最近のAIくんはとても賢く、YoutubeでもAmazonでも、「なんでここまでわかるの?」というレベルの精度の高い検索結果を出してくれますし、「おすすめ」なんかを見ると「なんでこんなに、ワタクシの趣味嗜好がわかるの?」というものを表示してくれます。
また、わけのわからん外国語でも、Google翻訳君が「うん、言わんとするところは、まあまあわかるね」という程度の翻訳を瞬時に行ってくれます。
いや~、世の中進歩したものです(しみじみ)。
わが国のAI研究に目を転じてみましても、平成23年から開始された「ロボットは東大に入れるか?」という人工知能プロジェクト、いわゆる「東ロボくんプロジェクト」は、わが国のみならず、世界中からAI研究の白眉として多くの耳目を集め、平成28年にはNetexpo Awardという賞も受賞。その結末(10年計画だそうです)に注目が集まっております。
で、今回のお話はその「東ロボくんプロジェクト」から伸ばしていきます。
同プロジェクトリーダー・新井紀子氏が「東ロボくんプロジェクト」を進める過程で判明した数々の「真実」をまとめた「AI VS 教科書の読めない子供たち」(東洋経済新報社刊)は、非常な驚きを以て世間に迎えられ、大きな話題を呼びました。
その「真実」は面白くも恐ろしく、また、「知能とお勉強」の深奥をズバリと衝いたものばかりであり、瞠目させられるところ大であったのですが、そのうちワタクシが着目したのは「演算の速さと知性の間には、何の関係性もない」という点です。
同著いえらく。
「物凄いスパコンが登場したら、あるいは量子コンピューターが実用化されたら『真の意味でのAI』ができる、とか、シンギュラリティ(=singularity。真の意味でAIが人間の能力を超えること)が到来するという人がどうしてこんなにたくさんいるのか、以前から不思議でなりませんでした。1秒間の演算処理の回数と知性に、科学的な関係があるとは思えないからです。」
「頭の良い人のことを、『頭の回転が速い』と言いますよね。それは、単なる言葉の綾に過ぎません。ですが、それを科学的な事実だと誤解すると、『1秒間の演算処理回数=頭の良さ』と思い込んでしまう」
わが国民には古来から「我々の想像もつかないような賢い人が、すばらしい知恵で我々を導いてくれる」といった思想が常に蔓延していますが、新井先生が指摘している通り、多くの国民が思う「賢い人」は「計算が早い人」とほぼ=で結ばれているため、その結果、教養やビジョンを持たない「計算だけ早い人」「お勉強だけできる人」をリーダーに頂きがちであり、そのせいで国や組織を傾けたこと、一度や二度ではありません。
それがもっともわかりやすい形で表れたのが、皆様ご存じの大東亜戦争。
シナ事変→大東亜戦争開戦→敗戦まで流れにおける本質を要約しますと、「お勉強しかできない、無教養な秀才君」が、戦略・戦術学や地政学、政治の力学といった、演算に先んじるべき「知性」の部分を全てすっ飛ばし、省益の確保だけを目的とした「演算」を行い、その「演算の解」以外の何も持たずに無計画にものごとを進め、わが国を未曽有の国難に叩き込んだ、と言い換えることが可能です。
そうでなければ、あれほど場当たり・無責任・いい加減・優柔不断・中途半端・無慈悲な戦争指導ができるはずがありません。
大数学者でもある新井先生が同著で指摘していたこととして、いまひとつ重要なポイントがあります。
「数学」という学問が表現できることは論理・確率・統計の3つだけ、という点です。
同著いえらく。
「数学が説明できるのは論理的に言えることと、確率・統計で表現できることだけだということです。つまり、数学で表現できることは非常に限られているということです。
論理、確率、統計。これが4000年以上の数学の歴史で発見された数学の言葉のすべてです。そして、それが科学が使える言葉のすべてです。」
確かに数学を用いれば、物事を論理的に証明でき、確率を正確に割り出し、正しい統計を取ることができます。
しかし残念なことに、人間様は論理的に動くことがほとんどありません。確率・統計のとおりに物事が進むこともありません。だいいち、人間様が論理的に動く生き物であれば、「行動経済学」とか「社会心理学」みたいな学問が立ち上がり、隆盛するはずがないでしょう(;^ω^)。
同著によると「東ロボくんプロジェクト」で最もネックになっているのがこの箇所で、要はAIというのは、どれほど性能が向上しても、その根本は単なる「計算機」であり、論理・確率・統計の枠からはみ出たもの…つまり、フレームが決まっていないものに対して「的確な判断」を下すものに進化することは未来永劫絶対ありえない!とのこと。
そのため「東ロボくん」は、理数系科目や暗記系科目には抜群に強いのですが、国語や英語の文章問題には極めて弱いという特色を有し、東大合格レベル…つまり、国立S級大学に合格できる読解力に到達することは「絶対に不可能」だそうです。
(ちなみに東大合格レベルの国語・英語の点数は『センター試験で9割以上を取ること』…最終学歴が自動車学校ワタクシは、30回くらい転生してもムリですね((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル)
と、ここまで解説してきて、ワタクシの脳の中に、いまだに「1秒間の演算処理回数=頭の良さ」との価値観を墨守し、没知性・無教養な幹部(患部?)を輩出し続けている学校が思い起こされました。
そうです。弊ブログではおなじみになりました、弊社直轄・バカ養成大学です(;^ω^)。広島県の某所に所在してますですよ。
弊社バカ大学で、学生に最重要課題として与えられるのは「高級海技士試験に合格すること」。
海技士資格は1~6級まで存在し、1級に近づくほど難しくなっていくのは論を俟ちませんが、海技士資格の本質というのは、1~6級に至るまで「フレームが決まった勉強」でしかなく、決まりきったドリルをこなすことでなんとかなる、という程度のものでしかありません(←四級しか持ってないくせに…というご指摘は甘受いたします(;^ω^))。
そしていくら高級な免状を持とうとも、それは「ドリルをこなして資格を取った」というだけの話であり、「その人の知性が高いから合格した」わけでもなければ、「その人の論理的思考力が高いから合格した」わけでもなく、ましてや「その人の操船能力が高い」ということの担保には、まったくなり得ていないのです。
しかし、同じ大学で教育を受けたバ幹部(患部?)は、自らが受けてきた「1秒間の演算処理回数=頭の良さ」という認識を断ちがたく、その価値観から発展した「高級海技士試験に合格している=知性が高く、論理的な思考ができ、操船もうまい」という価値観に固執し続けています。
そのゆがんだ価値観によって訓育された未熟・未完成なバカ学生が、卒業と同時に要職に就き、同じように「お勉強のできるバカ」であった先輩に職業訓練?を施され、ますます馬鹿に磨きがかかっていき、組織をダメにする…というスパイラルが、高いレベルで完成されたりしちゃってるんですねこれが(←昭和の名声優の故・広川太一郎さん風に読んでください(;^ω^))
ちなみに同著によると、フレームの決まったドリルを繰り返しても論理的思考力や読解力は一切身につかず、逆にどこかの時点で、成績がダダ下りしていくそうです。
そういえば、あのバカ大学の卒業生が発出する指示文書って、支離滅裂で意味不明な文書が多いよな…あっ…(察し)。
また、このバカ大学が、教育の金科玉条として掲げる「演算の速さと記憶」という分野、実は計算機であるAIが最も得意とする分野であり、その技能をベースとする仕事は今後、AIに駆逐される可能性が最も高いとされています。
…個人的な要望としては、「AI VS バカ大学」が実際に勃発し、AIにバカ大学を瞬殺してもらいたいなあ…(;^ω^)。
ワタクシが拳拳服膺しているユダヤのことわざがあります。
「馬鹿に大きな学問を持たせてはいけない」
本稿をここまで読んでいただいた方におかれましては、この言葉が持つ意味を、少しくご理解いただけたかな?と思っております。
最後に余談ですが、ワタクシが専門とする武道・格闘技と雑文書き、そしてお絵描き(←ヘタクソ)は、AIくんがいくら発達してもダイジョーブな分野なので、少し安心してます(;^ω^)。
また、わけのわからん外国語でも、Google翻訳君が「うん、言わんとするところは、まあまあわかるね」という程度の翻訳を瞬時に行ってくれます。
いや~、世の中進歩したものです(しみじみ)。
わが国のAI研究に目を転じてみましても、平成23年から開始された「ロボットは東大に入れるか?」という人工知能プロジェクト、いわゆる「東ロボくんプロジェクト」は、わが国のみならず、世界中からAI研究の白眉として多くの耳目を集め、平成28年にはNetexpo Awardという賞も受賞。その結末(10年計画だそうです)に注目が集まっております。
で、今回のお話はその「東ロボくんプロジェクト」から伸ばしていきます。
同プロジェクトリーダー・新井紀子氏が「東ロボくんプロジェクト」を進める過程で判明した数々の「真実」をまとめた「AI VS 教科書の読めない子供たち」(東洋経済新報社刊)は、非常な驚きを以て世間に迎えられ、大きな話題を呼びました。
その「真実」は面白くも恐ろしく、また、「知能とお勉強」の深奥をズバリと衝いたものばかりであり、瞠目させられるところ大であったのですが、そのうちワタクシが着目したのは「演算の速さと知性の間には、何の関係性もない」という点です。
同著いえらく。
「物凄いスパコンが登場したら、あるいは量子コンピューターが実用化されたら『真の意味でのAI』ができる、とか、シンギュラリティ(=singularity。真の意味でAIが人間の能力を超えること)が到来するという人がどうしてこんなにたくさんいるのか、以前から不思議でなりませんでした。1秒間の演算処理の回数と知性に、科学的な関係があるとは思えないからです。」
「頭の良い人のことを、『頭の回転が速い』と言いますよね。それは、単なる言葉の綾に過ぎません。ですが、それを科学的な事実だと誤解すると、『1秒間の演算処理回数=頭の良さ』と思い込んでしまう」
わが国民には古来から「我々の想像もつかないような賢い人が、すばらしい知恵で我々を導いてくれる」といった思想が常に蔓延していますが、新井先生が指摘している通り、多くの国民が思う「賢い人」は「計算が早い人」とほぼ=で結ばれているため、その結果、教養やビジョンを持たない「計算だけ早い人」「お勉強だけできる人」をリーダーに頂きがちであり、そのせいで国や組織を傾けたこと、一度や二度ではありません。
それがもっともわかりやすい形で表れたのが、皆様ご存じの大東亜戦争。
シナ事変→大東亜戦争開戦→敗戦まで流れにおける本質を要約しますと、「お勉強しかできない、無教養な秀才君」が、戦略・戦術学や地政学、政治の力学といった、演算に先んじるべき「知性」の部分を全てすっ飛ばし、省益の確保だけを目的とした「演算」を行い、その「演算の解」以外の何も持たずに無計画にものごとを進め、わが国を未曽有の国難に叩き込んだ、と言い換えることが可能です。
そうでなければ、あれほど場当たり・無責任・いい加減・優柔不断・中途半端・無慈悲な戦争指導ができるはずがありません。
大数学者でもある新井先生が同著で指摘していたこととして、いまひとつ重要なポイントがあります。
「数学」という学問が表現できることは論理・確率・統計の3つだけ、という点です。
同著いえらく。
「数学が説明できるのは論理的に言えることと、確率・統計で表現できることだけだということです。つまり、数学で表現できることは非常に限られているということです。
論理、確率、統計。これが4000年以上の数学の歴史で発見された数学の言葉のすべてです。そして、それが科学が使える言葉のすべてです。」
確かに数学を用いれば、物事を論理的に証明でき、確率を正確に割り出し、正しい統計を取ることができます。
しかし残念なことに、人間様は論理的に動くことがほとんどありません。確率・統計のとおりに物事が進むこともありません。だいいち、人間様が論理的に動く生き物であれば、「行動経済学」とか「社会心理学」みたいな学問が立ち上がり、隆盛するはずがないでしょう(;^ω^)。
同著によると「東ロボくんプロジェクト」で最もネックになっているのがこの箇所で、要はAIというのは、どれほど性能が向上しても、その根本は単なる「計算機」であり、論理・確率・統計の枠からはみ出たもの…つまり、フレームが決まっていないものに対して「的確な判断」を下すものに進化することは未来永劫絶対ありえない!とのこと。
そのため「東ロボくん」は、理数系科目や暗記系科目には抜群に強いのですが、国語や英語の文章問題には極めて弱いという特色を有し、東大合格レベル…つまり、国立S級大学に合格できる読解力に到達することは「絶対に不可能」だそうです。
(ちなみに東大合格レベルの国語・英語の点数は『センター試験で9割以上を取ること』…最終学歴が自動車学校ワタクシは、30回くらい転生してもムリですね((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル)
と、ここまで解説してきて、ワタクシの脳の中に、いまだに「1秒間の演算処理回数=頭の良さ」との価値観を墨守し、没知性・無教養な幹部(患部?)を輩出し続けている学校が思い起こされました。
そうです。弊ブログではおなじみになりました、弊社直轄・バカ養成大学です(;^ω^)。広島県の某所に所在してますですよ。
弊社バカ大学で、学生に最重要課題として与えられるのは「高級海技士試験に合格すること」。
海技士資格は1~6級まで存在し、1級に近づくほど難しくなっていくのは論を俟ちませんが、海技士資格の本質というのは、1~6級に至るまで「フレームが決まった勉強」でしかなく、決まりきったドリルをこなすことでなんとかなる、という程度のものでしかありません(←四級しか持ってないくせに…というご指摘は甘受いたします(;^ω^))。
そしていくら高級な免状を持とうとも、それは「ドリルをこなして資格を取った」というだけの話であり、「その人の知性が高いから合格した」わけでもなければ、「その人の論理的思考力が高いから合格した」わけでもなく、ましてや「その人の操船能力が高い」ということの担保には、まったくなり得ていないのです。
しかし、同じ大学で教育を受けたバ幹部(患部?)は、自らが受けてきた「1秒間の演算処理回数=頭の良さ」という認識を断ちがたく、その価値観から発展した「高級海技士試験に合格している=知性が高く、論理的な思考ができ、操船もうまい」という価値観に固執し続けています。
そのゆがんだ価値観によって訓育された未熟・未完成なバカ学生が、卒業と同時に要職に就き、同じように「お勉強のできるバカ」であった先輩に職業訓練?を施され、ますます馬鹿に磨きがかかっていき、組織をダメにする…というスパイラルが、高いレベルで完成されたりしちゃってるんですねこれが(←昭和の名声優の故・広川太一郎さん風に読んでください(;^ω^))
ちなみに同著によると、フレームの決まったドリルを繰り返しても論理的思考力や読解力は一切身につかず、逆にどこかの時点で、成績がダダ下りしていくそうです。
そういえば、あのバカ大学の卒業生が発出する指示文書って、支離滅裂で意味不明な文書が多いよな…あっ…(察し)。
また、このバカ大学が、教育の金科玉条として掲げる「演算の速さと記憶」という分野、実は計算機であるAIが最も得意とする分野であり、その技能をベースとする仕事は今後、AIに駆逐される可能性が最も高いとされています。
…個人的な要望としては、「AI VS バカ大学」が実際に勃発し、AIにバカ大学を瞬殺してもらいたいなあ…(;^ω^)。
ワタクシが拳拳服膺しているユダヤのことわざがあります。
「馬鹿に大きな学問を持たせてはいけない」
本稿をここまで読んでいただいた方におかれましては、この言葉が持つ意味を、少しくご理解いただけたかな?と思っております。
最後に余談ですが、ワタクシが専門とする武道・格闘技と雑文書き、そしてお絵描き(←ヘタクソ)は、AIくんがいくら発達してもダイジョーブな分野なので、少し安心してます(;^ω^)。