運転免許の更新に行ってきた。
今回は運転免許制度をめぐるスペキュレーション。
今まではゴールド免許の優良者だったが、今回は一度スピード違反で捕まったためブルーの免許になった。
近くの交番や警察署でも免許の更新自体はできるが、手続きできるのは平日のみ。
交番での更新では講習は別に受けなければならず、また写真も持参しなければならず、即日交付はされない。
そういうわけで今回は運転免許センターまででかけた。
休日に手続きをしているのは2,4週の日曜日のみなので老若男女多くの人が来ていた。
運転免許の更新は3年(初回、普通)、あるいは5年(優良者)ごとである。
誕生日の前後1ヶ月に自ら警察署か免許センターに出向く。
選挙に投票に行かない者でもこればかりは行かざるを得ない。
都会に住み、普段は車は使わず、免許証を身分証明証として使っているだけの人も、更新には行くのだろう。
結果、国家公安委員会に国民ほどんどが管理されていることになる。
これは、わりと恐ろしいことの気がする。
犯罪者など国家のブラックリストに乗っている人に対して網が張られていたりするのだろうか?
内幕を知りたい。
そんなことを考えながら受付をすます。
免許というものは各分野であるが、それにしても人の適正・クオリティを適切に評価するというのは本当に難しいことだと思う。
問題は誰がオーソライズするのかということだ。
医師も免許制で、無事に大学医学部を卒業して、国家試験に合格すれば医師免許は交付される。
医師は不足気味で大事にされているので医師免許が更新制にはることは当面はないだろうが、教員免許は10年ごとの講習が義務付けられ更新制になった。
しかし、知識や、運転の技能は評価できても、態度の評価というのは難しいことだ。
車にのると性格が変わる人もいるし、飲酒したときは厳罰化もありさすがに乗らないが、疲れたときに適切に安全運転を優先させることができるかどうか・・・。
自分にも自信がない。
まず、
「意識を失ったことがありますか、突然眠くなることがありますか?医師から運転をとめられていますか?」
などの質問に答える。
それぞれに、てんかん、ナルコレプシー、認知症などの精神障害などの疾患が想定された質問だ。
しかし、これは自己申告である。たいていの人は、あえてチェックなどしないと思う。
自分の場合も突然眠くなることはあるが、どれにもないというところにチェック。
これらの質問に正直にYesとチェックしたら医師の診断書を求められることになるのだろう。
こういうわけで医師として働いていると患者さんが、運転の可否の判断を求める書類を求めてくることがある
身体障害の場合は、純粋に知識や技能を考慮すればよいし、回復の程度は予想できる。また危ないことはしないだろうという判断が出来る。
きちんと通院できている統合失調症の人に関しても大体のことは言えるし、彼らはまず危ないことはしない。
躁鬱病の人はそもそもそんな書類を持参しないだろう。
てんかんなどの場合は、きちんと薬を飲めているか、最近に痙攣発作があったかなどでリスクは評価できる。
脳外傷や脳血管障害の後遺症の高次脳機能障害の方の場合も病識の問題となることもあるが障害はほぼ固定されており徐々に回復する可能性もある。
結局いちばん多く、そして困るのは高齢者の認知症である。
現代社会に生きる人は、あきらめないことを強いられており、老いや死を恐れアンチエイジングに精を出す。
結果、老化とはあらゆるものを奪われてしまう恐ろしい喪失の過程となる。
これから高齢者となる進歩万歳の団塊の世代ではますますその傾向は強まるだろう。
運転がダメとなったことでガックリして「うつ」になってしまう高齢者もいるから大変だ。
しかし老化にともない身体機能、認知機能は低下するし、認知症の場合は、認知機能の低下が確実に進行するのである。
高齢社会を迎えて、交通事故の加害者・被害者の多くは高齢者である。
さすがに放ってはおけないと制度の改正で認知症になったり身体機能の衰える高齢者には高齢者予備検査や高齢者講習を義務付けられるようになった。
これで高齢者の運転適正のふるい分けをおこなうわけだが、しかしこれも、やんわりと運転しないようにすすめるだけで、法的拘束力はない。
(記憶力・判断力が低くなっていても免許証の更新はできますが、信号無視、一時不停止、踏切不停止といった交通違反を更新の前に行っていた場合または更新の後に行った場合は、警察から連絡があり、専門医の診断を受けるか、主治医の診断書を提出することになります。認知症と判断された場合には、免許が取り消されます。)
とパンフにはある。
しかし現実問題として大型ショッピングセンターの間にコンビニが点在し、人々は車で移動するという車社会にしてしまったため、車がないと地方の生活は大変不便である。
農業だけでは食べていかれないため若者は都会に出て行き、残された高齢者のみが暮らす世帯も多い。
そう考えると簡単に運転のダメ出しはできない。
だから医師としては、ダメともいえないし、いいともいえない。
はっきり言ってこんな診断書の書き方がわからない。
もっともこんな書類で運転可した人が事故をおこしたとしても医師の責任が問われることはないらしい。(問われても困る。)
結局のところ本人がいよいよあきらめたり、事故を起こすまで、誰かがダメだとはいえないように思う。
なので、たいてい
「医師が「残遺症状がないか又は残遺症状は認められるが、自動車等の安全な運転に必要な認知、予測、判断又は操作のいずれかに係る能力(以下「安全な運転に必要な能力」という。)を欠いていないと認められ、今後、安全な運転に必要な能力を欠くこととなるおそれがある症状(以下「運転に支障のある症状」という。)が再発するおそれはないと認められる。」
にチェックすることになる。
要するに「心配だけど気をつけて運転してね。」ということだ。
現実的には、高齢者特に認知症の高齢者には、「家と畑とスーパーの間のみの約束。」「昼間で村内のみ。」「妻を同乗させた場合のみ。」などにしましょうとなどとケースバイケースで相談することが多い。
これとて医師や家族との約束ということで法的拘束力はない。
こうして家族、医師、自動車学校、公安とやんわりとあきらめる方向へ持っていくと同時に車無しで生活が維持できるような生活スタイルへ変更を支援する。
このあたりが認知症の診療におけるわりと微妙かつ重要なところである。
長期的には町のつくりや制度、社会的なサービスも変えていく必要があるだろう。
実際、タクシーとバスの中間みたいなデマンド交通なども広まってきているし、免許を返納した人に、公共交通サービスの補助をおこなう自治体もあるようである。
個人的にはもっとタクシーが見直されてもいいと思う。
なじみのタクシーを持っている高齢者も多い。タクシーの運転手もヘルパーの免許をとったり、介助法などを勉強している人も多い。
障害者、高齢者には移動権を保障するために、通院だけなど行き先が制限される介護保険の福祉移送サービスやボランティアのSTS移送サービスだけではなく、行きたいところに行きたいときにいけるタクシーの利用クーポンを渡せばいいと思う。
そしてタクシーの料金も時間と距離を組み合わせた料金体系にして、プロのタクシードライバーには、地域の地理、歴史、実情などの情報に加え、障害の理解や介助法の習得を義務付ければよいと思うのだが・・・。
このあたりは政治の力で何とかなる部分ではないだろうか。
*************************
つづいて更新料と講習料の支払い窓口へ。
なぜかボランティア団代のはずの交通安全協会の申し込みもが抱き合わせで行われている。交通安全運動などでテッシュなどをあの配る謎の団代だ。
加入は任意ですと小さく書いてあるが、窓口では「交通安全協会にも入られますね。」とあまりに自然に話すので、あまり注意をはらっていないと「ハ、ハイ。」と自動的に入ることになるだろう。
(以前はもっと任意ということを隠されていたようだ。)
どうせ警察官僚OBの天下り先ポストを作っているだけの団体だ。
それも高齢者を扶助する公的扶助の一つではあるといえるのだろうがあまりに公平性に欠ける。
隣で受付していた人は当然のように加入していたが、私は今回は罰金という形でも貢献しているので「それは、いいです。」と断った。
世の中、NHKや日赤など、よくわからない根拠で広く薄く当然のようにお金をむしりとっていく組織が多い。
もっともこんな表に見えているような組織は小物で、グローバル資本主義の胴元・黒幕は他にいる。
************************************************************************
流れ作業のように視力検査に引き続いて写真を撮り、講習へ。
はじめは交通事故の危険と安全運転を啓発するビデオを30分見る。
優良者はこれで終了。
準優良者講習のみ残り、あと30分講義を聴く。
道路交通法の改正点や県内の交通事故の統計などたいしたことは言わない。
自動車学校の学課の一コマみたいなものだ。
そしてICチップが埋め込まれた新しい免許証を受け取って終了。
道路交通法の改正で新たに中型免許というのが出来たそうで、なので普通免許を持っていた人は、「中型(8t)未満限定。」の免許になる。ちょっと得した気分だ。もっとも運転できる車種の条件はこれまでとは変わらない。新しく普通免許を取る人(5t未満)とくらべて制限がゆるいだけだ。
免許が細分化してくると、もとから免許を持っていた人を制限するのは大変なので、元から持っていた人は優遇するということはよくある。
だから古くから自動車免許を持っている人は自動的に大型免許や大型二輪も運転できたりする。
学会の認定医や専門医などの制度でも同様のことはよくある。
さて、次の更新は5年後である。
5年前に今の自分が予想できなかったように、5年後がどんな世の中で自分はどこで何をしているのかすら定かではない。
今回は運転免許制度をめぐるスペキュレーション。
今まではゴールド免許の優良者だったが、今回は一度スピード違反で捕まったためブルーの免許になった。
近くの交番や警察署でも免許の更新自体はできるが、手続きできるのは平日のみ。
交番での更新では講習は別に受けなければならず、また写真も持参しなければならず、即日交付はされない。
そういうわけで今回は運転免許センターまででかけた。
休日に手続きをしているのは2,4週の日曜日のみなので老若男女多くの人が来ていた。
運転免許の更新は3年(初回、普通)、あるいは5年(優良者)ごとである。
誕生日の前後1ヶ月に自ら警察署か免許センターに出向く。
選挙に投票に行かない者でもこればかりは行かざるを得ない。
都会に住み、普段は車は使わず、免許証を身分証明証として使っているだけの人も、更新には行くのだろう。
結果、国家公安委員会に国民ほどんどが管理されていることになる。
これは、わりと恐ろしいことの気がする。
犯罪者など国家のブラックリストに乗っている人に対して網が張られていたりするのだろうか?
内幕を知りたい。
そんなことを考えながら受付をすます。
免許というものは各分野であるが、それにしても人の適正・クオリティを適切に評価するというのは本当に難しいことだと思う。
問題は誰がオーソライズするのかということだ。
医師も免許制で、無事に大学医学部を卒業して、国家試験に合格すれば医師免許は交付される。
医師は不足気味で大事にされているので医師免許が更新制にはることは当面はないだろうが、教員免許は10年ごとの講習が義務付けられ更新制になった。
しかし、知識や、運転の技能は評価できても、態度の評価というのは難しいことだ。
車にのると性格が変わる人もいるし、飲酒したときは厳罰化もありさすがに乗らないが、疲れたときに適切に安全運転を優先させることができるかどうか・・・。
自分にも自信がない。
まず、
「意識を失ったことがありますか、突然眠くなることがありますか?医師から運転をとめられていますか?」
などの質問に答える。
それぞれに、てんかん、ナルコレプシー、認知症などの精神障害などの疾患が想定された質問だ。
しかし、これは自己申告である。たいていの人は、あえてチェックなどしないと思う。
自分の場合も突然眠くなることはあるが、どれにもないというところにチェック。
これらの質問に正直にYesとチェックしたら医師の診断書を求められることになるのだろう。
こういうわけで医師として働いていると患者さんが、運転の可否の判断を求める書類を求めてくることがある
身体障害の場合は、純粋に知識や技能を考慮すればよいし、回復の程度は予想できる。また危ないことはしないだろうという判断が出来る。
きちんと通院できている統合失調症の人に関しても大体のことは言えるし、彼らはまず危ないことはしない。
躁鬱病の人はそもそもそんな書類を持参しないだろう。
てんかんなどの場合は、きちんと薬を飲めているか、最近に痙攣発作があったかなどでリスクは評価できる。
脳外傷や脳血管障害の後遺症の高次脳機能障害の方の場合も病識の問題となることもあるが障害はほぼ固定されており徐々に回復する可能性もある。
結局いちばん多く、そして困るのは高齢者の認知症である。
現代社会に生きる人は、あきらめないことを強いられており、老いや死を恐れアンチエイジングに精を出す。
結果、老化とはあらゆるものを奪われてしまう恐ろしい喪失の過程となる。
これから高齢者となる進歩万歳の団塊の世代ではますますその傾向は強まるだろう。
運転がダメとなったことでガックリして「うつ」になってしまう高齢者もいるから大変だ。
しかし老化にともない身体機能、認知機能は低下するし、認知症の場合は、認知機能の低下が確実に進行するのである。
高齢社会を迎えて、交通事故の加害者・被害者の多くは高齢者である。
さすがに放ってはおけないと制度の改正で認知症になったり身体機能の衰える高齢者には高齢者予備検査や高齢者講習を義務付けられるようになった。
これで高齢者の運転適正のふるい分けをおこなうわけだが、しかしこれも、やんわりと運転しないようにすすめるだけで、法的拘束力はない。
(記憶力・判断力が低くなっていても免許証の更新はできますが、信号無視、一時不停止、踏切不停止といった交通違反を更新の前に行っていた場合または更新の後に行った場合は、警察から連絡があり、専門医の診断を受けるか、主治医の診断書を提出することになります。認知症と判断された場合には、免許が取り消されます。)
とパンフにはある。
しかし現実問題として大型ショッピングセンターの間にコンビニが点在し、人々は車で移動するという車社会にしてしまったため、車がないと地方の生活は大変不便である。
農業だけでは食べていかれないため若者は都会に出て行き、残された高齢者のみが暮らす世帯も多い。
そう考えると簡単に運転のダメ出しはできない。
だから医師としては、ダメともいえないし、いいともいえない。
はっきり言ってこんな診断書の書き方がわからない。
もっともこんな書類で運転可した人が事故をおこしたとしても医師の責任が問われることはないらしい。(問われても困る。)
結局のところ本人がいよいよあきらめたり、事故を起こすまで、誰かがダメだとはいえないように思う。
なので、たいてい
「医師が「残遺症状がないか又は残遺症状は認められるが、自動車等の安全な運転に必要な認知、予測、判断又は操作のいずれかに係る能力(以下「安全な運転に必要な能力」という。)を欠いていないと認められ、今後、安全な運転に必要な能力を欠くこととなるおそれがある症状(以下「運転に支障のある症状」という。)が再発するおそれはないと認められる。」
にチェックすることになる。
要するに「心配だけど気をつけて運転してね。」ということだ。
現実的には、高齢者特に認知症の高齢者には、「家と畑とスーパーの間のみの約束。」「昼間で村内のみ。」「妻を同乗させた場合のみ。」などにしましょうとなどとケースバイケースで相談することが多い。
これとて医師や家族との約束ということで法的拘束力はない。
こうして家族、医師、自動車学校、公安とやんわりとあきらめる方向へ持っていくと同時に車無しで生活が維持できるような生活スタイルへ変更を支援する。
このあたりが認知症の診療におけるわりと微妙かつ重要なところである。
長期的には町のつくりや制度、社会的なサービスも変えていく必要があるだろう。
実際、タクシーとバスの中間みたいなデマンド交通なども広まってきているし、免許を返納した人に、公共交通サービスの補助をおこなう自治体もあるようである。
個人的にはもっとタクシーが見直されてもいいと思う。
なじみのタクシーを持っている高齢者も多い。タクシーの運転手もヘルパーの免許をとったり、介助法などを勉強している人も多い。
障害者、高齢者には移動権を保障するために、通院だけなど行き先が制限される介護保険の福祉移送サービスやボランティアのSTS移送サービスだけではなく、行きたいところに行きたいときにいけるタクシーの利用クーポンを渡せばいいと思う。
そしてタクシーの料金も時間と距離を組み合わせた料金体系にして、プロのタクシードライバーには、地域の地理、歴史、実情などの情報に加え、障害の理解や介助法の習得を義務付ければよいと思うのだが・・・。
このあたりは政治の力で何とかなる部分ではないだろうか。
*************************
つづいて更新料と講習料の支払い窓口へ。
なぜかボランティア団代のはずの交通安全協会の申し込みもが抱き合わせで行われている。交通安全運動などでテッシュなどをあの配る謎の団代だ。
加入は任意ですと小さく書いてあるが、窓口では「交通安全協会にも入られますね。」とあまりに自然に話すので、あまり注意をはらっていないと「ハ、ハイ。」と自動的に入ることになるだろう。
(以前はもっと任意ということを隠されていたようだ。)
どうせ警察官僚OBの天下り先ポストを作っているだけの団体だ。
それも高齢者を扶助する公的扶助の一つではあるといえるのだろうがあまりに公平性に欠ける。
隣で受付していた人は当然のように加入していたが、私は今回は罰金という形でも貢献しているので「それは、いいです。」と断った。
世の中、NHKや日赤など、よくわからない根拠で広く薄く当然のようにお金をむしりとっていく組織が多い。
もっともこんな表に見えているような組織は小物で、グローバル資本主義の胴元・黒幕は他にいる。
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流れ作業のように視力検査に引き続いて写真を撮り、講習へ。
はじめは交通事故の危険と安全運転を啓発するビデオを30分見る。
優良者はこれで終了。
準優良者講習のみ残り、あと30分講義を聴く。
道路交通法の改正点や県内の交通事故の統計などたいしたことは言わない。
自動車学校の学課の一コマみたいなものだ。
そしてICチップが埋め込まれた新しい免許証を受け取って終了。
道路交通法の改正で新たに中型免許というのが出来たそうで、なので普通免許を持っていた人は、「中型(8t)未満限定。」の免許になる。ちょっと得した気分だ。もっとも運転できる車種の条件はこれまでとは変わらない。新しく普通免許を取る人(5t未満)とくらべて制限がゆるいだけだ。
免許が細分化してくると、もとから免許を持っていた人を制限するのは大変なので、元から持っていた人は優遇するということはよくある。
だから古くから自動車免許を持っている人は自動的に大型免許や大型二輪も運転できたりする。
学会の認定医や専門医などの制度でも同様のことはよくある。
さて、次の更新は5年後である。
5年前に今の自分が予想できなかったように、5年後がどんな世の中で自分はどこで何をしているのかすら定かではない。