『長い旅の途上』
星野道夫(日:1952-1996)
1999年・文芸春秋
2002年・文春文庫
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まだ一歳にもならぬ息子が、黄葉が散り始めたベランダに座り、九月の秋の風に吹かれている。
コガラがスーッと木々の間を飛び抜け、アカリスがトウヒの枝の上で鋭い警戒音を発し、風がシラカバの葉をサラサラと揺らすたび、彼はサッと世界に目を向ける。
そんな一瞬の子どもの瞳に、親の存在などと関係なく、一人の人間として生きてゆく力をすでに感じるのはなぜだろう。
そんな時、ふと、カリール・ギブランの詩を思い出す。
あなたの子供は、あなたの子供ではない。
彼等は、人生そのものの息子であり、娘である。
彼等はあなたを通じてくるが、あなたからくるのではない。
彼等はあなたとともにいるが、あなたに屈しない。
あなたは彼等に愛情を与えてもいいが、あなたの考えを与えてはいけない。
何故なら、彼らの心は、あなたが訪ねてみることもできない、夢の中で訪ねてみることもできないあしたの家にすんでいるからだ・・・。
そして、今は十二月。
気温もずいぶんと下がり始め、マイナス三〇度の大気の中で子どもの頬が赤く染まっている。
太陽も地平線の彼方へ遠く去り、長い夜が一日を支配して、晴れた空にはオーロラが舞っている。
僕にとっては十八年目の、そして息子にとってははじめてのアラスカの冬がめぐってきた。
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毎年、冬休みの楽しみは、星野道夫の著作を適当に一冊、本棚から選んで、実家への帰省に持って行くことだ。
星野さんがマイナス三〇度のアラスカで書いた凛とした文章を、こっちは暖かいコタツでみかんを食べながら読む。
良かったなぁ、日本がマイナス三〇度の世界でなくて良かったなぁ・・・、と、みかんをモグモグしながら考える。
本作は96年に急逝した星野さんの遺稿集。
そのせいもあり、結構、他の本の話とかぶるし、この本の中だけでも同じセンテンスが結構、繰り返される。
かと言って、そのことで星野さんの文章の魅力が損なわれているわけではない。
むしろ、何回でも繰り返してもらって、俺の頭ん中に沁みこんでいって欲しいんだ。
個人的に、今年の年始は、途中からのんびりモードでなくなったんだけど、そのぶん忘れがたい正月になった。
これまで、色んな決心を先延ばしにしてきた人生だったけど、社会との関わり方や自分との向き合い方も、変えていくことになるだろう。
(まあ、数年前からシモネタとダジャレが極端に増え、きちんとオッサンになってはいたのだが)
社会と家庭とを生きる、そのバランスについて、この本の中に素晴らしいお手本が書いてある。
星野さんの友人の一人、ジェイ・ハモンドのエピソードだ。
凡人には真似できないが、それでも、頭の隅には置いておきたいライフ・スタイルだ。
抜粋すると長すぎるので、星野さんの端正な文章を、勝手に要約すると・・・
元アラスカ州知事のジェイ・ハモンドは、奥さんのベラと共に、電気も通じない孤立した原野(アンカレッジから小型機で2時間の、レイククラークという湖のそば)に暮らしている。
ジェイ・ハモンドは、昔、ブッシュパイロットだった頃にエスキモーの村に物資を運んで着陸する際、凍結した湖で遊ぶ子供達を避ける為に事故に合い、両足首の自由を失っている。
その後、石油危機の七〇年代、石油開発と環境保護でアラスカが大きく揺れ動いた時代の8年間、州知事を務めた。
何よりも人々は、彼の持つ人柄と、政治から離れる引き際の良さを讃えたと言う。
原野に1軒ポツンと建つハモンド宅で、夕食を食べながら、星野さんがハモンドに尋ねる。
「もう一度政治の世界に戻る気はあるか」
ハモンドは答える。
「ベラと約束してたんだ。
州知事の任期を終えたら、元の暮らしに戻るって。
これまでの一生で、一番楽な約束だった」
そして、ハモンドはランタンに火をともす。
■星野道夫の本のこと
・イニュニック[生命] (新潮社 1993年)
・旅をする木 (文芸春秋 1994年)
・『長い旅の途上』(1999年)
<買い物は尼村>