大災害の記憶
東日本大震災3月11日から既に100日以上経ちました。
遅々として進まない復旧。
高額の支援金が集まっているのに、被災者には届いていない届かない現状。
被災者の方々の思いは・・・・
政府は、地自体は・・・・・
最近の大災害でも、平成7年の阪神淡路大震災の6437人。
昭和30年の伊勢湾台風の5098人の犠牲者が出ています。
被災した人たちの心にどのような形で残っているのでしょうか。
伊勢湾台風の記録写真ですが、避難所にも行かず、1ヶ月近くこの水の中ですごしました。
我が家のあたりは干潮のときは膝くらい迄しか有りませんが、満潮になると首近くまでの深さになります。
家の中には当然魚も泳いできます。
家にあったエアガンで狙い撃ち。
かなり楽しみました。
大量の救援物資や支援金が届けられましたが、我が家には何一つ、一銭たりとも届きませんでした。
しかし、それを不公平だと思ったことはありませんでした。
それどころかもっと困っていた多くの人たちが救われたと思うとうれしくって仕方がありませんでした。
今、欲している人たちに、何故まわせないんでしょうか。
卓上での考え方ではこれが精一杯なのでしょうか。
当時新聞配達をしていましたが、頭の上に新聞を乗せて水につかって配りました。
時にはガラスなどの破片を踏んで怪我をし、破傷風の予防注射をしながら配りました。
水没しているので電気も来ていませんでしたから新聞はすごく喜ばれました。
悲惨な状況も克明に報道されました。
今回の報道は少し飾っているようにも見えます。
もっと悲惨な状況ではないかと思います。
被災者はそれでも思ったほど弱くはありません。
早く復旧・復興をしたいのです。その力を持っています。
政府や地自体は面子だ法律だと騒いでないで、早く後押しをしてもらいたいです
。
流木で筏を作りそれを交通の手段としました。
小学生の頃、チリ地震の津波だと思いますが、経験しています。
市電に乗って河口まで貝を採りに行ったときのことです。
何時もと違い潮の引きがすごく早い。
沖を見ると白い1本の線が横たわっています。
今まで見たことがありません。
不安を感じてみんなを堤防の上に避難させました。
最後に堤防へのタラップを上り始めたときには足をすくわれてしまいましたが何とか上がることが出来ました。
水の恐ろしさを2度も体験しています。
水の力は巨大です。何もかも流してしまいました。
出来ることならこの写真は見ないほうがいいでしょう。
収容されてからそんなにたってはいませんが、異臭が漂い長くいられるような状態ではありませんでした。
しかし、今回の東北関東大震災では既に100日を過ぎてなお、多くの行方不明者がいます。
毎日何人かが見つかっているようですが、どんな状態で収容されるのでしょうか。
一日でも早く見つかって安らかに眠ってほしいです。
当時の皇太子殿下の視察。
高台への町ごと移住は最適な方法でしょう。
しかし全国を見ると海抜0m地帯は沢山有ります。
何も無くなった今、思い切った街づくりをするか、水の強大な力にも負けない堤防を作るか、選択肢は少ないでしょう。
大火災の類焼を防ぐために道を広げるなど大胆な政策をした名古屋でも、0m地区の解消は出来ませんでした。
こうして過去の災害を持ち出してまで言いたいことは。
被災者は弱虫じゃない、復旧・復興をする力は十分に備えている。
しかし、力だけではなんともなりません。
何をするにも先立つものが必要です。
それは十分とはいえなくとも、皆さんの善意が届いています。
はやく、手元に渡るようにしてあげてほしい。
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想像を絶する悲惨さでしょうね。
行方不明者の捜索は当然急いでほしいけど、残った人たちへの支援が急務だと思いますね。
手の届くところにあっても使えない、こんなばかげてことはありません。
コメントありがとうございました。
見ない方が良い写真は今は報道規制でしょうか?報道各社の自主規制かも。
今回の津波ではもっと悲惨な光景だったと思います。