皆様は、増田俊也という小説家をご存じでしょうか。
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(新潮文庫)によって一躍文壇に躍り出、その後は自身が北海道大学で高専柔道に打ち込んだ日々を描いた「七帝柔道記」、北大柔道部の後輩である中井祐樹先生(中井先生に関しては直接セミナーで「遠藤返し(「SRT」とも)」を教えて頂いた&スパーまでして頂いたので「先生」です!)がUFCで勝利したことを描いた作品などにより、「柔道や格闘技に造詣が深い作家」として認知されている作家です。
ワタクシは「木村政彦は…」が「ゴン格」に連載されていたごくごく一時期「お、これはスゴい作家が出てきたかな?」と思いましたが、よくよく読むとウザい自分語り・事実誤認・思い込みが激しいひどい文章しか書けないアホだとわかったため、今では「放置していたらバカ丸出しの文章を書く珍獣ジジイ」としか思っていません(まあ、「白い大地のアカい新聞」こと北海道新聞の元記者ですから、仕方ないんですが…(;^ω^))
そういえば、あまり本を読んだことがない人は、増田の「七帝柔道記」を「すばらしい青春記」と評していますが、これは増田が作家として持っている唯一無二の武器である「ウザい自分語り」が作品の性質にうまくハマっただけであり、個人的な感想を謂わせて頂きますれば「柔道部誌に投稿し、内輪だけで盛り上がるのにちょうどいい作品」としか思えません。閑話休題。
さて、「ウザい自分語り」と「ひどい事実誤認」が看板の増田が今回なんと、柔道に関する記事を「現代ビジネス」に書いてくれました!こりゃ~いいネタができたぞ、イエイ!😃
記事のタイトルは「疑惑の判定が続いた柔道だが…『柔道はJUDOに変わってしまった』と憤る人たちがしている『大きな勘違い』」。
パリ五輪における誤審問題を皮切りに「講道館柔道とはいかなるものか」「これからの柔道のあるべき姿は」などを語るという記事ですが、その内容はいつものようにウザい自分語り・事実誤認・思い込みにあふれていてツッコミどころ満載なので、今回はその「珍増田記事」についてツッコミを入れていきたいと思います(;^_^A。
【記事内容要約】
まず同記事は非常に長ったらしいうえ、論点が非常に見えづらく、全文読み下してもいいことがない(;^ω^)ので、内容をザックリ要約します。
① パリ五輪で相次いだ誤審問題に関し、「柔道はJUDOになってからおかしくなった」という人たちが続出しているが、みんなは本当の講道館柔道が何なのかを全く知らず、そんなことを論じているのがおかしい。
② 嘉納治五郎は本来、講道館柔道を「打・投・極」全てが揃った総合格闘技にしたかったのだ!
③ しかし柔道が現在のようにスポーツ化してしまった現在、それに回帰するのは難しい。そこで講道館が「武道とは何か」を目に見える形で明確に示し、それを海外に広めることが重要だ。
④ その手始めとして、七帝柔道の大会で好評を博した座礼から始めてはどうだろうか。
というものです。
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(新潮文庫)によって一躍文壇に躍り出、その後は自身が北海道大学で高専柔道に打ち込んだ日々を描いた「七帝柔道記」、北大柔道部の後輩である中井祐樹先生(中井先生に関しては直接セミナーで「遠藤返し(「SRT」とも)」を教えて頂いた&スパーまでして頂いたので「先生」です!)がUFCで勝利したことを描いた作品などにより、「柔道や格闘技に造詣が深い作家」として認知されている作家です。
ワタクシは「木村政彦は…」が「ゴン格」に連載されていたごくごく一時期「お、これはスゴい作家が出てきたかな?」と思いましたが、よくよく読むとウザい自分語り・事実誤認・思い込みが激しいひどい文章しか書けないアホだとわかったため、今では「放置していたらバカ丸出しの文章を書く珍獣ジジイ」としか思っていません(まあ、「白い大地のアカい新聞」こと北海道新聞の元記者ですから、仕方ないんですが…(;^ω^))
そういえば、あまり本を読んだことがない人は、増田の「七帝柔道記」を「すばらしい青春記」と評していますが、これは増田が作家として持っている唯一無二の武器である「ウザい自分語り」が作品の性質にうまくハマっただけであり、個人的な感想を謂わせて頂きますれば「柔道部誌に投稿し、内輪だけで盛り上がるのにちょうどいい作品」としか思えません。閑話休題。
さて、「ウザい自分語り」と「ひどい事実誤認」が看板の増田が今回なんと、柔道に関する記事を「現代ビジネス」に書いてくれました!こりゃ~いいネタができたぞ、イエイ!😃
記事のタイトルは「疑惑の判定が続いた柔道だが…『柔道はJUDOに変わってしまった』と憤る人たちがしている『大きな勘違い』」。
パリ五輪における誤審問題を皮切りに「講道館柔道とはいかなるものか」「これからの柔道のあるべき姿は」などを語るという記事ですが、その内容はいつものようにウザい自分語り・事実誤認・思い込みにあふれていてツッコミどころ満載なので、今回はその「珍増田記事」についてツッコミを入れていきたいと思います(;^_^A。
【記事内容要約】
まず同記事は非常に長ったらしいうえ、論点が非常に見えづらく、全文読み下してもいいことがない(;^ω^)ので、内容をザックリ要約します。
① パリ五輪で相次いだ誤審問題に関し、「柔道はJUDOになってからおかしくなった」という人たちが続出しているが、みんなは本当の講道館柔道が何なのかを全く知らず、そんなことを論じているのがおかしい。
② 嘉納治五郎は本来、講道館柔道を「打・投・極」全てが揃った総合格闘技にしたかったのだ!
③ しかし柔道が現在のようにスポーツ化してしまった現在、それに回帰するのは難しい。そこで講道館が「武道とは何か」を目に見える形で明確に示し、それを海外に広めることが重要だ。
④ その手始めとして、七帝柔道の大会で好評を博した座礼から始めてはどうだろうか。
というものです。
以後、増田が誤認している点を縷々説明申し上げます。
【増田の誤認1 嘉納治五郎は「柔道のMMA化(勝負法)」を真面目に希求なんかしていない】
この記事中、増田は以下に示した事例を挙げて「嘉納治五郎は柔道を最終的にはMMAにしたかったんだ!」と主張しています。
(以下、弊ブログではこれまで、嘉納治五郎や講道館柔道を取り上げたヨタ記事を書いた際、尊敬と侮蔑双方の意味を込めた「治五郎先生」という呼び方をしていましたが、本稿でも継続します(;^ω^))
・大正10(1921)年、アメリカのプロレスラーで「世界柔道王」を自称していたアド・サンテルが講道館に挑戦してきた際、当初治五郎先生は「受けて立ってやる!」と息巻いたが、高弟たちが止めて実現しなかった。治五郎先生はファイターだったのだ!
・治五郎先生は昭和5(1930)年に行われた全日本選士権を見て「こんなのは牛の角の突合せで、私の希求した柔道じゃない」と言って嘆いた。ほら、治五郎先生は「勝負法柔道」こそが本義と思っていたのだ!
・治五郎先生は打撃ありの柔道を希求するため、剣道の小手を流用したオープンフィンガーグローブを開発させようとしていた!スゴイ先見性だ!
この3つは「木村政彦は…」から始まって、その他の著作やエッセイなどのなかでも、「ナントカの一つ覚え」のように擦っている話題ですが…思い込みの激しい増田にそんなツッコミを入れてもしょうがないので(;^ω^)お話を続けます。
少し前に弊ブログで連載した「ふたりの『嘉納』が別々に目指した、柔道の武術化(のようなもの(;^ω^))」を お読み頂いた皆様はよくご存じと思いますが、治五郎先生の「勝負法」なるものの実態は、増田が言うような「柔道を創設してからずっと心の中に持ち続け、常にその方法を模索していたすばらしいものだった!」というものではなく、「アブソリュートパワーでも寝技でも勝てない高専柔道にビビリ上げた結果、講道館のアイデンティティを保つため、遠い昔に自分が言っていたことを思い出し、消去法的に始めた事業」でしかありません。
上記連載でも明らかにしました通り、治五郎先生の「勝負法」研究の実体は、粗雑極まりない実にいい加減なものでしたし、サンテル戦に関しては終始及び腰(対戦を強行した庄司彦雄たちに「段位を剥奪する」などという人非人な行為をしたのは間違いなく、自分たちが逃げ回ったことへの後ろめたさがあったから)でした。
ワタクシは「ふたりの嘉納」を書く際、国会図書館蔵書を中心に当時の文献を徹底的に調べ上げましたが、「勝負法」の確立に関し、どこをどう探っても増田が言うような勇ましく、ポジティブな事績は全く!見当たりませんでした。(人生の末期に差し掛かり、頭がおかしくなったの治五郎先生による勇ましいだけで内実の伴わない「勝負法に関する発言」だけは、上記連載で取り上げています(;^ω^))
いったい増田はどこでどんな資料を読んで「勝負法にポジティブな治五郎」を見つけたのでしょうか。大変理解に苦しみます。
従いまして、増田が記事の半分くらいを使って(使いすぎ!)熱く論じている「柔道は本来、MMAになるべきものだった」というのは、100%じゃないですが、95%(当社比(;^ω^))くらいの確率で、事実誤認です。
これはあくまでも推測ですが、増田がしつこく「柔道はもともとMMAを目指していた」と言い続けている理由は、増田が尊崇してやまない木村政彦先生の事績(「打撃に対応できるだけの柔道」を実践し、スゴいレベルで対応できていた)を、「これがほんとうの柔道だったんだ!」と正当化するための方便と解釈しています。
個人的にそういう思いを抱くのは結構ですが、その事実誤認95%の思い込みをもって「キミたちは柔道を知らない!」などとはどの口が言うのでしょうか。元新聞記者の看板が泣きます(まあ、白い大地のアカい新聞記者だから…←しつこい(;^ω^))
【増田の誤認2 講道館にとって不可能なことを望んではいけない】
増田は続けて、今次パリ五輪における各種誤審問題や、海外勢の派手なガッツポーズ連発に苦言を呈するとともに、「こうした問題を減らすにはまず、講道館が「武道」というものを規定し、それをもとに演繹的手法で柔道を整理し、海外へ向けて新たなブランディングをしなくてはいけない。」(原文ママ)としています。
この部分については増田の感想なので、特に何がどうということはないのですが、講道館の歴史を個人的に追っかけ回したうえでの結論としては「講道館には武道を目に見える形で明らかにすることなんかできない。無理。不可能。」です。
講道館成立の歴史は調べれば調べるほど「政治力による勢力拡大・他勢力の駆逐」だけに彩られており、社会的地位が確立した明治30年代以降は完全に「柔道大会を開く組織」「段位を発行する組織」として固着しています。
従って、講道館の技術は「治五郎先生の思い付き」、武道哲学は「治五郎先生(あるいは治五郎先生の口を借りた高弟)のお言葉」だけであり、組織を上げてまともな研究をしたことは全くと言っていいほどありません。
(きちんとした技術開発をしたのは、立ち技なら武徳会、寝技なら高専柔道。講道館は高専柔道発の三角締めが猖獗を極めたとき、三船久蔵を座長とする対策委員会を作ったが、その逃げ方が「極まる方に逃げていた」という爆笑エピソードからも、まともな技術開発能力がなかったことがわかる)
自身も空手をものしているガチの空手有識作家・今野敏先生は自著「琉球空手・ばか一代」(集英社文庫)において、極真空手の本質を「幹が細いのに枝葉だけが茂った木のようなもので、根っこが大山総裁のカリスマ性だった」と評していますが、これは講道館もまったく同じであり、上記の文章の末尾部分の「大山総裁」を「嘉納治五郎」と変えただけの組織です。
従いまして、増田が記事の半分くらいを使って(使いすぎ!)熱く論じている「柔道は本来、MMAになるべきものだった」というのは、100%じゃないですが、95%(当社比(;^ω^))くらいの確率で、事実誤認です。
これはあくまでも推測ですが、増田がしつこく「柔道はもともとMMAを目指していた」と言い続けている理由は、増田が尊崇してやまない木村政彦先生の事績(「打撃に対応できるだけの柔道」を実践し、スゴいレベルで対応できていた)を、「これがほんとうの柔道だったんだ!」と正当化するための方便と解釈しています。
個人的にそういう思いを抱くのは結構ですが、その事実誤認95%の思い込みをもって「キミたちは柔道を知らない!」などとはどの口が言うのでしょうか。元新聞記者の看板が泣きます(まあ、白い大地のアカい新聞記者だから…←しつこい(;^ω^))
【増田の誤認2 講道館にとって不可能なことを望んではいけない】
増田は続けて、今次パリ五輪における各種誤審問題や、海外勢の派手なガッツポーズ連発に苦言を呈するとともに、「こうした問題を減らすにはまず、講道館が「武道」というものを規定し、それをもとに演繹的手法で柔道を整理し、海外へ向けて新たなブランディングをしなくてはいけない。」(原文ママ)としています。
この部分については増田の感想なので、特に何がどうということはないのですが、講道館の歴史を個人的に追っかけ回したうえでの結論としては「講道館には武道を目に見える形で明らかにすることなんかできない。無理。不可能。」です。
講道館成立の歴史は調べれば調べるほど「政治力による勢力拡大・他勢力の駆逐」だけに彩られており、社会的地位が確立した明治30年代以降は完全に「柔道大会を開く組織」「段位を発行する組織」として固着しています。
従って、講道館の技術は「治五郎先生の思い付き」、武道哲学は「治五郎先生(あるいは治五郎先生の口を借りた高弟)のお言葉」だけであり、組織を上げてまともな研究をしたことは全くと言っていいほどありません。
(きちんとした技術開発をしたのは、立ち技なら武徳会、寝技なら高専柔道。講道館は高専柔道発の三角締めが猖獗を極めたとき、三船久蔵を座長とする対策委員会を作ったが、その逃げ方が「極まる方に逃げていた」という爆笑エピソードからも、まともな技術開発能力がなかったことがわかる)
自身も空手をものしているガチの空手有識作家・今野敏先生は自著「琉球空手・ばか一代」(集英社文庫)において、極真空手の本質を「幹が細いのに枝葉だけが茂った木のようなもので、根っこが大山総裁のカリスマ性だった」と評していますが、これは講道館もまったく同じであり、上記の文章の末尾部分の「大山総裁」を「嘉納治五郎」と変えただけの組織です。
大山総裁と治五郎先生の違いはたった1つ、「超絶学歴エリートであったか、そうでなかったか」だけですね。
皆様に非常にわかりやすい形で「講道館がバカで不勉強」ということを示した事例として著名なのは、1990年代に「カラー柔道着」問題が勃発したときです。
この問題が勃発した際、柔道の総本山(と自称する)講道館は「なぜ柔道着は白じゃないといけないのか」という点に関し、総本山ならではの、外国勢が思わず唸るような見識を披露しなければならないところです。
ところがバカをこじらせた講道館は「武道精神がウンヌンカンヌン」という寝言しか言えず、海外勢のいいなりになったことは周知のとおり。
この一事を取っても、講道館は「ただの試合開催組織・段位発行組織」としか言えず、ヨカタから「バカ、アホ、日本の恥」という謗りを受けても仕方がないと思います。
増田は高専柔道原理主義派なのに、なぜか講道館に色目を使うヘンな作家なので、根拠不明の「講道館の性善性」を信じていますが、講道館の黒歴史をずっとウォッチングしているワタクシからすれば、「講道館に『武道精神を明確化』だの『演繹化(演繹≒何か法則性を仮定し、それを各種の事物に当てはめること)』なんてできるはずがない。それは八百屋に行って『魚下さい』というくらい、無意味なこと」としか言えません。
またこのあたりを説いてる記事中、増田は「浮世絵と呼ばれる絵画には遠近法がなく」(原文ママ)などと書いていますが、江戸期の風景画には遠近法を大胆に使用したもの(代表的なものに、北斎の「神奈川沖浪浦図」など)がたくさんある!ことも付記します。
【増田の誤認3 座礼を滅ぼしたヤツが座礼を復活?お笑い沙汰!】
増田は続けて「目に見える武道精神」のアイディアとして、今年の七帝柔道で行われた「座礼」を取り入れてはどうかという意見を記載しています。
しかし、それまでの古い柔術における礼が座礼、または片膝立ちとなって、拳を地面につけての礼だったのを、柔術諸派を駆逐することで「立礼」だけにしてしまったのは、ほかならぬ講道館です。
(弊ブログ「長い長い歴史」で良移心頭流・中村半助VS講道館・横山作次郎の死闘を描いたことがありますが、この際中村は片膝の礼をしています。)
また古い武術では、「人を殺す技術を学ぶ場所に入るときは、日常と離れた異世界に入る」という意味を込め、稽古場に出入りする際だけ「場所に礼」をする流派(代表的なのは「一撃必殺の剣」で有名な東郷示現流)も多く、「日本伝武道は、師匠や稽古・対戦相手など、人に対して礼をするもんだ」という解釈は大いに!!!!!間違っています。
増田はモノを知らないので、自身唯一のアイデンティティ確立場所・七帝柔道での座礼を見て「すばらしいアイディアだ!」と喜んで提案したのでしょうが、現在の立礼になった経緯は上記の通りであり、座礼やそれに付随する礼を滅ぼしたのは講道館であり、それがいまさら「武道精神を復活させるために座礼」と言ったって、海外勢が納得するはずがありません。
この一事を取っても、講道館は「ただの試合開催組織・段位発行組織」としか言えず、ヨカタから「バカ、アホ、日本の恥」という謗りを受けても仕方がないと思います。
増田は高専柔道原理主義派なのに、なぜか講道館に色目を使うヘンな作家なので、根拠不明の「講道館の性善性」を信じていますが、講道館の黒歴史をずっとウォッチングしているワタクシからすれば、「講道館に『武道精神を明確化』だの『演繹化(演繹≒何か法則性を仮定し、それを各種の事物に当てはめること)』なんてできるはずがない。それは八百屋に行って『魚下さい』というくらい、無意味なこと」としか言えません。
またこのあたりを説いてる記事中、増田は「浮世絵と呼ばれる絵画には遠近法がなく」(原文ママ)などと書いていますが、江戸期の風景画には遠近法を大胆に使用したもの(代表的なものに、北斎の「神奈川沖浪浦図」など)がたくさんある!ことも付記します。
【増田の誤認3 座礼を滅ぼしたヤツが座礼を復活?お笑い沙汰!】
増田は続けて「目に見える武道精神」のアイディアとして、今年の七帝柔道で行われた「座礼」を取り入れてはどうかという意見を記載しています。
しかし、それまでの古い柔術における礼が座礼、または片膝立ちとなって、拳を地面につけての礼だったのを、柔術諸派を駆逐することで「立礼」だけにしてしまったのは、ほかならぬ講道館です。
(弊ブログ「長い長い歴史」で良移心頭流・中村半助VS講道館・横山作次郎の死闘を描いたことがありますが、この際中村は片膝の礼をしています。)
また古い武術では、「人を殺す技術を学ぶ場所に入るときは、日常と離れた異世界に入る」という意味を込め、稽古場に出入りする際だけ「場所に礼」をする流派(代表的なのは「一撃必殺の剣」で有名な東郷示現流)も多く、「日本伝武道は、師匠や稽古・対戦相手など、人に対して礼をするもんだ」という解釈は大いに!!!!!間違っています。
増田はモノを知らないので、自身唯一のアイデンティティ確立場所・七帝柔道での座礼を見て「すばらしいアイディアだ!」と喜んで提案したのでしょうが、現在の立礼になった経緯は上記の通りであり、座礼やそれに付随する礼を滅ぼしたのは講道館であり、それがいまさら「武道精神を復活させるために座礼」と言ったって、海外勢が納得するはずがありません。
増田がモノを知らないことを示す、ほんとうによい証左です。
【周防平民珍山的「柔道はこれからいかにあるべきか」案】
以上、増田の面白発言を見て参りましたが、増田の記事を読んで思ったことは「柔道側のオピニオンを司る人間って、この程度しかいないんだ。へえ~」ということだけでした。
パリ五輪であれだけハデに誤審や不手際、八百長らしき行動があったのに、国内における意見はマスゴミや一般人による感情論以外何も見当たらず、「柔道の有識者」からの意見は何一つ目にしません。ようやく目にしたのは増田の意見だけです。
つまり講道館も全柔連も、歴史の積み上げや研究を怠った結果、国際大会においてどれだけ選手が理不尽な扱いを受けても、史実や武道哲学に立脚した有効な反論をすることがでない、ルール作りに参画できる能力もない、ほんとうにただの「試合開催機関・段位発行機関」に堕しており、また、そんなしょうもない組織からの受け売りしか報じることができない「柔道マスゴミ」&「柔道有識者」は、真にしょうもない存在だと思います。
「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」などと申しますが、そのデンでいけば講道館・全柔連は完全なる「愚者」です。
【周防平民珍山的「柔道はこれからいかにあるべきか」案】
以上、増田の面白発言を見て参りましたが、増田の記事を読んで思ったことは「柔道側のオピニオンを司る人間って、この程度しかいないんだ。へえ~」ということだけでした。
パリ五輪であれだけハデに誤審や不手際、八百長らしき行動があったのに、国内における意見はマスゴミや一般人による感情論以外何も見当たらず、「柔道の有識者」からの意見は何一つ目にしません。ようやく目にしたのは増田の意見だけです。
つまり講道館も全柔連も、歴史の積み上げや研究を怠った結果、国際大会においてどれだけ選手が理不尽な扱いを受けても、史実や武道哲学に立脚した有効な反論をすることがでない、ルール作りに参画できる能力もない、ほんとうにただの「試合開催機関・段位発行機関」に堕しており、また、そんなしょうもない組織からの受け売りしか報じることができない「柔道マスゴミ」&「柔道有識者」は、真にしょうもない存在だと思います。
「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」などと申しますが、そのデンでいけば講道館・全柔連は完全なる「愚者」です。
え、「柔道に文句ばっかり言うな!お前も柔道が国際的によくなる代案を出せ!」ですって?
いいですよ~!ワタクシは屁理屈と言い訳と海外逃亡だけでできている「ひろゆき」じゃありませんから、すぐに代案を出して差し上げましょう!
これからの柔道はどうあるべきか?大胆に私見を申し述べます。
「現行のIJFルールで全然かまわない。むしろ講道館柔道試合審判規程なんかゴミ箱に捨ててしまえ!
IJFルールで行われている現行の『足関節なし・立ち技偏重ジャケットレスリング世界一決定戦』こそが、治五郎先生の希求した真の講道館柔道だ!」
弊ブログで幾度かお話ししましたが、講道館柔道の本質は、治五郎先生が講道館柔道の体系を作り上げた際に最大最強のコンセプトとした「試合に見栄えよく勝つ!ための柔術」であり、これは現在に至るまでそれ以上でもそれ以下でもなく、それ以外のものになったこともありません。これは講道館の歴史を永く調査し続けたワタクシ、自信を持って言い切ります。
その達成のため治五郎先生は時間と政治力をかけ、寝技の強い柔術家を排除し、その得意技を禁じ手とし、投げのポイントを不当に高く設定し、寝技の強い高専柔道が勃興すれば「立ち技の講道館こそが真の武道じゃい!」と各種媒体でアジることに全精力を傾けました。
つまり治五郎先生が心の底から広めたかったのは「試合に勝つ!ための立ち技偏重ジャケットレスリング」であり、勝負法も礼法も武道精神も、そんなものは全て後付け、どうでもよかったのです。
また、今のIJFルールは、
「武道精神?そんな目に見えないもの、セーヌ川か清渓川(←朝鮮語読みすれば「チョンゲチョン」。若者を中心に大人気のゲーム「ブルーアーカイブ」を知らない方には不毛なギャグ(;^ω^))にでも沈めておけ。ヨカタが見て面白いものなら、それでいいんだ」
という確たる哲学の下ルール設定がなされていますから、単純に見ていて面白い。それでいいじゃないですか。
これからの柔道はどうあるべきか?大胆に私見を申し述べます。
「現行のIJFルールで全然かまわない。むしろ講道館柔道試合審判規程なんかゴミ箱に捨ててしまえ!
IJFルールで行われている現行の『足関節なし・立ち技偏重ジャケットレスリング世界一決定戦』こそが、治五郎先生の希求した真の講道館柔道だ!」
弊ブログで幾度かお話ししましたが、講道館柔道の本質は、治五郎先生が講道館柔道の体系を作り上げた際に最大最強のコンセプトとした「試合に見栄えよく勝つ!ための柔術」であり、これは現在に至るまでそれ以上でもそれ以下でもなく、それ以外のものになったこともありません。これは講道館の歴史を永く調査し続けたワタクシ、自信を持って言い切ります。
その達成のため治五郎先生は時間と政治力をかけ、寝技の強い柔術家を排除し、その得意技を禁じ手とし、投げのポイントを不当に高く設定し、寝技の強い高専柔道が勃興すれば「立ち技の講道館こそが真の武道じゃい!」と各種媒体でアジることに全精力を傾けました。
つまり治五郎先生が心の底から広めたかったのは「試合に勝つ!ための立ち技偏重ジャケットレスリング」であり、勝負法も礼法も武道精神も、そんなものは全て後付け、どうでもよかったのです。
また、今のIJFルールは、
「武道精神?そんな目に見えないもの、セーヌ川か清渓川(←朝鮮語読みすれば「チョンゲチョン」。若者を中心に大人気のゲーム「ブルーアーカイブ」を知らない方には不毛なギャグ(;^ω^))にでも沈めておけ。ヨカタが見て面白いものなら、それでいいんだ」
という確たる哲学の下ルール設定がなされていますから、単純に見ていて面白い。それでいいじゃないですか。
それに、日ごろ柔道をろくに観戦もしていないようなヨカタが、オリンピックの時だけ柔道を観戦して、日本の選手が負けたというだけで「武道精神がウンヌン」なんて言うな!
ロンドン五輪までは、サンボでは初歩の初歩である「ヤッツケビッチ式十字」を食らって、銀メダリストが驚く程度の調査力しかなかった低レベルな柔道をまず愧じろ!
(この状態は監督がウドの大木バカの篠原、全柔連会長がゴミの吉村の時まで。その後、井上康生監督になってから各種組技とのクロストレーニングが行われるようになり、ホッとしています。)
講道館創設から今年で142年。現在の柔道(IJFルール)は、限りなく治五郎先生が夢見た「試合で見栄えよく勝つ!ための柔術」として完成した観があります。
オリンピックがあるたびに、バカなヨカタほど「今の柔道には武道精神が感じられなくてウンヌン」などとほざいていますが、これは治五郎先生の大御心や講道館柔道の本質を知らないがゆえの不敬な発言です。治五郎先生から天罰を受けますよ!
先祖を敬う心を忘れないワタクシは、ずっと言い続けます。
「今のIJFルールこそが、治五郎先生が生涯を賭けて希求した、真の柔道の姿だ!」
講道館創設から今年で142年。現在の柔道(IJFルール)は、限りなく治五郎先生が夢見た「試合で見栄えよく勝つ!ための柔術」として完成した観があります。
オリンピックがあるたびに、バカなヨカタほど「今の柔道には武道精神が感じられなくてウンヌン」などとほざいていますが、これは治五郎先生の大御心や講道館柔道の本質を知らないがゆえの不敬な発言です。治五郎先生から天罰を受けますよ!
先祖を敬う心を忘れないワタクシは、ずっと言い続けます。
「今のIJFルールこそが、治五郎先生が生涯を賭けて希求した、真の柔道の姿だ!」
”とは言えません。・・と、空手の本物技を知らないけったいな柔道オタクの醜態どもの話は聞きたくもありません!!チャンチャン!!
だからこそ、普段スポーツなんか見向きもしない一般ヒーポーも注目し、勝てば喜び、メディアはメダルの数を数える。マイナースポーツでも注目されるから絶好の機会……🤔。
かつて柔道は全日本優勝者は、世界大会、オリンピックメダリストという時期が長く続いた印象ですが、今や各国は柔道を研究し、日本勢が勝てなくなると…😓…ルール変更に文句を言ったり、精神性や礼儀に言及したりしている印象があります。
無論、過去の試合では勝った選手が駆け寄って来るコーチ達を制し、礼を先にした、等というエピソードも嫌いではないです…😓。
誤審は論外だし、ちゃんと判定をひっくり返して欲しい、とは思いますが…無理だろうな…🤔。
ワタクシも多少柔道を経験した者(いちおう、テンプラ二段です(;^ω^))として、日本の柔道は「国内では講道館柔道試合審判規定」「国外ではIJFルール」という股座膏薬のような状態がず~っと続いており、これはレベルの高い競技者であればあるほど、大きな足かせになっていると思います。
柔道ナショナルチームに入るようなスゴい選手たちは国の宝であり、わが国格闘技界でも屈指の優秀な人材であることは間違いありません。
それを、いつまで経っても「武道精神がウンヌンカンヌン」などという歴史的寝言だけで選手を講道館規定に縛り付けて負担を増やし、講道館の広めたヨタ話を信じて、ろくに道着も着たことがないくせに、オリンピックの時期にテレビ桟敷だけで観戦して「日本選手には武道精神がウンヌンカンヌン」とかいうヨカタは、はっきり言って日本柔道選手団の敵です。
今回投稿は、増田のアホ記事もさることながら、ワタクシのFBの「友達」の「友達」である柔道家(七段だそうです)が、「講道館の歴史は柔道VS柔術ではなく、講道館が柔術を救ってあげた歴史なのだ!」という、「月刊ムー」に載せてもおかしくないようなイカれた投稿をしていたのを見て「これは折に触れて、講道館の黒歴史をどんどん掲載しないとダメだな」と思い、しつこいようですが執筆しました。
講道館は、
「頭がいい人も、自分の信じたいものしか見聞きしなかったらバカになる」
「日本人が利益のみを媒介として組織を作ると、こういうダメな点が浮き彫りになる」
ということを研究させてくれる格好の組織ですので、今後も古い歴史をほじくり返していきたいと思います。