佐久総合病院の一つの歴史が終わった。
平成18年8月22日午前5時5分
かねてから療養中であった
若月俊一佐久総合病院名誉総長(96歳)
肺炎にて永眠。
農村、農民への愛、ヒューマニティでこの病院・地域・人をそだててきた。
一つの時代の立役者。
「農民とともに」
やってきたことは医療の民主化。
その精神は引き継がれなくてはならない。
ご冥福をお祈りします。
天国から私たちの未来を見守ってください。
平成18年8月22日午前5時5分
かねてから療養中であった
若月俊一佐久総合病院名誉総長(96歳)
肺炎にて永眠。
農村、農民への愛、ヒューマニティでこの病院・地域・人をそだててきた。
一つの時代の立役者。
「農民とともに」
やってきたことは医療の民主化。
その精神は引き継がれなくてはならない。
ご冥福をお祈りします。
天国から私たちの未来を見守ってください。
僕らの世代はひ孫弟子くらいにあたり、直接的に若月先生と話をすることはほとんどありませんでした。
反響の多さにあらためて驚いております。
たくさんの著作や映像、全国に弟子を残してくださったので、それを手がかりに未来へのヒントをつかみ、よりよい医療、地域ををつくっていかなければいけないと思っています。
なお、新聞にも出ると思いますがお別れの会は以下の日程に決まったようです。
「お別れの会」
主催:長野厚生連、佐久病院、若月家合同
日時:10月7日(土)13時~14:30
場所:佐久病院、A、Bホール。
注意:花、香典は一切お断りだそうです。
新聞も各誌で取り上げられていました。
このインタビューだったのか。
毎日新聞、産経新聞(この二紙が好み)での取り上げられ方が大きかったですね。
「虚勢をはってがんばります。」
ご冥福を心よりお祈り致します。
私の祖母もそちらに入院しておりますので、
きっとショックな話であると思います。
先生の意思や跡を継いで行く方が
多くいらっしゃることを期待しております。
職員や近しい人が焼香し別れを惜しんだ。
病院葬(あるいは厚生連葬)は1ヶ月後くらいにとのこと。詳細は未定。
なんとなく病院内が重い詰まったような雰囲気。みんないろいろな思いがあるのだろう。
南木佳士が電話でインタビュー?
「先生忙しいですね。」
「こんなときだけね。」
若月にシンパシーを寄せる人は相当いるだろう。どのくらいの反響があるのか想像もつかない。
しかし、これで佐久病院もやっと再構築に向け次の一歩を踏み出す決心ができるのだろうか。