自分を観察することでしか、世界は変わらない。
『変わろうとしなくていい』『そのままでいい』というのが、【甘い毒】だと気づくのは、いつだろう。
自分自身を放置していいのだと勘違いして……。
都合のいい作用だけを盲信して……。
同じ苦しみを飽きるほど繰り返して……。
ついに……死を予感した時。
かもしれない。
わたしの薬は、庭仕事。
土を触る。
ふっくら柔らかければ、安心する。
固ければ、どうすればいいかを考える。
身体を触る。
ふっくら柔らかければ、安心する。
固ければ、どうすればいいかを考える。
よく、「変わろうとしなくていい」「そのままでいい」という言葉を耳にする。
この言葉の、うわ澄みだけを啜ってしまったならば、毒だ。
だって、自分を傷つけ続ける自分は、変わらなくていいのだろうか。
固く締まった土を、変えずに、いったい何を育てようというのか。
身体だろうと、土だろうと、放置して良くなることは、ない。
あまりの固さに、どうしようもなくて、逃げたとして。
そのあと、時が経って自然に柔らかくなっているなんてことは、きっとない。
丁寧に触れ、注意深く観察し、働きかける。
そういう積み重ねでしか、変わらない。
人は面倒くさがりで、か弱くて、怖がりだから、「嫌な感じがするとき」ほど目をそらし、観察を怠る。
あるいは、痛みが大きくなりすぎてしまって、観察すること自体、怖くなる。
えてして、疲れ果て、劇薬の市場をうろつく。
そこにあるのはたいてい、緻密さ複雑さや深さを欠いた、うわ澄みだ。
うわ澄みは口当たりがよく、スッと飲める。
ときには、激変する自分を錯覚することさえある。
ある種の解放感、快感の要素もある。
だから、あらゆるビジネスのカモになる。
「楽に生きたい」という切実な思いは、搾取されてしまう。
『変わろうとしなくていい』『そのままでいい』というのが、【甘い毒】だと気づくのは、いつだろう。
土を触る。
身体を触る。
そして、言葉を咀嚼する。
天に任せたつもりで自棄になっていないかい。
何もせず柔らかくなるなんてことは、ない。
不調を自覚するとき、つらいとき、もう逃げたいと思うときにこそ、
己に触れ、注意深く観察し、働きかける。
そういう積み重ねでしか、自分は変わらない。
自分を観察することでしか、きっと世界は変わらない。