集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

「公正世界仮説」に騙されないために

2020-07-30 19:42:33 | 兵隊の道・仕事の話
 ワタクシはガキの時分、オヤジやじいさんから「身の程を知れ、分際を知れ。身の程をわきまえないおかしな夢を持っても、そんなもん叶うわけがない」と言われ続けてきました。
 学校の教師共はこれとは逆に「君たちには夢と未来がある」「だから努力すればどんな夢でも叶う」と言っていました。

 あれから四半世紀。
 ワタクシは人生の岐路に立った時、常にオヤジやじいさんの言っていたアドバイスを実行したわけですが、それはとても正しかった、と断言致します。 

 心理学の世界に「公正世界仮説」というものがあります。
 もともとはアメリカの心理学者・メルビン・ラーナーが提唱したもので、「世界は公正であるべきだし、実際にそうだ」という仮説です。
 これはもっとぶっちゃけて言えば「何事においても、努力したら努力したぶん、報われるべきだ」という考え方です。
 しかしこの考え方は「科学的にこうだ」というものではなく、「こうでなくっちゃイヤだ」という祈りにも似たもので、現実世界はそんなに甘くありません。

 以前にもいくつかの記事でご紹介しました通り、人間のスペックは遺伝でほぼ決まっており、自分にないものや、性能上適合しないものをいくら努力しても、それは多くの場合、徒労にしかなりません(「自分以外の周囲の偏差値がやたらと低い場合」という僅少な例外を除けば)。
 ところが世の中にはこの現実を知らない、あるいは知っていても信じたくないというヒトが実に多い。
 口を開けば誰もかれもが「頑張れば夢かなう」だの「才能に限界はあっても、努力に限界はない」だのと、口当たりのいいことばかりを言っていますが、そういうことを安易に言うヤツというのは、とんでもない情弱バカか、それをカモにしようとする詐欺師のいずれかしかいません。
 
 では、「公正世界仮説」を振りかざす情弱に騙されないためにはどうすべきか?
 答えはたったひとつ。天才のいる群れの中に入っていって、ケッチョンケッチョンにやっつけられ、自分の分際というものを、イヤというほど思い知らされることです。

 ワタクシも人生で幾度か「オマエの才覚なんてここまでだ」と思い知らされたことがありますが、最もスゴい挫折を味わったのが、20代中盤から30代前半までを過ごした、泉州特設支社時代のこと。
 ここには全国各地から、様々な体力自慢がやってきます。
 ワタクシも体力には自信があったのですが、ここに集まってくるヤツらのレべルは、草野球レベルの体力自慢であったワタクシのはるか上を行くものでした。
 体力もさることながら、巧緻性を競う訓練でも何でも、ワタクシが同期に伍してまともにできるものは何もなく、何をやらせてもビリッケツのほう。
 ワタクシはチンケなプライドをバッキバキにヘシ折られ、「ああ、こいつらには逆立ちしてもかなわん…」という動かぬ現実を突きつけられました。
(その後、そういった天才になくて、ワタクシにあった特技…つまり武道・格闘技を前面に押し出すことで、なんとか生き延びましたが(;^ω^))

 他人に比較して自分が劣っているということを認識した時、世の中には「アイツは大した努力もしていないのに、なんでオレより出来るんだ!」とルサンチマン(弱者の強者に対する嫉妬の心)を抱き、逆恨みをする方が多々いらっしゃいますが、それははっきり言って、やられ方が足りません(;^ω^)。
 一度だけでいいですから、天才というものに実際に触れて、「もうだめだ」というレベルまで、バッキバキに心をヘシ折られてください。
 そうすればあなたの心はごくナチュラルに「あなたが最強になれる土俵」を探し当ててくれることでしょう。 
(まあ、メンタルが弱い方にはお勧めできない荒療治ですが(;^ω^))

 ひどいことを言うようですが、いい歳をしたオトナであって、自分に才能がないこと、勝てないことを踏ん張るヤツや、結果や成果をさておき、ただ努力の量を誇るようなヤツは「根性がある」「頑張り屋さん」などではなく、ただ単に自分で自分が見えていないアホとしか言いようがありません。

弊社Youtuber(公式・OB問わず)がクソダメな理由

2020-07-26 09:40:33 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 近年は一般人のみならず、各種企業や官公庁もYoutubeチャンネルを持ち、広告や啓発活動を行っています。
 ワタクシが勤める船会社も公式チャンネルを持っていますが、これがまあ…本当~に出来が悪い。
 これはあくまで個人的感想ですが、アップされている動画の全てにおいて、再生時間の長短を問わず、とにかく訴えたいこと・動画構成・脚本・カメラワークのいずれもが不鮮明かつ意味不明。唯一、電●に土下座して作ってもらった動画が、カメラワークにおいてのみ合格点というありさまであり、「水曜日のダウンタウン」の企画であった「底辺Youtuberの動画地獄説」の仲間入りをさせて全く問題ないつくりだ、と断言できます。

 これに付随し、弊社を辞めたOBによる弊社紹介動画もいくつか見ましたが、これがまた、公式チャンネルに輪をかけて頭の悪いつくりをしています。
 具体名は挙げませんが、ここでは弊社を5年そこらで辞めたハンチク野郎が弊社を語る動画を、「OB動画」の例として取り上げます。

 この「OB動画」を立ち上げたヤツは、ロクな仕事をしなかったうえ、様々な不始末をしでかした挙句に弊社にいられなくなって辞めたという、今後の人生の転落が望まれるなクソカス野郎なのですが、コイツがなにを思ったか、わざわざYoutubeチャンネルを立ち上げ、弊社のことを語る動画を複数アップするの挙に至っています。
 で、いちおう閲覧してみたんですが…まあとにかく、チャンネル主の頭の悪さが3秒ごとにわかる動画、としか言えません。
 コイツは一人語り方式の動画なので「カメラワーク」は採点できませんが、「訴えたいこと・喋る内容の構成・喋るべき言葉」のいずれもが小学校入学前レベルであり、兵隊であったとはいえ、よくこんなヤツが弊社の試験に受かっていたな…と、逆に驚くほどです。
 なお、コイツの現職業は、同チャンネルによると「アパレル事業オーナー」。だったらアパレルの動画作っとけよ。ボケが…。
 そのほか、コイツほどひどくないにせよ、弊社を紹介する動画は本当にゴミのようなものばかりであり、一顧だにする価値なし、と断じていいものばかりです。

 ではなぜ、弊社の紹介動画は、公式・私的含め、クソのような内容のものばかりなのか?
 これについて縷々考えた結果としましては…「『普通を知らない』企業風土の中で育った『普通を知らない』ヤツが作ったから」です。

 以前ワタクシは弊ブログで「『努力の天才』が教えてくれた『格闘技のセンス』」(本年2月24日投稿)と銘打ち、そのなかで「センスは知識から始まる」(水野学 朝日新聞出版)という本の内容を抜粋紹介させて頂きました。
 同著では「普通とは、いいものがわかるということ。普通とは、悪いものもわかるということ。その両方を知ったうえで『一番真ん中』がわかるということ」とし、ジャンルを問わず、なるべくたくさんの「普通」に触れることの重要性を、口酸っぱく説いていました。それこそがセンスを磨く唯一の道である、とも。
 日本トップックラスのクリエイティブディレクターの言うことはさすがに物事の深奥を衝いており、実に拳拳服膺すべき事項です。

 上記水野氏の主張を踏まえ、弊社に関するバカ動画を見てみますと、とにかく「普通」に触れていない人間により作られた、独りよがりな動画、画面のむこうで見ている人の感情を完全においてけぼりにした動画、と総括することが完全に可能です。
 
 弊社は一般人の目から隔絶された場所が職場であるため、一般人の感覚から離れた、特殊な価値観が醸成されがちです。
 弊社という狭い職場で働いている分には、その「内集団」の価値観を持ったままで生きていても、特段の問題はないでしょう(ただ、そういう感覚で一般の方に接して、大ひんしゅくを買うバカも山ほどいますが(;^ω^))。

 しかしこれが、画面の向こうにいる、弊社のことをまるで知らない方を相手に、弊社という「内集団」でしか通じない「普通」を振りかざして、それで視聴者が喜ぶでしょうか。「高評価」を押してくれるでしょうか。チャンネル登録をしてくれるでしょうか。
 少し考えただけでも、「多くの人は『低評価』を押し、チャンネル登録なんか絶対にしてくれない」という答えしか導き出せない。冒頭にお話しした「底辺Yotuber」と何ら変わらないレベルのものと断じていい。
 これは弊社に関するYoutube動画であれば、公式・私的を問わず、すべてに当てはまることであり、作った人間は「『普通』を知らない=センス皆無」ということを死ぬほど恥じるべきです。

 前出の水野氏は同著で「センスの良し悪しが個人と企業の存続に関わる時代」と題し、このようにも述べています。
「仮にセンスが水だとして、誰もがもともと水を持っているとします。
 ある人は、その時その時に最適な水の出し方を考え、表現する力があります。たとえば暑い夏の日にはきりりと冷やしてレモンをひとしずくたらし、冬は口にすると体の芯から温まりそうなお茶を淹れるというように。
 ある人は、水の出し方などはなから考えず、同じように供するだけです。たとえば、生ぬるいうえに新鮮でない水を、365日差し出すというように。
 前者がセンスのよい人で、後者がセンスの悪い人。比べた場合、どちらが求められるかは明白です。」

 故人曰く「バカにつける薬はない」「バカは死ななきゃ治らない」ですので、現在のチャンネル主が現状の腐ったアタマのままで動画を作り続けるのは上記でいう「生ぬるいうえに新鮮でない水を、365日差し出す」ことを継続するだけであり、何の解決にもなりません。
 弊社の動画を作っている阿呆のみなさまにおかれましては、ぜひ「普通の何たるか」をイチから勉強しなおし、少しでも「暑い夏の日にはきりりと冷やしてレモンをひとしずくたらし、冬は口にすると体の芯から温まりそうなお茶を淹れる」ことができるようになってから動画を作ってほしいものです。
 
 え、無理ですか。そうでしょうねえ。分かってますよ(;^ω^)。

「杉田屋守伝」異聞その1・戦前野球のリアリティ追求について

2020-07-21 20:11:06 | 霊魂の鐘を打つ人・杉田屋守伝
 弊ブログではかなり異色のカテゴリとなっております、「杉田屋守伝」。
 ワタクシが「杉田屋守伝」を書こうと発起した理由はいろいろございますが、数ある理由の一つに「戦前の野球選手の境遇や、それを取り巻く環境をリアルに伝えたい」というものがあります。

 ワタクシは現在、仕事の関係で沖縄県に期間限定付き居住しています。
 沖縄と言えばこの時期、大東亜戦争末期に勃発した沖縄戦における被害の話に関する報道で持ち切りになります。
 地元沖縄のローカル局では、能天気に「子供に反戦教育をし、子供たちもその悲惨さを学んでいた」などと報道していますが、ワタクシはガイドのおじさんから直接、リアルな嘆きの声を聞いたことがあります。
「今の子供たちに、『ここが軍の壕、ここが竈、ここが井戸』と話をしても、『竈ってなに?井戸ってなに?』という質問が常にあり、今はその説明からしないと話にならない。
 今の若者にとって、大東亜戦争は、既に時代劇レベルの昔の話であり、ガイドがいくら頑張って当時の話をしても、リアリティのある平和教育としては、意味をなしていないのではないか。」
 全くその通りだと思います。

 再度同じことを申し上げて恐縮ですが、ワタクシが「杉田屋守伝」を書こうと思った主たる理由のひとつに、上記エピソードにおけるガイドのおじさんと不安を持ったから、というのがあります。

 はっきり申し上げますが、現在のスポーツマスコミ、そして「ネット評論家」共は、戦前・戦中・終戦直後における、スポーツを取り巻く環境に対して極めて無知・無頓着です。
 生活環境も、生活常識も、食生活も衛生状態もまるで違う当時の日本において、スポーツ一本で食っていこうとした人がどんな状況に置かれ、どれほどの覚悟を以てその環境に身を投じたか。そして今では当たり前に整備されている「トレーニング環境」「トレーニング理論」とは、いかにほど遠い周辺環境で練習や試合を積み重ねていたのか…
 この点に関して深く掘り下げた媒体を、ワタクシは平成20年以降に触れたことは一切ありません。それどころか、ただ数字だけを弄んで「今の選手に比べ、戦前の選手は伝説だけで、全体の競技レベルが低く、大したことがない」といった、現在の豊かな生活の上に胡坐をかいた偉そうな論調ばかり。
 ですから、はっきり申し上げて、現在のスポーツマスコミ&ネット評論家は、「無知・不勉強・バカ」という言葉で括って投げ捨てていいレベルの者ばかりであり、唾棄すべき輩だと考えています。閑話休題。

 日本における国民的行事として「野球」というものが深く根付いたのは大正中期から昭和ヒトケタにかけての時期ですが、当時の「選手」であった男子は、等しく兵役の義務を負っていました。
 戦場で必要とされるのは原則「理不尽に耐える」というものであり、現代スポーツでいう「練習・栄養・休養を完璧に整備する」という理念とは真逆に位置します。
 また戦場は「殺し、殺される」ということが日常的に要求されますから、まともな精神状態でなくなることもしょっちゅうですし、また、まともな衛生状態でないことは論を俟たないでしょう。
 ワタクシはそうしたことを示す「戦前野球の、絶対にリアリティを以て語り継がねばならんエピソード」が大好きで、かなりの数を蒐集していますが、今回は戦前の伝説的大投手・沢村栄治の逸話をご紹介します。

 沢村投手は戦死までに都合3回兵役に取られ、そのつど悲惨な戦いの中に身を投じましたが、2回目の兵役(昭和16~17年)では、大東亜戦争開戦冒頭のフィリピン攻略戦に参加。そこでは敗残米兵による蛮行を、いやというほど見せつけられます。
「マニラ市内に突入し、あるホテルに入っていくと、そこの地下の厨房で日本人が十数人、じゅずつなぎに鉄の鎖で縛られて、熱湯をぶっかけられ、メッタ切りに惨殺されていた。」「アメリカ人による日本人女性強姦事件も多発していたという。その犯人を探し出してきては、金網を丸めた棒きれで叩きのめしたと沢村さんは語っていた。」(いずれも「サムライ達のプロ野球」(青田昇・文春文庫)より抜粋)
 闘志を内に燃やすタイプであり、周囲の人間にはとにかく紳士的で優しかったという沢村投手の体や心がズタボロになる要素は、これでもか!というくらい揃っていた。それでも沢村投手は野球に生き続け、本当にボロボロになるまで野球をやり続けたのです。
 実際にシナ事変・大東亜戦争と合計7年間、捕虜生活も入れれば8年もの兵役を全うした父方のじいさんはじめ、兵隊経験者のリアルな話を聞き続け、現在もそれに比較的近しい商売をしているワタクシはこうした心理状態を、絶対に無視することはできません。
 
 また、沢村投手は昭和13~15年の最初の兵役の際、マラリアに感染。選手時代末期には「ちくしょう、マラリアが出た!」とベンチで倒れ込むこともあり、キニーネが手放せない状態でした。
 各種抗生物質、そして栄養学が存在しなかった当時の日本において、疫病や栄養障害による選手のコンディションの出来・不出来は避けようのない障害。
 パっと思いつくだけでも、戦前の阪急軍(現・オリックス)初代エースで、日本で初めてスライダーを操ったといわれる(おおかたの野球史では、巨人の藤本英雄を以て開祖としている)北井正雄は腸チフスで急逝、戦中の南海軍(現・ソフトバンク)エースの神田武夫は結核で急逝、巨人の永久欠番第1号・黒沢俊夫の死因も腸チフスなどなど、今では「ウソでしょ?」というような病気で身体生命を持っていかれた天才選手がゴマンといたのです。

 こうした事情を肉体感覚として持たず、ただ「記録に残っているから」「映像や画像があるから」という理由だけで、「高校野球史上最強の選手●●選!」だの「プロ野球史上最強の選手●●決定戦!」などと騒ぐバカマスコミやネット評論家は真に唾棄すべき輩であり、弊ブログがそうした輩と会話の機会を持つことは絶対にない!といっておきます。

 「杉田屋守伝」のなかには、当時の周辺状況を潜り込ませようという記述がゴチャゴチャとなされております。
 読む方によっては「くそウゼー」と思う方もいらっしゃるかも知れません。
 しかしそれは、上記のような「野球と野球選手を取り巻く当時の環境」の息吹を、ほんの少しでも感じ取っていただければ…という、ショボい努力の一環でございますので、お付き合い頂ける奇特な方におかれましては、その点ご斟酌の上、今後とも「杉田屋守伝」ご閲覧のほど、よろしくお願いいたします。

霊魂の鐘を打つ人・杉田屋守伝(第47回 昭和4年秋・再びの早慶激突!)

2020-07-10 07:16:14 | 霊魂の鐘を打つ人・杉田屋守伝
 昭和4年9月14日に開幕した、昭和4年秋の東京六大学野球の下馬評は「早慶2校の優勝争いだけに注目」というものでした。

 早慶のライバル校筆頭・明大は、同年春のリーグを欠場して世界一周の強化旅行に出ていたものの、その道中における疲労の蓄積やチーム内でのゴタゴタ、さらには帰国直後に留守軍と行った練習試合で大敗を喫したことなどに端を発し、名投手安田好信が退部、もう一方のエース中村峯雄は疲労・故障により郷里の山口県に帰省。明治の強さの原動力であった二大エースの不在により、戦力ダウンは誰の目にも明らかな状態でした。
 そのほか法大は第42回に登場した日系二世投手・若林忠志がまだ日本式野球に慣れていないため戦力不安定、立大・東京帝大はともに投手力不足…
 ということで、早大は開幕から快調に勝利を重ねます。
【法大戦】
 開幕戦となった9月14日。延長10回、三塁打で出た水原義明を水上義男がヒットで返し、4-3で勝利。
 翌15日。4回に4安打を集中させて一挙7点を奪い、7-1で快勝。
【立大戦】
 9月23日、水上義男・伊丹安廣の活躍により、4-3で逆転勝ち。
 翌24日。水上・伊丹連日の活躍により5-1で快勝。
【東京帝大戦】
 10月2日。東京帝大に2点を先取され、苦しい展開となった早大であったが、6回に1点、9回小川正太郎のヒットで1点を返し延長戦へ突入。延長12回、三原修・伊丹安廣の連続安打で1点をもぎ取り、3-2で勝利。
 この試合、1試合5併殺のおまけつきで、堅守も光った。
 翌3日。初回、東京帝大が1点を先制するが、早大は3点を奪って逆転。その後壮絶な点の取り合いとなったが、8回の集中打で振り切り、7-6で勝利。
【明大戦】
 10月5日。早大は初回裏1点、2回裏に2点を挙げリードするも、六回表に明治が大量4点を挙げ逆転。8回表までに3-6と突き放されるが、8回裏に集中打を加えて一挙5点を奪い鮮やかな逆転勝利。
 翌6日。伊丹安廣の3安打・8打点の大活躍により11-5にて完勝。

 ここまで見て頂いてわかるとおり、早大はほとんどの試合を1点差、あるいは逆転で勝利しており、乏しい投手力を選手が一丸となって支え、チーム力で勝利をもぎ取っています。
 そうした取り組みの精華こそが…そう、リーグ優勝を賭けた大一番、早慶戦でした。

 昭和4年10月13日。当日の帝都東京は薄曇り、絶好の野球日和。
 神宮球場の各入り口には午前4時から行列ができはじめ、午前10時までに国電信濃町駅に下車したファンの数二万五千!
 信濃町・千駄ヶ谷・青山の三方向からの入り口に竹垣を作り、入場券(春リーグ戦における「前売り券廃止、当日券のみ」〔第43回参照〕によって徹夜組が発生、大混乱を招いた反省を受け、前売り制度が復活。)所有者以外は入場お断りにするという措置をとりますが、神宮球場にはあとからあとから、大量のギャラリーが押し寄せます。
 それもそのはず、この試合には野球ファンの目を惹かざるを得ない、2つの注目ポイントがあったのです。
①リーグ戦成績、早慶とも8戦全勝の状態での対決
②大正14年秋の復活以来、現在までの早慶戦通算成績はともに7勝

 まさに天下分け目の決戦となったこの早慶戦を見ないヤツは野球ファンじゃない!…切符も持たずにやってきたファンの気持ちも、むべなるかなというところです。

 早大先攻で迎えたこの大一番、マウンド上には慶大の誇るダブルエースの片方・水原茂。キャッチャーボックスには高松商時代から続く水原の盟友・川瀬。バッターボックスには早大のトップバッター・強打の水原義明。
 午後2時ちょうど。球審天知俊一の「プレイボール!」のコールが神宮球場に響き渡り、いまここに、竜虎相打つ決戦の火ぶたが切って落とされました。

【第47回・参考文献】
「早稲田大学野球部五十年史」飛田穂洲編
「真説日本野球史 昭和篇その1」大和球士 ベースボールマガジン社
「私の昭和野球史 戦争と野球のはざまから」伊達正男 ベースボールマガジン社
「天才野球人 田部武雄」菊池清麿 彩流社