「精神科は今日も、やりたい放題~”やくざ医者”の、過激ながらも大切な話」という挑発的な本が大々的に売られています。
精神科は99%が誤診!ついに出た、医学界内部からの告発 精神科ほど、甘~い商売はない。というキャッチーな帯がかけられ、近くの書店でも本棚の大きなスペースで並べられ、これまでに累計10万冊以上も売れているようです。
苦しむ患者さんをなかなか良くすることができない精神医療を叩くのは気持ちがいいですから、世の中には、このような言説を求めているのでしょう。最近のNHKの番組を始め、この様な言説が出てくるのは精神医療周辺ではいつものことなのですが、これは病気で苦しんでいる患者さんや真摯な精神医療従事者にとって非常に失礼な話です。妙な精神科に対するルサンチマンが渦巻いています。
精神科をたたくことで病者が救われるなら文句は言いませんがね・・・。
内容はよくぞこんな本がかけたものだというレベルで個人的に見れば、怒りを通り越して笑える本なのですが、こういう言説が広まることで精神医療による医療被害と逆の意味で不幸をつくりかねないので、この場で一応反論させていただきます。
東洋医を名乗る内海聡氏は、初期研修後に内科、消化器内科、東洋医学などを研修、大学卒業後わずか7年目で御開業されたようです。
精神科での研修の経験はないようですが、精神科セカンドオピニオン活動として漢方薬を使い精神疾患の患者さんも見るようになったようです。すごいですね~。
ブログもはこちら→(東洋医の素人的処方箋)
きっとそこで大量処方をうけていた患者さんの減薬が、たまたまうまくいって感謝されたケースが続き、自分をヒーローか神様かと勘違いしたのでしょう。
このあたりは「こころの病は脳の傷」の京橋未来クリニックの松澤医師と同様ですね。
参考:サイコビジネス魑魅魍魎~こころの病は脳の傷?~
この本はいわゆる反精神医学やサイエントロジーの流れを組む内容で内海氏は精神病を否定し精神科は存在自体が悪と主張します。あろうことか精神科医と親が共同虐待していると主張しています。(これは苦しんでいる当事者や家族にとってセカンドオピニオンならぬセカンドレイプですね・・)
そして精神病は甘え、自己責任であり、登山やサウナで治せという論調で、躁鬱病や統合失調症、発達障害をDSMもびっくりの私見で独自に定義しています。
曰く「誰でも支離滅裂になる時がある。統合失調症を病気であると判断するその概念そのものが、社会がロボット管理を求めるがゆえの「おかしな行動は許さぬ」という思想に等しいのだ。百歩譲って本物の統合失調症があるとしても、薬を飲みたい患者さんだけが、最低限度で飲んでいれば良い話ではないか。薬で統合失調症になる。うつのほとんどが社会ストレスが原因。まともな精神科医などいない。」
と精神病の現状を無視したパラノイッシュな主張です。
患者さんや家族の苦悩などいざしらずですが、苦しんでいる人がいるのに、そんな現実は無視してそんな病気はないというのは酷い差別ですね。
もっとも精神医療の負の歴史はあり、世間には未だにひどい精神医療をおこなっているところも確かにあります。
林公一先生がその著書「サイコバブル社会」でも述べられているように精神医療の領域が無節操に拡大し製薬会社のディジーズモンガリング戦略に踊らされたチェックリスト医療などがはびこりつつあることも否定しません。
しかしそんな精神医療を生み出して存続させているのも現代のこの社会なのです。
このブログのエントリーは参考になります→精神科に「やりたい放題」にさせた「システム」(狂気をくぐり抜ける)
これまで社会があらゆる厄介事を精神医療に押し付けてきたのにもかかわらず、社会が精神医療をどう受け入れていくのかを考えるのではなく、精神病をなかったコトにして精神医療を全否定して悪者にするのはおかしくないでしょうか?
精神医療を諸悪の根源としてで現実がよくなるならよいのですが、そんなに単純なものではありません。
私だって「医は医無きを期す、精神医療は精神医療無きを期す」とおもっています。
医師は自らの医療実践ををつねに省察することも必要ですし、医倫理と科学的、統計学事実をもとに患者さんに害をなさず益となるように責任を負う最後の砦だとおもっています。ヒポクラテスの時代から医師は"Do not harm."が大原則ですから。
まぁ、世の難題を目の前にした時に無責任な非専門家のコメンテーターは「的はずれな一点突破」を好みます。
著者の内海聡氏は「精神科さえ存在しなければ、人々は自分で精神的諸問題を解決するのだ。」「精神科医は危険な毒を出す薬屋であり、収容所の管理人にすぎない。その人間たちに癒しや根本的な解決など決して望んではいけないのである。」と主張しています。
すべての精神科医が患者さんを不幸にしようとする悪の手先だとでも言うのでしょうか。
内海氏は精神科に受診する前の10の心得を上げ、精神症状への対処方法として登山やマラソン、太極拳やヨガ、断食、教育などをすすめています。
それだけの余裕のある人はすればいいと思いますし別に否定はしないのでですが、落ち着いて考える事もできず、せっぱつまってそんな余裕もない人もいますし混乱している人はどうするのでしょうか。
そもそも上手に支援を受けられず支援を受けることそれ自体に支援が必要なこともあるのが精神障がいです。
まず、支援につながるまでが大変なのです。
そして精神医療に関わるものは時には患者さんに攻撃されることもありますし、家族や当事者のサンドバックになることが必要な時もあります。
これは精神医療の業(カルマ)でしょうね。
また本来的には精神医療の役割ではなく他の支援(経済的なことや司法や宗教など)が適当な場合でも医療、特に精神医療につながればとりあえず自死をせずにすみ、他の継続的な支援につなぐ可能性があるというワンストップの窓口としての意味もあります。
適切な支援につながらないことで自殺や自傷他害に至る悲劇も多いのです。
社会の見たくないものは見ないという態度がスティグマを産み、有効な介入のあるはずの疾患への介入が遅れます。(この本はそれを助長するものです。)
内海氏は自分のところに来た精神医療から逃げ出してきた一部の患者(信者?)の例からしか、精神医療を見ていないのでしょう。
本当に重症の精神疾患をかかえる方やその家族の現実とがっぷり四つに組んで付き合い続けた経験などないのではないのでしょうか?
精神科救急の現場に携わったこともなく精神科のトレーニングも受けておられないようですので無理もないことですが・・・。
内海氏が非難するダメな精神科医同様、内海聡氏がもし精神疾患の患者さんを相手にしているのにもかかわらず精神医療をきちんと勉強しようとしないならば、それは患者さんにとって非常に失礼なことですし悲劇を生みかねないことだと思います。
医師を続けることは許されません。
内海聡氏は不思議な熱意と正義感をもって取り組んでいらっしゃるようですが、氏の思考には様々な認知の歪みがみられるように思えます。
内海氏が全知全能の神ならともかく、精神医療を全否定してしまっては救われるものも救われません。
氏がすべての精神病をかかえる方や家族を救ってくれるなら文句は言いませんが・・。
こんな本がスティグマを広げ、苦しんでいる人を適切な医療介入から遠ざける事になるならそれこそ悲劇です。
今日も、やりたい放題なのは内海聡氏とこの本をだした出版社なのだとおもいます。
逆説的ですが、反精神医学を主張する人々に居場所や生きる目的をつくっているのも精神医療だったりしますしね。
内海聡氏も信者をのぞき世間からも相手にされなくなってきているようで、この調子がつづけば最後には内海氏の否定する精神科でしか相手にしてくれなくなるかもしれませんね・・・。
まぁ、現場としては真摯でまっとうな実践を淡々と続けるのみです・・・。
※認知の歪み10パターン
全か無か思考、過度の一般化、心のフィルター、マイナス化思考(プラスの否定)、結論への飛躍、心の読みすぎ(読心術)、先読みの誤り、拡大解釈(破滅化)と過小評価、感情的決め付け、すべき思考、レッテル貼り、個人化(責任転嫁)
精神科ってどうなの?という方には次の本をおすすめします。「ツレがうつになりまして」、や「私の母はビョーキです」、「日々コウジ中」などなどのマンガを題材に精神障害やその対応について林公一先生が説明しています。
精神科は99%が誤診!ついに出た、医学界内部からの告発 精神科ほど、甘~い商売はない。というキャッチーな帯がかけられ、近くの書店でも本棚の大きなスペースで並べられ、これまでに累計10万冊以上も売れているようです。
苦しむ患者さんをなかなか良くすることができない精神医療を叩くのは気持ちがいいですから、世の中には、このような言説を求めているのでしょう。最近のNHKの番組を始め、この様な言説が出てくるのは精神医療周辺ではいつものことなのですが、これは病気で苦しんでいる患者さんや真摯な精神医療従事者にとって非常に失礼な話です。妙な精神科に対するルサンチマンが渦巻いています。
精神科をたたくことで病者が救われるなら文句は言いませんがね・・・。
内容はよくぞこんな本がかけたものだというレベルで個人的に見れば、怒りを通り越して笑える本なのですが、こういう言説が広まることで精神医療による医療被害と逆の意味で不幸をつくりかねないので、この場で一応反論させていただきます。
精神科は今日も、やりたい放題 | |
内海 聡 | |
三五館 |
東洋医を名乗る内海聡氏は、初期研修後に内科、消化器内科、東洋医学などを研修、大学卒業後わずか7年目で御開業されたようです。
精神科での研修の経験はないようですが、精神科セカンドオピニオン活動として漢方薬を使い精神疾患の患者さんも見るようになったようです。すごいですね~。
ブログもはこちら→(東洋医の素人的処方箋)
きっとそこで大量処方をうけていた患者さんの減薬が、たまたまうまくいって感謝されたケースが続き、自分をヒーローか神様かと勘違いしたのでしょう。
このあたりは「こころの病は脳の傷」の京橋未来クリニックの松澤医師と同様ですね。
参考:サイコビジネス魑魅魍魎~こころの病は脳の傷?~
この本はいわゆる反精神医学やサイエントロジーの流れを組む内容で内海氏は精神病を否定し精神科は存在自体が悪と主張します。あろうことか精神科医と親が共同虐待していると主張しています。(これは苦しんでいる当事者や家族にとってセカンドオピニオンならぬセカンドレイプですね・・)
そして精神病は甘え、自己責任であり、登山やサウナで治せという論調で、躁鬱病や統合失調症、発達障害をDSMもびっくりの私見で独自に定義しています。
曰く「誰でも支離滅裂になる時がある。統合失調症を病気であると判断するその概念そのものが、社会がロボット管理を求めるがゆえの「おかしな行動は許さぬ」という思想に等しいのだ。百歩譲って本物の統合失調症があるとしても、薬を飲みたい患者さんだけが、最低限度で飲んでいれば良い話ではないか。薬で統合失調症になる。うつのほとんどが社会ストレスが原因。まともな精神科医などいない。」
と精神病の現状を無視したパラノイッシュな主張です。
患者さんや家族の苦悩などいざしらずですが、苦しんでいる人がいるのに、そんな現実は無視してそんな病気はないというのは酷い差別ですね。
もっとも精神医療の負の歴史はあり、世間には未だにひどい精神医療をおこなっているところも確かにあります。
林公一先生がその著書「サイコバブル社会」でも述べられているように精神医療の領域が無節操に拡大し製薬会社のディジーズモンガリング戦略に踊らされたチェックリスト医療などがはびこりつつあることも否定しません。
しかしそんな精神医療を生み出して存続させているのも現代のこの社会なのです。
このブログのエントリーは参考になります→精神科に「やりたい放題」にさせた「システム」(狂気をくぐり抜ける)
これまで社会があらゆる厄介事を精神医療に押し付けてきたのにもかかわらず、社会が精神医療をどう受け入れていくのかを考えるのではなく、精神病をなかったコトにして精神医療を全否定して悪者にするのはおかしくないでしょうか?
精神医療を諸悪の根源としてで現実がよくなるならよいのですが、そんなに単純なものではありません。
私だって「医は医無きを期す、精神医療は精神医療無きを期す」とおもっています。
医師は自らの医療実践ををつねに省察することも必要ですし、医倫理と科学的、統計学事実をもとに患者さんに害をなさず益となるように責任を負う最後の砦だとおもっています。ヒポクラテスの時代から医師は"Do not harm."が大原則ですから。
まぁ、世の難題を目の前にした時に無責任な非専門家のコメンテーターは「的はずれな一点突破」を好みます。
著者の内海聡氏は「精神科さえ存在しなければ、人々は自分で精神的諸問題を解決するのだ。」「精神科医は危険な毒を出す薬屋であり、収容所の管理人にすぎない。その人間たちに癒しや根本的な解決など決して望んではいけないのである。」と主張しています。
すべての精神科医が患者さんを不幸にしようとする悪の手先だとでも言うのでしょうか。
内海氏は精神科に受診する前の10の心得を上げ、精神症状への対処方法として登山やマラソン、太極拳やヨガ、断食、教育などをすすめています。
それだけの余裕のある人はすればいいと思いますし別に否定はしないのでですが、落ち着いて考える事もできず、せっぱつまってそんな余裕もない人もいますし混乱している人はどうするのでしょうか。
そもそも上手に支援を受けられず支援を受けることそれ自体に支援が必要なこともあるのが精神障がいです。
まず、支援につながるまでが大変なのです。
そして精神医療に関わるものは時には患者さんに攻撃されることもありますし、家族や当事者のサンドバックになることが必要な時もあります。
これは精神医療の業(カルマ)でしょうね。
また本来的には精神医療の役割ではなく他の支援(経済的なことや司法や宗教など)が適当な場合でも医療、特に精神医療につながればとりあえず自死をせずにすみ、他の継続的な支援につなぐ可能性があるというワンストップの窓口としての意味もあります。
適切な支援につながらないことで自殺や自傷他害に至る悲劇も多いのです。
社会の見たくないものは見ないという態度がスティグマを産み、有効な介入のあるはずの疾患への介入が遅れます。(この本はそれを助長するものです。)
内海氏は自分のところに来た精神医療から逃げ出してきた一部の患者(信者?)の例からしか、精神医療を見ていないのでしょう。
本当に重症の精神疾患をかかえる方やその家族の現実とがっぷり四つに組んで付き合い続けた経験などないのではないのでしょうか?
精神科救急の現場に携わったこともなく精神科のトレーニングも受けておられないようですので無理もないことですが・・・。
内海氏が非難するダメな精神科医同様、内海聡氏がもし精神疾患の患者さんを相手にしているのにもかかわらず精神医療をきちんと勉強しようとしないならば、それは患者さんにとって非常に失礼なことですし悲劇を生みかねないことだと思います。
医師を続けることは許されません。
内海聡氏は不思議な熱意と正義感をもって取り組んでいらっしゃるようですが、氏の思考には様々な認知の歪みがみられるように思えます。
内海氏が全知全能の神ならともかく、精神医療を全否定してしまっては救われるものも救われません。
氏がすべての精神病をかかえる方や家族を救ってくれるなら文句は言いませんが・・。
こんな本がスティグマを広げ、苦しんでいる人を適切な医療介入から遠ざける事になるならそれこそ悲劇です。
今日も、やりたい放題なのは内海聡氏とこの本をだした出版社なのだとおもいます。
逆説的ですが、反精神医学を主張する人々に居場所や生きる目的をつくっているのも精神医療だったりしますしね。
内海聡氏も信者をのぞき世間からも相手にされなくなってきているようで、この調子がつづけば最後には内海氏の否定する精神科でしか相手にしてくれなくなるかもしれませんね・・・。
まぁ、現場としては真摯でまっとうな実践を淡々と続けるのみです・・・。
※認知の歪み10パターン
全か無か思考、過度の一般化、心のフィルター、マイナス化思考(プラスの否定)、結論への飛躍、心の読みすぎ(読心術)、先読みの誤り、拡大解釈(破滅化)と過小評価、感情的決め付け、すべき思考、レッテル貼り、個人化(責任転嫁)
精神科ってどうなの?という方には次の本をおすすめします。「ツレがうつになりまして」、や「私の母はビョーキです」、「日々コウジ中」などなどのマンガを題材に精神障害やその対応について林公一先生が説明しています。
名作マンガで精神医学 | |
林 公一 | |
中外医学社 |
様々な仕事が、そのサービス提供の対象とするポピュレーションを生み出し、「治るべき者」としての規定をしたうえで、自分たちの職権を守る・・・といった構築主義に基づく議論は、聞くべき点が多いものの、文中でおっしゃるように、オールオアナッシングの論調となると、単に目を引いて話題作りをしようとするか、もっと言うとそうやってその「本」のセールスを上げようとする作戦としか思えないですね。
現実に即した丁寧な議論を重ねていきたいものです。
添付文書読まれたことはございますか?
日本でドル箱となっている精神薬が欧米では訴訟の嵐だということはご存知ですか?
先ずはご自身で患者さんに処方している薬と同じ量を一定期間(半年以上)服薬してみて下さい。どんな状態になるでしょうか?ご自身もしくはお身内の方で実験してみて下さい。普通のまともな人が心身共におかしくなっていきますから。
あなた方の治療が正に病人を作り出しているのですよ!!
ブックマークにkyupinとかDr林とかとんでもない医者を入れて恥ずかしくないのですか?
「ロゼレム」を売る為に武田薬品の研究者が作成した資料の中で、既存の睡眠薬によってもたらされる睡眠は「ノックアウト型睡眠」であると記載されています。
毎晩「ノックアウト型睡眠」の状態の人の心身がどうなるのか?考えてみて下さい。
もっとも必要がない人に薬は処方しません。
適切でない治療なら病人をつくりだすでしょうね。「医原病」と言います。
できるだけ適切な治療となるように真摯に研鑽を重ね、フィードバックをあちこちから得て、常に悩みながら診療実践することがかかせません。
新型うつと非定型うつを同一のものとして語っていたことがありました。
詳しくはありませんが、精神医薬全般の構造、効き方など詳しく調査してみる必要があるのではないかと思います。
詳しくはありませんが、精神医薬全般の構造、効き方など詳しく調査してみる必要があるのではないかと思います。
調査する必要はないですね。即全廃です。
収容施設としての精神病院が大幅に縮小されただけで・・。総合病院についた緊急病床はあります。
むしろ薬や精神科医の役割は大きくなっているとおもいますよ。