2月20日に大町市アプロードで長谷川式簡易知能スケールで有名な長谷川和夫氏の講演が開催された。
「認知症を地域で支えることは可能か?」というテーマでの講演とシンポジウム。
300人以上の市民があつまり認知症に関する関心の高さがうかがわれた。
講演の内容自体は目新しいものではなく、自分が池田町で話したものとそう内容は変わらないもののように思えたが、さすがは長谷川先生、醸し出す優しい言葉とオーラでが印象的なとても良い講演だった。
「~がとっても大切だと思うんですよ。」という声が心に響いた。
長谷川和夫先生は若い時は脳波や神経症が専門だったが、あるとき師匠から老人な痴呆の調査をする時の物差しを作れと言われて作成したのがHDS(長谷川式簡易知能スケール)の始まりだそうだ。
心理士さんたちとともにデータを集めて標準化した。
長谷川先生は痴呆から認知症への名称変更にも関わり、議論はオープンの委員会で行われ市民主体で決めた。
家族会としての国際会議を開催したときに河合隼雄氏から「物語を持って医療機関を訪ねるのに診断名だけを聞いて帰らされる。こんな診療ではいけない。患者や家族は、いろんなことが起こるだろうがとにかく一緒にみて行くからといってもらいたいのだ。」と言われたのが響いたそうだ。
長谷川先生らが認知症診療を手がけ始めた当時は薬も無く、介護保険もまだ無く医療で出来ることは少なかった。
診断して告知をしても本人や家族は先行きが不安だった。
週一回デイケアを大学病院で始めた。大学病院でディケアはすごいと思う。
そうすると知能以外の心の動きが刺激され全体き落ち着いた。
家族へはいつでも入院を保証したが、そうすると逆に入院を積極的に求めてくることはほとんどなかったそうだ。
家族は、一人で介護しようという考えは持たないように、認知症は決して恥ずかしいことではなく、助けを求めることが大切だそうだ。
アルツとわかったら早めに相談してもらえば今もアリセプトという薬もある。
(先生はアルツハイマー型認知症のことをアルツ、アルツとおっしゃっていた。)
アリセプトは10mgを投与して経過を見ることができる時代になったと。(このあたりはファイザーとエーザイの宣伝になっているな。)
そしてより根本治療に近い薬も開発が進んでいるのだと・・。
ここで、・・・新しい薬の名前が思い出せないというボケをかまされる。会場に笑いが・・・。
次のスライドの危険因子と緩和因子の話しはわかりやすい説明だとおもった。メモメモ_φ(._.
認知症の物忘れはどーんとまるごと抜け落ちちゃって約束も出来なくなるしここしかわからなくなる。
そこで認知症の人とのコミュニケーションは言葉自体よりも表情や感情が重要な役割を持つ。
ノンバーバルなものと感情をいれたフィーリング(右の脳)が相対的に優位になる。
つまり感情がよりセンシティブに伝わってしまう。
小さい子供と同様、聞くことを第一に、目をみて話す事が大切だそうだ
その人を中心としたパーソンセンタードケアが大事だが、いきなり完璧を目指すのではなく、それぞれの立場から出来るところから少しずつ始めることが大切だそうだ。
地域では認知症の人とのも主役の一人であり、暮らしに関わる商店、公共機関等の協力がかかせない。
きまった形というのはなく、地域地域であった仕組みを創る事か大切で、活発に活動している市民が地域支援マップをつくる事から始めるのもいいと杉並区の例を挙げて説明された。
まとめとして、「老いることは生きること。生きることは老いること。支え合う仕組みを作りましょう。」と言う言葉で閉めくくられた。
ここでの老いるということは、不自由さや障害を持つということかなぁ・・・。と思った。
続いて行われたシンポジウム。
介護保険の区分認定似関して認知症が十分に加味されていないとのアンケート結果。
認知症になったら現在の介護者は介護保険施設に行きたいという答えが最多。子供の所や専門病院には行きたくないとの答え。迷惑をかけたくないと。事業者が医療に望むものに対しての記載はほとんどなかった。医療に出来ることは少ないのだろうか?
そして認知症になったら子供の所には行きたくないと多くの人が答えていた。
知識が広まりシステムがチューンナップされてもタイムスタディベースの介護保険だとどうしても認知症は上手く包摂出来ないのは仕方が無いのだろうか?
包括支援センターの伊藤さんの話しも現場のニーズに即したものであった。
介護保険制度かは申請主義で支援が必要であっても手続きすら取れない人も増えているという。
しかし介護保険と両輪の柱で始まったはずの成年後見人制度は広まっていない。
本人には成年後見制度を「家庭裁判所にいろいろな手続きを手伝ってくれる人、大人の親代わりの様な人を決めてもらおうよ。」親族には「専門職のひとと役割りを分担しましょう。」と説明しているそうだ。
困っているときの福祉の窓口を一つに。という提案をされた。とにかくここへ電話しろというひとつの電話番号があったらということで包括支援センターの電話番号を紹介。
信濃毎日新聞の取材班の記者の発表。匿名報道が大前提だったのを実名報道にこだわった。「認知症のAさんではなくてAさんの認知症として伝えたい。」と取材をしたが記事に出来たのは一部だった。読者からは励まされたという声が多数あったそうだ。
認知症になって家族に迷惑をかけたくないという声が多数だが、迷惑をかけてもいい家族、それを支える地域を創らなければいけないのではないか。と主張された。
行政の方の話しとして、要介護度は上がっている。認知症が適切に評価される様になってきた。
施設ケア、居住福祉は不足しているが、増やせは保険料は上がる。皆さんの意見を伺いたい。とのこと。
悩ましい問題だ。
認知症の講演会やシンポジウムは毎週のようにあちこちで開催されているが、地域や障害を考えて行くテーマとしては、誰にとっても関係があり関心を引きやすいとても良いテーマだと思う。
認知症をきっかけにたの障害への理解も広まって行くと良いなと思う。
長谷川先生の歩みと、今回の講演の内容を更に詳しくした様な内容の本です。
「認知症を地域で支えることは可能か?」というテーマでの講演とシンポジウム。
300人以上の市民があつまり認知症に関する関心の高さがうかがわれた。
講演の内容自体は目新しいものではなく、自分が池田町で話したものとそう内容は変わらないもののように思えたが、さすがは長谷川先生、醸し出す優しい言葉とオーラでが印象的なとても良い講演だった。
「~がとっても大切だと思うんですよ。」という声が心に響いた。
長谷川和夫先生は若い時は脳波や神経症が専門だったが、あるとき師匠から老人な痴呆の調査をする時の物差しを作れと言われて作成したのがHDS(長谷川式簡易知能スケール)の始まりだそうだ。
心理士さんたちとともにデータを集めて標準化した。
長谷川先生は痴呆から認知症への名称変更にも関わり、議論はオープンの委員会で行われ市民主体で決めた。
家族会としての国際会議を開催したときに河合隼雄氏から「物語を持って医療機関を訪ねるのに診断名だけを聞いて帰らされる。こんな診療ではいけない。患者や家族は、いろんなことが起こるだろうがとにかく一緒にみて行くからといってもらいたいのだ。」と言われたのが響いたそうだ。
長谷川先生らが認知症診療を手がけ始めた当時は薬も無く、介護保険もまだ無く医療で出来ることは少なかった。
診断して告知をしても本人や家族は先行きが不安だった。
週一回デイケアを大学病院で始めた。大学病院でディケアはすごいと思う。
そうすると知能以外の心の動きが刺激され全体き落ち着いた。
家族へはいつでも入院を保証したが、そうすると逆に入院を積極的に求めてくることはほとんどなかったそうだ。
家族は、一人で介護しようという考えは持たないように、認知症は決して恥ずかしいことではなく、助けを求めることが大切だそうだ。
アルツとわかったら早めに相談してもらえば今もアリセプトという薬もある。
(先生はアルツハイマー型認知症のことをアルツ、アルツとおっしゃっていた。)
アリセプトは10mgを投与して経過を見ることができる時代になったと。(このあたりはファイザーとエーザイの宣伝になっているな。)
そしてより根本治療に近い薬も開発が進んでいるのだと・・。
ここで、・・・新しい薬の名前が思い出せないというボケをかまされる。会場に笑いが・・・。
次のスライドの危険因子と緩和因子の話しはわかりやすい説明だとおもった。メモメモ_φ(._.
認知症の物忘れはどーんとまるごと抜け落ちちゃって約束も出来なくなるしここしかわからなくなる。
そこで認知症の人とのコミュニケーションは言葉自体よりも表情や感情が重要な役割を持つ。
ノンバーバルなものと感情をいれたフィーリング(右の脳)が相対的に優位になる。
つまり感情がよりセンシティブに伝わってしまう。
小さい子供と同様、聞くことを第一に、目をみて話す事が大切だそうだ
その人を中心としたパーソンセンタードケアが大事だが、いきなり完璧を目指すのではなく、それぞれの立場から出来るところから少しずつ始めることが大切だそうだ。
地域では認知症の人とのも主役の一人であり、暮らしに関わる商店、公共機関等の協力がかかせない。
きまった形というのはなく、地域地域であった仕組みを創る事か大切で、活発に活動している市民が地域支援マップをつくる事から始めるのもいいと杉並区の例を挙げて説明された。
まとめとして、「老いることは生きること。生きることは老いること。支え合う仕組みを作りましょう。」と言う言葉で閉めくくられた。
ここでの老いるということは、不自由さや障害を持つということかなぁ・・・。と思った。
続いて行われたシンポジウム。
介護保険の区分認定似関して認知症が十分に加味されていないとのアンケート結果。
認知症になったら現在の介護者は介護保険施設に行きたいという答えが最多。子供の所や専門病院には行きたくないとの答え。迷惑をかけたくないと。事業者が医療に望むものに対しての記載はほとんどなかった。医療に出来ることは少ないのだろうか?
そして認知症になったら子供の所には行きたくないと多くの人が答えていた。
知識が広まりシステムがチューンナップされてもタイムスタディベースの介護保険だとどうしても認知症は上手く包摂出来ないのは仕方が無いのだろうか?
包括支援センターの伊藤さんの話しも現場のニーズに即したものであった。
介護保険制度かは申請主義で支援が必要であっても手続きすら取れない人も増えているという。
しかし介護保険と両輪の柱で始まったはずの成年後見人制度は広まっていない。
本人には成年後見制度を「家庭裁判所にいろいろな手続きを手伝ってくれる人、大人の親代わりの様な人を決めてもらおうよ。」親族には「専門職のひとと役割りを分担しましょう。」と説明しているそうだ。
困っているときの福祉の窓口を一つに。という提案をされた。とにかくここへ電話しろというひとつの電話番号があったらということで包括支援センターの電話番号を紹介。
信濃毎日新聞の取材班の記者の発表。匿名報道が大前提だったのを実名報道にこだわった。「認知症のAさんではなくてAさんの認知症として伝えたい。」と取材をしたが記事に出来たのは一部だった。読者からは励まされたという声が多数あったそうだ。
認知症になって家族に迷惑をかけたくないという声が多数だが、迷惑をかけてもいい家族、それを支える地域を創らなければいけないのではないか。と主張された。
行政の方の話しとして、要介護度は上がっている。認知症が適切に評価される様になってきた。
施設ケア、居住福祉は不足しているが、増やせは保険料は上がる。皆さんの意見を伺いたい。とのこと。
悩ましい問題だ。
認知症の講演会やシンポジウムは毎週のようにあちこちで開催されているが、地域や障害を考えて行くテーマとしては、誰にとっても関係があり関心を引きやすいとても良いテーマだと思う。
認知症をきっかけにたの障害への理解も広まって行くと良いなと思う。
認知症ケアの心―ぬくもりの絆を創る | |
クリエーター情報なし | |
中央法規出版 |
長谷川先生の歩みと、今回の講演の内容を更に詳しくした様な内容の本です。