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精神科医師のブログ。
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TPPで考えた。日本という国のあり方。

2011年10月30日 | Weblog
私も他の多くの国民と同様に、TPPは農業問題くらいの問題意識しかありませんでした。

しかしネットなどで話題になるようになり、いろいろ調べてみるとこれは日本という国家の将来において大きな分岐点だと思うようになりました。

私は経済学や国際関係論などを系統的に学んだことのない人間ですが、歴史、文明論、人類史、地政学、エコロジー等の観点からグローバリズムとTPPの是非、日本という国のあり方を考えてみました。

私自身は、日本国内で、日本という国の将来のあり方についての議論が尽くされていない段階で、交渉下手の日本人の中でも特に交渉下手で危うい(尖閣諸島の中国漁船衝突問題などで露呈した・・・。)民主党が政権をもっている現在、あわててTPP交渉のテーブルにつくということは時期尚早と考えます。
長引く不況に加え「災害からの復旧」と「原発事故の処理」という二つの難問を抱えた現在、少なくとも十分な情報が与えられた上で国民的議論を尽くして総選挙などを経てからでも遅くはないと思います。

政府やマスコミは「経済のグローバル化が進む中、日本が輸出国として生き延びるためには各国との経済連携を強める必要がありTPP交渉参加はやむを得ない」、「日本の旧弊を取り去るためにはTPP交渉参加しかない。」、「バスRに乗り遅れるな」、「平成の開国」、「アジアの成長を取り込め」、「消費者の利益になる」などといったイメージを報じてのTPPを推進する主張が大半でした。

新自由主義者が主張するようなグローバリゼーションと生産性の向上、果てなき経済成長の先に諸国民の幸福があるというおめでたい価値観はいまや世界の多くの人がそのまま受け入れられるものでもありません。
それによく考えてみると守られた農業生産者やゼネコンの談合や医療業界などの国内の旧弊(そもそも悪いことなのか?文化とも言えないか?)を取り去るための方法がTPPなどの外圧しか手段ない国というのも情けないことです。
「黒船」が来ないと日本は動けない国なのでしょうか?。まず、政府がなすべきことは何より国民が自ら考え行動するために徹底した情報公開と選挙制度の改革です。
何を守り、何を開くかということを個別に選択していく必要があるでしょう。
それに行き先も旅の目的も決まらないままバスに乗ってしまったらどこに連れていかれるか分かりません。
TPPが「平成の開国」というのは、アメリカに恫喝されて開国された幕末、それから敗戦でのGHQ進駐に引き続いての、3回目のアメリカによる黒船(恫喝)による開国ということになるのでしょうか?。
TPPは「平成の売国」だとか「平成の壊国」などという声もあります。
TPPを批准すれば軍事力、経済力などなどの力関係から言ってあらゆる分野においてアメリカの制度やルール、システムをパッケージで受け入れることになるのは明白です。
しかもラチェット条項などで簡単に変更できないならば、もう日本政府や国会は要らないかもしれませんね。
アメリカの州の1つになったほうが、アメリカ議会にまだ代表を送り込めるだけマシかもしれません。
「アジアの成長を取り込め」というのもおかしな話しです。インドも中国もタイも参加していないTPPではアジアの市場と成長を取り込むことはできません。
TPPに参加することでフェアな競争ができるならまだいいのですが、どうやらそうでもなさそうです。
準備や覚悟のないまま開国したら強国に一方的に荒らされるということも世界は経験済みです。
安い農作物が輸入されれば短期的には消費者の利益になるかもしれませんが、さらなるデフレを引き起こし失業者が増えるとするなら生活者である国民の利益にはなりません。(そもそも消費者というのは生活者をバカにした言い方です。)
さらに今のアメリカは物品だけではなく保険や医療、金融商品、マスメディア、通信、法曹、知的財産・・・などのサービスを売りたいわけですから、自国企業に有利なように様々な規制緩和やルールの変更を求めてきます。
多国籍企業の市場算入で、ローカルなものが破壊され多機能な役割を果たして来た農村や、地域の小規模な商店、地域のつながり、医療や教育、国民会保険などの社会共通資本はTPPにより破壊されるでしょう。

必読!!→→→異様な「TPP開国論」歴史の連続性を見抜け(内橋克人氏講演会)


TPPとは何か?参加の是非ということについてはNHKの視点論点で賛成派、反対派の主張がよくまとまっています。TPPとは何ぞやという方、自分のスタンスを決めかねている方はまず双方の主張を読んでみてください。



賛成派の戸堂康之東大教授の言説が「3人寄れば文殊の知恵」「臥龍企業」が活躍できるなど、よくよく考えればTPPとは本質的に関係のないイメージに終始しているのに対し、反対派の中野剛志先生の言説はTPP参加はメリッドが全くなくデメリットばかりということを具体例をあげてバッサリ切っており説得力があるように感じました。

この中野先生は10月27日朝の「とくダネ!」でも大暴れしたようです。




話題の朝ズバ。TPP問題入門としてまだみていない人は是非みてください。テレビ局側がTPPのメリットの例をテレビの関税率が100%(実際5%)として計算したり、TPPの経済効果が2.7兆という政府試算が10年間の累積の値だということを明示していない(当然1年での値と思う)ことなどのことに対して、中野剛志准教授がブチ切れてみせているのが愉快です。


自由貿易、国際協調が世界の潮流であるということを認めても経済学者の野口悠紀雄氏が言うようにTPPは自由貿易からもむしろ逆行する流れで、力関係から言えばアメリカ中心のブロック経済をつくろうという枠組みです。
軍事的プレゼンス、安保カードをはじめとした恫喝によるアメリカンルールの押しつけです。
これはもうあらたな植民地形態、もはや自由主義の仮面をかぶった帝国主義だとおもいます。

日本がアメリカのシステムやルールを唯々諾々と受け入れるというのならTPPへの参加はもっとも手っ取り早い方法でしょう。
軍事力や核兵器といったカードもなく、経済カード、技術カードもかつての生彩を欠き、交渉ごとにも弱い日本が、TPPへの加盟で日本の市場や食料安保といったカードも譲り渡してしまうことになります。
最後に残るカードは「日本語」「日本文化」、そして「日本人」でしょうか・・・・。

しかしTPPも非関税障壁の名のもとこれらにも理不尽で一方的な注文をつけることができます。

TPPは露骨な内政干渉である「アメリカの日本に対する年次改革要望書」などこれまでの流れの延長線上ではあるのですが、TPPを批准してしまえば実質的にアメリカの属国、植民地としての地位を国際法的にもお墨付きを与えてしまうことになるでしょう。

TPPに参加し批准すれば世界は、「あぁ、日本は実質的にも形質的にもアメリカ型グローバリズムを選び、アメリカの属国になる道を選んだんだな」と思うでしょう。


中国は、ASEAN10カ国に中国、日本、韓国を加えた「ASEAN+3」を「東アジア共同体」に昇華させる構想を推進しようとしています。こういった動きを牽制し日本が中国やASEANなどのアジア各国と結びつこうとしているのをアメリカが阻止しようと言うのがTPPであるという見方もできます。

とはいえ従属主義的思考という意味では媚中派も媚米派も同じ穴のムジナ ですが・・。

結局、中華帝国の辺縁国家として生きていくのか、アメリカ式グローバル帝国の狩り場となり、属国のパシリとして生きていくのか、それともそのどちらでもない独自の国家として世界の中で特異な存在感を発揮しながら存続していくのか?ということが問われているのだと思います。

私個人としては、同じ世界秩序をつくるなら日本は世界の中での独自の立ち位置を活かしながら、世界各国が参加できる新たな経済の枠組みやルールを国連やWTO、IMFなどでつくるようにすすめていくべきだと思います。

考えてみれば日本はいつの時代も文明論的に面白い立ち位置にいました。

太平洋に面したユーラシア大陸の端の島国であり海に守られていると言う地理的条件から他国に支配されたことはなく、逆に鎖国と海外への進出を繰り返してきました。
日本には世界中の文化が流れ込み、蓄積され、そこで様々な文化が成熟しました。

江戸時代は260年もの間、まぁ平和な時代が続き、人口も約3000万人で平衡状態に達し、首都の江戸は世界に類を見ない清潔で美しい100万都市でした。
身分制に縛られ、農村部はガチガチの村社会ではありましたが、町人文化は花開き、教育レベルも高くエコロジカルで持続可能で文化的に成熟した社会を謳歌していました。

しかし産業革命からはじまった人類史的「化石燃料まつり」の始まりが鎖国をつづけていくことを許しませんでした。

太平洋を越えて黒船に乗ったペルーがアメリカ大統領の親書をもって浦賀に来航しました。
恫喝された江戸幕府は日米和親条約ついで日米修好通商条約を結びました。
これは関税自主権がなく、アメリカに治外法権を認める不平等条約でした。

明治維新で政体が変わってもこの条約は継続されました。
明治の日本人はこの不平等条約の是正のために尽くしたといっても過言ではありません。
国としての形を守るため、大急ぎで西欧列強諸国にも認められるように体裁を整え、鹿鳴館で舞踏会を開き、爪に火をとぼしながら軍艦を買い大国ロシアと闘い日露戦争をかろうじて勝ちました。
その時点ではアングロサクソン諸国においても東方の利権の獲得競争においてロシアの防波堤として日本を焚き付けました。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」の時代ですね。
いわゆる司馬史観では「明治までの日本人は立派だったが、その後劣化した」という考えですが、私はその後の日本人も全てが急にダメになったとは思いません・・・。

日本は欧米列強のアジア、アフリカで植民地獲得競争をおこなっていた帝国主義に最期に遅れて加わり、富国強兵政策をおしすすめ第一次世界対戦にも参戦しました。
近代兵器を使った闘いは凄惨で戦地となったヨーロッパ諸国を中心に戦争懲り懲りだというムードになりました。
その結果、国際連盟が成立し軍縮など国際協調の時代に移っていきましたが、欧米諸国によるアジアやアフリカの植民地支配は続けられたままでした。

産業革命により工業生産は増大し、実体経済と投機との解離、供給過多、資本主義の暴走、などからバブルがはじけ1929年に世界恐慌がはじまりました。
アメリカをはじめとして関税を引き上げ、植民地をもっている各国はブロック経済をつくり保護貿易をおこなうことで対応しました。
その結果経済は一気に縮小しました。

その結果、持てる国と持たざる国の対立が強まり、これが第二次世界大戦を引き起こす素因となりました。
ドイツや日本などの全体主義国家は産業統制をおこなうことで対応しましたがこれが全体主義政党や軍部の台頭を産みました。

東アジアの覇者を目指した日本は本格的に侵出しはじめていた満州国や中国から手を引けとおどされABCD包囲網などで日本に貿易制限をかけられ追いつめられました。
石油や鉱石などの輸入は止められ、地下資源に乏しい日本は苦境に立たされました。

ハルノートで最終通告をつきつけられ挑発にのって圧倒的な国力があり勝てるわけがないアメリカ合衆国をはじめとした連合軍相手に太平洋戦争をはじめました。
日本は「大東亜共栄圏」をスローガンにアジアの解放を訴え、アジア、太平洋の2方面の闘いをおしすすめました。
ちなみにこの戦争は当時の日本では「大東亜戦争」とよばれており、「太平洋戦争」というのは戦後GHQがつくり強制的に書き換えさせた呼称だそうです。

いまとなって冷静に考えると、日本にも一分の「理」、「義」はあったのではないかと思います。
そして、この時代と今の状況がなんだか似ているようにも感じます。

真珠湾への攻撃からはじまり日本軍は当初は優勢に闘いをすすめ戦線を拡大しましたが、圧倒的に国力に勝るアメリカを相手の戦争が続けられるわけはなくミッドウェーの海戦に敗戦したあたりから劣勢になり撤退戦に転じます。
日露戦争の時とは異なり指導者層の機能不全から政治的な決着に持ち込むことが出来ず戦局は泥沼化しました。

南洋諸島、ついでサイパンも陥落し、サイパンの飛行場から飛び立ったB29の編隊による空襲で内地の非戦闘員も無差別殺戮をうけることになります。日本各地の都市の木と紙でできた民家は焼夷弾で焼き払われました。
さらにソ連を通じて降伏の意思表示をしていたにも関わらず、8月には広島、ついで長崎に原子爆弾まで落とされ、沖縄では上陸戦がおこなわれ、1945年8月15日に敗戦しました。

こんなことまでされたのだから敗戦国の日本国民は、戦勝国アメリカに対して怒りや恨み、憎しみの感情をもっていても当然のはずです。

しかし、戦後になって日本人はそこには意外なほどこだわりませんでした。
これは反米感情をもたないように巧妙で徹底的な心理プログラム(War guilt information program)に基づいて情報統制、操作がおこなわれ、「あれは軍部の暴走で軍国主義者にだまされていた。」と思うように洗脳・教育されたからでもあります。
本当は国民が一人ひとりの問題として日本と言う国のあり方、先の戦争の総括をおこなうべきだったのでしょう。
しかしその後も米国の庇護に依存したまま戦後の朝鮮戦争の特需、高度経済成長の中追いつけ追い越せのイケイケムードの中で忘れ去られていきました。

そんな中でも学校給食は輸入小麦のパンを強要され、大豆の輸入を強要され、輸入飼料での畜産をすすめられるなど、農業文化、食文化すら変えられるような計画的な文化侵略を受けつづけてきました。
(私の世代でもコメ食の国なのに学校給食は何故か好きではないパンが多く、たまにある米食の日がうれしかったのを覚えています。)
沖縄をはじめ日本各地に米軍基地が残り、航空機の墜落やレイプ事件など悲惨な事件が起きています。

日本はアメリカと日米安保条約を結び米ソ冷戦時代には自由主義陣営の一員としてアメリカの最大の同盟国でした。
自動車や家電をはじめとする優秀な日本製品はアメリカ市場の巨大市場で多いに売れ、日本は経済成長をつづけたため、円高・ドル安政策により圧力はかけられつづけています。
その後のバブル経済、バブル崩壊を経て日本の安定成長は終わりを迎え長期にわたる不況、低成長時代に突入しました。

銀行や農協などに預けられた日本人の貯金は、「売ろうとすれば宣戦布告とみなす」と言われた一方通行の米国債にかわっていきました。
そのお金がハゲタカファンドとして日本に流れ込み土地や企業を荒らしていきます。
郵政民営化で今度は巨額の郵便貯金や簡保のお金が狙われています。

資本主義経済と言う巨大カジノの胴元になったアメリカ合衆国(の1%の支配層、多国籍企業)はまさにならず者です。


アメリカ合衆国という国は、イギリスから飛び出た人たちが東海岸に建国してから、伝統的に西へ西へとフロンティアを求めてひたすら侵略して来た国です。これはもう習い性のようなもので、アメリカ・インディアンを制圧し西海岸に達してからはハワイ王国を侵略、日本を開国させ、占領。ベトナムには枯れ葉剤をまき、そして昨今はイラク・アフガニスタンと西へ西へすすんでの侵略は今も続いています。

共産化を防止、大量破壊兵器を保持、テロ支援国家などもっともらしい理由をつけてはいますが、よくよく考えればたいした「義」はなく、他国の文化や政治体制に強引な横やりを入れ続け、自国のスタンダードを押しつけ自分に有利なルールでビジネスをするという点ではみごとなほど一貫しています。
そもそも文化も政治体制も違う国をアメリカンスタンダードに沿わないからと言って「ならず者国家」と指名して強引なことをやればどうなるか分かりそうなものです。
911のテロなどは自分達と違う価値観をもつイスラム文化圏に対してそうしたごり押しをつづけた結果の反動とも思えます。(太平洋戦争開戦時と同様の構造が見えます。)

こんなことをしなければ世界が、経済がまわらないのなら、そのやり方がおかしいのだと思います。
私はTPPに参加することで日本までこんな下品でChildishなアメリカ型グローバリズム陣営の一員とみられるのが嫌なのす。

かつてのアメリカンドリームはどこへやら、これまでは先進国と途上国の格差(いわゆる南北問題)だったのが、グローバル化で国内でも格差がますます広がり、気付いてみれば医療などの社会保障は乏しく、貧困化がすすみ自国民の多くはおちおち病気にもかかれません。
マイケルムーア監督の映画「華氏911」や「シッコ」が上映されるなどアメリカ国内でもこのおかしさに気付いている人たちは増えています。
2011年10月17日にはウォール街でも反格差デモがおこなわれました。

人類史的に概観してみると、今の時代は、地球上に何億年もかけて降り注いだ過去の太陽エネルギーを使い、また地球の環境を破壊しながら科学技術、文明、文化を急速に発展させることができたという「化石燃料(特に石油)祭り」の最終段階にいます。(武田邦彦先生の言説によります。)

このお祭りが終わりつつある現在、人類はどういう生き方を選んでゆけばいいのでしょうか。

日本は人口減少に転じました。
今後、日本が緩やかに衰退し、国内で化石燃料を使わずに食料生産が自給可能レベル、すなわち江戸時代と同じ3000万~4000万人近くまで人口が減らし国内で化石燃料などのエネルギーを使わずとも自給自足できるようになれば再び鎖国という選択肢もありえるでしょうか?
いや今の時代に他国と交流をもたず、閉じたシステムとして生きのこっていこうとしても、人口が70億人をこえ様々な国際的な課題がおこってくる地球上での孤立主義は許されないでしょう。(特に環境問題。地球温暖化や近隣諸国の環境汚染の影響は受けざるをえません。)

日本の活路は教育に力を入れ、人材立国、技術立国を目指すことだとおもいます。(かつてのデンマルクのように)
そして内橋克人氏の言うFEC(フェク、Food Emergy Care、食料、エネルギー、ケア)の地域圏内自給をあらためて目指すという流れを押し進めましょう。地に足の着いた「農村的なもの」を守り、新たな形で復活させましょう。
イタリアではじまったスローフードのムーブメント、CSA(Community Supported Agriculture)などの動きも出て来ています。
電子タグを利用したトレーサビリティなどと言う前に、地産地消で自分たちの手と目の届く範囲で作られた食料を食しましょう。
TPPのかかげる「世界中をひとつの経済圏へ統合し、最適な場所で、最も効率的な生産を行う能力をもった生産者が生産したものが、世界中で自由に流通すれば、世界中の人達が幸福になれる」という理想は大量輸送にかかるエネルギーが安価に手に入るという前提に基づいています。
これはおそらくは持続可能ではありません。

地球の裏側で作った農産物が、輸送コストをかけても近郊でつくった農産物よりも安いのは、もちろん生産適地や大規模農業ということもあるでしょうがエネルギーを投じた安価な輸送手段があるから、また輸入元の産地の環境破壊や安価な労働力に依っていることもありえるでしょう。プランテーションやモノカルチャー経済の弊害は嫌というほどみてきました。環境破壊や公害輸出などがコストに適性に反映されるのでしょうか?真の意味でのフェアトレードがなされるのでなければ安い賃金で働かされ環境を破壊される輸出国も、職や自給を奪われる輸入国もお互い幸せにはなれませんね。

エネルギーを投じた農業、貿易が持続可能かという点に関しては、石油や石炭などの化石燃料は有限であり、原子力もまだまだ安全に使える成熟した技術ではないことが福島の原発事故でも露呈しました。

グローバリストのいうグローバリゼーションとは逆行する方向かもしれませんが、人や物の移動を少なくすれば、使うエネルギーは格段に少なくてすむようになるでしょう。
莫大なエネルギーを投じA地点からB地点に物理的に可能な限り早くリアルなものや人を移動するということにどれほどの価値があるのでしょうか?

やはり可能な限り地産地消を原則とするのが自然だと思うのです。

今やエネルギーを投じて移動させるのはもはや情報だけで良いのではないかと思います。
インターネットをはじめとした情報技術は新たな言論空間を生み出し国や政治の在り方を大きくかえます。

国民のいのちと健康、生活を守る。これこそが国家の仕事の第一義です。
国民から信託をうけた政権与党の民主党は日本国民のために仕事をしていますか?(「「日本列島は日本人だけのものじゃない !」という鳩山元首相の発言、尖閣諸島中国漁船衝突事件のビデオのネット流出について「事実関係を調査し、中国に説明申し上げる。」仙谷由人官房長官もありましたが。)

前原誠司外相は昨年「国内総生産(GDP)構成比1.5%の農漁業を守るために、 残り98.5%を犠牲にすべきではない。」との認識を示しました。
弱者を切り捨てる発想であり多様な農村の機能の一側面しかみていない大バカものです。

スマートフォンや自動車、飛行機がなくても生きては行けますが、安全な水や食料、ケアがなければ生きていけません。
世界恐慌になってもFECが地域に残されていれば、なんとか生きていけます。
林業が輸入木材により衰退した結果、山林は荒廃し洪水などを引き起こすようになりました。様々な機能をもつ農村をこれ以上荒廃させてはなりません。
こういった直接我々の命や安全に関わるものまで世界市場にいわれるまま明け渡すものではないと思います。

このような文脈ではイタリアのスローフード運動、それからキューバという国が注目されています。
キューバは米ソの冷戦前後の動きの中で最初は仕方なくですが、自然エネルギーの利用、都市農業、地域医療の推進など低エネルギーでGNH(Gross National Hapiness)の高いエコ社会、弱者にも優しい社会を作っていました。

こうなってくるともはや生き方の問題になってきますが、大量生産大量消費のグローバリズムを越えた新たな経済モデルを日本から発信し、TPPなどというケチな枠組みに縛られることなく国際社会に堂々と提案していけばいいのではないかと思います。

アラブ世界の放送局であるアルジャジーラのように日本から世界へ発信するメディアをつくるというのもよいのではないでしょうか?(Japan for Sustainabilityなどもそういう雰囲気ですね。)

国際条約への批准というのは憲法を除く日本の全ての法律の上位に位置します。
憲法とどちらが優位かというのには諸説あるようですが、日本国内のあらゆる法律は条約に沿うように変えていかなければ行けません。

何故、全ての国内法の上位に位置する国際条約、しかも生活や国の在り方に大きく関わる条約への参加の是非や内容、国のスタンスがろくに国内でも国会でも議論されないまま交渉へ参加という話しになるのでしょうか?
議論を尽くされた上でアメリカの属国でしかたない、あるいは中華帝国の辺縁で生きていこうというのならいいのです。
しかし十分な情報やシミュレーションも公表されずマスコミからは偏った報道しかなされず、議会でも議論されず、選挙のテーマにもならないままなし崩し的にこういった大切なことがすすんでいってしまうというとすれば恐ろしい国です。
これでは「民衆は知らしむべからず、依らしむべし」、というスタンスの江戸幕府や、大政翼賛のムードの中ウソの戦傷報道の大本営発表ばかりをしていた第二次世界大戦中と変わりません。
もはや民主主義国家の体をなしていませんね。


民主主義って何なのでしょうか?
政治って何なのでしょうか?
国って何なのでしょうか?


日本国民は馬鹿ではありません。いや馬鹿ではいけません。

国づくり、政治への参加の方法は選挙だけではありません。
日々、働くことも、地域づくりに参加することも、デモへ参加することも、議論し発信することも、日々の購買行動などの生活全てがこの国を、社会をどう成り立たせるかということにかかわってきます。
今こそ日本国民一人ひとりが独立し、きちんと学びリテラシーを身につけ、情報の真偽を判断し自分の頭で考え、それぞれの得意な方法で仕事、社会貢献、生産、消費、政治に参加することが本当に大切です。
その先にはじめて国家としての自立があるのだと思います。


参考文献)

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)
福沢諭吉
筑摩書房


もうひとつの日本は可能だ (文春文庫)
内橋克人
文藝春秋


怯えの時代 (新潮選書)
内山節
新潮社


洗脳支配ー日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて
苫米地英人
ビジネス社


江戸・キューバに学ぶ“真”の持続型社会 (B&Tブックス)
日刊工業新聞社

地域の総合病院に精神科病床を・・。

2011年10月28日 | Weblog
福祉ネットワーク、「認知症 社会的入院を減らせ」をみました。(11月2日(水)午後(昼)0:00~0:29に再放送があります)

認知症への取り組みでは有名な石川県立高松病院の北村 立 先生医師が率直に語られていたのが印象的でした。

「こういう感じで全然物がないという状況です・・」
「やっぱり精神科の病院は生活する場所ではないので」
「安全管理も最近うるさく言われますから・・」
「半分くらいは老人ホームに行ってもみれる人だと思う。」
「生活を支えていく時に医者の力なんてほとんどなくて・・・」

石川県立高松病院の取り組みは退院前にケア会議をもったり、ケアマネと医師が直接話したり、病棟看護師が訪問したり・・・。
まぁ、当たり前のことなんですが・・・。

ゲストの群馬大学の山口晴保教授は

①認知症のBPSDの悪化を防ぎ、精神科病院への入院を減らそう。
②精神科病院は治療の場であり生活の場ではないので、たとえ入院した場合も早期に退院させよう。
③社会的入院をなくすための地域包括ケアの推進(受け皿づくり)


ということを訴えていました。
それをどうやって実現するかということに関しての議論はあまりなかったと思います。

NHKもそうですし、大熊夫妻をはじめジャーナリストの中には精神科病院や精神科医を仮想敵として目の敵にする方が多い様です。

大熊由紀子氏は次のように述べていました。

「生活感のない病院の環境は認知症の症状を悪化させることを日本の精神科医は認識すべき。」
「精神科病院への入院が、生きがいや誇りをはぎ取ることは、誰にでも想像できます。」


確かにひどい有り様の病院はあるでしょう。
しかし高齢者を不幸にしてやろうとおもってやっている現場のスタッフはいないと思います。

本当に問題にすべきは隔離、収容してきた社会の在り方だと思います。
認知症高齢者は社会的弱者です。
弱者を救うのは文化ですが、社会が弱者へ対して冷たい処遇をするとすれば、それはその社会の貧しさ現れでしょう。

また、スタッフの認知症の人への対応の仕方に関しても、介護福祉施設の方が優れていて病院が劣っているなんてことは一概にはいえません。
施設でも劣悪なケア体制のところはあり、病院でも、丁寧なケアを優秀なスタッフがおこなっているところもあるでしょう。

毎日新聞も同じ調子の論調です。


「入院病棟の医療スタッフの「認知症観」は、地域生活の現実感が抜け落ちているのではないかと思えてくる。」

ということですが、ではどうすれば解消できるかと言う方向に議論をすすめてもらいたいものです。

「病院は治療の場であって生活の場ではない。介護施設やグループホームとは異なる。狭くて劣悪な入院病棟の片隅で人生の最晩年を送るよりも、やはり介護のある生活の場でお年寄りたちに暮らしてもらいたい。」
というのであれば、精神科病院をより生活の場に近づける努力をしつつ、病院の人材が地域と混ざり合い、在宅支援をおこなったり、地域にケア付きの住宅を星の数ほどつくってゆけるような方向性をしめしていくべきでしょう。

医療従事者だって家に帰れば生活者のはずなのですが、医療に生活の視点がなくなったとすれば、あまりに忙しすぎるか、分業化、専業化の弊害が出ているのだと思います。
入院に頼らず安心して地域で暮らし続けられるための環境整備をするために、そして入院しても生活の視点を持ち続けられるために、病院の病棟スタッフ(特に若い看護師や医師、リハセラピストなど)がなんとか地域に出られる仕組みが作れないものかと思っています。
そのための仕掛けのひとつとして在宅医療支援病棟があると思います。

かつて在宅医療の仕組みがいまほど洗練されていなかった頃、在宅患者や家族からの電話は24時間動いている在宅バックアップの病棟が受けていました。
精神科の病棟には、入退院を繰り返している、おなじみの患者さんからのさまざまな電話がかかってきます。
拘束の医師とも連絡がとれる体制になっていますし、知っている看護師と少し話せば落ち着くことが多いです。
ディケアには行かなくても外来などで受診したり、作業療法などで病院に来た際に病棟でくつろいでいく患者さんもいます。
(病院全体をディケアのように利用されている患者さんもいます。)
皆で支えていると言う雰囲気がとてもいいと思います。

総合病院の精神科病棟というのは精神症状+身体合併症をかかえる方や、急性期の精神症状や危機介入、それから福祉の網の目をすり抜けて来た人を受け止めるセーフティーネットでもあります。
バザリア法で精神病院を段階的に廃止したイタリアでも総合病院や保健センターに緊急ベッドはあります。

精神科は支援や医療を上手にうけること自体に支援が必要な人を対象とした科です。 
精神保険指定医の診察のもと本人の同意を得られない入院(医療保護入院、措置入院)になる場合もあります(精神保健福祉法という法律で厳しく規制、監視されており簡単には出来ません。)
医療・福祉のバックエンドとして多目的にに使うことができますが、家族や地域に乞われるまま、無制限に入院を受けることは出来ません。限られたリソースをどう使っていくかということを行政や住民とともに考えていくことは社会的入院をなくすための地域包括ケアの推進(受け皿づくり)につながります。
診療報酬を決めるロビー団体が単科の民間精神病院が中心のため総合病院精神科病棟は構造上赤字になりやすく、また医療を上手に受けられない人を支援しつつ他科に動いてもらうということには非常にエネルギーを使うため精神科医にも人気がありません。
絶滅寸前ですが、適度な数の総合病院精神科病棟というのは地域医療にとって非常に有用だと思います。

また病院から飛び出て在宅医療をはじめた人の中には、高齢者や難病の在宅医療でも精神障害者への在宅医療でも、病院に敵対するような態度を取ったり意図的に無視したりする方もいます。しかし、病院と在宅は対立構造ではありません。

都市部を中心に在宅支援診療所が在宅医療の主流のようになっていますが、在宅医療に特化した診療所がなりたつためにはある程度の人口集積が必要です。
特に地方ではコンパクトな認知症対応の在宅医療支援病棟が核となっての地域支援という在り方もありうるのではないかとおもいます。
(もちろん小規模多機能+診療所や、医療強化型老健などでもいいと思いますが。)
病棟にスタッフを多くプールしておいてそこから訪問にも行けるようなモデルはできないものでしょうか?
精神医療において流行の都市型のACT方式がとれるほどの規模、地域情勢にはない当院では、主に統合失調症の患者さんですが、そのような関わり方のモデルを模索しています。

石川誠らが近森病院でモデルとして示して制度化された回復期リハビリテーション病棟が中小規模病院の救世主になったのと同時に、大病院の中ではチームアプローチとリハビリテーションのモデルを示しました。(「夢にかけた男たち」、「東京へこの国へリハの風を」という本に詳しいです。)
これと同様に認知症ケアや在宅医療に関しては総合病院精神科病棟の復活や在宅医療支援病棟が一つの解答になとなる思っています。




不登校を考える県民のつどい

2011年10月23日 | Weblog
不登校を考える県民のつどい。
最近は不登校の相談を受けることも増えているので座談会にのみ参加してきました。
実行委員は前日から泊まり込んでの研修交流会だったようです。


塩尻にある長野県教育総合センターは教職員の研修宿泊施設のようですが松本平を一望できる高台にある立派な施設でまるで大学かなにかのようでした。
(農村保健研修センターとはえらい違いです。)

私が参加したのは「医療の側面から不登校を考える」というセッションでしたが、不登校や引きこもりの子をもつ親や教職員、保健師、医療関係者などが参加されていました。

不登校の背後の精神疾患や発達障害の診断、診たて、薬のこと、家族の支援のこと、いい医療機関の見つけ方、手帳や年金などの支援のこと、心理職や教員と医療が連携できていないということ、心理職は「じっくり待て」というがいつまで待てばいいのか・・・などなどが話題になりました。
統合失調症と言われているが発達障害のように思える、逆に発達障害といわれたが統合失調症のようだ・・・。など精神科での診断や診たても信頼されていない(不正確?)なケースもあるようです。
乱暴な「精神医療化」は大きな問題ですが、本当は医療が役に立てるケースでも、気付かず型、がまん型の潜在的医療ニーズのまま医療に繫がっていないケースも相当多そうです。

セルフヘルプグループとしての親の会も有効ですが、知的障害の親の会などとくらべても、不登校から卒業していってしまう人もいるため継続して運営するのが難しいと言うこともあるようです。

理解や支援が広がりつつある発達障害に比べ、統合失調症や気分障害などの精神疾患は、またまだ暗い状態だと感じましたが「統合失調症は治るんでしょう?発達障害はSSTや環境調整などしかないから・・」という人もいて確かにそういう見方もあるかとも思いました。
カウンセリングなどで個人に対する継続的な支援も重要ですが、多問題の家族でケースワークが必要な事例などもふえていそうで、不登校に関しても医療と教育、その他の関係機関がもっと連携をとり、医学的な診たてもあった上で継続的に支援するシステムができ、だれもがどこかで何かをして行きていける社会になればと思いました。

今回のつどいも親の参加にくらべ、教職員や医療関係者の参加者は少なくまだまだこれからだと感じました。
進路相談会があったり、県内の不登校を支援する団体の資料などもおかれていましたが、南信地区の充実ぶりが際立っていましたね・・。

人生、ここにあり!

2011年10月22日 | Weblog
NPOコミュニティシネマ松本シネマセレクトが主催で、映画「人生、ここにあり!」の上映会がMウィングであったのでみてきました。
松本平の映画館も街中のエンギザなどの映画館も閉鎖され、シネコンのシネマライツとアイシティシネマしかなくなってしまいました。
大北地域からは映画館へのアクセスが遠くて大変です。豊科あたりにシネコンの一つくらいあっても良さそうな気がしますが・・・。
Mウィング(松本市中央公民館)のホールはせり出しの階段席はありますが映画専用ではないので、ややスクリーンが遠いのが残念です。
かつて日本は世界中の映画を見られる映画王国だったそうですが、今やハリウッドの大作や企画ものの邦画以外は、映画祭で賞をとったような秀作でもなかなか地方都市ではみられなくなってしまいました。
ロードショーといって転々と移動しながら上映し映画館で人が集まり文化をつくるということはスゴく意義があることだと思うのですがね・・。


人生、ここにあり!


さて、「人生、ここにあり!」、原題は『Si Puo Fare!(やればできるさ)」です。
1978年、イタリアではバザリア法の制定から精神病院が閉鎖、「自由こそ治療だ」という考えのもと、それまで病院に閉じ込められ人としての扱いを受けていなかった患者たちを一般社会で生活させるために地域にもどしました
本作はそんな時代に起った実話をもとに舞台を1983年のミラノに設定して誕生した傑作です。
(パンフレットより)

所属していた労働組合で組合運動をやりすぎて異端児として異動を命じられたネッロがやってきたのは病院附属の精神障害当事者の「協同組合180」
そこの11人お愉快な仲間たちと失敗をくりかえしながら、寄せ木細工などで自分たちの仕事を作り、人生を取り戻していく・・。
バザリア派のフルラン医師の協力のもと薬を減らし、EUの助成金で情操教育のもと娼婦を雇い・・・。
陽気なイタリアの雰囲気がベースですが、精神障害者の解放、差別、現実、恋愛、メンバーの死などなど、いろんなテーマが盛り込まれていましたが純粋にエンターティメントとしても楽しめました。
でも登場人物の中で一番偉いのは主人公のネッロの恋人のサラだと思う。

映画は次のような言葉がスクリーンに出て終わります。
今、イタリアには2500以上の協同組合があり、ほぼ3万人に及ぶ異なる能力をもつ組合員に働く場を提供しています・・。


「べてる」の人たちもそうですが、丁寧につくりこまれた登場人物は皆それぞれキャラがたっています。(目立ちたくなくても目立ってしまう・・・)
差別のこと、障害者の社会参加のこと、いろいろ考えさせられました。
保護のもとでの就労ではなく、当事者が組合をつくって、みんなで決めていく。
日本では今でもなかなかみられません。(べてるなんかでは、それっぽい雰囲気はありそうですが・・)

全国各地のミニシアターでロードショーをしていますが、来月の11月29日には安曇野市でも上映会(+大熊一夫氏の講演会)がありますので、お近くの方どうぞ。
特に障害者支援に関わる人、当事者、家族・・・。におすすめです。


11月29日 安曇野市穂高交流学習センター 「みらい」
主催 長野県せいしれん(精神障害者地域生活支援連絡協議会)
参加費(せいしれんの会員は無料、それ以外は800円)

10:30 受付
11:00~12:30 大熊一夫氏の講演会
12:30~13:20 昼食休憩
13:30~15:30 映画上映「人生、ここにあり!」
15:30~16:10 ディスカッション



野の花セミナー「障がい者就労の在り方を考える」

精神病院に頼らない精神保健(大熊一夫氏講演会)


認知症と生きる~認知症疾患医療センターの現状と課題

2011年10月21日 | Weblog
平成23年10月15日に長野県看護研究会の公開シンポジウムに登壇させていただく機会を得た。
自分も経験したことのないような松本文化センターの大ホールという大きな会場で緊張した。
会場に来ていた人の数は400人くらいかな?

シンポジストは4人。

まずは認知症の人と家族の会、長野県支部副代表、松本地区代表の堀之内美穂子さん。
自ら姑を介護した経験から、いまは講演や他の介護者家族の相談に乗っている。
医療や福祉に関して辛口の発言だが、それでも10年前とは大きくかわったという。
認知症の人と家族の会は大北には支部がないが、是非一度、大北にも来ていただき支部発足のお手伝いをしていただきたいと思った。

そして認知症ケアのモデル地域として長野県では有名な飯綱町社会福祉協議会の坂本圭介さん。
認知症疾患医療センターのない北信地域は社協に認知症支援室をおいてよろず相談に乗っている。
徘徊訓練など街ぐるみで認知症に取り組んでいるそうだ。
内実はいろいろあるようだが、町民が自らつくったアニメを紹介してくださった。

篠崎訪問看護ステーションの看護師の高山陽子さん。
認知症認定看護師であり、具体的なケースをあげて紹介。
まず関係づくりから、家族のケアというところはまさに精神科看護だとおもった。
ますますニーズの増える分野だろう。

自分は病院の立場から認知症の地域ケアに関して感じていることを話させてもらった。

安曇総合病院の認知症疾患医療センターの取り組みを紹介するとともに
「本人の病状、家族の状況によって在宅生活が困難な人はいる。
地域に生活の場としての多様な居住福祉(ケア付きの住宅)の充実を。
まちの病院ではCure中心の医療からCare中心の医療へのシフトを。
認知症に対応した在宅医療支援病棟を。」
という主張をさせていただいた。

シンポジウム前後でのシンポジスト同士でのぶっちゃけトークが面白かった。
呼んでいただいた主催者の長野県看護協会に感謝。

スライドはこちら・・・。
認知症シンポジウムスライド


ところで、10月31日に「認知症人と家族の会・第27回全国研究集会 in 長野」のシンポジウムがあるが、病院の立場どころか医療の立場のシンポジストがいないなぁ・・。
医療も役にたてる場面もあるとおもうんだけど、嫌われているのかしらん。

安曇総合病院はどこを目指すのか?

2011年10月03日 | Weblog
安曇総合病院が今後どのような方向に舵をむけるのか。
本当に脳卒中や心筋梗塞の急性期医療をおこなえるように救急を強化し、ICUをつくり、がん診療連携拠点病院をめざすのか。

病院内でも話し合いがはじまっている。

地域医療の方向性を考える地域医療部会でも各部署から有志があつまりブレインストーミングをおこなった。

大きな方向性として
「高齢者の医療(自分からは動けない人・・。長期にわたる医・福祉・支援を必要とする人。緩和ケア、リハビリテーション、精神医療、予防医療、慢性疾患)を少ない資源を利用しながら先進的に組み立てていきたい」
ということを訴えていきたいということになった。

突然とってつけたような急性期医療を、唐突につくるというのも無理がある。
急性期と言っても遠方の長野市、松本市から患者が来るわけではない。この地域の高齢者が来るのである。
整形外科と内科(+外科)と精神科を3本柱とする安曇総合病院は、内科医がまだ少ないが地域の高齢者を支えるのにそこそこバランスのとれた陣容となっている。
待てない救急医療をどこまでやるかということはあるが、一次的な我慢をすればキュアを目指せる人は、人口集積地の大病院なりに行ってもらい、回復期リハビリテーション、生活期、緩和ケアなどをしっかり支えることのできる体制をつくるのが良いのではないか。
そのために、もう少しそれぞれの部署、チームが今の延長線上でレベルアップをすることが必要だろう。
がん拠点病院を目指して、がんの放射線治療機器をいれるというのと、今にも崩れそうな地震がくれば壊れる、水漏れする病棟を治そうというのは次元の違う話しである。
招聘するとしても放射線治療医よりは一般内科医のほうがどう考えても先だろう。
また、がん検診や心房細動に対する抗凝固療法の導入や糖尿病のコントロールなど、とりうる予防策をとらないでいて、脳卒中や心筋梗塞など急性期だけを求めるのもおかしな話しである。
脳神経外科や循環器内科医も専門だけやるというつもりでは来ては活躍できる場が少なく困惑すると思う。
多少高度医療、急性期医療に振ったところで若い人が専門的な研修にくる規模な病院でもない・・。

それと「再構築」という言葉はあまり使わない方が良いと思う
全てが、いっぺんに変わるような印象をあたえるが、あまりに漠然として何を指すのかがわからず実感がわかない。
職員も自分も関係のあることだという意識を持ちにくい。
目指すべき理想像や方向性を打ち出すのは良いと思うが、改善では何故いけないのか。

背景人口の少ない地域での中途半端な急性期展開は乏しい医療資源を有効活用する集約化の流れに反する。
地域エゴを優先すると、結局、地域にとって不利益につながる。

つくづく政治家や現場を離れたものがみているものと、現場でみえているものは違うのだと感じる。

その意味で選挙の人であり地元の人である政治家と、本来的によそ者であり免許の人である医師は対立しがちである。
医師は有限な医療福祉資源を優先順位をつけて分配することを役割として求められている。
広い意味でのトリアージといえるだろう。(レーショニングともいうらしい。)
限られたリソースを優先順位をどうつけて使うか考え、しっかりと地域住民に対して訴えていくのも医師の役割であろう。
(もっとも本来政治家もそういう役目のはずなのだが・・。)

「あたたかな急性期」というコンセプトで急性期シフトした諏訪中央病院は諏訪日赤が高度化されてきわめて、極めて中途半端な状態になってしまった。しかし総合診療方式にシフトし地域の病院、臨床研修病院としてまずまず成功している。
同じく諏訪地方、長野と山梨の県境にある富士見高原病院は規模の割には急性期医療も頑張っているが、富士見医療福祉センターと高齢者福祉へのシフトを明確に打ち出している。 
病院の理念は「遠くの親戚より、近くの高原病院」だそうで、グループホーム、老健などを次々と展開している。


(富士見高原病院)


大北地域の課題は高齢者には居住福祉の不足であり、施設が利用者を選んでおり、病院には身体的、社会的に問題をかかえた人が取り残される。社会構造の変化で若い人には働く場所がない、障害をかかえている者ならなおさらだ。

病院の理念である「安曇野ホスピタリティ」も悪くはないが、あまりに漠然としていて意味がよく分からない。
「地域と患者のニーズに向き合い、地域とともに歩む、なげださないていねいな医療。」くらいが良いのではないか。

それを実現するためのコンセプトとして「地域循環型医療」というのを提案したい。
実際には地域一体型カルテ(PHR、お薬手帳からの発展)、アウトリーチ、在宅訪問診療のシステム化などを推進し、この地域に多い淡々と医療をおこなっている町医者的な開業医の先生と地域医療のレベルの底上げをおこなうのが良いと思う。
また安曇総合病院と大町総合病院の連携、協業、統合をすすめていくべきだ。
同じ地域で医療を支えているんだと言う雰囲気をつくるために人を増やし、全体のレベルアップ(職種、職域、地域シームレスに)、手を変え品を変えた勉強会の開催(大町病院、医師会、多職種)していくのが良いだろう。

一方で医療を通じて地域自体の活性化に貢献することも必要だ。
目指すのは老いても障害をおっても安心して暮らしていける「福祉の街づくり」だろう。