点となります。

 ところが自民党はあくまで企業・団体献金に固執。巨額の政党助成金を受け取ると同時に、企業・団体に政治資金を依存する体質を改められません。

 また裏金問題では、自民党東京都連でも政治資金収支報告書の不記載があったことが発覚。都議選を直撃する可能性があります。

 旧安倍派の裏金づくりでは、一度は廃止が決まった個別議員への還流再開の経緯をめぐり、会計責任者と幹部の証言が食い違ったままです。昨年末の臨時国会では、衆参の政治倫理審査会に裏金議員が相次いで出席したものの、選挙での「党公認」獲得のアリバイづくりの色彩が強く、真相解明には程遠い結果に終わりました。政倫審に出席していた自民党議員も「『何も知らない。秘書がやったこと』という話ばかりで聞いていられなかった。違法性の意識が希薄で、到底、国民の理解は得られない」とこぼします。予算委員会での参考人質疑やうそをつけば偽証罪に問われる証人喚問の実施がいよいよ必要です。

“二つのゆがみ”

 企業・団体献金への依存は、政治腐敗の問題だけでなく、大企業優位の税財政のゆがみと不可分です。大企業の利益優先の政治が、日本経済の土台をも掘り崩し、「失われた30年」という経済停滞をもたらしています。「新しい政治」を模索・探求する新しい政治プロセスの底流には、長年の自民党政治がもたらした税財政のゆがみ、貧困と格差の広がりへの深刻な不満があります。

もとからただす

 日本共産党は、「新しい政治プロセス」という新たな局面のもとで、国民の切実な要求実現に全力を尽くすとともに、日本の政治の「二つの異常」をおおもとからただすことを提起しています。

 一つは、財界・大企業中心の政治のゆがみをただすことです。巨額の利益を得ている大企業・富裕層への税優遇と消費税増税という不公正な税制のゆがみ、貧困と格差の根源となってきた労働法制の規制緩和、国民負担増・給付減をくりかえす社会保障の改悪をただすことをはじめ、巨大企業の利益最優先の政治の是正が必要です。

 もう一つが、アメリカいいなり政治の転換です。「日米同盟」の4文字で思考停止に陥る政治をやめ、憲法9条に基づく平和外交への転換は急務です。空前の大軍拡予算は税財政のゆがみをさらに拡大させ、沖縄など南西諸島中心に長射程ミサイルの配備を加速する動きはアジアの軍事的緊張を激化させています。民意を踏みにじって沖縄での辺野古新基地建設が続けられています。

 大企業、アメリカいいなりの政治は、国民の願いと根本的に対立しています。この「二つの異常」に正面から立ち向かえるのは日本共産党だけです。

 「新しい政治」を模索・探求するプロセスは自動的には進みません。大局的には、国民の認識が自民党政治の二つのゆがみの是正に接近する可能性を持つ一方、支配勢力による激しい巻き返しも強まっています。プロセスの前進には、何より、自民党政治を変える国民的運動、党の主体的・攻勢的なたたかいが決定的に重要です。

 日本共産党は、企業・団体献金の禁止、選択的夫婦別姓制度の実現、紙の保険証の廃止を凍結・中止、大学の学費値上げストップなど直面する熱い問題で国民とともに、要求実現へ全力を尽くします。同時に、自民党政治に代わる新しい政治とは何かについて、国民の模索と探求にこたえ、綱領に基づき国民と語り合う宣伝・対話運動に取り組みます。

 強く大きな共産党をつくること、それと一体に夏の東京都議選、参院選で共産党の躍進を勝ち取ることこそ、政治を前に進める最大の力です。衆院総選挙がいつあってもおかしくない状況であり、強大な党づくりは文字通り待ったなしです。

 党は、参院選に向け「650万票、10%以上」の目標を堅持し、「比例を軸に」を貫いて、比例代表で改選4議席から5議席への前進を目指します。選挙区選挙では東京、埼玉、京都の現有議席を確保し議席増を目指します。

 都議選と参院選が連続してたたかわれる12年に1度の年。13年の参院選での躍進は都議選での躍進に続いてもたらされました。都議選の勝利は全党的課題として現有19議席を確保し、議席増に挑戦します。

 そのために全有権者規模の宣伝、対話支持拡大、SNSに強い党づくりに出足早く取り組みを開始します。

 選挙準備と強大な党づくりを一体として進めます。自由な時間の確保と人間の全面的発達という「共産主義と自由」の押し出しは、党の政治的組織的前進に向けた戦略的課題となっています。


若手組合員の要求から出発

2025年01月01日 17時29分41秒 | 一言

JMITU日本ロール支部

奨学金返済の支援制度実現

 高学費と奨学金返済が若者の人生に重くのしかかるなか、JMITU(日本金属製造情報通信労働組合)日本ロール支部は、若手組合員の要求から出発し、奨学金返済を支援する社内制度を実現しました。今年から、従業員に代わって会社が奨学金を直接返済する代理返還制度の実施へと前進します。(田代正則)


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(写真)奨学金返済支援で前進する(前列右から)川田さん、岡本さんとJMITU日本ロール支部の人たち=東京都江戸川区

 日本ロール支部が奨学金問題に取り組みはじめたのは2019年。春闘が一段落し、労働条件改善を求める秋闘の議論をしているときでした。

 JMITUの産別統一要求のなかに、“奨学金返還の支援を会社に求める”とあることに目が留まりました。

 当時組合に加入して1年の岡本祐太郎さん(30)は、要求への意見を聞かれて、「自分も奨学金を返しています」と答えました。日本学生支援機構から有利子の第2種奨学金を約340万円借りていました。

 支部委員長の川田泰志さんは、「私も高校の学費を奨学金に頼り、返済に十数年かかり苦労した」と回想。支部で職場の若手労働者からアンケートを集めることにしました。組合未加入者も含めて回答が集まり、半数以上が奨学金返済の支援を求めていました。

 同年の秋闘で会社に要求を提出。前向きの回答はなかったものの、経営陣のひとりが「私も奨学金返済には苦労した。共感できる」と打ち明けました。

 岡本さんは、「自分だけの要求ではない」と実感。川田委員長も「労使で一致できる」と手ごたえを感じ、求人募集で会社が魅力的にみえると、ねばり強く交渉を続けました。

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(写真)組合事務所で会社の回答書を示す岡本さん

 20年春闘では、大幅賃上げと奨学金返済の支援を求めてストライキを実施。ついに会社は、無利子の第1種奨学金について毎月1万6000円ずつ支給し10年で全額返済を支援する制度をつくりました。

 その後も支援対象の拡大を会社に要求し、22年1月から、第2種奨学金にも返済手当が支給されるようになりました。

 岡本さんは23年8月、支部の書記長に選ばれ、要求実現の先頭に立っています。

若者が働き続けられる職場に

「労働者の声集めれば必ず」

粘り強く行動 賃上げ実現

 JMITU(日本金属製造情報通信労働組合)日本ロール支部に岡本祐太郎さんが加入したのは、2018年、入社1年で上司からパワハラを受けたことがきっかけでした。

 職場では支部委員長の川田泰志さんから、野球観戦が好きだという共通の話題でよく話しかけられていました。岡本さんの異変を察した川田さんから「組合に入れよ」と誘われ、加入します。以来、パワハラはぴたりと止まりました。

恩返しできた

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(写真)会社もホームページで奨学金返済支援をアピール

 奨学金の返済支援制度を実現して、「母に恩返しができた」と振り返ります。

 岡本さんは自分の賃金だけで生活しながら、奨学金を返すのが難しく、母親がパート労働で奨学金返済を援助していました。「就職した後まで親に頼っているのは申し訳ないと思っていました」

 自分の生活を自分でまかなえる賃金に引き上げる闘いにも力が入ります。

 書記長として初めて臨んだ24年の春闘。初回回答は月額8500円(約3%)でした。前年初回を2000円上回ったものの、物価高騰のなか生活改善には至りません。

 川田委員長から、「春闘アンケートを目標までやり切ろう。労働者の声を集めれば、必ず1万円の賃上げは実現できる」と励まされ、粘り強くアンケートを呼びかけ続けました。

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(写真)JMITU日本ロール支部のストライキで掛け声をかける岡本さん(左端)=2020年3月5日、東京都江戸川区

 6回のストライキを実施し、地域の他の職場支部と相互にスト集会の支援参加者を送りあいました。

 会社から3回の上積み回答を引き出し、ついに1万円の賃上げを実現。「目標をやり切れば本当に賃上げできるんだ」と感激しました。

 奨学金返済支援にも前進がありました。手当支給に代わって、会社が日本学生支援機構に直接送金する代理返還制度の実施を検討すると回答がありました。

双方メリット

 代理返還制度は、労働者にとっては、手当で支給されるより、所得税が軽減されるメリットがあります。会社にとっても代理返還分を損金算入でき、法人税軽減につながります。

 支部は労使がともにメリットがあると提案し、24年の秋闘で、会社は制度実施に向け学生支援機構に申し込み中だと回答しました。

 会社は増員、人材確保に力を入れており、採用情報には「奨学金返済支援制度」もアピールしています。

 岡本さんは、「高卒で入社する人もいます。高校奨学金にも制度を拡大するなど、奨学金返済に苦労する労働者全員が活用できる制度にしたい」と語ります。

 日本ロールは、かつて映画「ドレイ工場」(1968年、山本薩夫総監督)のモデルとなり、劣悪な労働環境の代表とされていました。JMITUの粘り強い闘いが世代をつなぎ、若者が働き続けられる職場へと前進を続けています。


 企業等の奨学金代理返還制度 日本学生支援機構から貸与された奨学金について、企業などが従業員に代わって返済する制度。従来から従業員への手当支給などで支援する企業がありましたが、2021年4月からは、企業が機構に直接送金できる仕組みがつくられました。労働者も企業も税負担軽減などのメリットがあります。


日曜版新年合併号 新春対談 核兵器も戦争もなくそう

2025年01月01日 17時25分50秒 | 一言

祝 ノーベル平和賞 日本被団協受賞

日本被団協代表委員 田中熙巳さん

日本共産党委員長 田村智子さん

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 ことし、2025年は戦後・被爆80年です。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は昨年、被爆の実相を世界に広げ、核兵器禁止条約へのうねりをつくり出してきた活動が認められてノーベル平和賞を受賞しました。「入党のきっかけは核廃絶運動だった」という日本共産党の田村智子委員長と日本被団協代表委員の田中熙巳(てるみ)さんが、草の根の運動で、平和・核廃絶の大きなうねりをつくろうと語り合いました。


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(写真)ノーベル平和賞の授賞式に登壇した日本被団協の代表委員の(左から)田中熙巳、田中重光、箕牧智之の各氏=2024年12月10日、オスロ(加來恵子記者撮影)

 田村 ノーベル平和賞の受賞おめでとうございます。授賞式(12月10日)での田中さんの演説には本当に心を動かされました。

 田中 ありがとうございます。被爆者全員でいただいた賞だと思っています。スピーチには私自身の被爆体験を含めて被爆者運動の歴史を知ってほしいと思いを込めました。

 田村 核戦争の恐怖が世界をおおう国際情勢のもとでの被団協の受賞は、世界の人々に大きな希望となったと思います。

 田中 人類と核は共存できません。「核兵器は使用されてはならない」という「核タブー」で終わらせず、核兵器をなくし、戦争もない社会を目指したいです。

 田村 私が日本共産党に入党した原点も、地球上から全ての核兵器をなくしたいという思いからでした。被爆者の皆さんとともに、核兵器禁止条約の誕生(2017年)を国連の場で喜びあった政党として、被爆80年のことし、日本政府に核兵器禁止条約への参加を強く求めていきたい。参加しないというなら、私たちの手で禁止条約に参加する政府をつくる、そういう希望ある政治の流れをつくっていきたいです。

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高校の時に原爆資料館訪れ 悲惨さに動けなくなった。署名運動で絶望が希望に

日本共産党委員長 田村智子さん

たむら・ともこ=1965年7月、長野県小諸市生まれ。早稲田大学卒。国政選挙6度目の挑戦で2010年に初当選、参院議員3期。24年1月から日本共産党委員長。同年11月衆院議員初当選

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受賞スピーチは被爆者を打ち捨ててきた政府への「たたかいのメッセージ」です

日本被団協代表委員 田中熙巳さん

たなか・てるみ=1932年4月、中国東北部(旧満州)生まれ。13歳の時に長崎市で被爆。東京理科大学卒。元東北大工学部助教授。被団協事務局長を計20年務める。2017年から代表委員

 田村 ノーベル平和賞授賞式のスピーチを胸を熱くして聞きました。どういう思いで臨まれたのでしょうか。

 田中 被団協の運動、被爆者の草の根の運動の歴史を参列している各国の方々に知ってもらうことを大事にしました。20分の原稿を作るのに2~3週間かかりました。

機内アナウンス うれしい驚き

 田村 世界の人たちも心を動かされたと思います。帰国の飛行機で驚くようなアナウンスがあったと聞きました。

 田中 びっくりしました(笑い)。飛行機に乗るときに機長から謝辞が述べられました。機内では「生涯をかけて行ってきた貴重な活動に深く感謝し、核兵器も戦争もない平和な世界が一日も早く訪れるよう、心から祈ります」とアナウンスがあり、みなさんの温かい拍手に包まれました。

 田村 今回の受賞理由は、核兵器の非人道性を訴え、核兵器を二度と使わせてはならないという世論を国際的に築き、戦後約80年間、戦争で核兵器を使わせてこなかったというものです。今日の国際情勢のもと、この意義はとても重いですね。

 田中 ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザの爆撃が行われています。両国の為政者が核兵器を使う可能性に触れ、核兵器の使用判断の敷居が低くなっていると思います。ノーベル委員会も危機をひしひしと感じ、それが今回の受賞につながったと思います。

 田村 ノーベル委員会のフリードネス委員長が、授賞式で核兵器の使用を許さない世論を私たち皆で強めていこう、「私たちの生存は、それにかかっている」と呼びかけた。危機感とともに核兵器使用を絶対に許してはならないという決意を感じました。核使用を許さない唯一の保障は核兵器をなくすことです。

心を閉じ遺体の間を無言で歩いた

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(写真)原爆投下で焼け落ちた浦上天主堂=長崎市、撮影日時不明(長崎原爆資料館所蔵、米戦略爆撃調査団「USSBS」撮影)

 田村 核兵器の非人道性について、私は特に、核兵器は“人が人として死ぬことさえ許さなかった”ということに衝撃を受けました。高校の修学旅行で広島平和記念資料館を訪ねた時、ものすごい熱線で周りの物と溶け合った人の骨が展示されていて、しばらく動けなくなりました。「どれだけ悲惨に殺されたのか」と。

 田中 私が授賞式で訴えた「たとえ戦争といえどもこんな殺し方、傷つけ方をしてはいけないと強く感じました」の部分と重なります。私は感性に訴える展示や証言を続ければ、話を聞いた人は質的に変わると思っています。田村さんはそういう場面に遭遇されたんだと思います。

感性揺さぶられ

 田村 まさに感性が揺り動かされた瞬間でした。田中さんは当時の被爆体験を思い出すと声が出なくなることがあると聞きました。

 田中 私自身は、長崎の爆心地から3・2キロメートルの自宅で被爆しました。奇跡的に無傷で助かりました。惨状を見たのは、原爆投下から3日後です。親族らが住んでいた爆心地帯を捜し歩きました。レンガづくりの大きな教会・浦上天主堂は崩れ落ち、みるかげもありませんでした。遺体が放置され、大やけどを負いながらもなお生きているのに、何の救援もない多くの人びと…。私は人間らしい心も閉じ、ひたすら無言で歩きました。伯母といとこは炭のようになって自宅跡に転がっていました。もう一人の伯母の遺体の火葬後、人の形をした骨だけが残り、骨を拾い終わった途端、閉じていた心が破れて爆発し、うわーっと泣き崩れました。この話をする際には突然、そのときの情景がぱっと頭に浮かぶときがあるんです。しばらくは声が出ず、立っているのもつらい。以前原水爆禁止世界大会のスピーチでそれが起き、しばらく黙ってしまったことがあります。聞いていた人の席がシーンとなりました。「すごく心に響きました」と言われました。

 田村 沈黙が聞く人の心に突き刺さったのですね。私は街頭演説で、被爆者の「命がけの訴え」にこたえ、核兵器のない世界をつくろうと呼びかけています。田中さんのように身内を捜した経験を被爆者の方が証言された時、「はじめは遺体を踏まないようにと歩いていた。けれどあまりにたくさんの遺体があり、そのうち心がなくなり踏んでも平気になっていた」とお聞きしました。

 田中 そうです。私は亡くなった人を見るだけでそうなっていた。

 田村 その方は「あのときの自分は人間ではなかった。踏んでしまった人たちに本当に申し訳ない」と話してくれました。被爆の証言は、閉じようとしている傷のかさぶたを何度も何度も自らはがすという、まさに「命がけの訴え」なのだと受け止めています。

日本政府は償いを一切していない

 田村 戦後もしばらく被爆者は沈黙を強いられたんですね。

 田中 そうです。アメリカは原爆の被害を隠し、独立後の日本政府も追随しました。1954年のアメリカによる太平洋ビキニ環礁での水爆実験による被災を機に始まった運動が盛り上がり、原水爆禁止世界大会が開かれ、この運動に励まされて被団協が結成(56年)されました。結成宣言で「自らを救うとともに、私たちの体験を通して人類の危機を救おう」と決意をのべ「核兵器の廃絶と原爆被害に対する国の補償」を求めて立ち上がりました。運動してきた経緯を、ノーベル賞授賞式のスピーチでも語りました。

 田村 私が最も感動したのが、現在進行形の「たたかいのスピーチ」だということでした。

 田中 そうです。被爆者を打ち捨ててきた政治に対する「たたかいのメッセージ」です。スピーチでは、「何十万人という死者に対する補償は一切なく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けてきた」と発言しました。その直後、原稿にはありませんでしたが、「もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていない」と加えました。このことを強調したくて、とっさに繰り返しました。スピーチ後、海外の記者から「どうして強調したのか」と声をかけられました。戦争を起こした国が国民の被害に補償をしないことが許されていると、これからも戦争が簡単に繰り返されるとの思いが頭にあったからです。

 田村 とても注目された発言でしたね。戦後直後、被爆者を打ち捨てた日本政府の姿勢は国内でもほとんど知られていないと思います。私も日本共産党に入ってから、被爆の実態をも知らせることが許されず、被爆者が何の支援もなく放置されていたことを知り、怒りに震えました。田中さんはどんな思いで運動に関わるようになったんですか。

 田中 私は中学1年生(13歳)で被爆し、祖父や伯父など5人の親族を圧焼死、大やけど、放射能などで失いました。戦後は死亡軍人(父親)の遺族扶助料が出なくなり、貧乏で、何日も固形物を食べられないことがしばしばありました。それでも私は幸いにも大きなけがもなく働けましたが、病気で働けない人たちが多くいました。

 1957年被爆者健康手帳が交付されるようになって、被爆者の健康診断を受診していましたが、働くことができました。このころでも、生活が大変な被爆者がいました。「自分にできることがあれば大変な仲間に手を差し伸べたい」という思いで被爆者運動に参加しました。被団協は結成直後から被爆者の救援・救済、国の補償を求め、これまで被爆者手帳の発行、被爆者の健診制度の創設や拡充などに取り組み、今日まで活動をしてきました。

「受忍論」の政府

 田村 日本政府は今でも「戦争の苦しみは国民が受け入れるべきだ」という「受忍論」の立場です。被爆者だけでなく空襲被害者などの救済も門前払いしています。戦争の苦しみを受け入れろという冷たい姿勢は、戦争への無反省とも言えるものだと思います。

 田中 私は、民主主義の国で、戦争開始を決定する政府が国民に被害の受忍を強いて、市民が強いられる関係でいいのか、と問いたい。国民が声を大にして要求していかないといけないと思います。

被爆証言があって非人道性伝わる

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(写真)政府に禁止条約参加を求めて宣伝する田中代表委員(奥中央)=10月24日、埼玉県志木駅前

 田村 核兵器の非人道性が、核兵器全面禁止・廃絶へとつながってこそ、希望が生まれます。私が10代の頃は、米ソ核軍拡競争の真っただ中で、これほど悲惨なことが起きたのにどうしてという思いから“人類はもう滅びるしかない”と絶望していました。

 大学生のとき、世界の反核平和運動の代表が核兵器の全面禁止・廃絶を求める「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」(85年)を呼びかけたことを知りました。核兵器全面禁止・廃絶を求める国際条約をつくろうという呼びかけは、絶望を希望へと一変させるものでした。核兵器は人類がつくったものである以上、人類の英知によって廃絶できる、日本共産党の主張と運動も知って入党を決意しました。

 学生時代は、署名をどうやったら広げることができるかいつも考えていましたね。

 田中 あの頃、ヨーロッパで運動が盛り上がりましたね。何万、何十万人の集会でした。各国から被団協に証言の要請がありました。やはり証言が大事です。絶望だけではなく必死に生きている被爆者たちの姿を見ていただかなくちゃいけない。

 田村 国際署名を集めるために原爆パネル展も全国に広がりました。被爆の実相に向き合うことが、運動の力になっていきました。

 田中 あれは大きかった。被爆証言と同時に、被害の写真や、原爆の体験を描いた市民の絵を見てもらうと、やはり違います。

 田村 証言をされている方が「写真には色と臭いがありません」と言われたんです。私は衝撃を受けました。やはり被爆者の皆さんの証言があって初めて非人道性が生々しく伝わると感じました。

「核抑止」論こそ廃絶の最大の障害

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(写真)オスロ大学での日本被団協の被爆証言会=12月11日、オスロ市内(吉本博美記者撮影)

 田中 「非人道性」という言葉は軽々しく使うんじゃなくて、非人道性とはどういうことか、その意味する内容を思い浮かべながら、よく考えて使ってほしいという思いもあります。

 田村 石破茂首相は「唯一の戦争被爆国として世界に非人道性を伝える」のが日本政府の立場だと言います。総選挙後の衆議院の代表質問で、非人道性を認めることと、アメリカの核抑止の強化というのは矛盾するではないかと石破首相に質問しました。しかし、首相から答えがありませんでした。

 田中 受賞が決まった当日に石破首相から「おめでとう」と電話がありました。私は「核共有なんていうのはよくないですよ」と言いました。首相の方から会って話し合いたいとの申し出がありました。「核抑止」「核共有」の考え方は間違っていると徹底的に議論したいと思います。

 田村 「核抑止」は、いざとなったら核兵器を使うぞと恐怖を与えて自国を守るということです。「核兵器のない世界」を実現する最大の障害になってきたのが「核抑止」論です。核兵器は絶対に使ってはならない悪の兵器だという立場に立つならば「核の傘」「核抑止」から抜け出すことを真剣に考えるべきです。

 田中 そうだと思います。脅かすんじゃなくて、やっぱり話し合いをしてほしい。日本はそのために努力しなくちゃいけない。

 田村 とりわけ、アメリカは核兵器先制使用の戦略を持っています。唯一の戦争被爆国である日本は、アメリカに対しても「核兵器は使ってはならない」というべきですし、核兵器廃絶をすべての核保有国に迫るべきです。

 田中 そうなんですよ。日本政府や石破首相は、「核共有」や「核の傘」「拡大抑止」など、逆のことを言いますからね。

 田村 いま国会でも「核抑止」を正面から批判しているのが日本共産党です。被爆80年のことし、「核抑止」は核兵器の非人道性と矛盾するということを国内外で大いに議論しなければなりません。

 田中 そういう意味では、受賞を機に、年明けから国の内外で世界的に大激論をしてほしい、というのがノーベル委員会の狙いでもある。私もまだまだ頑張らなくちゃいけない。

禁止条約に沈黙続ける政府に憤り

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 田村 もう一つ石破首相の答弁でおかしいのは、核兵器禁止条約とNPT(核不拡散条約)を対立させて、禁止条約ではなく核五大国が参加するNPTが重要だと繰り返していることです。NPT第6条は、核軍備の縮小・撤廃を、核保有国を含む締約国に義務付けています。それを進めるために核兵器禁止条約が誕生した。NPTと禁止条約は補完しあうものです。これを対立させることは道理がありません。

 田中 そうなんですよ。なんで矛盾するんですかと問いたい。保有国が積極的に減らそうとしない。それだったら先に禁止する努力を始める方が早いでしょう。

 田村 そもそもNPTを前に動かすため、被爆者を先頭にした市民社会の運動が禁止条約を誕生させ、21世紀の希望になっています。国際政治の主役が、一部の大国から、圧倒的多数の非核兵器国と市民社会に交代した。このことが、条約を採択した国連会議でもはっきり表れました。

 田中 「核兵器のない世界へ」私たち被団協も国連という組織をフルに活用しようと頑張ってきました。国連ではNGO(非政府組織)が発言できます。国連軍縮特別総会やNPT再検討会議などで被団協は、必ず被爆の実相を伝える発言ができるよう努力しました。NPTの強化だけではなく、やはり禁止条約や廃絶条約を結んで核兵器を廃絶しないとダメだと言い続けました。原爆展もニューヨークの国連本部の総会場ロビーの中でやって成功しました。政治家、観光や見学に来た人たちも見ることができ、大きな反響をよびました。そうしたことが核兵器禁止条約に実ったことは大きな喜びです。(12月現在、批准国73、署名国94)

共産党も力発揮

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(写真)国連本部ロビーで開かれた原爆展=2010年5月24日、ニューヨーク

 田村 2010年のNPT再検討会議には日本共産党も、志位和夫委員長(当時)をはじめ代表が参加し、市民団体の皆さんとともに各国代表への要請活動にも取り組みました。17年に2回にわたり開かれた核兵器禁止条約交渉の国連会議にも党代表団が参加し、志位さんが国連の場でスピーチすることができました。アジアや欧州訪問でも核兵器禁止条約の推進を繰り返し提起してきました。

 私も12月の臨時国会の代表質問で「被爆者の命がけの訴えで誕生したのが核兵器禁止条約だ。唯一の戦争被爆国として被爆者とともに歩む責務がある」として条約参加と締約国会議へのオブザーバー参加を石破首相に迫りました。

 政府は日米同盟を絶対視して、禁止条約に背を向けていますが、私たちの行動と主張こそ、多くの国民の思いと響き合うものだと思います。

 田中 ノルウェーのストーレ首相と会ったとき、NATO(北大西洋条約機構)加盟の国だからすぐに批准はできないけれど、NATO諸国とも話し合い、オブザーバーで参加して頑張ります、とおっしゃった。日本も頑張らなきゃいけないでしょう、と言いました。

 田村 条約批准は、「核の傘」から抜け出すと約束することが求められますが、締約国会議へのオブザーバー参加は、すぐにでも可能なはずです。自民党以外の多くの党が求めています。自民党は“参加できない”という答えが先にあり、参加しない道理ある説明ができない。ここでも追い詰められています。

 田中 もともとやる気がない。やっぱり国民が「おかしいよ」と大きな声で言わなくちゃいけない。

 田村 そう思います。唯一の戦争被爆国がなぜオブザーバー参加の決断もできないのか。「日米同盟絶対」で、アメリカの顔色ばかりうかがっているのは、あまりに恥ずかしい。それで良いのかと、大きな世論を起こしたいです。

被爆80年 希望もって核廃絶訴える

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(写真)核兵器廃絶と核兵器禁止条約の交渉開始を求めるパレードの出発集会に参加した人たち=2015年4月26日、ニューヨーク(島田峰隆記者撮影)

 田村 被爆80年のことし、田中さんはどんな年にしたいですか。

 田中 私たち被爆者は「核兵器と人類は共存できない」と叫び続けてきました。核兵器がある限り、被爆者が経験したことが未来に起こりえます。私の一番好きな言葉は「希望」です。核兵器の使用の危険が迫っています。そうしたなかでも希望を常にもって努力さえすれば実現する。若い人たちに「これからの世界は皆さんの世界です。どうするか皆さんで考えてほしい」と呼びかけたい。

 そして伝える際の言葉が大事です。たとえば「人権」という言葉。私は、幸せに生きるということをお互いに認め合うことが人権だ、と伝えています。そうすると、それは守らなきゃいけない、となるわけです。最近、日本語を大事にしないといけない、わかりやすく伝えていきたいと強く感じています。

 田村 私は、被爆者の皆さんが命がけで証言してこられた「核兵器の非人道性」を、いかに次の世代が感性をもって訴えていくか、これに挑戦していきたい。何よりも日本が核兵器禁止条約に参加する年にしなければいけないと思います。それが被爆80年にふさわしい日本の行動です。

 いま自民党政治のもと、5年間で43兆円もの大軍拡、敵基地攻撃能力の保有、沖縄での米軍辺野古新基地建設、そして日米一体で「核抑止」の拡大・強化を進めようとしています。こうした「戦争国家」づくりを止めなければなりません。

 田中 私もそう思います。いま、アメリカのいいなりに日本は戦争をやりそうな国になりつつあります。

 田村 軍事対軍事、「抑止力」強化という対立と分断ではなく、地域全体を包摂する対話と協力の関係をつくろうという流れが、アジアの中には息づいています。国連憲章と国際法によって平和を築こうという流れは、力強く前へと進んでいます。

 日本でも自民・公明が少数与党になるという大激動が起きたもとで、自民党政治に代わる新しい政治への模索と探求が始まっています。アメリカいいなりで核兵器禁止条約への参加ができない政府はもう変えようという市民の運動を巻き起こす1年にしていきたいと思います。

 今日はありがとうございました。

 田中 ありがとうございました。

日本被団協のあゆみ
1945年 広島、長崎に原爆投下。終戦
54年 米の太平洋ビキニ環礁での水爆実験で第五福竜丸など被災
55年 第1回原水爆禁止世界大会(広島)
56年 日本被団協結成。第2回原水爆禁止世界大会(長崎)
63年 東京地裁、「原爆裁判」で「原爆投下は国際法違反」の判決
77年 NGO被爆者問題国際シンポジウム-原爆被害を全面的に解明
78年 第1回国連軍縮特別総会に日本被団協代表38人が参加
82年 第2回国連軍縮特別総会で、山口仙二日本被団協代表委員が演説。ニューヨークで100万人大行進
96年 国際司法裁判所が勧告的意見「核兵器の使用と威嚇は一般的には国際法違反」
2005年 日本被団協ニューヨーク行動
10年 日本被団協ニューヨーク行動。国連本部で原爆展
15年 日本被団協ニューヨーク行動。国連本部で原爆展
16年 「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」発表
17年 核兵器禁止条約が国連会議で採択
21年 核兵器禁止条約が発効
24年 ノーベル平和賞受賞

激動の世界 希望ある未来(2)

2025年01月01日 17時24分23秒 | 一言

日中関係――言うべきことを言いつつ、良い方向に向かうよう、対話を続けたい

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(写真)「東アジアの平和構築への提言―ASEANと協力して」をテーマに講演する志位和夫議長=2024年4月17日、衆院第1議員会館

 小木曽 各論に入っていきます。「東アジア平和提言」は、北東アジアの諸問題の外交的解決についても具体的な提案を行っています。

 まず日中関係では、23年3月30日に発表した「提言」――「日中両国関係の前向きの打開のために」をあらためて位置づけています。「日中提言」は、日中両国政府間に、「双方は、……互いに脅威とならない」など三つの点で「共通の土台」があることを強調し、それを生かして両国関係の前向きの打開をはかることを呼びかけたものでしたが、一昨年、日中両国政府の双方から肯定的な受け止めが表明されました。昨年、中国側との話し合いはどうなっているのでしょうか。

 志位 中国共産党、中国大使館との話し合いを行っています。「東アジア平和提言」の内容を伝え、こうした意見交換は有益だとなり、続けることにしています。

 昨年6月、緒方靖夫副委員長は、中国上海の復旦大学日本研究センターの招きで訪中し、同センター主催の学術交流会で基調報告を行い、「東アジア平和提言」の内容を紹介しました。両国関係の前向きの打開のための三つの「共通の土台」を強調するとともに、尖閣諸島問題、台湾問題、歴史問題での「提言」の内容を紹介しました。

 討論では、緒方さんの報告の内容にかかわって、中国側の政策と立場が語られました。同時に、「提言」については全体として肯定的評価が語られました。司会を務めた日本研究センター所長は、「きわめて重要な提言を紹介してもらいました。尖閣と台湾については賛成しないけれども、異なる意見があっても、それを含めて対話をすることが大切です。このような交流をさらに発展させましょう」とコメントしました。

 わが党と中国の党の間には、大きな意見の違いが存在します。同時に、中国は、世界で重要な役割を担っている隣国であり、対話をとぎれなく続けていくことが大切だと思います。さまざまなレベルで、言うべきことを言いつつ、両国関係が良い方向に向かうよう、対話を続けていきたいと考えています。

朝鮮半島問題――非核化を断固追求しつつ、平和体制構築を一体的に

 西沢 朝鮮半島問題についてうかがいます。「東アジア平和提言」は、困難は大きなものがあるが、軍事的対抗の悪循環から対話による平和的解決への方向転換をはかることが急務として、2018年~19年の南北、米朝首脳会談の教訓を踏まえて、朝鮮半島の非核化と平和体制の構築を一体的、段階的に進めることが、唯一の現実的方法だと強調しています。

 志位 私たちは、この間、「提言」をもとに、国内外の専門家と朝鮮半島問題についても話し合ってきました。共通した結論は、たいへんに困難だが、「提言」の方向が唯一の筋のとおった解決方向だということでした。

 この問題に精通している韓国のある政治家は、昨年、私との会談のなかで、次の3点を強調しました。(1)北朝鮮を事実上の核保有国として扱うのは非常に危険だ。北朝鮮は核保有国だと主張するが、断固として拒否しなければならない。(2)困難ななかでも交渉をしっかりとやって朝鮮半島全体の非核化につなげるべきだ。(3)戦争状態を終わらせ、地域の平和体制を構築すべきだということを支持する。

 トランプ氏が米国次期大統領に選出され、バイデン大統領とは違った対応をとることが予想されるもとで、朝鮮半島の非核化を断固として追求しつつ、それと一体に平和体制を構築する、合意できたものから段階的に実施する、こうした「提言」の立場がいよいよ大切になってくると思います。

 日中関係でも、朝鮮半島問題でも、軍事を絶対に選択肢にしてはなりません。解決の道は外交しかありません。「提言」にもとづいて可能な外交努力を行う決意をのべるとともに、平和構築に向けた国内外の世論を起こしていくことを呼びかけるものです。

ガザへのジェノサイドを止める――連帯したたたかいを急速に強めよう

 小木曽 「東アジア平和提言」では、ガザ危機とウクライナ侵略を、国連憲章・国際法を最大の基準にして解決することを訴えています。打開の方向をお話しください。

 志位 ガザへのジェノサイドを止めるためにいま何より重要なのは、国際世論による包囲の輪を強めていくことです。

 この間、国連総会では即時停戦を求める決議、パレスチナ国家の国連正式加盟を支持する決議、占領の1年以内の終了を求める決議が圧倒的多数で可決されています。国際司法裁判所(ICJ)は、ガザでのジェノサイド防止を求める暫定措置を発表し、国際刑事裁判所(ICC)はイスラエル首相らに逮捕状を出しました。

 世界の市民社会が虐殺と占領を止めるために連帯を強めることに力をそそぎたい。私も、この間、ベルリンの国際平和会議、プノンペンのアジア政党国際会議で、「ストップ・ジェノサイド」の連帯を訴えましたが、ヨーロッパでもアジアでも「虐殺と占領をやめよ」という大きなうねりが起こっていることを肌身で感じました。

 西沢 これだけの国際的な批判を浴びても、イスラエルはガザ住民の「最後の頼みの綱」といわれている国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の活動を今年1月から禁止するという暴挙に出ています。イラン、レバノン、シリアを攻撃し、戦火を中東全体に広げつつあります。

 志位 なぜイスラエルが無法をやめないのか。アメリカがイスラエルへの軍事援助を続けているからです。アメリカの軍事援助がなければ、イスラエルは一日たりとて無差別攻撃を行うことはできない。この根本に迫るたたかいが重要です。

 日本政府の立場が問われています。日本政府は、国連総会での即時停戦決議案、占領終結決議案などに賛成しています。ならばイスラエルによる無法を本気で止めるために行動を起こすべきです。何よりもアメリカにイスラエルに対する軍事支援を「やめろ」と迫るべきです。日本でのたたかいを緊急に強めることを心から訴えます。

ウクライナの流血を終わらせ、「公正な和平」を実現するために

 小木曽 ウクライナ侵略開始から3年近くになろうとしています。この間、さまざまな和平交渉の提案がなされていますが。

 志位 昨年、8月にベルリンで行われた国際平和会議で、私は、ウクライナの流血を終わらせるために、国際社会に「和平協議に道を開くあらゆる努力」を求めるこの国際会議のイニシアチブに強く賛同することを表明しました。この戦争は戦場で決着することはなく、交渉による停戦・和平の道しかありません。そのさい二つの点が重要になることを訴えました。

 一つは、和平は、国連憲章、国際法、ロシアによる侵略を非難し、即時撤退を求める4度にわたる国連総会決議にもとづく「公正な和平」であるべきということです。「国連憲章を守れ」の一点で世界の圧倒的多数の国ぐにが団結することこそ、この戦争を終わらせる道だということを訴えました。かりに和平交渉が開始されたとして、国連決議にそった「公正な和平」の実現までには時間差があるかもしれませんが、この目的をあいまいにしてはならない。これがわが党の立場です。

 もう一つは、「公正な和平」を阻んでいるものは何かという問題です。米国などG7(主要7カ国)の側の最大の問題点は、「ダブルスタンダード」にあります。ロシアを非難するが、イスラエルを擁護する。これこそが国際社会の団結の最大の障害になっています。私は、ベルリンの国際平和会議で次のように訴えました。

 「ウクライナ人、パレスチナ人、イスラエル人の命に異なる価値をつけることで、どうして世界が団結できるでしょうか。誰に対してであれ、国連憲章と国際法は、平等に適用されなければなりません」

 トランプ氏の再登板はウクライナ戦争にも影響を与えることが予想されますが、それだけに原則的立場の主張がいよいよ重要になってくると考えます。

被爆80年の年に「核兵器のない世界」への前進を――「人道的アプローチ」が大きなカギ

被爆者の声が世界を圧し、世界を動かした

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(写真)NPT再検討会議に出席・発言した(右から)谷口稜曄さん(故人)と児玉三智子さん(現被団協事務局次長)らと交流する日本共産党の志位和夫委員長(当時、右から4人目)と笠井亮国際委員会副責任者(当時は衆院議員、その左)=2010年5月2日、ニューヨーク市の国連本部前

 小木曽 日本被団協のノーベル平和賞受賞に、日本国民は喜びでわきにわきました。議長自身はどのように受け止めましたか。

 志位 私も喜びで熱いものがこみあげてきました。授賞式での田中熙巳(てるみ)被団協代表委員の講演にも深く心を揺さぶられました。

 私は、これまで国際舞台で、被爆者の方々とご一緒に活動する機会が何度かありましたが、被爆者の声がいかに巨大な力をもつか、「被爆者の声が世界を圧し、世界を動かした」という場面を何度も目にしてきました。

 2010年のNPT再検討会議で、被団協を代表して長崎の被爆者・谷口稜曄(すみてる)さんが、原爆で赤く焼けただれた背中の写真を微動だにせず高く掲げ続けて「私を最後の被爆者に」と訴えたことは、会場を埋めた各国代表に大きな感銘をあたえ、この会議での大きな成果へとつながりました。

 2017年の核兵器禁止条約の国連会議で、被団協を代表しての広島の被爆者・藤森俊希さんの「同じ地獄をどの国のだれにも絶対に再現してはならない」との訴え、広島の被爆者でカナダ在住のサーロー節子さんの「この条約は世界を変えるし、変えられます」との訴えは、議場を圧し、割れんばかりの拍手がわき起こりました。核兵器禁止条約の成立という歴史的成果への巨大な後押しとなった光景は忘れられません。

「人道的アプローチ」が、核固執勢力を追い詰める大きな力を発揮している

 西沢 被爆者の訴えが、世界の核軍縮交渉にどういう影響をあたえていったのかについて、お話ししていただければと思います。

 志位 私がとくに強調したいのは、被爆者が痛苦の体験をもって、核兵器が人類と共存できない究極の悪の兵器だと訴え続けてきたことが、核軍縮交渉に「人道的アプローチ」と呼ばれる新たな観点をもたらしたということです。つまり、それまでもっぱら安全保障の観点から行われてきた核軍縮交渉を、核兵器の非人道性に光をあてた議論――いわば生きた人間の血が通った議論へと発展させたのです。

 その大きな契機となったのが2010年のNPT(核不拡散条約)再検討会議でした。この会議は、核兵器禁止条約への重要な一歩をしるした会議となりましたが、同時に、最終文書で、核使用が「人道上壊滅的な結果」をもたらすと強く警告し、はじめて核兵器の非人道性に言及した会議ともなりました。

 小木曽 被爆者の声がはじめてNPTの最終文書に盛り込まれたのですね。

 志位 そうです。この合意を踏まえて、2013~14年、ノルウェー、メキシコ、オーストリアで、3回にわたって「核兵器の人道的結末に関する国際会議」が開催され、核兵器の非人道性が国際社会の共通の認識となっていきました。この流れをうけ、2015年の国連総会で、「人道的アプローチ」の流れにそった四つの決議が採択されるとともに、「核兵器のない世界」の実現のための「効果的な法的措置」を探求するオープンエンドの作業部会を設置することが決まり、2017年の核兵器禁止条約の成立につながっていきました。

 2024年の国連総会で、核戦争の結果を最新の科学的知見で明らかにすることをめざす新しい決議案「核戦争の影響と科学的研究」が圧倒的多数で採択されたことは、核兵器をめぐる現在の危機的事態を打開し、「核兵器のない世界」にすすむうえで大きな力になるものです。

 「人道的アプローチ」は、「核抑止力」論に対する根本的批判となり、核兵器に固執する勢力を追い詰めていく大きな力となっています。なぜならば「核抑止力」論とは、いざとなったら核を使用する――広島・長崎のような非人道的惨禍を引き起こすことを前提とした議論だからです。

 日本政府は、核兵器の非人道性を認め、昨年の国連決議にも賛成しました。しかし、米国いいなりに「核抑止力」論をたてに、核兵器禁止条約に背を向け続けている。これは根本的に矛盾している。核兵器の非人道性を訴えるならば、「核抑止力」論の呪縛を吹き払って、核兵器禁止条約に参加せよ。被爆80年の今年、この声を大きく広げていきたいと思います。

戦後80年――負の歴史を清算する世界史的うねりのなか、日本の姿勢が問われる

“三つの重要文書”の核心的内容を継承し、ふさわしい行動をとる

 小木曽 今年は、戦後80年。日本が過去の侵略戦争と植民地支配にどう向き合うかが問われてきます。党の基本姿勢をお話しください。

 志位 日本政府は1990年代に、歴史問題について“三つの重要文書”を明らかにしています。「植民地支配と侵略」への反省を表明した95年の「村山談話」、日本軍「慰安婦」問題について、軍の関与と強制性を認め、反省を表明した93年の「河野談話」、韓国に対する植民地支配への反省を表明した98年の「日韓共同宣言」です。これらは歴史問題に対する到達点として国内外から評価されてきました。

 それを逆行させたのが戦後70年に出された「安倍談話」でした。歴史問題はもう解決ずみだ、これからは謝罪だの反省だのは言わないようにしよう、“三つの重要文書”を事実上お蔵入りにしてしまおう、これが「安倍談話」でした。この10年間は、「安倍談話」の線でことがすすめられ、それが日本軍「慰安婦」問題でも、「徴用工」問題でも、解決の重大な障害になってきました。

 西沢 これからは反省を言わないというのは、加害国の言うことではありませんね。

 志位 そうです。反省を未来の世代まできちんと引き継いでこそ、本当の友好をつくることができます。「東アジア平和提言」では、戦後80年にあたって、「安倍談話」による逆行を清算し、“三つの重要文書”の核心的内容を継承し、それにふさわしい行動をとることを求めています。その重要性が国民共通の認識となるよう力をつくしたいと考えています。

英連邦首脳会議で奴隷貿易問題での前向きの合意――世界は大きく動いている

 西沢 世界に大きく目を向けてみると、植民地支配と奴隷制度の責任を過去にさかのぼって明らかにし、謝罪を求める大きなうねりが広がっていますね。

 志位 そうです。大会決定では、オランダ、ベルギー、ドイツ、メキシコなどの政府から、過去の植民地支配と奴隷制度への公式の謝罪が行われたことを列記しています。2001年9月に発せられた国連「ダーバン宣言」は、「植民地支配が起きたところはどこであれ、いつであれ、非難され、その再発は防止されなければならない」「奴隷制と奴隷貿易は、人道に対する罪である」と明記しましたが、それから20年をへて、人類史は着実な進歩を見せている。ここにも世界の構造変化の力が働いています。

 この点で、昨年10月、南太平洋のサモアで開催された英連邦首脳会議(英国と英国の旧植民地など56カ国加盟の連合体)の動きは注目です。アフリカやカリブ海地域諸国の主張を受け、全参加国が署名し採択された「サモア声明」で、「ダーバン宣言」の重要性を確認したうえで、奴隷貿易の被害国への補償について協議を始めることが明記されたのです。

 西沢 世界は、たとえ数世紀前の出来事であっても、過ちは過ちとして清算するという方向に動いているのですね。

 志位 そうです。この問題に「時効」はないのです。そうした世界史的なうねりのなか、日本政府の姿勢が問われます。戦後80年にあたって、日本の政治もこうした道理ある方向に動くよう、侵略戦争と植民地支配に命がけで反対を貫いた党として奮闘していきたいと思います。

「個人」「市民社会」が平和をつくる主体に――草の根からの運動で平和をつくろう

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(写真)「いま東アジアの『平和の準備』をどう進めるか」と題したシンポジウム。左からパネリストの纐纈厚、志位和夫、佐々木寛の各氏=2024年7月24日、東京・明治大学駿河台キャンパス

 小木曽 お話をずっとうかがって、「平和をつくる主体」として、個人の役割、市民社会の役割が大きくなる時代が来ているように思います。この点で、昨年7月に全国革新懇などの主催で行われたシンポジウム「いま東アジアの『平和の準備』をどう進めるか」の討論に注目しました。

 志位 私自身、あのシンポジウムでは学ぶところが多かったです。私は、東アジアに平和構築をしていくうえで、草の根の運動の重要性を訴えたのですが、討論では、「平和をつくる主体は何か」が焦点となりました。

 室蘭工業大学教授の清末愛砂さんは、「個人」の役割、「個人の尊厳」を強調されました。戦争に向かわない社会をつくろうとすれば、社会を構成する個人が他に対する暴力や支配の考えに依拠しない個人でなければならないし、社会にはそうした個人を育てていくことが求められるというお話でした。新潟国際情報大学教授の佐々木寛さんは、世界のさまざまな「市民社会」の動きを紹介して、「平和をつくる主役」として、「地域に根差した市民社会のネットワーク」の重要性を強調されました。

 私は、お二人の発言に強く共感しますと発言しました。この間の動きは、言語に絶する苦しみを体験した一人ひとりの被爆者の発言――「個人」の発言がどんなに大きな力を発揮するかを示しました。平和や人権をつくる主体として、NGOの役割が急速に高まっています。国連経済社会理事会との協議資格をもつNGOは、1945年には41組織だったのが、いまでは6343組織に増加しています。さらに世界には1000万前後のNGO組織があり、約5000万人が働いているとのことです。

 西沢 討論では、ジェンダー平等と平和が一体だということも深められましたね。

 志位 はい。ガザでの犠牲者の7割は女性と子どもです。それは「女性に対する戦争」とまで言われています。同時に、真の意味でのジェンダー平等社会ができたら、つまり人間が人間を支配するような権力的関係がなくなる社会になったら、それは戦争のない平和な社会になるという展望をもつことができると思います。

 一人ひとりの「個人」、その力をあつめた「市民社会」が、各国政府とともに、平和をつくる主体になっている。ジェンダー平等と平和を一体に追求することの重要性に光があてられている。そういう時代を迎えていることをふまえて、「東アジア平和提言」を手に、草の根からの運動を大いに発展させ、アジアと世界の平和をつくるために奮闘しようではありませんか。

「日本共産党はなぜ102年間続いたか」の問いに答えて

最も困難な時代に先輩たちを支えたもの――科学的社会主義への世界観的確信

 小木曽 今日、もう一つ、お聞きしたいのは、私たちの世界観――科学的社会主義の問題です。議長は、「毎日」のインタビューのなかで、「私たちの戦いは資本主義との戦いです。それが人類が最後に到達した理想の体制だとは思っていない」「その時々の資本主義のゆがみと戦ってきたからこそ共産党は102年(今年で103年)続いている」「資本主義が行き過ぎた今、我々の出番です」とのべています(12月9日付夕刊)。日本共産党の存在意義ここにありと、新鮮な感動をもって受け止めました。

 志位 実は、あのインタビューで、私に投げかけられた質問は、「日本共産党が102年続いている理由を一言でお願いします」というものでした。私は、党創立100周年記念講演などで、100年続いた理由として「不屈性」「自己改革」「国民との共同」を強調したこともありましたが、「一言で」と言われたのでいろいろ考えて、こうお答えしました。

 「日本共産党という党は、その名が示すように、資本主義という体制を人類が到達した最後の体制と思っていません。人類はこの矛盾と苦しみに満ちた体制をのりこえて、その先の社会――社会主義・共産主義に進む力をもっている。この信念・確信を、日本共産党は、どんな苦しい時代にも、ひと時も失ったことはないのです。それが102年続いた理由です」

 小木曽 なるほど。

 志位 たとえば、戦前の苛烈な弾圧のもとで、私たちの先輩たちのたたかいを支えたものは何だったか。反戦平和と民主主義を貫いて12年の投獄をたたかいぬき、戦後の党の発展にも大きな足跡を残した宮本顕治さんは、「獄中12年の支えとなったものは」との問いに、「一口にいえば、共産主義の原理に深い確信をもっていたから」だ、「社会発展の法則が、たとえ共産党が弾圧されようが組織がこわされようが、かわらず発展していくんだという確信」だったと答えています。

 あらためて宮本さんの暗黒政治のもとでの公判記録(1944年)を読んでみますと、宮本さんは法廷で、「我々の究極の目的は社会の必然的発展を促進」することにあるとのべたうえで、日本の歴史の発展について、原始共同体、奴隷制、封建制、資本主義と、スケール大きく諄々(じゅんじゅん)と語り、資本主義の矛盾を解決するために社会主義を追求していると語り、「このような矛盾を排除するための行為は刑法の道義的観念に照らして罰せられるべきものではない」と喝破しています。

 西沢 まるで法廷が歴史学の教室に変わったかのような……。

 志位 堂々たる弁論の展開です。私は、この間、戦前、迫害と不屈にたたかい、24歳の若さで命を落とした4人の女性党員――飯島喜美、伊藤千代子、高島満兎(まと)、田中サガヨについてそれぞれ話す機会がありましたが、どの先輩たちも科学的社会主義の古典を懸命に読み、自らの血肉にする努力をしていたことがとても印象的でした。

 社会発展の法則を明らかにした科学的社会主義への世界観的確信、資本主義の矛盾があるかぎりわれわれの事業は不滅だという確信こそ、どんな困難のなかでもたたかいの支えとなり、103年という党史を刻んだ根本的力だと思います。

欧州の新しい発展の動き――資本主義の矛盾があるかぎり私たちの事業は不滅

 西沢 いまのお話を聞いて、議長が、欧州歴訪の報告会で、「資本主義の矛盾があるかぎり、社会進歩をめざす運動は必ず起こり、必ず発展する」と強調されたことを思い出します。

 志位 それは欧州歴訪の強い実感でした。旧ソ連・東欧の崩壊によって、欧州の左翼・進歩勢力は大きな困難に直面しました。しかし、それから30年余たったいま、欧州を訪問してみますと、さまざまな発展の動きが起こっているのです。激動のなかで姿を消した党もありますが、新しく生まれた党もあり、新しく再生した党もある。困難ななかで前途を開くために苦闘している党もある。マルクス主義の立場に立って頑張っている党もあれば、そういう立場ではないが、それぞれなりの立場で資本主義を乗り越えた新しい社会をめざしている党もある。

 その全体の姿に接し、私は、資本主義の矛盾があるかぎり私たちの事業は不滅だという強い確信をあらたにしました。そして、格差拡大、気候危機など資本主義の矛盾が深まるなかで、いよいよ私たちの出番だということを感じました。

 日本共産党の前途を考えた場合、今後も山あり谷あり、さまざまな困難や曲折は避けられないでしょう。しかし、どんな状況のもとでも揺らぐことのない力を身につけること、私たちの事業の生命力・不滅性に対しての大局的な科学的確信をもつこと、そうした世界観を育んでいくことがいま大切ではないでしょうか。

「共産主義と自由」――理論と実践を大きく発展させる年に

どこに力を入れてまとめたのかのポイントについて

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(写真)『Q&A 共産主義と自由』

 小木曽 いまのお話ともかかわることですが、昨年は、「共産主義と自由」について新しい開拓を開始した年になりました。党大会決定で「人間の自由」と未来社会についてのまとまった解明が行われ、それを受けて民青主催の「学生オンラインゼミ」、それをまとめた『Q&A 共産主義と自由』、全国学習・教育部長会議での講義――「『自由な時間』と未来社会論――マルクスの探究の足跡をたどる」などの探求、それにもとづく学習と対話が開始されました。その理論的ポイントを短くお話しいただけませんか。

 志位 短くというのはなかなか難しいのですが、どこに力を入れてまとめたのかのポイントをお話しします。

 まず大会決定でも、『Q&A 共産主義と自由』でも力を入れているのは、「資本主義はほんとうに『人間の自由』を保障しているか」という問いかけです。ごく一握りの超富裕層とグローバル大企業が空前の繁栄を謳歌(おうか)する一方、労働者に賃金の押し下げ、不安定雇用、女性や少女に無償のケア労働を強いる社会が、自由な社会と言えるか。気候危機は、人類の生存の自由という、「自由」の根源的土台を危険にさらしているではないか。そうした問いかけから始めています。

 西沢 資本主義への批判的な問いかけが対話の入り口になるということですね。

 志位 そうです。青年・国民の生活の実態から出発して、こうした問いかけは無数にできるのではないでしょうか。

 そのうえで、『Q&A 共産主義と自由』では、「人間の自由」をキーワードにして、社会主義・共産主義の本当の姿について、三つの角度から明らかにしています。

 第一の角度は、「利潤第一主義」からの自由です。ここでは「生産手段の社会化」と「人間の自由」とが深く結びついていることに一つの力点をおきました。「生産手段の社会化」というと「人間不在の統制経済」を連想する方も多い。しかしそれはまったく違います。それは「自由な生産者が主役」の社会の実現に道を開くものです。それはまた、貧困や格差からの自由、恐慌や気候危機からの自由など資本主義の害悪からの自由を保障するものとなります。「人間の自由」が大きく拡大することを明らかにしました。

 第二の角度は、すべての人間の自由で全面的な発展を「基本原理」(マルクス『資本論』)とする社会だということです。自分自身がもっている力をのびのびと豊かに伸ばすことを願わない人はいません。万人が自由で全面的に発展できる社会はどうやったらつくれるか。マルクスは、1850年代~60年代の経済学の本格的研究のなかで、十分な「自由に処分できる時間」=「自由な時間」を得ることこそ、その最大のカギだということを突き止めていきます。昨年6月の講義「『自由な時間』と未来社会論」では、マルクスの探究の足跡を時系列でたどる作業をしてみました。

 第三の角度は、発達した資本主義国から社会主義・共産主義に進む場合には、「人間の自由」という点でも、計り知れない豊かな可能性があるということです。綱領では、発達した資本主義がつくりだし、未来社会に継承・発展させる、「高度な生産力」「自由と民主主義の諸制度」「人間の個性」などの「五つの要素」を明らかにしていますが、『Q&A 共産主義と自由』では、ただ「継承」させられるだけでなく、「発展」させられることに力点をおいて論じました。

 小木曽 全体が「共産主義には自由がない」という誤解への回答になっていますね。

 志位 そうです。ただ、そうした議論への反論から入るのでなく、共産主義こそあらゆる意味で人間の自由が豊かに花開く社会だということを攻勢的に論じるなかで、そうした誤解も解きほぐしていくという論じ方にしました。

このテーマでの対話の楽しさ――「価値ある生き方とは」「本当の富とは」が議論に

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(写真)教職員のつどいで質問に答えながら交流する志位和夫議長=2024年11月17日、名古屋市昭和区

 西沢 議長は、「高校生サマーセミナー」や、「あいち教職員のつどい」、ベルリンでの理論交流などでも、このテーマで対話をされています。一連の対話を通じて実感されていることをお話しください。

 志位 このテーマでの対話は実に楽しい、ということが実感です。「人間にとって本当に価値ある生き方は何か」「人間と社会にとっての本当の富とは何か」といった、深いところの議論になっていくのです。

 高校生との対話では「競争づけで自由な時間がない」という悩みが語られ、そこから日本の教育をどう変えていくかが議論になりました。教職員のみなさんとの対話では、「未来社会での教育の役割はどうなるのか」という質問が出され、「人格の完成」という資本主義のもとで人類が追求してきた民主主義的教育の大方向が、未来社会ではより豊かなものとして発展させられるだろうという展望を話しました。

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(写真)サマーセミナーで参加者と語り合う志位和夫議長。その左は坂井希青年・学生委員会責任者=2024年8月24日、党本部

 小木曽 このテーマでの対話をつうじて、人間の生き方、社会のかかえるさまざまな問題を深く考えるきっかけになるのですね。

 志位 そういう楽しさがあると思います。また、対話をつうじて、さらに理論的に頭の中が整理されてきた問題もあります。

 小木曽 どういうことでしょう。

「富とは何か」を考える――マルクスはとても豊かな捉え方をしていた

 志位 たとえば、「富とは何か」という問題です。一般に「富」といえば、労働がつくりだす物質的富――衣食住の諸条件も含めて――がまず頭に浮かびます。人間が生きていくうえでそれは前提条件であり、必要な物質的富がなければ人間らしい暮らしはなりたちません。

 同時に、物質的富さえあれば豊かな生活といえるでしょうか。収入があっても「働いて、食べて、寝るだけ」の生活では、人間らしい暮らしとはいえない。自分自身を豊かに伸ばすための、家族とのだんらんのための、社会的活動を行うための「自由な時間」があってこそ、本当に人間らしい暮らしといえるのではないでしょうか。マルクスは『資本論草稿』のなかで、「自由に処分できる時間こそ、社会と人間にとっての真の富」だという言葉をのこしています。

 さらに、「自由に処分できる時間」が生み出すものは何でしょうか。「人間の自由で全面的な発展」です。社会にとってこれ以上の富はあるでしょうか。ありません。社会は人間によって構成されているのですから。

 もう一つ、忘れてはならないのは、「自然」こそがあらゆる「富」の土台だということです。マルクスは、1875年に執筆した『ゴータ綱領批判』のなかで、「労働はすべての富の源泉」だという議論を批判し、「それは間違いだ。自然は、労働と同じように富の源泉だし、労働そのものが自然力の現われではないか」と語っています。

 このようにマルクスは、「富とは何か」について、とても豊かな捉え方をしています。労働がつくりだす物質的富、自由な時間、人間の自由で全面的な発展、そして自然そのもの――その総体を「富」として捉えていると思います。

 西沢 物質的富だけではないということが大事なところですね。

 志位 そう思います。逆に言えば物質的富があふれるように拡大しても、そのことによって、「自由な時間」、人間の発展、そして自然を犠牲にするようでは、本当に豊かな社会とは言えないということになりますね。

 マルクスは『ゴータ綱領批判』のなかで、「共産主義社会のより高い段階」で、「協同組合的富のすべての源泉がいっそうあふれるほど湧きでるようになる」という展望をのべていますが、ここで言われている「協同組合的富」とは、物質的富だけでなく、自由な時間、人間の全面的発展、そして豊かな自然、それらの全体についてのべていると読むべきではないかと考えています。

 小木曽 そういうことも含めて実に楽しい対話になると。

 志位 そう思いますよ。ぜひ今年も「共産主義と自由」にかんする学習と対話を、楽しく、豊かに、大いに広げていっていただきたい。それは、日本の民主的改革の事業に国民の多数を結集するうえでも、大きな力になることでしょう。

「賃上げと一体で、労働時間の短縮を」――「先決条件」とのマルクスの提起にこたえて

 小木曽 「自由な時間」の拡大は、未来社会ではじめて問題になることではなく、現在の日本での熱い焦点の一つです。党が「賃上げと一体で、労働時間の短縮を」という政策提起を行ったことも、昨年の大きな発展でした。

 志位 そう思います。これは何よりも国民の切実な要求になっています。昨年12月、「朝日」が、67職種の調査を行い、男性の労働時間が長い職種ほど、正社員として働く女性の割合が少ない傾向にあることを明らかにする記事を掲載しました。女性が育児と仕事の両立が難しいために非正規雇用を選ばざるをえない。長時間労働が、ジェンダー平等の大きな壁となっている。長時間労働をただし、労働者の自由な生活時間を豊かにすることは、みんなの願いであり、そのための運動に力を入れたいと考えます。

 同時に、この運動を国民全体のものにするためには、「そうはいっても賃金が下がるのでは」「人手不足のなかで難しい」などの疑問にこたえて、時短と賃上げは両立するし、労働条件を改善してこそ人手不足も解消する、それを実行する力を日本経済は持っていることなどを、丁寧に明らかにしていくことが大切だと思います。

 この問題がいかに大切か。『資本論』でも引用されているマルクスの次の言葉を紹介したいと思います。

 「われわれは、労働日の制限が、それなしには他のすべての〔改善と〕解放の試みがすべて失敗に終わらざるをえない先決条件であると言明する」(1866年、「インタナショナル(国際労働者協会)のジュネーブ大会の決議」から)

 西沢 「先決条件」とは重い言葉ですね。

 志位 労働者は、長時間労働に置かれたままでは、知的・精神的発達の道が閉ざされ、社会的交流や運動に参加することもできない、それではその解放をかちとることはできない。労働者階級の解放をなしとげようとすれば、労働時間の短縮は「先決条件」だ――このマルクスの提起は、現代日本にもそっくりあてはまるのではないでしょうか。そうした見地で、この運動を大いに発展させようではありませんか。

「新しい政治プロセス」――多数者革命を推進する党の真価を発揮する時

 小木曽 最後に、今年の日本のたたかいについて一言お願いします。総選挙の審判で生まれた情勢について、党は、国民が自民党政治に代わる新しい政治を模索し、探求する「新しい政治プロセス」が始まったととらえ、新たなたたかいにとりくむことを呼びかけています。

 志位 日本の情勢分析と活動方針については、1月10日~11日に開催される第4回中央委員会総会で明らかにすることになります。私は、「新しい政治プロセス」を前進させるうえでの日本共産党の役割を、党大会決定に立ち返って一言のべておきたいと思います。

 大会決定は「多数者革命と日本共産党の役割」という項で、「多数者革命のなかで共産党は何をやるのか」と問いかけ、“あらゆる社会変革において、その主体となるのは、主権者である国民であって、国民の多数が、自らの置かれている客観的立場を自覚し、どこに自分たちを苦しめている根源があるのか、日本の進むべき道は何かを自覚してはじめて、社会変革は現実のものとなる、不屈性と先見性を発揮して、国民の自覚と成長を推進し、多数者を結集することに日本共産党の役割がある”とのべています。

 いままさに、そのような真価を党が発揮すべき時だと思います。自公の過半数割れという新しい状況で、暮らしでも平和でも国民の切実な要求実現のたたかいをおこし、国民とともにたたかいを前進させるという政治姿勢を堅持して奮闘していきたい。同時に、国民を苦しめている根源に、「企業・団体献金をテコにした財界中心政治」「日米同盟絶対の政治」があることを明らかにし、このゆがみをただしてこそ希望ある新しい政治への道が開かれてくることを語っていくことは、わが党に課せられた重要な仕事と肝に銘じてがんばりたい。

 この仕事をやりぬくならば、党の新たな躍進への道が必ず開けてくる。そういう確信と展望をもち、都議選・参院選勝利のために力をつくし、強く大きな党づくりを成功させる年にしていきたいと決意しています。

 小木曽、西沢 長い時間、ありがとうございました。

 
 

激動の世界 希望ある未来(1)

2025年01月01日 17時16分50秒 | 一言

志位議長が大いに語る

 2025年新春にあたって、志位和夫中央委員会議長に、「激動の世界 希望ある未来」と題して、国際問題、理論問題を中心に聞きました。聞き手は、小木曽陽司・赤旗編集局長と西沢亨子・同次長(論説委員会責任者)。

はじめに――激動の1年を振り返って、新年の抱負を語る

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(写真)志位和夫議長の新春インタビュー。聞き手は小木曽陽司赤旗編集局長(中央)と西沢亨子同局次長(右)

 小木曽、西沢 あけましておめでとうございます。

 志位 あけましておめでとうございます。

 小木曽 議長は、昨年1月の第29回党大会いらい、「東アジア平和提言」、欧州歴訪、アジア政党国際会議への参加など旺盛な外交活動、「共産主義と自由」「自由な時間と未来社会論」の解明など、理論分野での精力的な活動、総選挙結果がつくりだした「新しい政治プロセス」を前にすすめるたたかいの提起など、党活動のさまざまな分野で先頭に立ってこられました。1年を振り返って強く感じていること、新年の抱負をまずうかがいます。

情勢の大激動のなかで、綱領と党大会決定の生命力が躍動している

 志位 まず、能登地震から1年、亡くなられた方々への深い哀悼と、被災された方々への心からのお見舞いをのべるとともに、党として復旧・復興に引き続き全力をつくす決意を申し上げます。

 「しんぶん赤旗」読者のみなさんの日ごろのご協力に心から感謝いたします。昨年10月の総選挙は悔しい後退となりましたが、教訓をしっかりと明らかにし、都議選、参院選では必ず前進に転じる決意をのべたいと思います。

 昨年を振り返っての強い実感は、一言で言いますと、情勢の大激動のなかで、党綱領と科学的社会主義、そして党大会決定の生命力が躍動しているということです。

 党大会決定では、「自民党政治の全体が末期的な状況におちいっている」とのべ、腐敗政治、経済無策、戦争国家づくり、人権後進国、あらゆる面で自民党政治が出口なしの政策破綻におちいっていることを暴き出しましたが、そのことは総選挙での自公過半数割れという国民の審判によって証明されました。共産党と「赤旗」の奮闘で情勢が一歩前に大きく動きました。

 党大会決定では、東アジアの平和構築をはかる党の「外交ビジョン」をさらに発展させることを決め、4月17日、「東アジア平和提言」を発表し、この「提言」をもって、国内でも、アジアでも、欧州でも、対話と交流を行ってきましたが、どこでも私たちの「提言」が歓迎され、響き合ったことはうれしいことです。

 党大会決定では、綱領のめざす未来社会について、三つの角度から「人間の自由」が花開く社会という特徴づけを行いましたが、「共産主義と自由」について学び、語り合う運動が始まり、共感が広がりつつあります。私たちの事業の前進をかちとる新たな鉱脈を発見した思いです。

 今年を、これらの流れをさらに発展させ、平和でも暮らしでも明るい希望が見えてくる年にしていきたいと決意しているところです。

新しい指導体制の1年について

 西沢 党大会で新しい指導体制がつくられてから1年がたちました。新しい指導体制のなかで議長の役割、田村智子委員長との役割分担、議長として心がけてきたことなどもぜひお話しください。

 志位 国政の代表者は、田村委員長が担い、この1年間、新しいことに次々と挑戦し、立派な働きをしていると思います。田村さんならではの魅力が生き生きと発揮され、新鮮な期待が大きく広がっているのではないでしょうか。とてもうれしく頼もしく思っています。

 私は、議長として、党活動の全体に責任をもつということでやってきました。とくに任務分担を決めているわけではありませんが、自然体で任務分担が行われているのではないかと思います。ひきつづき持てる知恵と力をつくしていきたいと思います。

2025年の世界をどうとらえ、どう働きかけるか

ブロック対立、軍事対軍事のエスカレート――この先に決して平和は訪れない

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(写真)インタビューにこたえる志位和夫議長

 小木曽 今日、まとまってお聞きしたいのは、どうやってアジアと世界の平和をつくっていくのかという問題です。世界を見ると、ウクライナとガザでの戦乱が続き、軍事対軍事の対立が深まっています。一方で、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)のノーベル平和賞受賞などのうれしい出来事も起こりました。2025年の世界をどうとらえ、どう働きかけていくのか。

 志位 いまの世界を見ますと、たしかに深刻な逆流が強まっている、この現実から、目をそむけるわけにはいきません。ウクライナ侵略を契機として、ブロック対立、軍事対軍事の危険なエスカレートが起こっています。

 アメリカが、ユーラシア大陸の東と西で、軍事同盟強化を加速させています。東アジアで、「対中国」の軍事包囲網づくり――日米、米韓、米豪などの軍事同盟強化の動きを進め、日本はその最前線に立たされています。欧州でも、北大西洋条約機構(NATO)が欧州を覆う勢いで拡大し、大軍拡が進められています。そして、アメリカは、「統合抑止」の名のもとに、東西の同盟国を一つに結びつけようとしています。NATO軍が日本にまで来て演習し、自衛隊が欧州にまで行って演習する。“軍事同盟のグローバル化”が進められていることは、きわめて重大です。

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(写真)インタビューする小木曽陽司編集局長

 小木曽 ロシアや中国の側の動きもあります。

 志位 そうですね。ロシアがウクライナ侵略を続ける。中国が力での対抗を強化する。ここにも情勢悪化のもう一つの要因があります。ロシアと北朝鮮が昨年6月、「包括的戦略パートナーシップ条約」――相互の軍事援助の取り決めを結びました。北朝鮮軍がウクライナ戦争に投入されていることは、違法な侵略戦争への国際的加担という点でも、北東アジアの緊張を高める点でも、二重に危険な動きです。中国が東シナ海などで力による現状変更の動きを続けていることが、情勢の緊張をつくりだしていることも指摘しなければなりません。

 双方が対抗しあい、軍事対軍事の危険な悪循環をつくりだしている。この先に平和は決して訪れません。この危険と正面から立ち向かうとりくみは今年の急務です。

とうとうたる平和の本流が着実に前進している――この流れを前に進める年に

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(写真)インタビューする西沢亨子赤旗編集局次長

 西沢 石破首相などが「日本をとりまく安全保障環境は戦後最も厳しい」と繰り返すもとで、「21世紀になっても世界は真っ暗か」という声も少なくありません。

 志位 首相のそうした決まり文句に対しては、米国言いなりで自公政権が大軍拡を進めていることが、世界とアジアの安全保障環境を悪化させる片棒をかついでいる、その自覚がないのが問題だということをまず言いたいですね。

 西沢 自分自身が情勢悪化の一因だと。

 志位 そうです。そのうえで強調したいのは、「日米同盟絶対」でアメリカの方ばかり見ずに、世界に広く目を向けるならば、とうとうたる平和の本流が着実に前進している姿がはっきりと見えてくるということです。

 第一は、対話と包摂で平和をつくる、平和の地域協力の流れが発展をみせていることです。なかでもASEAN(東南アジア諸国連合)の発展の足取りは着実です。昨年10月、ラオスでASEANの首脳会議や東アジアサミット(EAS)など一連の会議が開かれましたが、EASの議長声明で「対抗ではなく対話と協力の文化を確保する」「包摂的な形で平和、安定と豊かな発展を可能にする環境を推進する」などが盛り込まれたことは注目されます。

 第二は、核兵器禁止条約が発効し、「核兵器のない世界」をつくる大きな希望となっていることです。昨年末に行われた日本被団協へのノーベル平和賞の授賞式には、ノルウェーで国をあげての祝福が寄せられました。

 第三は、ジェンダー平等など人権問題での前進がつくられ、奴隷制と植民地支配に対する歴史的清算の流れが発展していることです。この流れにどう向き合うかは、戦後80年の今年、日本の政治に鋭く問われることになるでしょう。

 今年、2025年が、世界とアジアの人々と連帯して、これらの平和の本流を前に進める年になるよう、知恵と力をつくしたいと思います。

対話と包摂で平和をつくる――「東アジア平和提言」を力にして

「外交ビジョン」から「東アジア平和提言」へ――どういう発展があったのか

 小木曽 まず平和の地域協力の流れにかかわって、議長が昨年4月17日に発表された「東アジアの平和構築への提言」についてうかがいます。日本共産党は22年1月の党旗びらきで、大軍拡に対する平和的対案として、東アジアに平和をつくる「外交ビジョン」を提唱し、実現のために力をつくしてきましたが、それをさらに発展させたのが「東アジア平和提言」ということですね。どういう発展があったのかお話しください。

 志位 「東アジア平和提言」では、この間の情勢の進展、23年12月に行った東南アジア3カ国歴訪(インドネシア、ラオス、ベトナム)の成果を踏まえて、「外交ビジョン」を大幅にバージョンアップし、「三つの柱」からくみたてました。

 第一の柱は、ASEANと協力し、ASEANインド太平洋構想(AOIP)の実現を共通の目標とし、東アジアサミット(EAS)を活用・強化して、東アジアを戦争の心配のない地域にしていくことです。

 第二の柱は、北東アジアの諸問題――日中関係、台湾問題、朝鮮半島問題、歴史問題などの外交的解決をはかり、将来的に、東アジア平和共同体をめざすことです。

 第三の柱として、ガザ危機とウクライナ侵略を、国連憲章・国際法を最大の基準にして解決することを、東アジアの平和とも深くかかわる大問題として、位置づけました。

 最後に、「提言」では、東アジアの平和構築のための国民的・市民的運動を呼びかけました。各国政府・政党・市民社会の共同のとりくみを強め、草の根から平和の声を広げ、東アジアの平和構築という大事業をやりとげようという呼びかけです。

 西沢 とても包括的な内容ですが、「提言」を貫く根本的な考え方は、端的に言えばどのようなものなのでしょうか。

 志位 端的に言えば二つです。一つは、外交の可能性をとことん追求し、対話による平和構築に徹していること。もう一つは、あれこれの国を排除する論理をしりぞけ、すべての関係国を包摂して平和を創出する立場を貫いていることです。

 西沢 対話と包摂で平和をつくるということですね。

 志位 そうです。軍事に頼らない平和構想ということが肝心なところです。そして、「提言」は机上でつくったものではない。東南アジアを何度も訪問し、内外の実践と知恵に学び、練り上げてきたものだということを強調したいと思います。

欧州訪問での響き合い――「新たなブロック対立を防がなければならない」

 小木曽 「提言」は日本国内にとどまらず、世界にも発信されました。8月末から9月初めにかけての欧州歴訪(ドイツ、ベルギー、フランス)の機会にも、「提言」を紹介され、とても響き合ったというお話でした。

 志位 「東アジア平和提言」の英語版をどっさり持っていって活用しました。ローザ・ルクセンブルク財団主催のベルリン国際平和会議での発言、左翼・進歩諸党との一連の会談のなかで、「東アジア平和提言」を紹介し、ブロック政治に反対し、包摂的な平和の枠組みを発展させることこそ平和をつくる大道だと訴えました。欧州でも、ウクライナでの流血を終わらせ、平和と安定を確かなものとするためには、困難はあっても、欧州安全保障協力機構(OSCE)のようなロシアも含めて欧州のすべての国を包摂する平和の枠組みを再活性化させることが大切になってくるのではないかと話しました。

 西沢 ヨーロッパで東アジアの問題がどう受け止められましたか。

 志位 距離的には遠く離れた欧州で理解してもらえるかは、率直にいって不安もありました。しかし、驚くほど響き合うものがありました。

 まず、私たちが、欧州での軍事同盟強化と大軍拡の動きを強く心配していますと話しますと、先方からも、「憲法9条をもつ日本で大軍拡が起こっているのはなぜなのか」などの心配の声がたくさん寄せられます。私たちは、共通の危険に対峙(たいじ)している。ならば国際連帯が必要だ。これはすぐに合意になります。それでは平和の対案は何かと考えると、ブロック政治に反対し、対話によって包摂的な平和の枠組みをつくる以外にないということになります。

 ベルリンの国際会議で採択された「呼びかけ文」には、ウクライナ戦争終結のための和平交渉の呼びかけとともに、「私たちはいま行動し、新たなブロック対立を防がなければならない」という一文が修正・補強される形で新たに明記されました。

 左翼・進歩諸党との一連の会談でも、どこでも認識の一致がえられました。欧州左翼党のワルター・バイアー議長とは、ベルリンとブリュッセルで2度、会談する機会がありましたが、私が、「東アジア平和提言」の立場を話しますと、あなたがたの外交論に完全に同意します、との答えが返ってきました。さらにバイアー議長は、OSCEについて、あるべき平和秩序の中心にすえられるべきと語りました。

 小木曽 ブロック対立に大陸全体が引き裂かれている欧州でも「提言」が受け止められたということですね。

 志位 そうした対立がいかに有害かをウクライナ戦争で目の当たりにしているからこそ、ASEANが進めているような包摂的な平和の枠組みをつくることの重要性が深く理解されたのではないか。これが実感でした。

アジア政党国際会議――「東アジア平和提言」の方向が2回連続で「宣言」に

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(写真)「東アジア平和提言」を紹介しながら発言する志位議長=2024年11月22日、プノンペン(面川誠撮影)

 小木曽 昨年11月には、カンボジアのプノンペンでアジア政党国際会議(ICAPP)第12回総会が開かれました。ここでも大きな成果がありました。アジアの与党、野党が立場の違いを超えて一堂に会した国際会議で、党が主張する“対話と包摂で平和をつくる”という大方向が「プノンペン宣言」に明記されたという報告に、たいへんに感動しました。

 志位 私がとても重要と思うのは、そうした内容がICAPP総会の「宣言」に盛り込まれたのは、2022年11月にトルコ・イスタンブールで行われた総会での「宣言」につづいて2度目となったということです。

 イスタンブールでの総会で、わが党代表団は、東アジアに平和をつくる「外交ビジョン」の重要性を訴え、「イスタンブール宣言」には、「ブロック政治を回避し、競争よりも協力を重視する」という大方向が明記されました。

 これにつづくプノンペンでの総会でも、わが党代表団は、「東アジア平和提言」のコンセプトが「宣言」に盛り込まれるようにと奮闘しました。「プノンペン宣言」には、“対話と包摂で平和をつくる”という大方向が明記されました。「宣言」は、この大陸での大国間の対立の強まりに強い警鐘を鳴らすとともに、「対話」と「包摂性」の重視という具体的内容を踏み込んで明記しています。これは「ブロック政治の回避」を記した「イスタンブール宣言」をさらに発展させたものとなりました。

 西沢 「2度続けて」というのは、「たまたま」ではないということですね。

 志位 そうですね。偶然何かの拍子で入ったものではない。ICAPPという国際会議は、アジアで活動する政党に、与野党の区別なく、イデオロギーの違いを超えて開かれた、超党派の平和のフォーラムです。そうしたフォーラムで、2度続けて、わが党の「外交ビジョン」「東アジア平和提言」のコンセプトを反映した内容が、総会の「宣言」に盛り込まれたことは、わが党の外交方針が、アジア大陸で起こっている平和の本流と深く共鳴しあう生命力をもっていることを示すものとなったと思います。

包摂的な枠組み、非同盟・中立、核抑止と決別――ここにこそ世界の本流がある

 小木曽 お話を聞いていると、「東アジア平和提言」は、東アジア地域にとどまらず、国際的普遍性をもっているように思います。その背景には世界のどういう変化があるのでしょうか。

 志位 私は、昨年6月、「東アジア平和提言」をもって、南アフリカ大使館をたずね、ルラマ・スマッツ・ンゴニャマ大使と会談する機会がありました。「提言」を発表した4月17日の講演会に大使が参加してくれ、熱心に耳を傾けていただいたことへのお礼もかねての訪問でした。会談のなかで、大使は、「提言」について、南アフリカ政府の立場と共通点が多い、高く評価しますとのべました。ガザでのジェノサイド(集団殺害)を止めるための国際連帯、核兵器廃絶での協力を確認した会談ともなりました。

 その対話のなかで、私は、次のような世界の見方を話しました。

 「いまの世界の流れを大きく見ると、一方で、ブロック的対応を強化し、核抑止に依存し、世界の分断・対立を深刻化させる流れがありますが、他方で、包摂的な枠組みを重視し、非同盟・中立を志向し、非核地帯条約によって核抑止と決別している流れがあります。後者の潮流は、東南アジアでASEANという平和共同体の目覚ましい成功という形であらわれているとともに、ラテンアメリカ、アフリカでも困難や曲折を経ながらも発展しています。ここにこそ未来ある世界の平和の本流があると思います」

 大使は、「わが意を得たり」との表情で深くうなずき、そうした世界の見方は自分の見解とも共通するものですと応じました。

 こうした平和の本流が広がっていることの根本には、わが党綱領が解明しているように、20世紀に起こった植民地支配からの解放と、百を超える主権国家の成立という世界の構造変化の主舞台が、アジア・アフリカ・ラテンアメリカだったことがあげられます。その力が21世紀の今日、包摂的な枠組みを重視し、非同盟・中立を志向し、核抑止と決別して核兵器廃絶をめざすという流れになってあらわれているのです。

 日本共産党と、党綱領の世界論、「東アジア平和提言」は、こうした世界の平和の本流に立ったものであり、だからこそ世界と広く響き合う生命力を発揮しているのではないでしょうか。ここに確信をもち、「提言」にもとづく対話と共同を内外でさらに広げていく年にしていきたいです。