大阪府、大阪市のダブル選挙が行われた。
大阪市役所職員よりの平松氏と、大阪都をつくり2重行政を解消し行政のリストラを行うことを宣言した橋下氏。なかなか興味深い対立軸であった。
大阪の現状は日本のかかえる様々な問題の縮図である。
橋下氏は「ハシズム」とよばれる強権政治をめざし「大阪市役所をぶっ壊し、大阪都を作る。必要なのは独裁」といってはばからなかった。
民衆の支持を得て強力な力を持ったリーダーでしかできないことは確かにある。
これは「自民党をぶっ壊す」とぶちあけ、反対するもんを「抵抗勢力」とよび、「郵政民営化」を勇ましく唱えで「根拠なき熱狂」でムードに乗って圧勝し、「構造改革」という名の「弱者切り捨て政策」を遂行した小泉純一郎氏を彷彿させる。また先の選挙で民主党が圧勝した時とも似ている。
長野県政を良かれ悪しかれ改革した田中康夫知事とも共通の構造であろう。
国政も、長野県政もたしかに前進した。
しかし膠着した現状をぶち壊すのはいいとしても、壊したあとにどうするかというビジョンがなく新たな仕組みを創り上げることができないままであり、現状はますます悪くなっているようにも思える。
いくつもの政党から推薦をうけた平松氏の陣営も政策の論点を示すことが出来ず、既存の政党では現状の改革は無理だと考えた有権者が多かったのだろう。
既得権者対既存の体制から疎外された人、特に若者・無党派層が橋下に流れた。
選挙は橋下徹ら大阪維新の会の圧勝でおわった。
橋下氏らには期待しているところもあるが不安な点もある。
大阪都構想は二重行政をなくし行政のスリム化により小さな政府をめざす方向である。
橋下氏は地方からの改革をうたい、地方分権の推進、道州制も視野にいれている。これは支持できるし期待もしている。是非大阪から発信し国政でも大暴れをしてもらいたい。
しかし橋下氏の施策は基本的に新自由主義的思想に基づいている。
その一環として橋下氏のすすめる「職員基本条例案」は公務員にも能力主義の導入を徹底するという方向性である。
行政組織や仕事の無駄を省きスリム化するというのはいいと思うが、リストラされた公務員の失業対策はどうするか。
行政の仕事は効率化を求められない分野を担っており、生産性では測れない分野も多い。
また公的セクターは弱肉強食の社会に居場所を見つけることが難しかった障害者やマイノリティなどの社会的弱者を受け入れてきたという役割もある。
一方で生活保護に関して、「能力があるのに生活保護を受けている 人たちには就労義務を課し、義務を果たさない場合は一定の負担をお願いしていく。」という。
生活保護を受給せざるを得ない状態の人はそうはいっても弱者なのである。
この就職難で就労の権利はどうなるのだろうか大阪市が働く場を用意できるとでもいうのだろうか?
「教育基本条例案」もいただけない。
これからの世の中、どんな人のどんな能力必要になるかわからない。
教育には多様性をもたせるべきで、これこそが正しい教育だなんて誰にもきめられないしわからない。
それは教育委員会にも、地方自治体の首長にも、親にだって・・・。
まるで時代のヒーローとなった橋下氏に「弱者への視点」がどのくらいあるのかということは気になる点であり今後も注目していきたい。
財政と社会保障のバランスをいかにとりつつメリハリをつけた施策をおこなうか。
今後、国レベルで地方分権の推進、行政組織のスリム化を行うモデルとなれるかどうか注目したい。
橋下氏は「公務員としての領分をわきまえずに(政治に)踏み込んだなと思う職員は潔く自主退職してほしい」と述べた。
地方自治体に属する公務員は首長の仕事の代行をするということである。
しかし首長の仕事は仕事をしていない公務員に鉄槌を下すことが仕事ではない。
それは市民オンブズマンなどが担うことが望ましいと思う。
首長の仕事は職員が活き活きと活躍できるような目標を示し働きやすい環境をととのえるのが仕事である。
原則として首長と職員は一枚岩であるべきである。
本来は住民に選ばれたローカルガバメントの大統領たる首長の方針に従い粛々と業務をこなすのが公僕の役割である。意見を出したり議論をするのは良いが、方針に合わなければ辞めるか、あるいは議員や首長に立候補して民意を問うしかない立場であろう。
地方議会において議員と首長の施策の内容や方針に対して議論を行い予算や法律を決定していくというのが地方行政のあり方だと思う。
自ら考え行動する市民を育てるためには「徹底した情報公開」が前提となる。
改革に関しては徹底的な情報公開を先行してもらいたい。
市民も首長を選んで安心しすべて任せてうまくいくはずもない。
選挙のないときでも継続的に政治に興味をもち様々な形で政治参加することが必要である。
また首長がかわることで施政の大方針や原理原則がコロコロかわっては、おかしなことになるということで、為政者と公権力を縛るために地方自治体においても憲法にあたるものが必要という議論もある。
憲法は一般の法律よりは簡単には改訂できないようになっている。
地方自治体がつくった「憲法」にあたるものとして有名なものにニセコ町の「住民基本条例」がある。
こういう自治体の憲法にあたるものをつくるにあたり皆で議論を尽くすことが大切な事だろう。
今後、道州制、地方分権がすすめるにあたり、このあたりのことは議論されるべき点であると思う。
大阪市役所職員よりの平松氏と、大阪都をつくり2重行政を解消し行政のリストラを行うことを宣言した橋下氏。なかなか興味深い対立軸であった。
大阪の現状は日本のかかえる様々な問題の縮図である。
橋下氏は「ハシズム」とよばれる強権政治をめざし「大阪市役所をぶっ壊し、大阪都を作る。必要なのは独裁」といってはばからなかった。
民衆の支持を得て強力な力を持ったリーダーでしかできないことは確かにある。
これは「自民党をぶっ壊す」とぶちあけ、反対するもんを「抵抗勢力」とよび、「郵政民営化」を勇ましく唱えで「根拠なき熱狂」でムードに乗って圧勝し、「構造改革」という名の「弱者切り捨て政策」を遂行した小泉純一郎氏を彷彿させる。また先の選挙で民主党が圧勝した時とも似ている。
長野県政を良かれ悪しかれ改革した田中康夫知事とも共通の構造であろう。
国政も、長野県政もたしかに前進した。
しかし膠着した現状をぶち壊すのはいいとしても、壊したあとにどうするかというビジョンがなく新たな仕組みを創り上げることができないままであり、現状はますます悪くなっているようにも思える。
いくつもの政党から推薦をうけた平松氏の陣営も政策の論点を示すことが出来ず、既存の政党では現状の改革は無理だと考えた有権者が多かったのだろう。
既得権者対既存の体制から疎外された人、特に若者・無党派層が橋下に流れた。
選挙は橋下徹ら大阪維新の会の圧勝でおわった。
橋下氏らには期待しているところもあるが不安な点もある。
大阪都構想は二重行政をなくし行政のスリム化により小さな政府をめざす方向である。
橋下氏は地方からの改革をうたい、地方分権の推進、道州制も視野にいれている。これは支持できるし期待もしている。是非大阪から発信し国政でも大暴れをしてもらいたい。
しかし橋下氏の施策は基本的に新自由主義的思想に基づいている。
その一環として橋下氏のすすめる「職員基本条例案」は公務員にも能力主義の導入を徹底するという方向性である。
行政組織や仕事の無駄を省きスリム化するというのはいいと思うが、リストラされた公務員の失業対策はどうするか。
行政の仕事は効率化を求められない分野を担っており、生産性では測れない分野も多い。
また公的セクターは弱肉強食の社会に居場所を見つけることが難しかった障害者やマイノリティなどの社会的弱者を受け入れてきたという役割もある。
一方で生活保護に関して、「能力があるのに生活保護を受けている 人たちには就労義務を課し、義務を果たさない場合は一定の負担をお願いしていく。」という。
生活保護を受給せざるを得ない状態の人はそうはいっても弱者なのである。
この就職難で就労の権利はどうなるのだろうか大阪市が働く場を用意できるとでもいうのだろうか?
「教育基本条例案」もいただけない。
これからの世の中、どんな人のどんな能力必要になるかわからない。
教育には多様性をもたせるべきで、これこそが正しい教育だなんて誰にもきめられないしわからない。
それは教育委員会にも、地方自治体の首長にも、親にだって・・・。
まるで時代のヒーローとなった橋下氏に「弱者への視点」がどのくらいあるのかということは気になる点であり今後も注目していきたい。
財政と社会保障のバランスをいかにとりつつメリハリをつけた施策をおこなうか。
今後、国レベルで地方分権の推進、行政組織のスリム化を行うモデルとなれるかどうか注目したい。
橋下氏は「公務員としての領分をわきまえずに(政治に)踏み込んだなと思う職員は潔く自主退職してほしい」と述べた。
地方自治体に属する公務員は首長の仕事の代行をするということである。
しかし首長の仕事は仕事をしていない公務員に鉄槌を下すことが仕事ではない。
それは市民オンブズマンなどが担うことが望ましいと思う。
首長の仕事は職員が活き活きと活躍できるような目標を示し働きやすい環境をととのえるのが仕事である。
原則として首長と職員は一枚岩であるべきである。
本来は住民に選ばれたローカルガバメントの大統領たる首長の方針に従い粛々と業務をこなすのが公僕の役割である。意見を出したり議論をするのは良いが、方針に合わなければ辞めるか、あるいは議員や首長に立候補して民意を問うしかない立場であろう。
地方議会において議員と首長の施策の内容や方針に対して議論を行い予算や法律を決定していくというのが地方行政のあり方だと思う。
自ら考え行動する市民を育てるためには「徹底した情報公開」が前提となる。
改革に関しては徹底的な情報公開を先行してもらいたい。
市民も首長を選んで安心しすべて任せてうまくいくはずもない。
選挙のないときでも継続的に政治に興味をもち様々な形で政治参加することが必要である。
また首長がかわることで施政の大方針や原理原則がコロコロかわっては、おかしなことになるということで、為政者と公権力を縛るために地方自治体においても憲法にあたるものが必要という議論もある。
憲法は一般の法律よりは簡単には改訂できないようになっている。
地方自治体がつくった「憲法」にあたるものとして有名なものにニセコ町の「住民基本条例」がある。
こういう自治体の憲法にあたるものをつくるにあたり皆で議論を尽くすことが大切な事だろう。
今後、道州制、地方分権がすすめるにあたり、このあたりのことは議論されるべき点であると思う。
わたしたちのまちの憲法―ニセコ町の挑戦 | |
木佐 茂男 , 逢坂 誠二 (編) | |
日本経済評論社 |