「脱・木枯らし紋次郎」、「脱・無関心」宣言の勧め
―住民の参加、関与による「参加型」地域コミュニテイの構築に向けてー
1、止めなくてはならない事件・不正の連鎖
幼児虐待など家庭内の暴力や、貧しさや介護疲れなどからの殺傷事件から誰でも良い殺人、ネット連鎖自殺など、現在、社会の広範な分野で比類の無い事件や不正の連鎖が続いています。無論、このような事件は比率の上では少数であろうが、社会の広範な分野で起こっており、何時自分の身の回りで起こるか分らない状態です。家庭が崩壊し、学校や地域が、そして職場など、社会の各分野で事件や不祥事が起こり、止まらない。過去の教訓は余り生かされていない。あたかも人々の倫理がメルトダウン(融解)して行くように見えます。
このような傾向には複合した理由があるのであろうが、一つには、90年代のバブル経済崩壊後の経済停滞の長期化とその中での就職難と出口の見えない経済難がある。しかし、現在の倫理のメルトダウンは、日本の人口動態の変化に根ざしたもっと構造的なものであろう。戦後の核家庭化が、少子化により、過疎村や地域コミュニテイの空洞化に拍車が掛かり、家庭規模も更に縮小し、若い世代の一人暮らしと共に、高齢者の独居者が増えるなど、最小単位の核家庭が増えているため、コミュニテイ意識や人間関係が希薄になってき来ていることにあるのではなかろうか。地域社会やグループや家庭があっても、それぞれがいわば「点の存在」になり、倫理観などは伝わり難くなっているのであろう。
2、消えていない善意
長野県を走る上信越自動車道の熊坂トンネルを上下線2トンネルにする工事で、トンネル内のコンクリートの厚さが不十分で、安全面で問題が指摘され、工事のやり直しが行われている。国土交通省の下で、東日本道路会社(旧道路公団)が発注し、受注元(共同企業体)の下請け会社が工事に当たっていたもので、下請け会社の社員が悩んだ末、建設技術者として危険を見逃せないとして告発したことから発覚したものだ。手抜き工事は、上司の指示で行われ、元請会社も知っていたとされ、8ヶ月の入札資格の停止と伝えられているが、告発者も「14日間の欠勤」を理由に解雇されているという。そのまま工事が続けられていれば既に引き渡され、トンネル崩落等の大惨事になる恐れもあった。大惨事を未然に防止した勇気ある行動である。「内部告発」の中には、逆恨みやストーカー的な嫌がらせなどもあり、それはそれとして厳しく処罰されなくてはならないが、公正な告発については、適正な予算執行に監督責任のある政府関係当局や県から何らかの感謝表明と不利益があった場合の救済措置が講じられても良いくらいだ。このご時勢に自らの職を掛けて「正しいこと」を貫いた行為は賞賛と社会的救済に値する。
4月11日、東名高速道路吉田インターチェンジ(静岡県)付近で、トラックのタイアが脱輪し、中央分離帯を乗り越えて反対車線を走行中の観光バスのフロントグラスを突き破った事件があった。バスの運転手(50歳代)は死亡したが、足はブレーキを踏み込んでおり、中央分離帯にぶつけるようにして止まっていたという。高速走行中の予想もしない事態であるにも拘わらず、乗客7人は怪我で済んだそうだ。命を掛けて乗客を守ろうとしたのであろう。その職業魂は切ないほどすばらしい。
また、その数日前に、電車待ちの男性が駅のホームから突然線路に落ち意識を失ったが、それに気付いた人がホームの端に向かって走り、または警報を鳴らし、入って来た電車を止め、事無きを得た。3月25日に、岡山駅で電車待ちの男性が突き落とされ、電車に撥ねられて亡くなられた事件があったばかりである。以前、線路に落ちた人を助けようとして命を落とした人もいる。善意は生きている。
3、地域コミュニテイ造りへの住民の「参加」と「関与」の兆し
90年代にリメイクされた映画「木枯らしの紋次郎」では、「あっしには関わりないことでござんす」という台詞が、都市のコンクリート砂漠化とバブル経済崩壊という社会的な背景の中で、ニヒルな格好良さとしてある種の社会現象となった。結果は家庭やコミュニテイに「木枯らし」が吹く格好となった。原作者の真意は、裏社会の渡世人であり、表立っては正義を言えた柄ではないが、下積みの弱者を助けた姿や人情を描きたかったのであり、それが共鳴を呼んだのであろう。
今必要とされることは、家庭の核化と相互の無関心を補完し、点と点を結ぶ「関与」とコミュニテイへの「参加」ではなかろうか。「脱・小木枯らし紋次郎」、「脱・無関心」である。
最近、町内会での巡回警備や児童の誘導など、特定の分野での地域活動に加え、地域レベルでのコミュニテイ造りが動き出した。東京都杉並区の区立和田中学校では、最近、校舎を利用して、大手進学塾の講師が受験対策の授業(有料)をする「夜スペシャル」の実施に踏み切った。また、同校のPTAが区のPTA協議会から自主的に脱退し、地域住民等のボランティアで作る「地域本部」の一部として参加し、保護者と地域が一体となり、生徒を支援する活動を行う。PTAは母親が中心となる場合が多く、学校内の教育問題に限定されるが、「地域本部」と合体することにより、父親などが余暇に地域コミュニテイ造りの一環として学校支援活動に参加し易くなると期待されている。
また、保育所での「保育の質」の向上のため、職員研修に積極的に取り組めるよう国が新たなガイドラインを作成し、都道府県や市町村は国のガイドラインを参考にしながら、研修内容を充実させることも検討されている。もっとも、国のこのような計画には、厚労省と文部科学省などとの横断的な連携が不可欠であり、権限が特定省庁に限定されないことが望ましいが、保育などは正に地域コミュニテイが取り組む問題なのでしょう。
4、「行政にお任せ」では解決しない心の再生と地域コミュニテイの活力
最近の各種の事件、不祥事を背景として、国レベルでもいろいろな取り組みが検討されている。政府の「公務員制度改革」に関する懇談会の報告書を受けて(1月末)、国家公務員の人事を一元管理し、「縦割り人事」の弊害を解消するための「内閣人事庁」(仮称)の創設や、在職中に不祥事で損害を与えた元国家公務員に対する損害賠償責任の厳格化など、公務員制度改革案について政府内で検討されています。
また、教育再生会議が首相官邸で開かれ総会で最終報告を決定し(1月末)、「徳育の充実」などを列挙しています。更に「消費者保護の視点」を重視し、省庁横断的な「消費庁」創設も検討されています。これは、繰り返し起こっている食品偽装や古紙再生偽装などを教訓として、企業経営のみでなく、行政においても「消費者の安全や保護」の視点を重視する流れと言えます。裁判の迅速化や経済犯罪に対し、体罰ではなく罰金の引き上げや奉仕活動などによる犯罪の抑止なども検討されているようです。
しかし、社会倫理の再構築、「心の再生」の問題は、政府レベル、行政レベルの取り組みで済む問題ではなく、家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校、そして企業・組織など、国民レベルで取り組まれなくては、効果は短期的、局所的に終わる恐れがあります。自らの生活や家庭、地域コミュニテイは他人事ではなく、自らも参画して作り上げるという意識が望まれます。
今必要なのは、地域コミュニテイへの住民の「参加」、「関与」であり、地域コミュニテイも、行政お任せ型から「住民参加型」に進化して行くべきなのであろう。
このような社会各部の事件や不正の具体的な事例を振り返り、全般的な広がりを見せ始めている倫理のメルトダウンを危惧し、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、個々人、家庭、幼児教育を含む教育、企業・組織の場での取り組みについて、重層的、実践的に提言すると共に、行政や司法のあり方や取り組みについても率直に提言している著書があります。
「心」の問題は、政府や行政だけに任せられる問題ではありません。同著は、国、地方の行政、コミュニテイ作り、そして家庭、教育の場など、市民の健全な生活を構築するための触媒となるような多くの提言を行っており、そこから多くのヒントが得られると思います。上述の通り、政府内においても同著書の提言内容に沿った対応や施策が検討され、また、マスコミや民間グループなどでも心の健康や心の問題などとして企画が組まれ、日本社会の各分野に浸透し始めています。山口組五菱会系の闇金融による資金がスイスの銀行の口座に流れていたケースで、預金額の半分程度が日本側に返還されることになり、それを被害者に還元することが検討されると伝えられていますが、経済犯罪については、被害の回収と被害者への還元・救済に重点を置き、経済罰(罰金や利得の没収など)を中心とするよう提言しています。これは一つの例ですが、多くの提言やヒントが示されています。それをどう判断し、どのように活用されるかは読者の皆様次第です。(08.04.)
「日本の倫理融解(メルトダウン)
ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
提言編」
“Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
小嶋 光昭著
内外政策評論家
前駐ルクセンブルク大使
発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を記録する「歴史を刻む書」と言えます。主要書店でお尋ね頂くか、ご注文下さい。また、パピレスを通じ電子書籍としてもご覧頂けます
―住民の参加、関与による「参加型」地域コミュニテイの構築に向けてー
1、止めなくてはならない事件・不正の連鎖
幼児虐待など家庭内の暴力や、貧しさや介護疲れなどからの殺傷事件から誰でも良い殺人、ネット連鎖自殺など、現在、社会の広範な分野で比類の無い事件や不正の連鎖が続いています。無論、このような事件は比率の上では少数であろうが、社会の広範な分野で起こっており、何時自分の身の回りで起こるか分らない状態です。家庭が崩壊し、学校や地域が、そして職場など、社会の各分野で事件や不祥事が起こり、止まらない。過去の教訓は余り生かされていない。あたかも人々の倫理がメルトダウン(融解)して行くように見えます。
このような傾向には複合した理由があるのであろうが、一つには、90年代のバブル経済崩壊後の経済停滞の長期化とその中での就職難と出口の見えない経済難がある。しかし、現在の倫理のメルトダウンは、日本の人口動態の変化に根ざしたもっと構造的なものであろう。戦後の核家庭化が、少子化により、過疎村や地域コミュニテイの空洞化に拍車が掛かり、家庭規模も更に縮小し、若い世代の一人暮らしと共に、高齢者の独居者が増えるなど、最小単位の核家庭が増えているため、コミュニテイ意識や人間関係が希薄になってき来ていることにあるのではなかろうか。地域社会やグループや家庭があっても、それぞれがいわば「点の存在」になり、倫理観などは伝わり難くなっているのであろう。
2、消えていない善意
長野県を走る上信越自動車道の熊坂トンネルを上下線2トンネルにする工事で、トンネル内のコンクリートの厚さが不十分で、安全面で問題が指摘され、工事のやり直しが行われている。国土交通省の下で、東日本道路会社(旧道路公団)が発注し、受注元(共同企業体)の下請け会社が工事に当たっていたもので、下請け会社の社員が悩んだ末、建設技術者として危険を見逃せないとして告発したことから発覚したものだ。手抜き工事は、上司の指示で行われ、元請会社も知っていたとされ、8ヶ月の入札資格の停止と伝えられているが、告発者も「14日間の欠勤」を理由に解雇されているという。そのまま工事が続けられていれば既に引き渡され、トンネル崩落等の大惨事になる恐れもあった。大惨事を未然に防止した勇気ある行動である。「内部告発」の中には、逆恨みやストーカー的な嫌がらせなどもあり、それはそれとして厳しく処罰されなくてはならないが、公正な告発については、適正な予算執行に監督責任のある政府関係当局や県から何らかの感謝表明と不利益があった場合の救済措置が講じられても良いくらいだ。このご時勢に自らの職を掛けて「正しいこと」を貫いた行為は賞賛と社会的救済に値する。
4月11日、東名高速道路吉田インターチェンジ(静岡県)付近で、トラックのタイアが脱輪し、中央分離帯を乗り越えて反対車線を走行中の観光バスのフロントグラスを突き破った事件があった。バスの運転手(50歳代)は死亡したが、足はブレーキを踏み込んでおり、中央分離帯にぶつけるようにして止まっていたという。高速走行中の予想もしない事態であるにも拘わらず、乗客7人は怪我で済んだそうだ。命を掛けて乗客を守ろうとしたのであろう。その職業魂は切ないほどすばらしい。
また、その数日前に、電車待ちの男性が駅のホームから突然線路に落ち意識を失ったが、それに気付いた人がホームの端に向かって走り、または警報を鳴らし、入って来た電車を止め、事無きを得た。3月25日に、岡山駅で電車待ちの男性が突き落とされ、電車に撥ねられて亡くなられた事件があったばかりである。以前、線路に落ちた人を助けようとして命を落とした人もいる。善意は生きている。
3、地域コミュニテイ造りへの住民の「参加」と「関与」の兆し
90年代にリメイクされた映画「木枯らしの紋次郎」では、「あっしには関わりないことでござんす」という台詞が、都市のコンクリート砂漠化とバブル経済崩壊という社会的な背景の中で、ニヒルな格好良さとしてある種の社会現象となった。結果は家庭やコミュニテイに「木枯らし」が吹く格好となった。原作者の真意は、裏社会の渡世人であり、表立っては正義を言えた柄ではないが、下積みの弱者を助けた姿や人情を描きたかったのであり、それが共鳴を呼んだのであろう。
今必要とされることは、家庭の核化と相互の無関心を補完し、点と点を結ぶ「関与」とコミュニテイへの「参加」ではなかろうか。「脱・小木枯らし紋次郎」、「脱・無関心」である。
最近、町内会での巡回警備や児童の誘導など、特定の分野での地域活動に加え、地域レベルでのコミュニテイ造りが動き出した。東京都杉並区の区立和田中学校では、最近、校舎を利用して、大手進学塾の講師が受験対策の授業(有料)をする「夜スペシャル」の実施に踏み切った。また、同校のPTAが区のPTA協議会から自主的に脱退し、地域住民等のボランティアで作る「地域本部」の一部として参加し、保護者と地域が一体となり、生徒を支援する活動を行う。PTAは母親が中心となる場合が多く、学校内の教育問題に限定されるが、「地域本部」と合体することにより、父親などが余暇に地域コミュニテイ造りの一環として学校支援活動に参加し易くなると期待されている。
また、保育所での「保育の質」の向上のため、職員研修に積極的に取り組めるよう国が新たなガイドラインを作成し、都道府県や市町村は国のガイドラインを参考にしながら、研修内容を充実させることも検討されている。もっとも、国のこのような計画には、厚労省と文部科学省などとの横断的な連携が不可欠であり、権限が特定省庁に限定されないことが望ましいが、保育などは正に地域コミュニテイが取り組む問題なのでしょう。
4、「行政にお任せ」では解決しない心の再生と地域コミュニテイの活力
最近の各種の事件、不祥事を背景として、国レベルでもいろいろな取り組みが検討されている。政府の「公務員制度改革」に関する懇談会の報告書を受けて(1月末)、国家公務員の人事を一元管理し、「縦割り人事」の弊害を解消するための「内閣人事庁」(仮称)の創設や、在職中に不祥事で損害を与えた元国家公務員に対する損害賠償責任の厳格化など、公務員制度改革案について政府内で検討されています。
また、教育再生会議が首相官邸で開かれ総会で最終報告を決定し(1月末)、「徳育の充実」などを列挙しています。更に「消費者保護の視点」を重視し、省庁横断的な「消費庁」創設も検討されています。これは、繰り返し起こっている食品偽装や古紙再生偽装などを教訓として、企業経営のみでなく、行政においても「消費者の安全や保護」の視点を重視する流れと言えます。裁判の迅速化や経済犯罪に対し、体罰ではなく罰金の引き上げや奉仕活動などによる犯罪の抑止なども検討されているようです。
しかし、社会倫理の再構築、「心の再生」の問題は、政府レベル、行政レベルの取り組みで済む問題ではなく、家庭、地域コミュニテイ、保育・幼稚園、学校、そして企業・組織など、国民レベルで取り組まれなくては、効果は短期的、局所的に終わる恐れがあります。自らの生活や家庭、地域コミュニテイは他人事ではなく、自らも参画して作り上げるという意識が望まれます。
今必要なのは、地域コミュニテイへの住民の「参加」、「関与」であり、地域コミュニテイも、行政お任せ型から「住民参加型」に進化して行くべきなのであろう。
このような社会各部の事件や不正の具体的な事例を振り返り、全般的な広がりを見せ始めている倫理のメルトダウンを危惧し、安心で豊かな日本の将来のために、一人一人の「心の再生」の必要性を問い、個々人、家庭、幼児教育を含む教育、企業・組織の場での取り組みについて、重層的、実践的に提言すると共に、行政や司法のあり方や取り組みについても率直に提言している著書があります。
「心」の問題は、政府や行政だけに任せられる問題ではありません。同著は、国、地方の行政、コミュニテイ作り、そして家庭、教育の場など、市民の健全な生活を構築するための触媒となるような多くの提言を行っており、そこから多くのヒントが得られると思います。上述の通り、政府内においても同著書の提言内容に沿った対応や施策が検討され、また、マスコミや民間グループなどでも心の健康や心の問題などとして企画が組まれ、日本社会の各分野に浸透し始めています。山口組五菱会系の闇金融による資金がスイスの銀行の口座に流れていたケースで、預金額の半分程度が日本側に返還されることになり、それを被害者に還元することが検討されると伝えられていますが、経済犯罪については、被害の回収と被害者への還元・救済に重点を置き、経済罰(罰金や利得の没収など)を中心とするよう提言しています。これは一つの例ですが、多くの提言やヒントが示されています。それをどう判断し、どのように活用されるかは読者の皆様次第です。(08.04.)
「日本の倫理融解(メルトダウン)
ー「心の再生」を国民的プロジェクトとして取り組むべき時 ー
提言編」
“Japan’s Moral Melt-down – Regenerating the Mindset– Proposals”
小嶋 光昭著
内外政策評論家
前駐ルクセンブルク大使
発売 星雲社
別途電子書籍(パピレス)あり。
本著は実務的、実践的ではありますが、最近の日本社会の風潮を記録する「歴史を刻む書」と言えます。主要書店でお尋ね頂くか、ご注文下さい。また、パピレスを通じ電子書籍としてもご覧頂けます