いまだ仮設に入れず…
避難所・壊れた自宅で
2024年の元日に北陸地方を襲った能登半島地震の発生から1日で1年となりました。最大震度7の激しい揺れを観測し、同年9月の奥能登豪雨でも大きな被害が生じた石川県輪島市では、避難所や仮設住宅に身を寄せる被災者が生活再建への不安を抱えながら年を越しました。大みそかの市内を歩き、被災者の声を聞きました。(丹田智之)
日本海からの冷たい風が吹く輪島市の中心市街地では、建物の解体が終わって空き地になった場所がある一方で、がれきも残っています。
市内で水産加工業を営むAさん(76)は、地震で自宅の基礎や壁が壊れて傾きもあり、罹災(りさい)証明で「中規模半壊」と判定されました。亡くなった義母が住んでいた家や仕事で使う作業場も被災し、いずれも解体する予定です。
新年を祝えない
仮設住宅に入居しましたが「自宅を解体する前に家具などを置く場所がなくて困っています。義母の家は屋根のブルーシートが強風で飛び、雨漏りがしています。少しずつ仕事を再開させていますが、まだ新年を祝う気分ではない」と落ち着かない様子です。
地震により輪島市では6230棟を超える家屋が全半壊し、住宅被害は約1万500棟にのぼります。12月末の時点で市内に11カ所の避難所が開設されています。
約20人が避難する市立河原田小学校で、妻と仮設住宅への入居を待つBさん(71)は「豪雨で自宅の裏山が崩れ、窓ガラスが割れて大量の土砂が流れ込みました。壁も壊れて半壊の状態です。被災後は食欲がなく、体重が6キロも落ちました。自宅の修繕には数百万円が必要で、貯金だけではどうにもならない」と頭を抱えています。
日本共産党の鐙(あぶみ)史朗市議は31日、市内の仮設住宅団地で被災者の要望を聞きました。
地震で自宅が半壊し、被災直後は近所の人たちとビニールハウスで避難していた女性(68)は「道路の状況が悪く、現在も電気と水道が復旧していません。今後の生活の見通しがたたず、不安で夜中に目が覚めて眠れない日もあります。仮設住宅は夫と住むには部屋が狭く、普通の生活ができないことにストレスを感じている」と訴えます。
この女性は自宅の建て替えを望んでいますが、輪島市では11月末の時点で被災した建物の公費解体が完了したのは25・1%と遅れています。
市民の声届ける
鐙市議は「まだ仮設住宅に入れず、壊れた家に住み続けている被災者もいます。今後は住み慣れた地域で暮らせるような支援が求められます。復旧・復興が加速するように市民の声をしっかりと届けていきたい」と話しています。
共産党と民主団体が運営する「能登半島地震被災者共同支援センター」(同県羽咋市)では1日、復旧・復興への思いを語り合う「追悼と再生への夕べ」を地震発生の時刻に合わせて午後4時から開きます。全国各地から寄せられた支援物資の配布も行います。
同センターの黒梅明事務局長は「被災者が住宅や生業の再建に悩んでいるのは、公的支援が圧倒的に足りないからです。生活を支える活動に取り組む中で被災者との連帯を強め、政治を変えて要求を実現する流れをつくっていきたい」と意気込んでいます。
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