アップルが「iPad」というタブレット型のビュアー?PC?を出すという。
みんながワクワクとテクノロジーの進歩の結晶である未来的な次の製品(むしろExperience)をまつという感覚は、なんとなく懐かしいような感じがする。
10年前ではいくらお金をつんでも手にする事は不可能な製品だっただろう。
早速、アップルのアイコンであるスティーブジョブスらのキーノート(1時間半程度)をみた。
さすがにプレゼンは上手で見入ってしまった。
Apple iPad
iPadはiPhoneとMacBookの間に位置する存在として開発された。
iPadは単にMacBookからキーボードを除いたもの、あるいはiPhoneを大きくしたもののように見える。
しかしiPadはPCや携帯電話の延長線ではなく、クラウドの彼方(インターネット上のサーバー群)にあるさまざまな情報を、気楽に寝転びながら得る事の出来る端末と考えればこれまでにない完成度のものになる。
ポケットには入らないが、かばんにらくらく入りどこにでも持ち運べる。
思えば私は4年ほど前に大体富士通のFMV Loox PというタブレットPCにPHSカードをさして寝転んでウェブを閲覧したり、これがそのまま電子カルテならと思いながら仕事中にずっと持ち歩いたりしていた。
PHSの通信速度は遅かったが、どこでも手軽にインターネットが使えるというのは快感であった。
いま考えるとネットブックとiPadを先取りしていたことになる。
Loox PはちょうどiPadくらいの大きさであるが重さは倍くらいの約1kgである。
リアルでなければならない食べ物や服などを除けばiPad(そしてiPhone)ひとつもって出かければ、自分のもつ書類から本から音楽からビデオから全て持っていくのと同じことになる。iPhoneでは小さくてみる気にならなかったものもiPadの大きさなら簡単に見ることも出来る。
直感的なタッチインターフェイスで新聞などもらくらく読めるらしい。
マイクロソフトに押される一方のPCのメーカーであったアップルは、ソフト、ハード、販売のシステムを全て自前でもつという他のメーカーには真似の出来ない立ち位置から魅力的な商品やサービスを提供し他分野のマーケットに食い入り見事に復活を遂げた。
もはやアップルはパーソナルコンピューターの基本ソフト(OS)のメーカーとしてマイクロソフトとたたかおうとはしていない。
ハードウェアのメーカーとしてソニーやIBMとたたかおうとはしていない。
日本のメーカー(例えばソニー)なら同様の製品、いやもっとすばらしく使いやすく洗練された商品を作る事はきっとできるかもしれない。
しかし販売戦略などを含めたシステムを今からつくり巻き返すのはもはや不可能に近い。
アップルはオンライン通販のアマゾンや、インターネットの検索を中心に足場を広げるGoogleともまた違う立ち居地にいる。
アマゾンはKindleという独自のブックリーダーを既に開発し販売しているが、iPadとiBookstoreの完成度、Appleの戦略の前にはあっという間に飲み込まれてしまいそうだ。
iPodとiTuneのインフラはすでに完成され、iPhoneで携帯電話・端末のマーケットに食い入り改良を重ねてきた。
ロックインされた我々がスイッチングコストを支払って乗り換えるほどの差のある魅力的な商品(システムも含めた)を創りだすのは相当大変だ。
他のプレイヤーはアップルのつくったインフラの中でソフトウェアメーカーとしてたたかうか、アップルとは正面からたたかわずニッチなところから、あらたなマーケットを見出していくしかない。
そしてiPadとオンラインのインフラを使って、出版業界、ゲーム、放送、映像や映画のレンタル、販売、教育、医療などのマーケットにぐいぐい進入する勢いは誰にもとめられない。
血みどろの海で弱肉強食の激しい生存競争をすることなく、敵のいない青い海(ブルーオーシャン)をゆうゆうと一人すすむアップルという構造が見える。
iPadは499ドルから(3G無しモデル。16GB)と決して高価ではない。
しかしそれを利用し、ある程度まとまった有益な情報や体験を得るにはお金がかかる。そういう意味では社会インフラといえる。
出版のコストが極限まで低下し、だれもがライターや編集出版、そして放送局になれる。
大きな企業にとっては脅威ではあるが、個人や小さな企業にとってはチャンスである。
コネやお金の有無にかかわらず、純粋に才能と実力で勝負できるという意味では喜ばしい時代かもしれない。
みんながワクワクとテクノロジーの進歩の結晶である未来的な次の製品(むしろExperience)をまつという感覚は、なんとなく懐かしいような感じがする。
10年前ではいくらお金をつんでも手にする事は不可能な製品だっただろう。
早速、アップルのアイコンであるスティーブジョブスらのキーノート(1時間半程度)をみた。
さすがにプレゼンは上手で見入ってしまった。
Apple iPad
iPadはiPhoneとMacBookの間に位置する存在として開発された。
iPadは単にMacBookからキーボードを除いたもの、あるいはiPhoneを大きくしたもののように見える。
しかしiPadはPCや携帯電話の延長線ではなく、クラウドの彼方(インターネット上のサーバー群)にあるさまざまな情報を、気楽に寝転びながら得る事の出来る端末と考えればこれまでにない完成度のものになる。
ポケットには入らないが、かばんにらくらく入りどこにでも持ち運べる。
思えば私は4年ほど前に大体富士通のFMV Loox PというタブレットPCにPHSカードをさして寝転んでウェブを閲覧したり、これがそのまま電子カルテならと思いながら仕事中にずっと持ち歩いたりしていた。
PHSの通信速度は遅かったが、どこでも手軽にインターネットが使えるというのは快感であった。
いま考えるとネットブックとiPadを先取りしていたことになる。
Loox PはちょうどiPadくらいの大きさであるが重さは倍くらいの約1kgである。
リアルでなければならない食べ物や服などを除けばiPad(そしてiPhone)ひとつもって出かければ、自分のもつ書類から本から音楽からビデオから全て持っていくのと同じことになる。iPhoneでは小さくてみる気にならなかったものもiPadの大きさなら簡単に見ることも出来る。
直感的なタッチインターフェイスで新聞などもらくらく読めるらしい。
マイクロソフトに押される一方のPCのメーカーであったアップルは、ソフト、ハード、販売のシステムを全て自前でもつという他のメーカーには真似の出来ない立ち位置から魅力的な商品やサービスを提供し他分野のマーケットに食い入り見事に復活を遂げた。
もはやアップルはパーソナルコンピューターの基本ソフト(OS)のメーカーとしてマイクロソフトとたたかおうとはしていない。
ハードウェアのメーカーとしてソニーやIBMとたたかおうとはしていない。
日本のメーカー(例えばソニー)なら同様の製品、いやもっとすばらしく使いやすく洗練された商品を作る事はきっとできるかもしれない。
しかし販売戦略などを含めたシステムを今からつくり巻き返すのはもはや不可能に近い。
アップルはオンライン通販のアマゾンや、インターネットの検索を中心に足場を広げるGoogleともまた違う立ち居地にいる。
アマゾンはKindleという独自のブックリーダーを既に開発し販売しているが、iPadとiBookstoreの完成度、Appleの戦略の前にはあっという間に飲み込まれてしまいそうだ。
iPodとiTuneのインフラはすでに完成され、iPhoneで携帯電話・端末のマーケットに食い入り改良を重ねてきた。
ロックインされた我々がスイッチングコストを支払って乗り換えるほどの差のある魅力的な商品(システムも含めた)を創りだすのは相当大変だ。
他のプレイヤーはアップルのつくったインフラの中でソフトウェアメーカーとしてたたかうか、アップルとは正面からたたかわずニッチなところから、あらたなマーケットを見出していくしかない。
そしてiPadとオンラインのインフラを使って、出版業界、ゲーム、放送、映像や映画のレンタル、販売、教育、医療などのマーケットにぐいぐい進入する勢いは誰にもとめられない。
血みどろの海で弱肉強食の激しい生存競争をすることなく、敵のいない青い海(ブルーオーシャン)をゆうゆうと一人すすむアップルという構造が見える。
iPadは499ドルから(3G無しモデル。16GB)と決して高価ではない。
しかしそれを利用し、ある程度まとまった有益な情報や体験を得るにはお金がかかる。そういう意味では社会インフラといえる。
出版のコストが極限まで低下し、だれもがライターや編集出版、そして放送局になれる。
大きな企業にとっては脅威ではあるが、個人や小さな企業にとってはチャンスである。
コネやお金の有無にかかわらず、純粋に才能と実力で勝負できるという意味では喜ばしい時代かもしれない。