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『解離の特性を生かし、あるキャラクターの意識を演じることによって、身体感覚を変容させる試み』その1

2024-04-08 00:00:00 | アイツ

【新キャラの役作り・その1】

 

わたしは、日常を楽に過ごすために、『役』を演じるということを実践している。

解離でブッ飛んでいた頃と比べて、『演じる』ことも『役』も自覚的に感覚できるようになってきた。

(自己否定や現実逃避の度合いが下がったので、だいぶ安全に演じられるようになった)

 

鬱々とした『わたし』の意識が入った身体は、緊張や疲労でバキバキの状態が癖になっている。

だから、『健康なキャラクター』の意識を身体に入れて、身体の状態を楽に変化させるのである。

 

そのために練ってある『役』が、ふたりいる。さらに、補助的に、もうふたり、いる。

最近、そこに『新キャラ』が浮かんできて、ソイツがとてもいい仕事をするのである。

今日は、ソイツについて書こうと思う。

 

無論、身体のケアを自分自身で丁寧にすることが大前提である。

 

 

 

ソイツは、どちらかというと、めちゃくちゃなヤツにしか見えなかった。

いいかげんで、下品で、だらしないヤツだと思っていた。

 

でも、ふとした拍子に、その役に入ってしまった夜があった。

すると、ヤツは、なんとも大きな『安心感』の持ち主なのであった。

 

「夜なんだから、もう寝ようぜ」

「メシくらい、ゆっくり食わせろよ」

「風呂なんだから、まったりしようや」

 

無気力っぽい声で、至極真っ当なコトを考える。

ヤツでいると、身体の力がどんどん抜けていく。

『わたし』に欠けた感覚を、ごく自然に持つ人物なのだった。

 

 

 

ヤツの根源は、「目の前が平和である」という、安心感なのだと思う。

言い換えれば、「目の前が戦場ではない」という、ホッとした脱力感だ。

そう、ヤツは戦争を経験している。

それは、「わたしの世界の戦争」の経験と、気持ちよく同調するのであった。

 

ヤツは、大切なものを失くした哀しみがあるから、「積極的に元気に生きよう」とは思わないし。

金欠だし、仕事も全然ないし、やる気もないし、やりたいこともないし。

過去も今も引きずってるものが、結構いろいろあるし。

 

でも、大好きなイチゴ牛乳を飲んで。

毎日フラフラなんとなく生きて。

 

今、目の前に、食えるメシがある有り難さとか。

布団で眠れるあったかさとか。

面倒くさい人間がそばに居る愛おしさとか。

 

それがどんなに大切で尊いものか、儚いものなのかを知ってしまっている。

 

戦場じゃない今日は、身体にとって、圧倒的な安心感をもたらしている。

 

 

わたしの、今日の平和は果たして幸せなのかという思考・疑問なんてものは薄っぺらくて。

ヤツの、ただ「生きているな」という実感が、たとえどんな哀しみの伴ったものであったとしても、どうしたって心地いい。

 

これは、文字列の不幸との比較による相対的な幸せの感覚ではなくて。

経験したから感じられる絶対的な幸せの感覚、と表現した方がいい気がしていて。

だって、風が吹いて、空が青くて、草が揺れている。

なんて平和な景色。

それを前にしては、ただただ安心感が身体を満たしていくのである。

 

 

『わたし』のちっぽけな不安や悩みなど、ヤツにとっては、まさしく「どーでもいい」のだ。

重低音のように安心した身体感覚にとって、『わたし』の心配など軽すぎて消し飛んでしまうだけだ。

 

 

で。

ヤツは、べつにやることもやりたいこともないからぐうたらするだけなんだが。

それができる今日があまりにも平和で、ただただ身体がホッとするのだ。

 

 

 



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