
「芸術の秋」 「美術の秋」
季節は残暑厳しい夏の終わりから秋への変化の季節に
大阪中之島美術館で「岡本太郎展」が10月2日迄開催されてました。
私は終盤を迎える頃の9月23日に訪れて「撮影は可」でしたので
最初から最後まで撮って来ましたが画像の整理が出来ず
アップする機会を逸してしまってカードの中に入ったままでした。
旬が過ぎてしまったのでお蔵入りにしようと思ってましたが?
ブロ友さんが大阪の「岡本太郎展」は終わったけど、
今東京で開催中で来年は名古屋で開催されるので
遅くはない今が「旬」と励まされその一部を
ご紹介させて頂きます。
彼は絵画、立体、パブリックアートから生活用品まで、強烈なイ
ンパクトのある作品を次々と生み出し、大阪万博の核となる「太
陽の塔」をプロデュースし、晩年は「芸術は爆発だ!」の流行語
とともにお茶の間の人気者にもなった。彼は、戦後の日本の芸術
家としてもっとも高い知名度を誇るひとりでありながら、あまり
に多岐にわたる仕事ぶりから、その全貌を捉えることが難しい存
在でもありました。「何が本職なのか?」と聞かれ、彼はこう答
えます。「人間一一全存在として猛烈に生きる人間」。
それではご紹介させて貰います。

『傷ましき腕』1936年(1949年再制作)
大きく結ばれた深紅のリボンから突き出した右腕。切り裂かれた
傷口をあらわにしながらも、その拳は力強く握られている。戦後
、岡本は「【傷ましき腕】などの一連の作品が、純粋なリリシズ
ムと同時に犯行と告発をびっつけているのは、当時のわたしのす
がたそのものである」と記している。パリにおける異邦人として
の気楽さと寄る辺のなさ、芸術表現への自信と不安といった青春
の苦悩が、拳を握る傷ついた腕として表されている。

『空間』1934年(1954年再制作)
暗闇の中に赤い裏地を見せてはためく布、その向かいに
配された真っ直ぐな棒。布のしなやかさと棒の硬い質感
の対比が画面に緊張感をもたらしている。異なる質感の
対比は、岡本が戦後提唱する「対極主義」を思わせる。
「『形』でない形、『色』でない色を打ち出すべきだ」
という自信の言葉とともに。1934年のアプストラクシオ
ン・クレアシオン(抽象・創造協会)の年鑑の、モンド
リアンの作品の対向頁に掲載された。

『コントルポアン』1935年(1954年再制作)
1937年に初めての画集『OKAMOTO』の刊行にあたり、それまで
無題となっていた作品に、評論家ピエール・クルチオンが題名を
つけた。本作《コントルポアン》もそのひとつで、音楽の「対位
法」(複数の旋律を調和させながら構成していく作曲法)をいみ
している。中央の緩やかな曲線の左右に描かれた、黄色の幾何学
的な形と、赤と白で表された有機的な形の対比が、異なる旋律の
呼応する音楽を連想させたのかもしれない。

『露店』1937年(1949年再制作)
色とりどりのリボンや腕輪、かざぐるま、ラッパなどが並ぶ露店
明るい店先とは対照的に、店の奥は薄暗い。そこに立つ売り子は
《傷ましき腕》と同じような真紅のリボンを頭に結び、客の方に
は目もくれず、うつむいたまま笛を吹いている。その内省な姿は
青春の苦悩を表しているかのようである。《傷ましき腕》ととも
に1949年に再制作された本作は、1983年に岡本本人によりグッゲ
ンハイム美術館(ニューヨーク)へ寄贈された。

『師団長の肖像』1942年
30歳を超えて徴兵された岡本は、10歳以上も年の離れた同
胞たち交じり、「自由主義者」のレッテルを貼られ、最前
線での危険な任務を課せられた。そのなかで、一番過酷な
状況を求め、自信の運命に挑むようになったと回想する。
本作は、中国・河北省の応での初年兵時代に、漢口の司令
部に呼び出され命令として描いたもの。戦争末期に描いた
《眠る兵士》とあわせて、岡本の軍役時代を伝える数少ない
作品である。

『眠る兵士』1945年

『憂愁』1947年
復員の翌年、この作品を描いたのと同じ頃、岡本は
同名の詩を発表している。そこでうたわれるものは
「心空しい時、ハタハタと鳴る、わが悲しみのあか
し―旗」が、自分の左右のこめかみのあいだにあら
われるという情景であった。岡本の自画像ともいえ
るこの顔のない褐色の肉塊は、戦争によって深く傷
つき、すべてを失った作家の心象を伝えるるもので
ある。強烈な目玉のイメージと鮮やかな色彩を特徴
とする岡本芸術に先がけた、戦後の出発点ともいえ
る作品である。

『電撃』1947年

『赤い兎』1949年
跳ねる赤い兎というモチーフは、岡本太郎によれば、自信の胸か
ら飛び出てきた「私の叫びであり、生命の象徴であり、生命の幻
影の造形」である。また、心臓を表しているともいわれる。前年
に発表した画文集には、似た構図のスケッチとともに、「赤い兎
/を/上げ/ま/しょう」という詩が掲載されている。父の死、対極主
義の発表と目まぐるしい動きのなかで描かれた本作は、芸術に生
命を賭ける岡本の決意表明ともいえ、読売新聞社主催の第一回日
本アンデパンダン展で安部公房に高く評価された。

『黒い太陽』1949年
左奥にある翳りある太陽と対峙するように、右手前に苦悶の表情
を人が描かれている。この作品の関連として書かれた詩には、太
陽に届かぬ手を伸ばす人間の苦悩がうたわれる。岡本によれば、
「黒い太陽」とは、根源的な生命と切り離された人間の苦悩、つ
まり近代的なニヒリズムを乗り越え、失われた神秘を奪還するこ
とに芸術の課題があるのだと説く。

『夜』1947年
花田清輝らとともに、前衛芸術を研究する「夜の会」を立ち上
げた際、会の由来となった作品。短刀を背中に隠した少女が、雷
に割かれ燃える樹に対峙している。髑髏が覗く木の枝の全体が、
目を血走らせ牙をむいた邪悪な存在のダブルイメージとなってい
る。パリ時代に参加した、秘密結社「アセファル(無頭人)」に
よるサンジェルマンの森での儀式をほのめかしているという指摘
もある。本作の少女のモチーフは、この作品に先立って描いた母
・かの子の遺作『生成流転』(1940年刊)の表紙にもあらわれる。

『作家』1948年
この作品のモチーフは、父・岡本一平であるとされる。
本作が描かれた半年後に一平はなくなることになるが。
岡本はその直後に刊行した『岡本太郎第1画文集アヴァ
ンギャルド』を亡き父母に献じ、表紙にこの作品を用い
ている。岡本の絵画の特徴である、力強い線と鮮やかな
色画を組み合わせた様式があらわれた最初期の作品であ
り、本作の線描に父の漫画からの影響を見る指摘もある。
※解説は当日絵画とともに提示されたそのままの文言です。
※誤字脱語変換間違いがございましたらお許し下さい。
まだ続きますが後日アップさせて頂きます。
ありがとうございました。
見せていただくだけで失礼しています。
ご苦労を感じながら鑑賞させていただいてます。
今回の岡本太郎展も、見入ってしまいました。
上手く見せていただいて、提供の仕方がいいですね。
景色もさることながら、いろいろ工夫されてるのが
伝わってきます。ありがとうございます~
岡本太郎さんって強烈な御本人のイメージしかなかったのですが、、初めてちゃんと作品を見させていただき、とても驚きました!天才なんですね!
ありがとうございます♪
ここで初めて拝見することが出来うれしいです。
しかし良く写真撮らせてもらいましたね
有難い事です 何処の美術館もカメラは禁止です
からこうして拝見出来るなんて本当にうれしいです。
ありがとうございました。
お越し頂き嬉しいコメントありがとうございます。
こちらこそ拝見させて貰うだけで失礼しています。
「なるほどなぁ~」「そうやなぁ~」「ごもっともや!」と
納得し!同感しながらいつも読ませて貰ってます。
写真展をこのような形で編集したのは初めてで
当惑しながら作成しアップさせて貰いましたが?
早々に嬉しいお言葉頂戴しホットしています。
感謝申し上げますています。
昨夜から我が家のPCの調子が悪くて使用できなくて
今やっと使用できるようになりました。
返信が遅くなって申し訳ございませんでした。
ありがとうございました。 - taku -
お越し頂き嬉しいコメントありがとうございます。
以前は岡本太郎氏のことは万博公園の「太陽の塔」しか知りませんでしたが?
大きな「太陽の塔」には前と後ろが違うので何故だろう?と思っていたら?
前の方は現在で後ろは過去の姿と知り
それでは未来は何処にあるのだろう?疑問に思っていたら?
太陽の塔の内部にあることを知り内部を見に行ったら
輝かしい未来へのメッセージとなる芸術品が沢山ありました。
それから岡本太郎氏に関心が湧き今回の「岡本太郎展」に行くきっかけでした。
ウサギさんのブログに
「いつも一生懸命、最善を尽くしていて、」
「人に見られてなくても守ってるし…」
「だから神様が助けてくれるんだと、自分では思ってるんです」
そうですよねぇ~「一生懸命に何かする」大切なことですね。
だから!いざという時には何かに守られるんですね。
ありがとうございました。- taku -
お越し頂き嬉しいコメントありがとうございます。
僕も岡本太郎氏の絵は初めてでした。
一昨年だったか?大阪万博公園で「太陽の塔」の内部に
「太陽の塔」は正面の姿が「現代」裏側が「過去」を表現されて
「未来」は「太陽の塔」の内部にあると知り!
以前は内部は未公開でしたが数年前に耐震補強などを施工され
内部が公開されるようになり入場して
岡本太郎氏の「未来」へのメッセージを拝見してきました。
その時芸術品が展示されてる見たことあります。
仰るように日本の美術館内の作品はカメラは禁止ですよね。
一部の展示作品だけの「撮影可」がありましたが?
今回は動画での「映像写真」以外は全ての作品が「撮影可」でした。
だから音声ガイドを借りて耳で聴きながら
作品と説明文を一枚一枚撮って来ました。
そのために後でこのように楽しむことができました。
ありがとうございました。 - taku -
スゴイとは思っていましたが、こんなにすごい人だったのですね。
感動しました。
実際はもっとすごいのでしょうね。
いいものを見させていただきました。
ありがとうございました。
お越し頂き嬉しいコメントありがとうございます。
岡本太郎氏の有名な作品は西は大阪万博公園の「太陽の塔」で
東は渋谷駅にある幅30っもある巨大壁画の「明日の神話」と云われる大作を
乗換える度にご覧になられていましたか?
今回の「岡本太郎大阪展」でも展示されていましたので
写真撮って来ましたので後でアップする予定です。
仰る通りに岡本太郎氏の作品は力強くて観てたら勇気をもらいます。
渋谷駅に現物の「明日の神話」を観に行きたいくらいです。
まだまだ続きますのでお部屋に居ながら「岡本太郎展」続きご覧下さいませ。
ありがとうございました。 - taku -
お越し頂き嬉しいコメントありがとうございます。
いつも素敵なブログ拝見させて貰うばっかりの私にコメント頂き心から感謝します。
私も岡本太郎氏のことは余り存じませんでした。
大阪万博公園の太陽の塔の内部にも芸術作品が展示されていましたが?
絵画をこのように沢山拝見させて貰ったのは初めてでした。
偉大なる足跡を絵画に残されているのを知ることができました。
作品は後も続きますのでご覧戴けたら嬉しいです。
ありがとうございました。 - taku -