なんとなく。
「いま」が幸せだと、苦しかった過去が、
さほど苦しみに感じない。
むしろ「あれがあったから、今、幸せなのかも」と思える。
さらには、あれが人生の転換期だったとも思う。
・・・だから、まぁ。
いま、幸せなのか不幸なのかが
過去を辛いとか楽しいとか、
感じさせるモノじゃないかしら。
本当は、楽しかったことも辛かったことも、
同じくらいあったはずなのです。
今が苦しいと、楽しかったことは忘れていますし。
だから、すべては「いま」。
10歳くらいまでにあったことを思い出してみる。
起きた事実と、そのとき、何を感じていたか。
本当は、色々なコトがありました。
されど、思い出せるのは、
「いま現在」の私を表現するモノ。
なのです。
たぶん。、楽しいコトを語れるのは
「いま現在」が、そのような状態なのでしょう。
悲しいコト、辛かったコト、ばかり思い出すのは
た・ぶ・ん・・「いま」とリンクしている。
で。その起きた出来事を新たな地点から見直して
補正すると「いま現在」が変わり始めます。
なぜなら。
その過去があったから、いまの自分がある。
と錯覚して、思い込みを強化するクセがあるからです。
じっさい。
過去は、変えられます。
そして、いまも変えられます。
明るい方へ。
「いま」が幸せだと、苦しかった過去が、
さほど苦しみに感じない。
むしろ「あれがあったから、今、幸せなのかも」と思える。
さらには、あれが人生の転換期だったとも思う。
・・・だから、まぁ。
いま、幸せなのか不幸なのかが
過去を辛いとか楽しいとか、
感じさせるモノじゃないかしら。
本当は、楽しかったことも辛かったことも、
同じくらいあったはずなのです。
今が苦しいと、楽しかったことは忘れていますし。
だから、すべては「いま」。
10歳くらいまでにあったことを思い出してみる。
起きた事実と、そのとき、何を感じていたか。
本当は、色々なコトがありました。
されど、思い出せるのは、
「いま現在」の私を表現するモノ。
なのです。
たぶん。、楽しいコトを語れるのは
「いま現在」が、そのような状態なのでしょう。
悲しいコト、辛かったコト、ばかり思い出すのは
た・ぶ・ん・・「いま」とリンクしている。
で。その起きた出来事を新たな地点から見直して
補正すると「いま現在」が変わり始めます。
なぜなら。
その過去があったから、いまの自分がある。
と錯覚して、思い込みを強化するクセがあるからです。
じっさい。
過去は、変えられます。
そして、いまも変えられます。
明るい方へ。