リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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遠くの親戚よりも近くの高原病院・・・。

2012年09月23日 | Weblog
4年間ほどパートで勤務していた山梨県と長野県の県境の町の厚生連の富士見高原病院(現富士見高原医療福祉センター)の外来応援が最後になった。

当初は毎週、2年目から隔週でのパートであったが、ホームグラウンドの安曇総合病院との違い、病棟やディケアなどがないマネジメントや患者層の違いなどいろいろ学ぶところが多かった。


(富士見高原医療福祉センター)

「遠くの親戚より近くの高原病院」というモットーの病院は小さいながらもかなり高度なことまでやっている病院である。
病院自体の規模としては安曇総合病院から精神科病棟をのぞいたくらいの大きさである。
しかし院長がやり手であり複数の老人保健施設や診療所をもっていたりケアミックスの方向に拡大していく一方で、センターは急性期医療も外科や内科もベテランのスタッフが揃って手術やインターベンションもかなりやっていたりと、この規模の病院にしては手を広げてやっている。
患者さんも複数の科にかかり、院内処方の処方をうけとり様々な用事を病院ですまして帰る方も多い。


(老人保健施設あららぎ)

精神科(ちなみに高原病院では心療科と呼称している)にも常勤医がいたが開業して不在となったことが発端だ。
S大学病院からはとても派遣する余裕がないため、同じ厚生連の当院からも外来の応援することになり、その他に山梨県立北病院(慶応義塾大学の医局系列)からの交代で新人医師や、独自採用のベテラン医師、富士見高原病院で内科の研修をした諏訪湖畔病院の医師などが曜日代わりで寄せ集めで外来が運営されている。


(畳があったり、ピアノがあったり(今はないが)味わい深い待合室)

こんなことが成り立つのも外来のベテラン看護師のマネジメントが卓越だからだ。
カルテも読んでコミュニケーションをとって患者さんを把握してカウンセリングやケースワーク的なこともしつつ患者さんに対応する。(だから患者さんも他科の帰りに顔をだしたり、病棟スタッフ、ケースワーカなどもこの看護師にまず相談する)
関わる医師の交流会も企画していただき、他の病院から応援にきている精神科医師とも交流することができた。

患者層は、高齢者をのぞけば心身症、メンタルヘルス、うつ病などが多く、統合失調症や双極性障害Ⅰ型などは数えるほどしかいなかった。ヘヴィな疾患はやはり病棟やディケアをもってやらなければ難しい。
かなり遠方であるが透析が必要で精神症状が問題となったケースなど安曇総合病院で入院をしたケースも複数あった。
アウェイであり統合失調症や認知症、アルコール、不登校などで大きな動きというのはできなかったが、高齢者包括支援センターや障がい者総合支援センターなどともかかわりながらできることをやるということに徹してきた。

富士見町は小規模多機能事業所もできたり、認知症に関する演劇をしたり地域活動なども盛んなようだ。
高原病院では富士見町の包括支援センターも病院が委託で受けており、認知症の様々な困難ケースの相談があった。
どうしても病院にこられなくなった人への往診もした。
隣接する特別養護老人ホームの精神科の回診もしたが、安曇病院からもしているが特養ごとの雰囲気の違い活用のされかたの違いもっといえば文化の違いなども興味深かった。

けっこう長く付き合ったのは重複障害の方だ。精神科とは少し違うのかもしれないが、視覚障害や透析、車椅子生活の方などのリカバリーの支援もかかわったが地域リソースの開拓がなかなかできないのがパートの辛さである。
常勤ならばミニディやセルフヘルプグループなどからニーズに応じた場所を広げていきたいところであるが・・。
ホームのエリアとは違う地域で入院病棟などそちら側のリソースもなかなか使えない。

パートとはいえ患者さんにとっては定期的に合うので、いつもいるような感じになるらしい。
依存させるような関わりはしないように心がけて入るが、長い付き合いになった患者さんと別れるのも辛い。
新しく東京からベテランの先生も来るということなのであとはお願いすることになった。
精神科病棟をもたない病院でリエゾンやソーシャルワークを中心とした精神科医というのも様々な可能性を感じさせてもらった。

地域住民の救急受診を断るケース

2012年09月11日 | Weblog
当院で救急外来の受診を断られて他の病院にくようにといわれたという地域住民からの苦情があったという。

安曇総合病院は医師の1人当直とはいえ、夜間休日も看護師と臨床検査と放射線のスタッフも当直している。
高度なインターベンションができる3次医療機関ではないが患者さんや家族の判断や、救急隊が現場や車内でできること、診療所よりは出来ることははるかにたくさんあるので専門外とはいえ診察もせずに受診を断ることは合理的ではない。

ただし一刻も早い高度のインターベンションが必要な多発外傷や頭部外傷、脳卒中(tPAや穿頭術が必要な可能性がある)は3次医療機関に救急隊がトリアージして行くプロトコールとなっている。それは患者さんの利益にかなうことだ(近くの病院でみてもらえず不本意かもしれないが)
中途半端に途中に2次救急病院に立ち寄ってもたつくことインターベンションのゴールデンタイムを失ってはいけない。
そのあたりは救急隊がトリアージするがバイタルが揺れているような場合は途中で立ち寄ってルートキープ、大量補液、薬剤投与などは行うこともある。



地域住民も救急外来は夜間外来ではなく翌日まで放置しておけば悪化したり急変する可能性のある疾患を除外して最低限の処置をおこなう場所であることを承知しておく必要があるだろう。

結局医療ニーズと医療技術のマッチングの問題なのだが、これは単一の医療機関で解決はできない。
当院の規模では専任のERチームをつくることは難しいし、すべての疾患をみることはできない。
高度なインターベンションもできず地域の最後の砦で原則断らないという方針の病院でもない。
しかし地域の急患で当院でみるべきケースをみられないことはあってはならない。

救急外来の業務のレベルアップを図るために、救急外来にでる医師は救急外来の業務に専念できるように翌日は休める体制をつくり、情報を共有し、ケースカンファや勉強会などへの参加を義務付けるべきだろうと思う。
救急診療委員会を機能させ、電話でも断ったケースに関してその判断が正しかったのかきちんと分析し、その情報を公開するべきだと思う。

「陽子の一日(南木佳士)」

2012年09月04日 | Weblog
文学界、2012年9月号に掲載された南木佳士の小説「陽子の一日」を読みました。

芥川賞作家の南木佳士の小説やエッセイは好きで学生時代からだいたい読んでいます。
疲れた気分の時に物悲しい音楽があうように、すこし鬱っぽい気分の時に読むと実にフィットします。



かつて私が佐久病院にいて、うつっぽくなり医局のソファでくたばっていたら南木佳士が前のソファにどっかと座って話をしてくださり、「底上げされた価値、世間虚仮」といった言葉を餞別としていただきました。

また針金で肺の模型をつくって胸部レントゲンの読み方を教えていただいたことも思い出されました。

「陽子の一日」では先輩医師である黒田が研修医にかかせて陽子に残した自らの病歴要約を中心に二人の人生が振り返られます。
いつものことですが南木佳士氏の小説は、小説なんだかルポなんだか自伝なんだかわかりません。
自宅に戻ると衛星放送の自然番組をみたり、泳いだり山に行ったり、実際にそういう生活をされているんだと思います。

老いの有様、地域との格闘、さまざまな医師の人生の交差・・。
私も南木佳士も勤務するモデルになった病院や地域にかつていたこともあり一つ一つの内容がリアルに迫ってきて引きこまれました。

しかしずっとポジティブに生きているお感じない人、医療者以外の人などはこの小説をどのように読みどのような感想をもつのでしょうかね?

成年後見活動のための精神医学

2012年09月03日 | Weblog
成年後見人制度の利用も増え専門職の後見のニーズも高まっています。
複数での後見が可能となり、財産の管理や法的な問題の整理は司法書士や弁護士が担い、社会福祉士は後見活動のなかでも特にケースワークが必要な部分、Assistive Advocacy、権利の行使や身上監護の部分を担うことが多いようです。
社会福祉士会が運営する権利擁護センター「ぱあとなあ」は成年後見人(専門職後見人)の養成をおこなっており、連続講座は今年で5回目になります。
この講座を受講した社会福祉士は「ぱあとなあ」の一員として成年後見人を受任することが求められます。

お声がけいただき、この講義の一コマ、「成年後見活動のための精神医学」を担当させていただきました。
後見人制度における医師の役割ということを中心にお話しましたが、各論部分は時間がなくて駆け足になりました。

スライドはこちら

認知症、統合失調症、高次脳機能障害、知的発達障害について短時間で簡単に説明なんてできません。
できるとすれば当事者の方に語ってもらうことかなぁ・・。

夜の部で受講生とぱあとなあメンバーによる交流会にも参加させていただき行政や医療機関、社会福祉法人、大学、社会福祉協議会、NPOなどさまざまな場で活躍する社会福祉士の方と知り合いになれました。
多問題ケースに専門職後見人として取り組んでいる方のお話をうかがいました。
医療、福祉、法律、行政・・・・多職種で知恵をだしあって当事者の方を支えて、職種、職域を超えてお互いにタイミングよくいいパスが出せるようにしたいものですね。

BPSDの激しい認知症の方の移送と入院

2012年08月02日 | Weblog
以下の様な質問をいただきました。

Q: 精神科救急は、家族が病院に連れて行きたくてもつれて行けない周辺症状が強くある認知症の方を救急車で搬送してよろしいのですか?


A:認知症に限らず精神科ではよくある相談です。
認知症に限らず精神障がいというのは支援を上手にうけられない、支援を受けること自体に支援が必要な方のことです。
引きこもりや統合失調症などの場合でもよくある構造であり介入方法もほぼ同様です。

もっとも危機が発生してからあわてて動いて無理やり精神科病院に投げ込むのでは本人も傷つきますし、病院としても対応に本当に苦慮します。
(残念ながらこういうケースはいまだに実に多いのですが・・。)
本当はこの様な状態に至らず認知症の混乱期を乗り切るために早期から介入し、家族以外の人に支援を受けてもらうことに当事者本人も家族も慣れてもらうことが大切なのです。
早期介入とアンチスティグマは裏腹の関係ありますが、幸いなことにさまざまキャンペーンで認知症は理解が深まりかなり早期介入が可能となりました。(一方、統合失調症はまだまだです。)

認知症のケア政策においてイギリスなどの取り組みを参考にして厚生労働省のプロジェクトチームが本年6月にだした「今後の認知症施策の方向性について」 はよくできていると思います。

さて、この様なケースでは、まず、家族、病院や行政関係者も含めた支援者、関係者で連携し共通の認識をもって作戦を練っておくことが大原則です。
家族は地域包括支援センターに相談し、精神科の外来でも相談しておくことをおすすめします。
精神科の医師が中心となって皆で作戦をたて、具体的な介入や身体的な危機や、自傷他害の恐れがでたときなど、なにかおこったときに誰がどう動くかと作戦を練っておいて、いざというときにすぐに危機介入できるようにしておきます。
受診や介入を拒否するようなケースには可能ならば精神科の医師も含めた支援者が訪問を繰り返し、病院に連れてくることが本当に必要で適当なのか、入院治療の他の方法がないのかをアセスメントすることが必要でしょう。
病状や構造を診たてて状況を把握するための訪問もホームグラウンドの地元では頻回でき、いざというときには自分の病院への入院というカードも使えますが、病棟を背負わず、地域のリソース(優秀で動ける人や使える施設)も把握しきっていないアウェイのパートで行っている病院で、この様な切り盛りは本当に大変です。

抑うつや妄想、徘徊、易怒性、暴力などのいわゆるBPSDは混乱期の認知症を持つ方の言葉、表現と考えて読み解くことが大切です。
本人に受け入れてもらえるような丁寧で細かな漢方薬や向精神薬での薬物調整も効を奏します。
やむを得ない場合は身体の薬などとだますこともありますし、セレネース液やリスパダール水液などの液剤を味噌汁などに混ぜてブラインドで投与することもありえます。(本当はいけませんが・・)

しかし家族も振り回されて疲れ果て余裕をもって対応できないことで余計に本人に辛く当たり、本人もイライラしてよけい荒れるという悪循環となってしまいます。
家族が倒れてみたり、やむを得ない用事などで本人に係ることができない状況をつくり、本人に困ってもらうことで、うまくいく事もありますが、困った挙句、包丁を持ちだしたり火をつけたりということもあり、物理的に離れることが必要となることがあります。
行動障害や妄想などの精神症状がひどく、どうしても入院していったん家族と引き離したほうが適当なケースです。
身体の衰えとパラレルならまだいいのですが、頭は大混乱していても首から下は元気なケースが特に大変です。

精神保健指定医が診察し、入院が必要だけれども本人の同意が得られない場合、家族が保護者となっての医療保護入院ということになります。
ただし家族にも認知症の方が病院に入院することには相当デメリットも多いことは知っておいてもらう必要はあります。
これは薬物治療やmECTなどで改善が見込める躁うつ病や統合失調症などとは違った難しさがあります。

入院や入所する施設は混乱の中で家族との関係も悪化しているよりは居心地のいい環境となっている必要があります。
残念ながら統合失調症などの慢性期の方が入院していた場所を転換した単科の精神科病院ではマンパワーも少なく認知症の方のケアに適した構造とはなっていません。
身体的な管理能力も乏しく、大暴れして体力を使い果たし、抑制(物理的、薬物的)などされて生きる気力を失って死んでしまう可能性もあります。
質の高い認知症対応の老人保健施設などがあればベターでしょうが・・。
安曇病院では15床の老年期病床にマンパワーをあつめ本人が支援を受けることも悪くないと思ってもらえるように「天国のよう」に関わっているため、家や施設で大暴れしたり、内科の病棟でせん妄をおこし転棟してきた方に「ここは待遇がいいな。」「みんなよくしてくれる。」と言われたこともあります。
しかし診療報酬単科の低い精神科病棟で、そのようなことをやっていては構造的に赤字になるのでなかなか大変です。

身体的な医療依存度が高くなければ、ケアという点では認知症に慣れた高品質の老人保健施設などのほうがむしろ適当かも知れません。
強制的な入院治療は人権問題も関わりデリケートで微妙な問題ですので、家族が主治医、包括支援センター、保健福祉事務所、精神科医、認知症疾患センター等に相談して十分に作戦をねっておくことが必要と思います。

さて、質問への回答ですが危機介入のための移送ですが原則として救急隊はそのようなケースでの本人の同意を得られない移送はできません。救急隊としても危険ですし救急車の使い方として望ましいものではありません。

ですので病院に連れてくるためには

(1)家族や親戚(多少強引なことをしても法的に問題になりにくい)を集めてもらって病院に連れてきてもらうようにお願いする事が多いです。ドライブや買い物に行くなどとつれだしたり、正月に家族があつまったときに簀巻きにされて突然連れてこられたアルコール依存と認知症の方もいました。

(2)あるいは本人も納得できるストーリーで入院できるよう体調不良時をみはからって検査しようとかこつけて救急車で病院へ連れていったりすることがいいでしょう。寝起きに連れていくこともあります。

(3)精神保健福祉法に従えば自傷他害の恐れがあり精神障害が疑われる場合、警察官をよび24条通報、あるいは23条の市民通報で精神保健指定医の措置鑑定をうけての措置入院というルートがありますが高齢の認知症の場合はあまりしません。

(4)第34条に基づいた「医療保護入院のための移送」ということもありえますが、都道府県(保健所)による事前調査などのあり、これも認知症の場合はまずしないでしょう。

参考になれば・・。

噴飯モノ。「精神科は今日も、やりたい放題」?

2012年07月31日 | Weblog
「精神科は今日も、やりたい放題~”やくざ医者”の、過激ながらも大切な話」という挑発的な本が大々的に売られています。

精神科は99%が誤診!ついに出た、医学界内部からの告発 精神科ほど、甘~い商売はない。というキャッチーな帯がかけられ、近くの書店でも本棚の大きなスペースで並べられ、これまでに累計10万冊以上も売れているようです。
苦しむ患者さんをなかなか良くすることができない精神医療を叩くのは気持ちがいいですから、世の中には、このような言説を求めているのでしょう。最近のNHKの番組を始め、この様な言説が出てくるのは精神医療周辺ではいつものことなのですが、これは病気で苦しんでいる患者さんや真摯な精神医療従事者にとって非常に失礼な話です。妙な精神科に対するルサンチマンが渦巻いています。
精神科をたたくことで病者が救われるなら文句は言いませんがね・・・。

内容はよくぞこんな本がかけたものだというレベルで個人的に見れば、怒りを通り越して笑える本なのですが、こういう言説が広まることで精神医療による医療被害と逆の意味で不幸をつくりかねないので、この場で一応反論させていただきます。

精神科は今日も、やりたい放題
内海 聡
三五館


東洋医を名乗る内海聡氏は、初期研修後に内科、消化器内科、東洋医学などを研修、大学卒業後わずか7年目で御開業されたようです。
精神科での研修の経験はないようですが、精神科セカンドオピニオン活動として漢方薬を使い精神疾患の患者さんも見るようになったようです。すごいですね~。
ブログもはこちら→(東洋医の素人的処方箋

きっとそこで大量処方をうけていた患者さんの減薬が、たまたまうまくいって感謝されたケースが続き、自分をヒーローか神様かと勘違いしたのでしょう。
このあたりは「こころの病は脳の傷」の京橋未来クリニックの松澤医師と同様ですね。

参考:サイコビジネス魑魅魍魎~こころの病は脳の傷?~

この本はいわゆる反精神医学やサイエントロジーの流れを組む内容で内海氏は精神病を否定し精神科は存在自体が悪と主張します。あろうことか精神科医と親が共同虐待していると主張しています。(これは苦しんでいる当事者や家族にとってセカンドオピニオンならぬセカンドレイプですね・・)
そして精神病は甘え、自己責任であり、登山やサウナで治せという論調で、躁鬱病や統合失調症、発達障害をDSMもびっくりの私見で独自に定義しています。

曰く「誰でも支離滅裂になる時がある。統合失調症を病気であると判断するその概念そのものが、社会がロボット管理を求めるがゆえの「おかしな行動は許さぬ」という思想に等しいのだ。百歩譲って本物の統合失調症があるとしても、薬を飲みたい患者さんだけが、最低限度で飲んでいれば良い話ではないか。薬で統合失調症になる。うつのほとんどが社会ストレスが原因。まともな精神科医などいない。」
と精神病の現状を無視したパラノイッシュな主張です。

患者さんや家族の苦悩などいざしらずですが、苦しんでいる人がいるのに、そんな現実は無視してそんな病気はないというのは酷い差別ですね。

もっとも精神医療の負の歴史はあり、世間には未だにひどい精神医療をおこなっているところも確かにあります。
林公一先生がその著書「サイコバブル社会」でも述べられているように精神医療の領域が無節操に拡大し製薬会社のディジーズモンガリング戦略に踊らされたチェックリスト医療などがはびこりつつあることも否定しません。

しかしそんな精神医療を生み出して存続させているのも現代のこの社会なのです。

このブログのエントリーは参考になります→精神科に「やりたい放題」にさせた「システム」(狂気をくぐり抜ける)

これまで社会があらゆる厄介事を精神医療に押し付けてきたのにもかかわらず、社会が精神医療をどう受け入れていくのかを考えるのではなく、精神病をなかったコトにして精神医療を全否定して悪者にするのはおかしくないでしょうか?
精神医療を諸悪の根源としてで現実がよくなるならよいのですが、そんなに単純なものではありません。

私だって「医は医無きを期す、精神医療は精神医療無きを期す」とおもっています。
医師は自らの医療実践ををつねに省察することも必要ですし、医倫理と科学的、統計学事実をもとに患者さんに害をなさず益となるように責任を負う最後の砦だとおもっています。ヒポクラテスの時代から医師は"Do not harm."が大原則ですから。

まぁ、世の難題を目の前にした時に無責任な非専門家のコメンテーターは「的はずれな一点突破」を好みます。
著者の内海聡氏は「精神科さえ存在しなければ、人々は自分で精神的諸問題を解決するのだ。」「精神科医は危険な毒を出す薬屋であり、収容所の管理人にすぎない。その人間たちに癒しや根本的な解決など決して望んではいけないのである。」と主張しています。

すべての精神科医が患者さんを不幸にしようとする悪の手先だとでも言うのでしょうか。
内海氏は精神科に受診する前の10の心得を上げ、精神症状への対処方法として登山やマラソン、太極拳やヨガ、断食、教育などをすすめています。
それだけの余裕のある人はすればいいと思いますし別に否定はしないのでですが、落ち着いて考える事もできず、せっぱつまってそんな余裕もない人もいますし混乱している人はどうするのでしょうか。

そもそも上手に支援を受けられず支援を受けることそれ自体に支援が必要なこともあるのが精神障がいです。
まず、支援につながるまでが大変なのです。
そして精神医療に関わるものは時には患者さんに攻撃されることもありますし、家族や当事者のサンドバックになることが必要な時もあります。
これは精神医療の業(カルマ)でしょうね。

また本来的には精神医療の役割ではなく他の支援(経済的なことや司法や宗教など)が適当な場合でも医療、特に精神医療につながればとりあえず自死をせずにすみ、他の継続的な支援につなぐ可能性があるというワンストップの窓口としての意味もあります。
適切な支援につながらないことで自殺や自傷他害に至る悲劇も多いのです。

社会の見たくないものは見ないという態度がスティグマを産み、有効な介入のあるはずの疾患への介入が遅れます。(この本はそれを助長するものです。)

内海氏は自分のところに来た精神医療から逃げ出してきた一部の患者(信者?)の例からしか、精神医療を見ていないのでしょう。
本当に重症の精神疾患をかかえる方やその家族の現実とがっぷり四つに組んで付き合い続けた経験などないのではないのでしょうか?
精神科救急の現場に携わったこともなく精神科のトレーニングも受けておられないようですので無理もないことですが・・・。

内海氏が非難するダメな精神科医同様、内海聡氏がもし精神疾患の患者さんを相手にしているのにもかかわらず精神医療をきちんと勉強しようとしないならば、それは患者さんにとって非常に失礼なことですし悲劇を生みかねないことだと思います。

医師を続けることは許されません。

内海聡氏は不思議な熱意と正義感をもって取り組んでいらっしゃるようですが、氏の思考には様々な認知の歪みがみられるように思えます。
内海氏が全知全能の神ならともかく、精神医療を全否定してしまっては救われるものも救われません。
氏がすべての精神病をかかえる方や家族を救ってくれるなら文句は言いませんが・・。

こんな本がスティグマを広げ、苦しんでいる人を適切な医療介入から遠ざける事になるならそれこそ悲劇です。

今日も、やりたい放題なのは内海聡氏とこの本をだした出版社なのだとおもいます。

逆説的ですが、反精神医学を主張する人々に居場所や生きる目的をつくっているのも精神医療だったりしますしね。
内海聡氏も信者をのぞき世間からも相手にされなくなってきているようで、この調子がつづけば最後には内海氏の否定する精神科でしか相手にしてくれなくなるかもしれませんね・・・。

まぁ、現場としては真摯でまっとうな実践を淡々と続けるのみです・・・。

※認知の歪み10パターン

全か無か思考、過度の一般化、心のフィルター、マイナス化思考(プラスの否定)、結論への飛躍、心の読みすぎ(読心術)、先読みの誤り、拡大解釈(破滅化)と過小評価、感情的決め付け、すべき思考、レッテル貼り、個人化(責任転嫁)

精神科ってどうなの?という方には次の本をおすすめします。「ツレがうつになりまして」、や「私の母はビョーキです」、「日々コウジ中」などなどのマンガを題材に精神障害やその対応について林公一先生が説明しています。

名作マンガで精神医学
林 公一
中外医学社

地域医療推進セミナー@信州大学

2012年07月28日 | Weblog
市立大町総合病院にもいらしている中澤勇一先生にお招きいただき信州大学でお話をしてきました。
中澤先生は長野県の寄付講座でもある地域医療推進学講座の准教授の先生で、地域医療の学生実習や研修のコーディネートなど幅広い活動をされています。

地域医療に関わることなら内容は自由とのことでしたので、「リカバリー志向で行こう、弱さを絆に地域を紡ぐ医療実践」というタイトルとさせていただきました。

スライドはこちら

2ヶ月に1度程度開催されていて、今回で23回目となるセミナーですが、これまで佐久病院時代の指導医だった川尻先生や長先生、北澤先生、諏訪中央病院の佐藤泰吾先生など、自分も大変お世話になってきた先生方も話しているセミナーのようで緊張しました。
大町総合病院で医療再生に取り組まれている外科の高木先生も話したことがあるようです。

学生のほか、うちの研修医や公衆衛生の先生なども来てくださり、新たなつながりを持つことができました。

唐松岳学校登山付き添い

2012年07月26日 | Weblog
山に囲まれた長野県の中学校や高校は学校登山というのがあります。
先日、地元の中学の学校登山の付き添いに行ってきました。

当院にも毎年、地元の複数の中学から医師会を通じて学校登山の医師の付き添いの依頼が来ます。
医師会の開業の先生は高齢で医院を休むわけにも行かないので、若い医者の多い病院に回ってくるのです。
学校登山で喘息死がでてから医師が付いて行くようになったといいます。

地元の中学校の教育現場の雰囲気に触れられるので貴重な機会です。不登校や発達障害の相談を受けることも増えてきているので・・。
年に1回の楽しみ?です。

前もって、その日は、外来を休止にして段取りを付けますが、雨などで中止となることも多いです。
昨年は雨で中止となり、予備日も雨で中止となりました。

ずっと爺ヶ岳ばかりだったので今年は唐松岳・・。
早い者勝ちです。
変化に飛んだ人気のコースでゴンドラとリフトでかなり高い地点からスタートです。

しかし、同僚がついていった別の学校では滑落の事故がありヘリコプターで運ばれたという話を聞き緊張しました。

山では何があるかはわかりません。
毎年行っている危険なところの少ない安全なコースを選んでいる言え、先生が1対1でついていられるわけではなく、天候も変わりえます。
体力や病状的に懸念のある子どもはドクターストップがかかっていますが、不登校であっても学校登山だけには出てくる子などもいます。
教職員向けのしおりに「山頂では多動児に注意」とかいていたり、他動で危ない子は先生のもつ杖を話さないようにして移動したりしていたこともありました。

今回は、ガスが多く曇りがちでしたが、かえって暑くもなく雨もふらずちょうどいいくらいの天候でした。
事故や急病もなく良かったです。

唐松岳のコース、花の種類と量は圧倒的でした。
「北アルプス花三昧」と銘打っており観光地でもあり、リフト+1時間程度でいける八方池まではツアー客や観光客もたくさん来ます。


ニッコウキスゲ、別名エゾカンゾウです。


キヌガサソウです。

季節をさかのぼりながら山に登ると、マイヅルソウ、ゴゼンタチバナ、エゾカンゾウ、シラネアオイ、ウルップソウ、ヨツバシオガマ、チングルマ、コマクサ・・・・・。色とりどりで形も大きさも様々な高山植物に出会います。

名前の通り北海道の海岸部、礼文島や千島に連なる場所では平地で咲いていることもある花です。
なんとも不思議な感じがしますね。

小学生や親子連れ、遠方の修学旅行の中学生もたくさんいました。
そこから先の丸山ケルン、唐松岳山頂までいく学校もありますが、登山という感じになります。
長野県の中学校は山小屋での宿泊です。100人以上もいる学校とのすれ違いは大変です。


山頂に行くまではガスがあったのですが、山頂では日がさし、富山側の視界が一部開けました。


山頂から荷物をデポした唐松山荘まで下ります。コマクサが咲いています。


山荘の食堂から正面に「点の記」で有名になった剱岳が正面に見えます。
カレーを食べて就寝。翌朝のご来光は残念ながら曇っていて見えませんでした。


白馬三山を雲が乗り越えてきています。壮大な景色ですが、すぐにガスがでてきました。


小さな雪渓を下ります。



リフトの駅が近づいて来ました。
遠方に白馬の街が見えます。パラグライダーも飛んでいました。

下山後、学校の先生やガイドさんたちとのお疲れ様会も楽しみの一つです。
温泉に使ってから合流。少し時間があったので、小谷村診療所に寄っててかつての同僚にあってきました。

こういう場では地元の山岳ガイドさんの話や、学校の話が聞けて面白いです。
中学のいじめの問題が取り沙汰されていますが、当地の子供たちは皆、本当に大事にされて、先生方、地域の人に愛されていることを感じました。

学校登山付き添い

家族介護者の会交流会

2012年07月14日 | Weblog
7月13日午後、池田町保健福祉センター「やすらぎ」で地域の家族介護者の会、交流会が開催されました。
池田町地域包括支援センター、地元の事業所、安曇総合病院認知症疾患医療センターの共催です。

今回は40人程度の家族、介護者と10人程度の支援者の参加がありました。
長年介護されてきたベテラン、誘いを受けてはじめて参加された方、はじめて認知症をする方・・
また介護者としては配偶者、息子、娘、嫁などさまざまな立場の方が参加してくださいました。

企画として寸劇、ミニ講演、介護体験の発表、茶話会の4本立てでした。





包括や病院、事業所のスタッフが事前に2回ほどあつまって打ち合わせて、認知症がテーマの寸劇の練習もしました。
やっているうちに地元のネタなや、認知症の方と家族にありそうなセリフなど、アドリブがどんどん出てきて、脚本にとりいれられます。



認知症のおばあちゃん役の主役のIさん(ディサービス高姫所長)、上手すぎです。



カーテンコールでの役者の紹介です。
安曇総合病院の研修医も医師役で出演しました。

つづいて「ハローグッバイ!認知症」というタイトルでミニ講演。

認知症はどちらかとえば「病気と思う」、「老化の一種と思う」は半々でした・・。
死に方ではPPK(ピンピンコロリ)の心筋梗塞や巨大脳卒中が圧倒的な人気で、認知症は人気がありませんでした。
ぼけ封じ観音やぴんころ地蔵が人気なわけです。
個人的には条件がととのえば認知症も悪くはないと思いますが、その条件というのが大変です。
地域社会も文化も変わらなければいけません。

その後、認知症の姑を長年介護された、介護経験者のお話がありました。



最期にグループに分かれて、お茶やお菓子をいただきながらの交流会でした。
認知症に気づいたエピソードとか、運転をどうやめてもらったか、とか、ショートスティが1週間か1ヶ月しかダメだと言われたとか・・。

診察室とは違う形で家族介護者ののリアルな話が聞けました。

いつ終わるかもわからない介護を続けていくことは大変です。
でも、こういうところに出てこられる人はいいのでしょう。
抱えてしまっていて男性介護者などどこにも繋がっていない人が心配ですね。

もっと気軽に参加できるように定期的に開催してオランダのアルツハイマーカフェみたいになればいいとおもいました。
(スライド参照)
今後も事業所ごとの持ち回りで介護者家族の会は続けていくようですので、はじめての方も近くの日程で参加できるといいですね。

例によって寸劇のシナリオをアップしておきます。
認知症の劇のシナリオのニーズはあるようですので、もしよろしければ地元の言葉に手直ししてご自由にお使い下さい。
(左のコラムのメッセージから一言連絡をいただけると嬉しいです。)


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   認知症寸劇「新薬登場 ボケ封じの薬の巻。」

母:(ウメさん)認知症をかかえるおばあちゃん。
嫁(サツキさん):認知症なのだからと何もさせない嫁
娘(ノブコさん):認知症の母を受け入れられずサプリメントや脳トレをさす。
息子(ヒロシ):やや無関心な息子。
医師:普通レベルの医師
上條さん:ディサービスのスタッフ

「だんだんだだーん、ボケていく、だんだんだだだーん忘れてく。八十代の忘れにボケボケ、お医者さんに相談だ・・・。」

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嫁:「ぼけてしまえば本人は楽だけど、まわりは大変よねぇ。ひとさまには迷惑をかけたくないわ・・・。ピンピンコロリと逝きたいわね。」

娘:「みじめだわ。認知症にはなりたくないね。」

息子:「「認知症の新しい治療が始まっています」というCMをやっていたね。認知症は薬で治るようになったのかい?」

さぁ~?・・ガヤガヤ・・。

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ナレーション:膝の手術のために安曇総合病院に入院したおばあちゃん。慣れない入院で夜になって混乱してしまいました。

母:「ここはどこだい。たすけてくれ~。こんなところに閉じ込めて。何するだい!」

診察や検査、頭部CTなどの結果、アルツハイマー型認知症と診断されました。

医師:「アルツハイマー型の認知症が疑われますね。」

嫁:「やっぱり。お義母さん、最近、迷って帰れなくなったり、同じ物を何回も買ってきたりしてどうも様子がおかしいと思っていたのよ。」

息子:「あの、アルツハイマー・・・ってどういう病気なんですか?」

医師:「脳が徐々にやせていく高齢には比較的ありふれた病気です。物忘れなどの症状がすすみ、日常の生活が困難となってきます。」

息子:「入院したことで認知症になってしまったのですか?」

医師「いいえ、もともと認知症が徐々にすすんできていて、新しいことを覚えたり、ここはどこかをなどを認識する能力が低下していたところに、入院して混乱したのだと思います。」

嫁:「先生、それは治す方法はあるのですか?」

医師:「現在でも症状の進行を多少遅らせる可能性のある薬はあります。
しかし大切なのは周囲の人の理解と支援です。それがないと本人は混乱し不安定になります。認知症をかかえる人の気持ちを理解することと、歩くのが大変になったら車椅子や杖が必要なように、認知力が低下して難しくなっていくことに対しての支援が必要ですね。地域に増えてきた様々なサポートも活用するのがいいでしょう。」

息子:「・・まぁ、おばあちゃんも歳だし、そんなもんでしょうね・・・。いいほうじゃないのか。」

嫁:「お義母さん、認知症なんですって。もう一人で出かけないでくださいね。」

母:「そうかなぁ・・。」
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ナレーション:しばらくして。おばあちゃんは離れて暮らす娘とともに外来を受診しました。
(先生・・・こんにちは)
娘:「お義姉さんところでは、認知症だからって何もさせてもらえないようなんです。あんなところにいたら母がまいってしまいます。なるべく私のうちに来て過ごしてもらうつもりです。」

母:「私は大丈夫。自分のことは自分が一番良くわかっているんだからね。」

娘:「うちに来ているときのお母さんの表情は違います。きっと認知症なんかじゃなかったのよ・・・。私が用意した脳トレのドリルだって毎日楽しんでやっていますし・・・。この縫い物も母が作ったんです。治ったんでしょうか。」

医師:「うーん。そうですね。役割を持って楽しんでやれるならいいと思います。」

娘、「そういえば、認知症の新しい治療があるっていうじゃないですか・・。一番いい薬をください。とにかく母の認知症をすすめないためには、なんでもさせますから。」

医師:「そうですね認知症の薬として、日本では長らく一種類の薬しかありませんでしたが、昨年から使える薬が少し増えました。」

娘:「それはどんな効果があるのですか?」

医師:「残念ながら今使える薬はどれも根本的に治したり進行を止めたりするわけではありません。効き方にも個人差がありますし・・。
効く人には脳を活性化して症状の進行を半年~2年くらい遅らせる効果くらいですかね。ただ副作用として下痢や吐き気などのお腹の症状がでることがありますし、徘徊や怒りっぽさなどの症状をあおってしまうこともあるので注意して使わなければいけません。」

娘:「そうですか。」

医師:「薬は上手に使えば、いい時間をつくるのに役に立ちます。でも認知症に関する理解と支援も大事です。一緒に考えていきましょう。」

母:「ボケ封じの薬、飲んでみます。」

ナレーション:しかし認知症は徐々に進行し、さまざまなことが困難になってきました。ある日おばあちゃんが洗濯をたたんでいると・・・。
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嫁:「ただいま~。仕事から帰って来ましたよ・・・。あっ、お義母さん、それは私がしますから、休んでいてくださいよ。」

母:「サツキさんが忙しい忙しいっていうから手伝おうと思ってやっているじゃないかね、なにいっているかい・・。」

嫁「お義母さん、いつも膝が痛いって困っているじゃないですか・・・。ん、ちょっとあら、何の匂いかしら、焦げ臭いにおいがするじゃない。」

母「そうかい、におうかい?」
嫁、「お、お義母さん、大変、鍋が焦げているじゃない!火事になる寸前でしたよ。
   もう、お義母さん、火をつかうことは二度としないで下さい!」

息子「なんだいまた喧嘩しているだかい。」

母:しら~。

ナレーション:次々とこのような困ったことがおこって来ました。
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娘:「薬も飲んでいるのに、もの忘れが進んでいます。新聞の一面の下の本で紹介されていた偉い医学博士の先生やっている東京のクリニックまで連れて行って診てもらいました。
赤身肉とバナナを食べて運動して、サプリメントを飲めば脳の傷が治るって・・。でも、すごく高いんです。この薬・・。先生のところで出してもらえますか?」

医師:「うーん、それは普通に食事をしていたら十分とれるビタミンですね・・・。」

母:「なんだい?なんだって・・・?」(戸惑った様子)
 
娘:「とにかく、これ以上もの忘れがすすんだらうちで暮らせなくなります。他に薬はないんですか!」

医師:「うーん。今飲んでいる薬の組み合わせがめいいっぱいです。」

娘:「お母さんちゃんと薬を飲んで、脳トレのドリルも毎日やりましょうね。」

嫁:「今日は長く時間がかかったわね・・。おまんじゅうかって帰りましょう。・・病院にくるのが大変だから、家まで先生が来てくれればいいのに・・・。」

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嫁:「。今日はおとなしくしてましたか?お母さん、なんにもしなくていいですからね。さて、私は買い物に行ってくるからお留守番していてくださいね。」

母:「おとうさん~。みんながいじめるだ。早くお父さんのいる西の国に行きたい。薬はのみたくないだ。毒をのませようとするだよ~。」

ナレーション:おばあちゃんはいたたまれなくなり家から出ていってしまいました。

母:「家に帰るからね、あたしゃ・・!」

(・・・出ていってしまう。)

嫁「あら、おばあちゃんがまたいない。あ、ノブコさん、お母さんが見当たらないのよ・・。」
娘「おばあちゃーん。どこへいったの・・。」
嫁「おばあちゃん、帰ってきて下さい~。」
息子「ばば、どこ行ったんだ・・・。警察に連絡しなきゃだめかな・・。」
(しばらくウロウロする)
(・・・・ディケアのスタッフとともにニコニコして帰ってくる。)

娘、嫁「あ、いた、よかった・・・。」
嫁:「あ、高姫の上条さんじゃない。」

ディスタッフ「ウメさんをディサービスの送迎の途中でお見かけして・・・
庭の畑の収穫も手伝ってくれたり、子どもと遊んでくれたり。
とっても助かったんですよ。サツキさんのお手伝いをしたいと話を伺っていました。」
母:「ほら、お茶出してあげて・・・。」

嫁「そうだったのね、おかあさん、出来ることだってたくさんあるのに、役割を全部奪ってしまってごめんなさい。」
娘:「認知症になったお母さんを受け入れられなくて、頑張らせてしまってごめんなさい。」

母:「どうにかこうにか若い時のようにやれりゃあいいだがね。私くらいの歳になればサツキさんものぶこさんもわかると思うよ。」

息子「母さん・・。わるかったよ。認知症だからってお母さんはお母さんなんだよな。みんなの力を借りながら支えていくから・・・。」
上條さん:「また、うちのディサービスに来ていろいろ手伝って下さい。」
嫁:「あら、先生もきてくださって・・・。」
(ガヤガヤ・・・)
医師:「良かったですね・・・。」
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その後のおばあちゃん。認知症は少しずつ進行していますが、みんなの力を借りて、ディサービスなども利用して楽しく穏やかに過ごされています。


これまでの寸劇。

「どうなる!どうする?認知症」の寸劇。


どうなる!どうする!認知症 再び




北アルプスを囲む2次救急病院交流会

2012年07月02日 | Weblog
6月30日土曜の夕方から安曇野赤十字病院救急部の主催で初の「北アルプスを囲む2次救急病院交流会」が開催されました。




北アルプス山麓の複数の病院から救急外来に出ている初期研修医、指導医参加が参加しました。



他の病院にも声をかけましたが今回参加があったのは市立大町総合病院、安曇総合病院、安曇野赤十字病院の3病院。
安曇野赤十字病院には5人、安曇総合病院には4人の研修医がいます。(信州大学病院とのたすきがけを含む)
大町市立総合病院には信州大学のプログラムの一環として1ヶ月ごとに研修医が来ているのですね。



経営母体が違う病院でこれまであまり交流はありませんでしたが、救急医療や研修医教育を通じてはつながれそうです。

・大北の医療の要でお産もやっていて老人保健施設もある大町総合病院。
・精神科病棟やディケアがあり、整形外科手術も盛んで、リハや在宅医療に力をいれていて、血液内科もある安曇総合病院。
・ER方式の救急部や脳外科もあり、心カテなども緊急治療もおこなっている安曇野赤十字病院。

将来的にはそれぞれの病院の特色を活かした地域型の研修プログラムができるといいと思いました。

トップはdisり合っているようなところがありますが、現場にはそんな余裕はありません。
患者さんのことではお世話になっていますし現場同士でとっとと繋がってしまいましょう(^_^;)



今回の勉強会はドクターG方式のケース検討のあと、日赤の神経内科の中野武先生の脳卒中に関するレクチャーがありました。
日赤の副院長でもある中野先生は、スキマ産業医だそうで、神経内科だけではなく、高齢者施設の嘱託、回復期リハ病棟、研修医教育など広く活躍されています。どの科でも見たがらないような患者を積極的に診たりしているそうです。
こういう先生は本当に貴重ですね・・。
安曇総合病院に来て欲しい・・・(^_^;)

安曇野赤十字病院では月に1例くらいある脳梗塞のtPAによる治療も救急部と協力しながら行なっているそうです。
今回は脳卒中の初期治療の基本や、めまいや頭痛に潜むピットフォールについてお話をいただきました。

突発の頭痛でのくも膜下出血、めまいでの小脳梗塞、小脳出血は見逃しの多い疾患で注意が必要ですね。



その後、院内のレストランで交流会が開催されました。
新築されたばかりの安曇野赤十字病院、院内にいいレストランがあっていいですね。



さらに遅くまで2次会も・・・。
豊科は(池田とくらべると)都会ですね。飲食店も多く歩いてハシゴができます。いいなあ。

大町病院外科のT先生が研修医や日赤救急部のF先生にFacebookをしきりに進めていました。
すっかりFacebookにはまっていて勢いで大町病院のFacebookページも作ってしまったようです。

同じ地域で患者さんをお願いすることは多くても、あまり直接交流することがなかった3病院がこういう形でつながれたのは良買ったと思います。
直接、交流があると患者さんのことでも相談などもしやすいですしね。
準備にあたって下さった日赤の救急部の先生方、事務局のUさん、参加して下さった方ありがとうございました。
第2回以降がつづいて開催できるといいですね。

安曇総合病院は地域医療再生基金でリニアックの導入は目指さない。

2012年06月22日 | Weblog
本日6回目の安曇総合病院再構築検討委員会が開催されたが、地域医療再生基金を用いてリニアックの導入を目指すという方針がすったもんだの末やっと却下される見通しとなった。

これまでの経過はこちらこちら

地域のがん患者さんで最大で年間100人程度の放射線治療の受益者みこめるが、シミュレーションでも赤字を生むであろうことや、放射線定量医がパートでも確保できるか目処がついていないこと、県からも実現性を疑問視されていること、院内でもがん治療をもっともおこなっている医師をはじめ9割が反対していることなどのデータが積み上げられた。
本日も院長の一人ひとり指名してディスカッションを封じる仕切りは相変わらずであった。
委員会にこない委員も多く参加者も少なくなっていたが、参加した委員一人ずつ意見を聞いたところ、院長と院長補佐の1人の計2人をのぞいて反対あるいは懐疑的であり、院長も「ではやめましょう」ということになった。
今後、リニアックを目指さないことが職場代表者会議で正式に決議されるとのことである。(そもそも目指すということが正式に決議されたこともないのだが・・)
今後、院長が県や県議や市町村に頭を下げ、計画の変更を告げて検討をすすめ、本来急がれる病棟の再建、がんに係ることであれば緩和ケアを目的とした病棟などにその補助金を転用できるのか県に確認して・・といったプロセスが必要となる。

今回の会議では

「この地域でも大病院志向はある。待てる病気で治療をうけるのであれば山をこえてでも大学病院など大きな病院に行くだろう。」
「この病院で診られるはずの患者さんですら、診れていない現実がある。まずは、今できる医療をきっちりやるべき。」
「患者さんを断っていることで、評判が下がっている。」
「お金をかけてアンギオ室やMRIを更新しても、できる救急医療はそんなにはかわらない。
むしろ救急医療に対する心構え(地域住民、医師、スタッフとも)、電話での相談のあり方などを考えていくことが大切」

などなど、やっとまともな意見もでてきた。


(ICLSコースを受講したばかりの初期研修医がインストラクターとなり新入職員全員にBLSを指導。)

これまでの再構築をめぐる混乱で残念ながら院内のモチベーションはかなり下がってしまった・・・。
これまでの院長らのプロセス違反に関しての責任をどうとっていくかということはあるが・・。

地域に医療を残し育てるためには病院のメンツや利害にこだわるよりも、医療機関がお互いに連携していくことが重要である。
「再構築」というのは思考停止ワードに惑わされず、現場が偉い方々の機能をいかに使うかというのが大切だとおもう。
安曇総合病院はなにをやるべきなのか、何をやらないのか・・。皆でしっかり考えていくことが大切だろう。

そうすれば『素敵な病院・医療がある地域』をつくることができるだろう。

地域の医療機関が職種、職域をこえて地域ベースでの人事交流をはかっていければとおもう。
そのひとつとして救急医療に関わる医師の勉強会と交流会が今月末に安曇野赤十字病院ではじめて開催される。

要望があったので皆がつながれるテーマで多職種、多職域が参加できる企画もおこなっていきたい。

がっぷり四つに組んだ認知症診療

2012年06月19日 | Weblog
知り合いの先生にお声がけをいただき、京都市西京区認知症地域ケア協議会の関係者研修で安曇総合病院の取り組みなどをお話をさせて頂く機会をえました。(県外でこの様なお話をさせていただくのははじめてです。)
「 がっぷり四つに組んだ認知症診療 ニーズから運動、文化へ~安曇総合病院認知症疾患医療センターと地域連携」というタイトルでお話させて頂きました。

上司にも突っ込まれましたが、かなりエラソーですね(^_^;)
確かにちょっとテンション高かったです。これから自己嫌悪でうつ転することが予想されます。

スライドはこちら。

前半
後半

1時間の講演ですが、すこし欲張り過ぎました。後半はかなり駆け足でした。



会場は西京区桂の京都大学ローム記念館という立派なホールで約120人程度の方に参加頂きました。
ロームというのは京都に本拠地をおく半導体の会社で、そこの寄付で立てられたホールだそうです。
そういえば後輩が勤務していました。

京都市の西京区は人口15万人弱と安曇総合病院の診療圏の人口よりやや多い程度ですが、人口密度は高く市街地が連なっており農山村部である安曇総合病院の診療圏と様相はだいぶ違います。
西京区のなかでも新興住宅地と洛西ニュータウンなどの団地のエリアと、古くからの市街地のエリアでだいぶ雰囲気は違うようです。



西京区認知症地域ケア協議会は医療、福祉、警察、教育、司法、自治会、当事者団体などなど多様な団体から構成される協議会で世話人会議もあり、実行委員会形式で様々な催しをおこなっているそうです。
安曇野大北地域でもこの様な組織をつくって運動につなげていきたいですね。

京都府では京都府立医科大学と洛南病院、舞鶴医療センターの3つが認知症疾患医療センターとして指定されたそうです。
安曇総合病院には中信全域から患者さんは来ますがSPECTなどの機能画像は大学病院にお願いしています。
松本市の信州大学病院も認知症疾患医療センターになればいいと思いました。

主催者からは広く声をかけていただいたようで遠くは舞鶴市からも認知症疾患医療センターのスタッフの方にも参加していただきました。
認知症疾患医療センターの活動内容について情報がなかなか手に入りにくく活動は手探りということも聞きました。
お互いの活動内容を公開し、認知症疾患医療センター同士の情報交換や交流もすすめていきたいですね。





京都駅でもホテルでも安曇野の水をみかけました。
ブランドなんですね。

そういえば安曇総合病院は地下水を組み上げており、安曇野銘水で血液透析をするので透析も成績がいいと院長は自慢していました。
地下水の汲み上げ上げが多すぎて、わさび田などでの水位低下も問題となっているようですが・・・。

人が育つ環境とは?イマドキの医師養成

2012年06月05日 | Weblog
市立大町総合病院で第25回『カモシカ学習会』が開催された。

今回は諏訪中央病院の総合診療部部長の佐藤泰吾先生が講師であった。
テーマは「諏訪中央病院の研修医教育を通じて」
誘われて安曇総合病院から初期研修医2名とともに参加してきた。



佐藤泰吾先生は、信州大学卒業後、舞鶴市民病院で初期と内科の研修を受けた。さらに診療所で1年働いた。
舞鶴市民病院は中規模の一般病院でありながら欧米から大リーガー医を招聘し「できるだけ間口を狭めず、かといって深み・緻密さ・微妙さを極力失うことのない一般内科と地域医療の展開」を目指した伝説的な病院である。
その舞鶴市民病院も行政が大学医局からの医師派遣を優先したために、若い医師が集め育てる雰囲気はなくなり、結果として内科医がいなくなり地域の医療も職員の生活も守れなくなり医療崩壊のさきがけとなってしまった。

“大リーガー医”に学ぶ―地域病院における一般内科研修の試み
松村 理司
医学書院


佐藤先生は卒後6年目で信州にもどってきたが、地方中規模病院で内科勤務医であればどこの病院でもよかったともいう。
縁があって諏訪中央病院に来たが、研修医をとりはじめたばかりで院内にはつまらなそうに歩いている初期研修医が3人いたという。
今にも潰れそうな危うさもあったが、地域医療の歴史のある病院で雰囲気のいい病院だったという印象をもった。

そこで「八ヶ岳の裾野のように幅広い臨床能力をもつ医師を育てる」というコンセプトで研修医を育てていった。
毎日、昼に初期、後期研修医とスタッフが集まって新患のカンファレンスを行うなど教育の場をつくっていた。
院内では多職種での研修会を開催し、振り返りなどもおこなった。
また医学教育や家庭医療のプロにアドバイザーとして来てもらいポートフォリオの作成やプログラムを整備していった。
徐々に人も集まり初期研修医、後期研修医、上級医、指導医と屋根瓦ができ増えていった。
八ヶ岳のように専門医がそれぞれの高みをまもった上で、大勢の幅広い裾野をもった若手が支えあい地域の医療を支えられるようになった。

閉鎖的な環境は職人が育つには大切ではあるが、日々やっていることが本当にそれでいいのかを外部の目にさらすことも必要だと考えた。
ただ高名な先生を招くだけならば簡単にできるが、人を招く以上、最大限活かすべきであるとさまざまな仕掛けを考えた。
海外の大リーガー医ではないが、国内の各分野で有名どころの院外講師を招聘し、数日間滞在してもらいレクチャーをしてもらうだけではなく、カンファレンス教育回診などもお願いして日常の臨床や教育を外部の目にさらしている。これは結構厳しいことだという。
佐久総合病院など他の病院と交流したり、後期研修医が1年間かけて感染症について初期研修医に教える一環として外部講師を招くなどもした。
後期研修医では3ヶ月外部研修にいく権利が保証されており、研修先で知り合った専門医との関係がつづいたりしているという。
この規模の病院で日進月歩の医療の全ての分野の専門家をかかえる事は到底できない。
しかし地域のニーズはある。

従来の発想では専門医を招くのは外来の1枠をお願いして患者さんをみてもらうということになっただろう。
しかし諏訪中央病院では定期的に来てもらったスペシャリストに症例検討会などに加わってもらったりして現場の若手を支え、育ててもらい、また普段もメールやスカイプで相談にのってもらっているという。

大学医局に守られていない病院だからこそ必要なことであり、また出来ることだろう。

諏訪中央病院では幅広い臨床能力をもった若手の医師が増え、後期研修医クラスが中心となって病院祭を開いたり、他の医師不足の病院の内科病棟管理を2ヶ月ごとで交代で行って支援をしたり、東日本大震災では継続的に支援に行ったり、人が多いからこそ自主的にさまざまな活動が広がってきている。
地域の人も安心であろう。

最後に人が育つ条件というのを示していた。

1.未熟なものが
2.社会の辺縁に
3.文化の壁を超えて
4.適切な規模の集団を形成し(7人程度が最適という説もある。)
5.一定期間、隔絶されながら
6.自由な議論で切磋琢磨する


(長崎医学伝習所や適塾を例にあげていたが、私はトキワ荘を思いうかべる。
また今の安曇総合病院では精神科や整形外科がこのような条件をある程度満たしており人が集まっているのだと思う。)

ディスカッションでは、安曇総合病院の研修医が「後期研修先を探している。育てるてくれる体制があるところじゃないと人は行かないし集まらない。」というような質問をしていた。

もっともな問いであるが、プログラムやシステムが整えば人が育つかというえばそうではないという。
良いシステムに乗るトコロテン方式よりは、現場でニーズをつかみそれを解決しようともがいているほうが育つ場合もあるだろう。
現に諏訪中央病院でも一番伸びたのは、システムがなかったときからいて当初つまらなそうにしていた研修医だったという。
そしてシステムができてしまいつつあることこそが諏訪中央病院の不安材料であり、いつまでも安泰ではないだろうともいう。
しかしそれでもいいという。

ある病院がずっと栄えているということはなく、そこで育った人が次の場所で芽を出し花開かせてまた種を飛ばし・・・と繰り返せばいいのだといもいう。

自分が医者をできるのは自分の努力のおかげではない。
先人の知識や医師としての役割をあたえられ育てられたからであり、引き継いだバトンは次に渡すことも大切だという。
そして、その場その場でそれぞれの時期における役割を果たすことが重要なのだ。



大町総合病院の外科の高木先生からは「自分たちの頃は医局に入って、勤務先を選ぶなんてことはできず、クジのようなもので派遣先の病院がきまって、症例や医者が多いところや少ないところもあったが、どこにいたとしてもそれなりに得るものはあった。」という意見がでた。
さらに、「本音を言えば医局の制度が整っていて医師を派遣してくれていた以前の方が良かったと思う。大町病院は医師を引き上げられてしまい内科医師がいないから手術をするには自ら内視鏡もして患者もみつけなければいけないし、総合診療もやっている。」と窮状を訴えた。

地域の中規模病院では専門医だからといって自分で決めた専門分野に逃げこむことはできない。(そういう人もいるが・・)
ニーズがあって他にやれる人がいなければ自分の守備範囲を広げても何とかやるしかない。
「何ができて、何がやりたいか」、だけではなく、「何が必要とされていて、誰が困っているのか。」ということを考えなくてはいけない。

地域や患者のニーズが見え逃げ場のない第一線の現場に未熟な若い医師をプールし、指導医とともに地域ベースの大学医局だけではなく、個人のネットワークとインターネット(メールやスカイプなど)を活用して全国から専門家のちからを借りて幅広い臨床力のある後期研修医を育てる。
こういった環境で育てば、その先にジェネラリストになるにしろスペシャリストになるにしろ地域の医療に貢献できる医師となれるだろう。

同規模の舞鶴市民病院や諏訪中央病院でやってきたことである。
市立大町総合病院や安曇総合病院でもこのような場を作ることは決して不可能ではないだろう。
これまでも安曇総合病院では研修医を細々と育ててきており、現在も信大とのたすきがけを含め現在4人の研修医がいる。
研修医がつまらなそうな顔をしないように救急外来のカンファレンスなどを細々とおこなっているが、なんとかいい流れが出来ればと思う。



カモシカ学習会@大町病院

精神神経学会in札幌

2012年06月03日 | Weblog
5月24日~26日、札幌で開催された精神神経学会学術総会に参加してきました。



早割45で購入した松本~札幌のFDA(フジドリームエアライラインズ)で北海道入りしました。
真昼間の時間帯の移動で時間を有効に使えない殿様ダイヤですが、安曇野からセントレアや羽田までいくのも3時間以上かかるので仕方ありません。
同じ飛行機には県内の顔見知りの精神科医の先生もけっこういました(^_^;)
エンブラル社製の小型ジェットで小ささを感じさせない快適な機内でした。
搭乗するまでの荷物検査などが少々面倒くさいですが飛行時間自体は1時間半弱程度で新千歳空港まであっという間でした。



今回の学会は大会長の専門でもある依存症のセッションがとても多かったです。
それとの発達障害のセッション・・・。
それらと比べて気分障害や統合失調症などのセッションは少なめでした。



老年期精神障害(認知症など)の終末期医療のシンポジウムにも出てきました。

様々な学会などで、こういったことはテーマになっています。
わりと話しつくされたテーマではありますが、今回は、なかなかいいシンポジストを集めており興味深い話を聞くことができました。
しかし精神科医としてどうするのかという議論がほしかったな・・・。

認知症終末期のケア(特に胃ろうの適応について)は、

・認知症終末期では本人の意思決定が困難。
・家族は認知症がどのような病気か理解せずに混乱した中で治療選択が迫られる。


という難しさがあります。

そして家族の意思は本人の意思ではない(推定させる一つの根拠に過ぎない。)ということもあります。
丁寧に調査をしたところ認知症高齢者、一般高齢者の80%以上は、終末期の胃ろうを否定しており差がなく、認知症高齢者も「感じる脳」はあり、その意思は尊重されるべきであるという発表もありました。

認知症になる前、あるいは初期にAdvanced directive, care planningが推進され一般的になれば、本人、家族、治療者を守ることになるのでしょうが・・。

認知症は「Progressive lethal disease」であり、死への過程の一つとしての肺炎や尿路感染あります。
私も「認知症になった時点で、3倍くらい老化が早く進むようなイメージ」とお伝えすることもあります。
こういことを家族とも共有出来ればいいのでしょうね。

認知症ケアは初期中期はスピリチュアルペイン、末期は身体的苦痛の緩和が大切となります。
精神科では進行する混乱期のあとの看取りまでの継続的なケアができない場合もあるのではないでしょうか。
精神科医は看取りは慣れておらず、胃ろうをつくる場合が(他の科の医師より)多いというデータも示されていました。

胃ろうの積極的な適応は脳卒中の亜急性期や脊損、ALSなどであり、さまざまなエビデンスでも認知症終末期での経腸栄養は肺炎の予防や本人の苦痛除去の高価はなく、Risk/benefitはRiskに傾くデータが多く認知症終末期には胃ろうは適応にはならないということのようです。

さまざまな学会がガイドラインを出すようになりました。
しかしこれらのガイドラインが法的に医療者を守ってくれるものではないそうです。
ガイドラインはどうであれ、「自発的に摂食できないものの経管を差し控え、中止したら殺人罪?」というのは、法律にはそうなってしまう危険性はあります。
一例一例で丁寧に関わると同時に、社会全体でもっと議論していく必要があるでしょうね。


その他にも、さまざまなシンポジウムやセッション、教育講演などで目移りしましたが、依存症、発達障害、老年期精神障害の終末期、統合失調症の早期介入、総合病院精神科、うつ病などのセッションに参加させていただきトレンドをつかむことができました。
認知症終末期での胃ろうの適応をどうするかという議論もありました。
総合病院精神科は構造的に経営も大変でどこも厳しい状況ですが、公立病院の単科の病院を廃止して総合病院に病棟をつくるなどの流れもあるようです。

一般演題で「発達障害を背景に持つ依存症の3症例」という演題で発表をさせていただきました。
依存症と自殺予防でご活躍の松本俊彦先生が座長をしてくださり大変勉強になりました。



夜の部などでは全国から集まった同業者や知り合いの先生とも交流して様々な情報交換することが出来ました。

 

市立大町総合病院病院祭

2012年05月20日 | Weblog
おとなりの市立大町総合病院の病院祭に行って来ました。



市立大町総合病院は常勤の内科医がさらに少なくなり内科入院の制限もつづいています。
外科の先生も総合診療的に、高齢者の入院患者さんもみているなど大変な状況ですが、病院をもり立てようと昨年からはじまった病院祭が今年も開催されました。
初めて開催された昨年の病院祭はあいにくの雨でしたが今年は晴天で大勢の来場者でにぎわっていました。





駐車場にステージが設置され、地域の中学生のブラスバンドや、地元の太鼓、クイズなど・・。
ステージを取り囲むように大町病院を守る会の模擬店などが立ち並びました。
地元の駅前本通商店街も店を出していました。

大町病院は駅や商店街も近くて飲食店も徒歩圏内にたくさんあっていいですね。
老人保健施設や療養型病床もあるし門前長屋でケアハウスやグループホームなどを整備していけば面白い展開になりそうです。
長岡市の「こぶし園」さんのようにね。


会場で安曇総合病院の職員とも何人か会いましたよ・・。
地元住民ですから隣の病院とはいえ気になります。



地域の作業所(ひまわり、がんばりやさん・・)も模擬店をだしていました。
私もみさせていただいているメンバーさんや作業所スタッフとも会いました。
大町市は市街地もそれなりにコンパクトにまとまり、グループホームや作業所など障害者福祉施設もそれなりに充実している方だと思います。
ただ都市部とは違ってさまざまなニーズに応えなければいけないので過疎地の事業所は大変です。

大町でも発達障害や統合失調症など精神障害に関する勉強会や事例検討会を計画しています。



災害拠点病院でもある市立大町総合病院のDMATの美女3人組です。
メディカルラリーではお世話になりました。
震災津波の支援から1年経って釜石市を再訪してきたそうで、三陸のワカメなど釜石市の物産を販売しておりました。まだまだ復興半ばだったそうです。

9月には信州メディカルラリーを北アルプス主幹で中信地域で開催するそうです。
昨年の信州メディカルラリーは安曇野赤十字病院の救急部の先生と大町病院のNs.北アルプス広域連合の救命士さんのチームで参加し優勝してきたそうです。

今年は研修医に選手として出てもらい、自分はスタッフ、キャスト(傷病者役)として参加するかな。



栄養士さんが栄養相談をしていました。
清涼飲料水の砂糖の量にはいつもギョッとします。
なるべく無糖や微糖のものやお茶などを飲もうと思いました。

その後、北アルプスを臨む棚田と伝統的な民家群で有名な白馬村の青鬼集落までドライブしてきました。



白馬や小谷から松本や長野の基幹病院まではさすがに遠いですね。
高度なインターベンションを要するものは仕方がないですが、高齢者医療を中心とした支える医療や健康増進、トリアージを含む一般二次救急医療までは市立大町総合病院と安曇総合病院で担える部分を増やしたいものです。(できたら急性期医療は日赤病院と大町病院に集約化して・・)

安曇総合病院にリニアック設置なんて計画はどう考えても優先順位はさがりますよね。
(´Д`ι) アホカイ!