『ギュレギュレ!』
斉藤洋(日:1952-)
絵:樋口たつの
2016年・偕成社
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十二月のはじめの日曜日の朝のことです。
前の日の夕暮れから雪がふりだし、それが夜どおしふりつづいていたものですから、家々の屋根にも、木の枝にも、道にも、雪がつもっていました。
マンションの五階のベランダから見おろすと、日曜日ということもあってか、道路にはあまり車もとおらず、人どおりもほとんどありませんでした。
朝といっても、もう九時をすぎていました。
わたしは厚手のセーターを着こみ、コーヒーカップを片手に、ベランダに出て、外を見ていたわけですが、寒いのをがまんして、どうしてそんなことをしていたかというと、そういう雪の日に外に出ないですむことの運のよさを味わうためでした。
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あ、分かるなぁ。
雪の日や嵐の日に、家の中で、外に出なくてすむことの幸運を楽しむの。
まあ、俺はわざわざベランダまでは出ないけど・・・。
でも、コーヒーか焼酎のお湯割り持ってって窓際に顔は寄せるね。
なんとも不思議な味わいのある一冊。
テイストとしては、そうだなー、オチのない星新一とでも言おうか(笑)
マンションの5階に住む『私』のもとを訪れるトルコ人行商人。
行商人は初回こそ玄関からやってくるものの、以降、空飛ぶ絨毯に乗ってベランダからやってくる。
トルコ語の発音にうるさく(「ギュナイドン」じゃなくて「ギュナイドゥン」!)、日本語の言い回しにもうるさい(「うんだくられている」ですって? それ、なんです? それをいうなら「ふんだくられている」でしょう!)。
この行商人から『私』が買い取る不思議なアイテムが、また微妙にピントがズレてて。
見えない浮島とか、中に入ると周囲から姿が見えなくなる筒(穴)とか、見えないペットの蝙蝠とか・・・。
見えない系多いな、しかし。
まあ、こんな風にボケた味わいを噛みしめながら、気が向いたときに手にとって、ゆっくり読み進めるのがこの本の正しい嗜みと言える。
ちなみに、俺が付き合っているほとんどのトルコ人は思いっきりソフィスティケートされた人たちで、この本に出てくる行商人、アッバス・アルカン氏(名前が判明するのは、なんとラスト2ページ)とは雰囲気が全然違う。
だけど、だけど。
人間の芯にある飾り気のないおかしみ(悪口でなく)みたいなもんは、わりと、ああ、アルカン氏と似てるかも、と思えてくる。
唯一、本書のなかでアルカン氏が『私』にコーヒーを所望するところだけはちょっと疑問かな。
トルコ人なら1日中チャイ(お茶)でしょ・・・。
まあ、そんな細かいことはいいか、トルコなんだし。
本書で好きだったのは、1日一回だけ魔女を呼び出せる古時計の話。
目覚まし時計よろしく時間をセットしておくと、翌日のその時間に魔女が飛び出してきて、掃除したり買い物に行ってくれたり、美味しいコーヒーを煎れてくれたりする。
主人公の『私』は最初こそビックリするが、すぐに魔女のいる生活に慣れて、平日は朝7時、土日は朝10時に魔女に出てきてもらって、ちょっとした雑事をお願いするようになる。
魔女のほうも迷惑がる様子はなく、逆に一日一度くらいは『私』の要望に応えて体を動かさないと、生活に張りが出ないといったスタンス。
魔女付きの壁掛け時計を買ってから2週間、『私』は魔女のいる毎日にすっかり馴染んでいた。
そんな中、トルコ人行商人アルカン氏が『私』のもとを再訪し、少し慌てた様子で、時計を買い戻したいと言う。
『私』は2週間前に3万円でその時計を買ったのだが、トルコ人曰く、買い戻す値段はその200倍でも良いと。
なんでも、ローマに住む87歳の孤独な老人が魔女付き古時計を切望しているらしい。
これに対し、『私』はこう答える。
「わかりました。
では、こういうのはいかがでしょう。
クーリング・オフはしないし、あなたにお売りすることもしません。
そのかわり、時計が必要なくなるまで、そのご老人にお貸しするというのは?
もちろん、レンタル料をくれなどとはいいません」
この申し出に、トルコ人はぱっと顔を明るくして
「そうですか。
テシェキュレデリム!
そうしていただくと、ほんとうにたすかります!
テシェキュレデリム!」
と答えて、話はまとまる。
読んでて俺は思った。
へー、時計を手放すことも、申し出を拒絶することも、どちらも選ばないんだと。
そうだよなぁ、別に二者択一じゃない。
みんながハッピーな、ちょうど良い解があるなら、それを選べばいい。
こういう時、自分の脳ミソがいつの間にかカチカチに固まっちゃってるのに気づいてちょっとハッとするなぁ。
<熱帯雨林>
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樋口 たつの | |
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