(文責はすべて樋端にあります。ご意見、ご批判をいただきたいです。長文になりますがご容赦ください。)
私が勤務するJA長野厚生連安曇総合病院(312床、うち90床が精神科病床、以下安曇病院)は再構築をせまられているのだという。
平成10年に新館外来棟を、平成15年に精神科病棟を立て替えたが、それ以外の内科・外科などの病棟は古く、耐震基準の問題などから立て替えを急がなければならない事情があるからだ。
安曇病院は安曇野市の北部(旧穂高町や明科町など)と大町市、北安曇郡(池田町、松川村、白馬村、小谷村、あわせて大北(だいほく)と呼ぶ。)を診療圏とする。
大北あわせて約6万人、南の安曇野市は幾つかの市町村が合併して最近出来た市で全体で約10万人ほどである。農業(稲作、野菜、果物)と製造業(工場が点在)、観光(立山黒部アルペンルート、登山、白馬のスキーなど)が中心産業である高齢化のすすむ農村地域である。
北部の小谷、白馬、大町は雪が多くスキー場も多い、しかし安曇野、松本までくるとほとんど雪は積もらない。そのため「嫁にやるなら1mでも南に」という言葉もあるくらいである。水も美味しく野菜や果物の産地で豊穣な米どころでもあり、住民は比較的のんびりとした気性である。北アルプスの山麓で景色も気候も良くイメージがよいせいか都市部からIターンしてくる人も多い。
開業医は多く、いわゆる古くからの町医者の雰囲気をもった昔からのお医者さんが多いのも特徴であろうか。診療圏の大北の地区医師会はこじんまりとしておりまとまりは良い。
安曇野市から大町市にかけては経営母体は異なるが同程度の規模の病院が3つほどあるが、どれも今ひとつ急性期に徹しきれない規模、陣容であり救急医療、高度医療は最終的には松本市(人口約24万人)にある
信州大学附属病院や
相澤病院などの大病院までいかなければ受けられないことも多い。
脳卒中急性期は
一ノ瀬脳神経外科が松本インターチェンジのすぐそばにあり引き受け緊急手術や血栓溶解療法にも365日24時間対応している。
道路事情もよくなり池田町にある安曇病院から松本まで車で30分~40分で行けるようになったが、北部の白馬村、小谷村の山間部からは松本までは2時間以上かかることもある。(むしろ長野市のほうが近い場合もあるし、小谷村北部の人間は糸魚川に出ている。)
10数Km間隔で病院が連なっているのが分かる。
そのなかで当院から南に車で20分の安曇野市豊科市街、豊科インターチェンジの近くにある
安曇野赤十字病院(321床)は今年、今までの病院の隣に新築移転したばかりだ。数年前に救急医も招聘、ICUも開設し急性期医療シフトを明確にうちだした。
安曇野赤十字病院
安曇野市にはその他に小児専門医療機関である
長野県立こども病院がある。
一方、安曇病院から北へ車で15分のところにある
市立大町総合病院(284床)は医局の引き上げや勤務していた医師が開業するなどで内科の医師が3人まで減少し、一時期は病棟が十分に稼働できず、診療制限をして救急車もあまり受け入れられない状態であったが、県と市のてこ入れもあり医局派遣の内科医師などが6人も増えなんとか持ち直している。ただ今でも病棟稼働率は低く、経営的には17年連続で赤字で、最近では毎年約2億円の赤字をだしており、税金からの相当の補填はあるのだろうと思う。
市立大町総合病院が危ないと職員や住民らで「
大町病院を守る会」が設立され、今年になり病院祭もはじめて開催されるなどの動きは活発だ。大町市で地域医療を考えるシンポジウムなどが何度か開催され大町市長や大町病院医師、大北医師会長などが登壇していたが、その中でまるで安曇病院などないかのように扱われ、そういう意味では隣の病院で働くものとして不満がある。これも一つの地域エゴであろう
この2つの同規模の病院にはさまれた安曇病院は内科系一般診療、精神科、整形外科そして小児科、皮膚科、泌尿器科、眼科、口腔外科の常勤医がおり、耳鼻科や婦人科はパートで外来のみではあるが、各科が一応そろった総合病院である。
お産もかつてやっていたが、今は常勤の産婦人科医がおらずパートで婦人科の外来のみである。
一般外科はあるものの医師にもよるが外科の手術が盛んだとは言い難い。この規模の病院で呼吸器外科や血液内科があるのは珍しいがそれも一人の医師に頼ってのことである。
心臓カテーテル検査は外来手術棟の新築の時にカテ室はつくったものの、今は検査も行われていない。
内科はそれぞれの専門性を持った医師がそれぞれのペースでやっている。ニーズの多い消化器内科の常勤医は今はいない。
どの科でも入院患者で多いのは圧倒的に高齢者であり、認知症をもつ方も多い。
整形外科は大腿骨頸部骨折や脊髄圧迫骨折など高齢者に多い骨折への対応はもちろんのこと、スキー場や北アルプスをかかえて外傷者も多く、人工関節や脊椎などの高度な手術なども盛んであり若い医師も集まっている。
そしていまや貴重な存在となった総合病院の精神科病棟をもつことが特徴といえば特徴だろう。
精神科や整形外科には独自採用の後期研修医、またスタッフ医師が多数いてとても活気がある。
毎年秋には病院祭が開催され、JAの農業祭と共催されたこともあった。
その他には北の白馬村に附属の診療所があり、小谷の国保診療所にも安曇病院で初期~後期研修で育った生え抜きの医師がいっている。
回復期リハビリテーション病棟の開設と閉鎖、DPCへの手あげ、7:1看護などなど、めまぐるしくかわる医療制度上で、あやうい綱渡りを繰り返しながらギリギリの状態でなんとか黒字経営を保っている。
しかし今後、DPCの調整係数を外された時にどうなるかを考えると今から恐ろしい。
卒後臨床研修制度がはじまった当初より研修医を独自で採用し、おなじ長野厚生連のフラッグシップ病院である佐久総合病院などと連携し、研修医を細々とではあるが育ててきており、現在も3名の初期研修医が在籍する。
救急は一応、2次までうけているが心臓血管インターベンションや脳梗塞の血栓融解療法、脳外科の手術、心臓血管の手術、急性腹症の緊急開腹術などには対応できる体制にない。多発外傷や、心筋梗塞や脳卒中が疑われる患者の場合は救急車はそのまま南に通り過ぎていく。
当直体制は医師一人の全科当直体制で若い医師ほど当直が多いため、初期臨床研修を経てきた精神科の後期研修医が多かった時期には一時は2日に1日は救急外来の全科当直を精神科の若手医師が担っていた。
重症そうなケースには救急隊に待っていてもらい(あるいは近くの消防署からあらためて来てもらい)、末梢静脈路を確保し、CTや心電図などの検査だけしてトリアージし、そのまま松本の病院に転院搬送となるケースもある。
その際、医師が同乗することもあり、救急医療に力をいれる松本の相澤病院からモバイルER(ドクターカー)にも来てもらい途中でランデブーすることもある。
そして、ある程度急性期治療がおちつき、リカバリーやリハビリテーションがメインになったり、地域での生活復帰の準備が必要となった時点で安曇総合病院に転院してもどってくることも多い。
安曇総合病院全景
先日、臨時で職員の全体集会が開かれ、そんな安曇病院が再構築にあたって補助金をもらって、ICUを増設し、がん放射線治療の機械を入れ、専門医を呼び、脳卒中や心筋梗塞に対応できる体制を整えるために、脳外科医と複数の循環器内科医を招聘し、また外科の充実を図るのだというプランが院長から提示された。だれがやるのかと言う問いに関しては、大学医局に依頼して外科や脳神経外科の循環器内科の医師を招聘するのだという。
院長の口から唐突にこのようなプランが提出された時に、現場の職員の多くは「???」という反応であった。
事情がよく分からなかったが、どうやら地元選出(最近は対立候補がおらず無選挙での当選)の県議会議員と当院の院長が中心となっての動きのようだ。その県議は「ガンの撲滅」を政治テーマとし、「アルプス山麓からガンをなくす会」をつくったり、そして以前より『
日本アルプス先端医療いやし産業構想』を打ち出し地元に信州大学とも連携した県立がんセンターをつくりたいという私案を提唱していた。そして大北地区にも「がん拠点病院」をつくっての地域完結型の医療を目指すのだという。(県議のウェブサイトより引用する。)
【日本アルプス先端医療いやし産業構想】
官沢敏文の提唱
「宮沢敏文は、これからの県政への取り組みの最大プロジェクトとして『日本アルプス先端医療いやし産業構想』を表明します。
この構想の核になるのが、いやし環境を整え陽子線治療など先進設備を備えた県立ガンセンターの建設であります。
県立ガンセンターは、冬季オリンピックで、世界にその存在を示した北アルプス安曇野地域にふさわしいものと思います。なぜなら、この自然豊かな地には、世界レベルの高度な医療技術開発の実現化と、ホスピスを含めた「いやし」の空間の建設等々が、適していると思うからです。いうなれば、ゆったりとした、この自然を融合した新しい医療『いやし分野』の産業群の創造であります。
この構想は県立ガンセンター建設を中核に、肝移植など積極的医療を追求する信州大学医学部との連携をはかるものです。より先端医療を集積しながら雇用の創出、食品や薬草等の栽培を通じた地域振興をともにはかり、日本アルプスの広い裾野のように新しい産業の渦を創り上げていきたいところです。
わたし自身、ガンに苦しみながら、短い人生を生き貫いた母を見つめ続けてきました。母は、先端技術を備えた治療体制が地元にないため、遠く、人の波であふれる東京で、妹の小さな下宿から一年問近くも、国立ガンセンターでの放射線治療に通いました。母は、副作用による身なりの変化に対する周りの目を気にしながら、電車で通院しなければなりませんでした。あれだけ『治るまでは、帰らない』ときっぱり言い続けた母の入院日記には『帰りたい、帰りたい、うちに帰りたい』と、日に日に弱っていく力を振り絞って書いてありました。わたしには、今でも母が『ガンのつらさ、遠く離れた治療を受ける者の心のいたみ』を訴えている気がしてならないのです。その時の母は、50才でした。今年50才になるわたしが、今やらなけらばならないことは、他界した母からのメッセージを、しっかりとうけとめることだと思います。
そんな母の思いを地域完結医療の実現にこめるとともに、日本アルプスの大自然の大きさが病に耐えながら人生をみつめ続ける人達のいやしの空間となり得るにちがいないと思います。」
「これは、あくまで、わたし個人の構想ですので、不完全です。多くの方々からご意見をいただき、より完全な構想に成長させ、実現したいと思います。ご意見をお寄せください。お願いします。」 宮沢敏文
国では膨れる医療費をコントロールするため、平成23年から25年に地域医療体制整備のための最後の医療圏整備策として、全国で3000億円ほどを当て、各病院ごとの計画ではなく、2次医療圏を管理する県保健所が各病院と連携し、病院ごとの役割分担をはっきり持たせた形で医療計画をつくるというプランをうちだした。
そのための予算が長野県では120億円あり、その取り合いになるということらしい。
県議は大北医療広域は、県内の他の10医療圏より医療整備が遅れているから問題だという。そして2つの病院をバックアップする財政的バックアップ力が医療関係者には脆弱であることを考えると県や国の制度をうまく使って医療環境整備をしていくしかないが、市立大町総合病院は残念ながら急性期医療をになう力がなく慢性期でいくとも言っているので、安曇総合病院ががん診療拠点病院と急性期をやるしかないという主張である。
そして病棟の建て替えにからめて県と国からの地域医療体制整備の補助金に加え近隣の市町村からもお金(もとは税金だ)をださせるのだといい、いまその補助金をもらわないと大損で、補助金は他の地域、他の病院に持っていかれてしまうのだという。そして大慌てでがんや急性期の医療のプランをまとめて3年間で20億円規模の地域医療再生計画を県に対して陳情した。
そして、それが今回はじめて院長により全職員に対して発表されたということのようだ。
しかしちょっと待てほしい。夢を大きく語るのは自由だし、民主主義の世だから、いろんな意見を言うのは自由である。
しかし、その計画はあまりに地域や医療現場の実情や想いからかけはなれていないだろうか。
田舎にも高度医療機関をというのが住民の声だというかもしれないが、住民に「何でも出来る総合病院が近くに欲しいか?」と聞けば、それは欲しいと答えるにきまっている。
しかし無限にリソースがあるわけではないのだから、ものごとには優先順位というものがある。
それをつけるのが医療や政治のプロフェショナルの仕事のはずである。
そもそも医療専門職も行政もまず住民が自ら考え行動するために情報を公開し、住民と一緒になって考えてくべき問題のはずである。
個人が自分のお金で事業をおこなったり、賛同者をあつめて出資金をつのり、自らの理想の病院をつくる分には誰も文句は言わない。しかし補助金はもとはといえば税金であり、「皆のお金」の話しである。医療は政治の道具ではない。
だれも知らないところで密室でそのようなことがすすんでは困るのだ。
医療福祉を通じた産業と雇用創出、地域づくりは、北海道でのハイメックス構想、佐久でのメディコポリス構想などがあり井上ひさしの「吉里吉里人」などにも登場するし、それを否定するものではない。
しかしこの地域で「福祉のまちづくり」はいいとしても、高度医療をになうセンターは厳しかろう。
もともと人口も多く、医療機関、研究機関の集積する都市部では、神戸医療産業都市構想などいくつかの例はあるが、人口の少ない田舎である程度成功しているのは戦後すぐから若月俊一のカリスマ性と実践の継続により田舎には不自然に巨大化した病院をもつ長野県佐久市の佐久総合病院や、千葉県鴨川市の
亀田総合病院くらいしか思いあたらない。
亀田総合病院はメディカルツーリズムにも力を入れ都市部や海外からも患者を集めており、浅田次郎の小説「天国までの100マイル」のモデルにもなった病院だ。
佐久総合病院は田舎の大病院ではあるが消化器内視鏡診断治療分野では有名で世界トップクラスのレベルを誇り存在感を示している。
しかし戦後の高度経済成長期やバブルの時代ならともかく、今から何でもできる大病院をここに作れるとは思えない。それは「国土の均衡ある発展」を主張し公共事業で高速道路や高速鉄道を巡らし、日本中をミニ東京にしてしまった田中角栄の「日本改造計画」の発想だ。
「遠く離れた地で治療を受ける者の心のいたみ」を言うのなら、娘の下宿から国立がんセンターに通い放射線治療を受けていた県議の母とは逆に、都会の人が治療のため北アルプスに来てがん治療をうけたところで、今度は都会に帰りたいといって「うつ」になることもあるだろうに。それに、そもそも県議の母はなぜ、東京の国立がんセンターで治療をうけたのだろうか?少しでもレベルの高い、評判のよい医師、医療機関でと考えたからわざわざ東京にいったのだろう。松本の信州大学でだって放射線治療はうけられたはずである。このように、動ける患者ならば、少々遠くとも評判のよく実力のある病院に行く。
結局、どう考えてもこの地域や病院にとって地域がん診療拠点病院の要件を満たすためにがんばって「がんの放射線治療」の実現することが優先順位が高い課題だとは思えない。
使う頻度の少ない高度医療機器は人口の多い地域、交通の便のよい場所に設置されるのが当然である。
木曽医療圏(32000人)や大北医療圏(60000人)の2次医療圏の医療整備が他の2次医療圏に比べて遅れていると言うが(もっとも少ない人数で県立木曽病院は急性期医療もそうとうがんばっているが。)、どちらも人口の少ない過疎の医療圏なのだから当たり前である。そもそもその医療圏が適当なのかどうかということもある。医療圏ごとに保健所があるが、大北の保健所長は昨年まで松本保健所長と兼務だったのだということが実情を物語っている。
木曽医療圏は制度上は3次医療圏は松本医療圏に組み込まれているが、権兵衛トンネルの開通で伊那中央病院などへの救急車の搬送時間は約半分になるなどアクセスが近くなった。県立木曽病院は手術や心臓カテーテル検査など頑張っている病院であるが、それでも地元の人で地元の病院で手術を受ける人は減っているという。
県立木曽病院の久保田院長は
病院のホームページで以下のように述べている。
「人口減少も影響しているかと思いますが、老齢化はますます進んでおり、病院の需要は変わらないはずです。手術件数が大きく減少しており、病気を発見診断しても、治療とくに手術となると、子供さんのいる都市部へ行きたいという方が最近増えていることが、主な理由に挙げられると思います。 この状況が続けば、急性期医療を担う、積極的な医師は早晩辞めていきます。」
大北地域も高瀬川沿いの堤防道路は信号もなく車もとばせるし、さらに高速道路に直結した高規格道路の計画もある。小谷、白馬、大町からは長野冬季オリンピックの際につくられた道路を経由し長野に抜けるのもずいぶん近くなった。そもそも大町病院や安曇病院には松本から通って来ている医師もかなりいる。
このように、交通事情もよくなった現在、2次医療圏内でがん医療が完結する必要性は低下して来ている。緩和ケアや外来化学療法に力を入れるのはよいだろうが、放射線治療までのニーズは果たしてあるのだろうか?そもそも標準的ながん治療を行なう外科や内科などがしっかりと存在して、はじめて意味のある放射線治療なのである。
それも治療を行なうには、それを支える放射線治療医や専門技師、専門看護師が必要だが、その数は少なく症例数の少ない当院に来てもらえるとは思ない。松本の信州大学でも放射線治療を受けられるし、相澤病院は全国にもまだ数少ない陽子線治療装置の導入を2013年の診療開始を目処に準備を進めており、中信松本病院もがん診療の機能の強化を図っている。
長野県全体のことを考えるのなら、これらの病院で人的資源を集中させた方が地域全体のレベルアップにつながるだろう。
すでに建屋(たてや)に2億円というような試算まで出ているが、ソフト面、専門医をどう確保するのか、患者はどのくらいいるのか(県の大雑把な試算では100人)、年200件以上(毎日稼働)の治療をしなければペイしないという。
はたして、それだけの稼働があるのか?たとえニーズがあったとしてもよっぽどでないと松本や長野の病院のがんの名医のところに行くのではないだろうか?
まず、計画ありき、補助金ありきのところに疑問を感じてしまう。
しかし、もし目的が規定された補助金がおりてしまうと、その目的に縛られてしまい職員は忙殺され、刻々と変化する地域医療のニーズに応じて、あるいはニーズに先んじてフレキシブルに医療体制を組み変えていくということが出来ない。
本来ならば医療とはローカルなものなのであるはずなのに・・。
そして立派な箱(建物)を作り、身の丈にあわない医療機器をそろえても人(医師をはじめとするスタッフ、そして患者)は集まらず、赤字だけが残るということになりかねない。
外来棟をつくったときに作ったはいいが3年でつかわれなくなったカテ室や、部屋を増やしたはいいが稼動の減っている手術室から何を学んだのだろう・・・。
まだ院長らが自ら率先して、急性期の臨床をやろうといったり、住民や現場の医師から放射線治療のできる体制やICUがなくて困るという声があるのならまだ話しはわかるが、残念ながら今のところ自ら中心となって熱意をもち高度急性期医療をやりたいという医師がそれほど多いわけではないし、住民も安曇病院にそれほど高度な医療を期待しているわけでもない。
求めていると言えば「いつでもまず、診てくれて、手に余ることなら適切なところに紹介してくれる。」医師だろう。
そのような環境で新たに医局から専門医を派遣してもらったところで彼らが活き活きと活躍できるとは思えない。
田舎の病院では多少医学的に高度なことをやったところで人口の多い都市部のように診療圏を越えて遠方から患者が集まりはしないのだ。
多少設備や給料がよくても症例の集まらないところに専門医の居場所はない。
政治家は「2次医療圏内の完結体制」「いつでもどこでも国民に一定レベルの医療サービスの提供」という国と県の方針理念があるからというのだが、どこまでを完結しどこは連携するのか(例えば、がん放射線治療は必要か?救急医療は?どこからが3次医療圏での整備になるのか?、一定レベルとは?病院の経営状態や財源は?、地域の実情は?ニーズは??)というあたりまで詰めた話しをしないと水掛け論になり全く議論にならない。
下手をすると結局「おらが町に何でも出来る大病院を、できれば自分のお金で以外で・・。運用は医療専門職にやらせりゃいい・・。」という話しになってしまう。
そして減価償却費やランニングコストがかさみ赤字をだせば、行政から補填もうけられない組合立の病院は今現在やっている医療の存続も不可能になる。そんななかで現場のモチベーションと志気(モラール)の低下がおき、行き着く先は医療崩壊である。
誰も責任をとれず、そのころにはそんな計画を立てた人は定年でもういないのである。
一方で、一刻を争う高度救急医療のニーズは確かにあるだろう。
(どれくらいの人が、大北に3次救急医療を担える病院が無いことでどのような不幸な目にあっているのか、正確な数字が欲しい。)
しかし365日24時間あらゆることに対応しようと各種緊急手術や処置に対応できるような体制を整えるには莫大なコストがかかる。
今はやっていない心カテ室やICUなどの病院全体の体制をゼロから確立するのも大仕事で、今の業務を続けながら職員も勉強や研修にいかなければならない。
産科医も心臓血管カテーテルのインターベンションが出来る医師も、脳外科医も今や1人だけではとても365日24時間の緊急ニーズに応えられない。となると専門医を複数配置することが必要だが、集約化しないとそれらの医師が腕を磨き、なまらせないほどの症例数は集まらない。
たまに来る緊急救急処置を要する患者に対応するために慣れない医者やスタッフがドタバタするくらいなら、手に余ることはとっとと松本の大病院の救急救命センターに連絡をとった上で救急車で搬送して治療をお願いするのも仕方がないのではないか。そしてあるていど落ち着いたらまた戻ってくればよいのだ。
それで何がいけないのだろうか?
私がかつていた佐久総合病院(3次救急まで担う大病院)の救命救急センターでは、ウォークイン、救急車、ドクターヘリなどで救急患者の来院がたえなかったが、ワラワラと救急対応に手なれた看護スタッフや若い医者がとりつき次々と検査や処置がおこなわれ、診断がつくとそれぞれの専門医が呼ばれ、つぎつぎに手術室やカテ室、病棟、ICUなどに引き取られていった。
救急医療、高度医療はそれを担える中核病院に人と予算を投じ、「プライマリケア(良くある問題への継続した関わり、救急対応とトリアージ)」と「支える医療」を担う当院のような第一線の病院とのさらに連携を強化するのが良いと思う。
自動車社会になり、昔よりも道路もよくなり都市部へのアクセスも改善された。
ましてや南に15分のところにある同規模の病床数の安曇野赤十字病院が今年立て替えたばかりで、ICUや救急部をつくり、年間16億円もの赤字をだしながらも急性期医療に力を入れている。さらに南に30分~40分行った松本市(人口24万)にはより急性期医療に特化した民間総合病院や、医師のたくさんいる大学病院、脳外科専門病院が存在する。
それでもどうしても救急医療へのアクセスが遠い白馬村や小谷村の人が救われないと考えるならば・・(現時点で急性期脳梗塞のtPA治療は発症から3時間以内に治療を開始しなければならず、小谷村に
需要自体は少ないが、命には変えられないことだと皆が思い、どうしても必要な医療だというなど)
それは公立病院が果たす役割だろう。皆が納得していれば赤字をだしても公的資金で補填できる。
今の大町病院にその力は無いと言うかもしれないが、今から新しいことを始めるという条件は同じである。人口母体の違いもあるが、今でも大町市民総合病院のほうが安曇病院よりたくさんの救急車を受け入れている。
いや、むしろ大町病院は災害拠点病院でもあり、DMAT(災害時派遣医療チーム)などにも力を入れているスタッフがおり、昨年は大町総合病院主催でICLS(医療従事者のための蘇生トレーニングコース)のコースを開くなどコメディカルのアクテビティも高いのだ。
市立大町総合病院全景
安曇病院の職員全体集会では疑問を呈する声や反対意見がほとんどで、表立って賛成するものは一人もいなかったのが救いではある・・。
もし安曇総合病院がこのような方向で再構築がおこなわれていくなら辞めると言っている医師も少なからずいる。
結局、このプランはペンディングとされ、あらためて再構築検討委員会をつくり職員全体で検討していくことになった。
今後は全ての情報をオープンにした形で全職員、そして病院のユーザである地域住民も巻き込み議論を尽くしていく必要がある。
結局、大事なことは地域の人を対象にした、身の丈にあった医療や福祉をまっとうにやることに尽きると思う。
「それが何か?」とういことはあらゆる機会をとらえて地域住民も含めて徹底的に考えるべきことだ。
私はここ10年間の全国の医療崩壊と再生の有り様をつぶさにに見て来た。
いくつかのモデルととして、かつての
佐久総合病院、
藤沢町民病院(→
参考)、
夕張医療センター、
千葉県立東金病院、
兵庫県立柏原病院などがあげられる。
もちろん全国に良質な医療を地域住民とともに作り上げているところは他にもたくさんあるだろう。
安曇病院も、いきなり新しいことを始めるのではなく、まずは1次医療をになう診療所や3次医療をになう松本の病院との連携をさらに強化し、今すでにやっていることの延長線上に全職員が少しずつ頑張ることだろうと思う。(こういう地味で地道なことにはあまり補助金はつかないものであるが・・。)
そもそもここで、なぜ「再構築」をする必要があるのか?「改善」では何故いけないのだろうか。
「再構築」という言葉はかつて佐久総合病院にいた時にさんざん聞いて懲りた言葉だが、すべてが一新するような・・大変な作業であるようなイメージをあたえてしまう。職員も住民もどこか現実離れして他人事のように感じてしまうのだ。
今もやっている2次救急医療、回復リハビリテーション、がん緩和ケア、認知症診療、在宅医療、精神医療、健康増進などに力を入れ、質の高い慢性期、生活期医療を目指す方向性では何故いけないのだろう?。救急や高度医療で都市部と差が出てしまうのは避けられないのだから、都市部では難しい保健や福祉と一体化した質の高い地域包括ケアを目指すべきだと思う。
実は、これらの分野では安曇総合病院の看護師やリハビリのセラピスト、ケースワーカーなどの能力もモチベーションも力量も高いのだから。
高齢化のすすむ地域のニーズをとらえ、まず病院の近くの池田町、松川村(それぞれ人口約1万)の住民に丁寧でまっとうな医療を提供し、動けない人(高齢者、障がい者)の生活を支える丁寧な医療に力をいれることこそ求められていると思う。
そして、その中で鍵となる内科医は専門医をそろえていく方向性よりは、総合診療方式が望ましいと思う。(専門医は外来でパートで来てもらいコンサルテーションを受けられる体制にするのがいいだろう。)
総合診療に力をいれることで、かつての舞鶴市民病院、今は
諏訪中央病院のように初期、後期の研修医をあつめ小規模でも良質な臨床研修指定病院として名を馳せているところはある。
このような形は当院でも可能なはずだ。
病棟、外来、ディ、訪問など精神科部門全体があつまっての朝会。
当院の強みの一つはチームワークの良い精神科医療だと思う。
看護師や臨床心理士、作業療法士、PSWなどのコメディカルは優秀でモチベーションも高く、当院の精神科には診療圏を越えてアルコール依存症のリハビリテーションプログラムや思春期の診療を求めて松本や長野などの遠方の都市部からも患者があつまっている。
また、認知症疾患医療センターとして地元の池田町、松川村をはじめとした市町村や地域の介護保険の事業所とも良い連携がとれてきている。
総合病院であるという強みを活かして、安曇野市、松本市からも単科の精神科病院では受けられない身体合併症を持つ精神障がいをもつ患者を多く引き受けている。大町病院や安曇野赤十字病院などから身体合併症をもつ精神障がい者、認知症高齢者の入院依頼の紹介も多い。
認知症と身体疾患をかかえ、精神症状でどうしようもなくなった高齢者や精神障害者を他の病院や施設から、夕方や休日の突然の紹介頼であっても、それが当院の役割と引き受け、なんとか症状をコントロールし、地域で生活できる体制をととのえて退院させている。
こういった病棟をもち機能している病院は松本市にも長野市にも少なく、本来のキャッチメントエリアである安曇野市と大北地域を中心とした中信地区(松本、塩尻も含む)のみならず、遠く長野方面や、木曽や諏訪からの患者を受け入れることもある。
その他には県内の他の厚生連の病院に外来診療の応援に派遣したり、大学病院や単科の精神科病院とも医師の交流がある。
認知症やがん、神経難病、脳卒中後遺症などを抱えながらも、在宅での生活を続けたいと言うニーズに応えようと、病院から訪問診療や往診にも出て行く在宅支援の体制もはじまった。(在宅支援科)
これは熱意のある医師がいたからできたことだ。
病院から少し出た場所にメンタルケアセンターがあり日中の居場所とリハビリテーションや就労支援、訪問看護の拠点となっている。
食器洗浄やユニフォームのクリーニングなど院内での仕事をワークシェアリングすることで、精神障害を持ちつつ地域で暮らす人の働く場をつくる就労支援事業も始めた。
今後はこの延長線上に、さらに病院を地域の生活を支える拠点にすべく、医療や地域づくりの様々な勉強会を地域のいろんな人と継続していくのが良いと思う。
こういったケアミックスと地域づくりでは高齢者では佐久市中込を中心にケアホームなどを大量展開する恵仁会グループの活動や、山形県鶴岡市の
庄内まちづくり協同組合『虹』の活動、地域に小さな拠点を分散させている新潟県長岡市の「
こぶし園」などの活動が参考になる。ゆきぐに大和病院にいらした黒岩先生の「
もえぎ会」の活動も面白い。
いづれも地域住民や、地域のいろんな企業や団体を巻き込んでの医療福祉にとどまらない活動をおこなっていることが特徴だ。
精神医療や障害者の支援から地域づくりまでおこなっている活動では北海道の帯広市のさまざまなNPOが中心となった障害者者支援の活動、浦河町の(
浦河べてるの家)活動、釧路市の
地域生活支援ネットワークサロンなどが参考になる。
いづれも地域づくりまでをゴールにしている。
安曇病院も今の活動の延長線上に病院周囲の市街地に町や地域住民、NPOなどと一緒になって高齢者や障がい者も安心して住める住居や、働く場をたくさんつくり、生活習慣病対策に小さな温水プールやジムを作り、医療や健康作りのための患者図書館を作り、地域をもりたてていく。
こんな方向性でいけば、全国にも誇れるモデルが示せ、結果としてやる気のある医療職もあつまり地域の医療全体のレベルもあがると思うのだが、いかがだろうか。
私は、大北と安曇野の人と風土が大好きである。患者さんは慎み深く病院を大切に思ってくれている。
安曇総合病院の再構築がおかしな道にすすむことなく、本当にこの地域にとって必要な医療が実現できるように願っている。
<参考>
【初音ミク】僻地医療崩壊を歌う