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相場を神憑り的にも当てたるトーナイ東内古代史も研究中のどアホ者

2014-02-04 06:51:54 | Weblog
日本人の血の中に サンカの人々いう縄文時代の血が 何%かは残っているように思うのですね サンカの血というのは 山で暮らす人々で 

1万年以上も前から 日本に住んでいた と思うの

自然と共生し 山で生きてきたのだろうと思う 

藤内遺跡は 

ワシの頭の中に 何か 住み着いていて 困ってるんじゃ



サンカとは 見下され差別も受けてきたのだろう と思う

時の勢力の 言う事を聞かない種族でして 

山で暮らした流浪の民かも 知れない

浮浪者狩りなども あったりした時代もあって・・・



例えば 鍛冶で刀を 作る 

刀を作れば 

その刀の試し切りにもされたかも 知れない 

刀剣のよいものは その昔では

人を切って 切りぐあいも 試されたと聞く 



罪人?を引き連れていき 刀の切れを試す 

その刀は 折れないのか 試されたような刀は

名刀とも 言えるのです 



縄文から暮らしてきた先人たちは

1300年から2200年前頃に 渡来系に 征服された



一回 ワシ DNAを調べて貰おうかなとか 思ってる

が ・・・・縄文は 

置いておこう ながくなる



また 下の方に書いてる

金屋子神 ってのを 調べていくと 

タタラに行き着きましてな 砂鉄や木炭で 鉄を造る



タタラ って 言えば 鉄を造る ってことにもなってくるの

鉄を造る って ことになれば 銅も 何らかの関係してくると思うのや



なんでか 銅や鉄にさ ワシは常に興味が深くて 



引き付けられてしまう傾向が 

体内にあるようにも感じるの



日々 集めているし

集めろ 集めろ と 体内から命ぜられているような感覚



ワシの生まれた村落の周辺や 水の上には 鉱山も多数あったので その水源の水を 最低でも1300年飲んで暮らしてきているので すこし 

その影響が出ている かも しれないね

 

岡山県では ウランも出るのですから

これは 新見市 辺りかな 島根県の 下辺りです



ああ 知りたいねえ



ワシは何%縄文人の血を引いて 渡来人の血を何%

含有してるのじゃろうか



ワシ 日ごろから 金属屑の変わったものが 出ましたら

分析を依頼したり するのですね



その中に 何% 金が含有してるか とか 銀やニッケルが何%なのかとか やってるのんじゃ



また リサイクル工程で 幾ら kg辺りで経費がかかるのか とか やってるの



昨日は ニッケルが かなり 含有した スクラップを

数十トンも 買ってきて これは ワシも大型重機に乗って その含有率の高い部分は なんとか とりだしちゃると 必死で 大型重機に乗ってたの



たいていは 日々 金属系屑100トンは最低目標で集めるのんじゃ

昨日は 気温も上がって 寒くないね大阪



途中で 雨が降ってきましたが 休むことなく セッセと 解体した



株やら 資源銅相場が 下がって 相場で大負け中の 日は それが エエ 



精神衛生上でも そうして 解体作業をしてるほうが PC前に座ってるよりも 楽なの



ニューマのハサミも修理が終えたし また 中古のニューマも 程度の良いモノが手に入ったし その他のハサミも 数がそろってきたので 金属切断の大型のハサミ5つ保有になった 

新品だと どやろう 2500万円は するのんじゃ

けっこうに 金属切るハサミ 高いのじゃ



これで 都市鉱山の 金属を 切断して その後に また 仕分けるのんじゃ



単純な鉄くずの加工も 日々 最低でも ワシが10トンは 2時間ほどでは 仕上げてるの



プレス加工のほうは 職員に任せているが 切断が面白いのんじゃ 金属でも 20センチほどの鋼材は これで ぶち切れる

モウカッター(これは ナべショーさん製造のハサミ) のほうも 職員の中で 木工所で20年勤めた者がおるので 砥ぎは 彼が 旨い

刃を 20年も 日々 研いでいたら うまくなる

ニューマは 日々の砥ぎが 不要なのじゃ 刃が強い

刃も裏表 返して使えるし 刃も 安く 仕入れるルートを

ワシは持ってるの



その他でも リサイクル機械で 破砕機も数台でしょ

これも 各 刃 を バラシテ 研がねばならないの

粉砕機も 数台 持ってる これは 砥ぎ師 に出して研いで貰ってるの



日本刀も砥ぎをせんとあかんでしょ

刃というのは 常に 研ぎすまされておらんとあかんのじゃな



そや ここでも なんか 切る って ことに 本能的に好きなのじゃ 



お上に ワシの先祖が命じられ 切りまくってきたのかも 知れないとも感じてる

すうっ~と するの 切ってると



とにかく 昔の武器でもな 銅のものより 鉄の鋼が やはり 戦闘では 最後には 勝った と 思うぞ

はがね は 折れない 何度も 敵を ブチ切れる倒せる 

戦うには強い



藤 鉄? を 制した者が 覇者になったのでは ないでしょうか 古代

日本語には 漢字が色色と あてはめれるが 発音は

藤は= とう 唐? 刀? とも 書くぞ



相場は2/4早朝では 大きな下げ

銅は7000$辺りまで下げて 為替が悪く 駄目ですね

仮定銅の計算式では75万~76万



日本株も 外人が売りまくっていまして そうとう 下げていて これに 弱気になった個人投資家も投げてきてる



しかし 売りから 入ります 根性はなかった?

昨日も先週末も

ブルのレバが 掛かったものは 先日に外したが・・・・



2/4は 日経500円も下げる可能性有り

まだ下がる可能性も高い

この後13000円近くまでも あるかも 知れないですね





日経平均 16000円で買って13000円で売れば

3000円÷1.6万=20%減る ので

1億円が8000万円の評価になる

100万は80万円になる

簿価でいきましたら 取得原価なので 9900万円で

簿価となる 保有した株は ウラネバ 損失は出ない

但し 借株をしていると 時期がきたら 精算やから

先物をやっておられる人は 損失がでても売る



そうなの スクラップの場合

現物を持ってると 置き場にも困る事にもなるし 

手元資金も寒くなる



あほな事 書いてるでしょ あほなので 

あまり 真剣に相場に関しては このブログ 受け取らず ご自身のご判断でなされれば よい



しかし 新興国の通貨が売られて それほどの影響は大きいのでしょうか?

それよりも 中華の経済が 不安ですよ

世界のGDPに それらの国々の占める割合も 調べてみたいと思います

とにかく----下がる時は 下がるので 仕方がない





ワシの会社のHPも 日々更新していますので

是非 お気に入りに入れて戴ければ 嬉しいです

http://www.tohnai.com/top_main.html





■『陰陽五行と日本の民俗』からのなかで,『鉄山秘書要約』を次のように解析している。



「七月は申(サル)月であるから, 金屋子神は申月申刻に天降りされた。 申は金気の始め, また七日の七も七赤金気で, 金気の象徴。 次ぎに西方に向かって白鷺に乗って行かれたというが, 西・白・鳥はいずれも金気である。このように時間・空間・色彩・十二支において,金気ずくめの金屋子神は,「土生金」の理で,土が二つも重なっている桂の木に止まり,最上の呪物土気である死体,それも生類の霊長としての人間の死骸を最も好まれる。それらすべて一部の隙もない五行の理の応用であり,反映であって,昔の日本人が如何に五行の呪術に凝っていたか,歴然たるものがある。同時に裏を返せば,そこに見られるのは自らの仕事に対するあふれるばかりの忠誠心であって,後代の私どもは深く感動させられるのである。」

 このことからも,

①楢原邑に始めて「中山大神」として示現した神は,午(ウマ)の最盛期を選んで出現したことから,この神が「火」を中心とした神格と認識されたとして間違いないであろう。②一体どのような火であるか,火の種類については今のところ明確ではない。

しかし, この神が

東内(藤内)の矛殿・五座の鉾石など鉾を属性としていることからも,鉾などの武器製造に不可欠な金属溶鉱・鍛治の火(炉)を象徴していた可能性は高いと考えられる。





■ 東内(藤内の祖)に神が示現したのが慶雲三年,丙午の年の五月上旬(二の午の日)とある。二の午の日がわたしには解らない。当時は月を上・中・下旬とせず,上・下旬に二分していたものなら「二番目の午日」はおさまる。しかし,旬を原則どおり十日単位とした場合には,十二支を一巡とする午日が二度現れるはずがないのだが。この点については,是非どなたかにご教示をお願いしたい。
とにかく,この年の干支(カンシ)は丙午であって, 日時ははっきりしないが,日の方は干支の干が不明なるも支は明確に「第二の午日」と言う。ちなみに,旧暦の五月は夏の盛りの「午」月でもある。すると, この神は午の年・午の月・午の日に,白馬(午)に乗って現われたことになる。ここまで午が揃うと, 出現時間も当然「午の刻」の可能性も高いのではないか。午の刻は真昼-正午である。こういった干支にぴったり合わせた示現伝承や,五座の鉾石伝承からも,「陰陽五行思想」の濃密な土壌のなかから,この神が誕生したことは間違いない。
鉾石は五個あったと考えられ,鉾の大小は置くとして中央と東西南北の四方に,鉾が立てられたものであろう





■和銅(日本の時代)

和銅(わどう)は、日本の元号のひとつで慶雲の前。708年から715年までの期間を指す。この時代の天皇は女帝元明天皇である。

· 和銅8年9月、霊亀に改元。

続日本紀 卷四には、武蔵国 秩父郡(現在の埼玉県 秩父市黒谷)から、和銅(ニギアカガネ)と呼ばれる銅塊が発見され朝廷に献上されたことを祝い、年号が慶雲から和銅に改められたと記されている。

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