集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

山口県柳井市発・バカ高校のバカ授業

2015-06-29 06:01:08 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 私は、自分が卒業した(「母校」という言葉を使いたくない)山口県立柳井高校が嫌いで、事あるごとに当ブログに苦言を書きまくっているのですが、またしてもやってくれました。

 6月25日付、山口新聞の記事を抜粋します。
「柳井市古開作の柳井高校で24日、安保法制を題材にした主権者教育の授業があった。来年18歳となり選挙権を得る2年生が、国会で審議中の安全保障関連法制についてグループごとに賛否の意見をまとめて発表。説得力のある発表に投票する経験をした」

 記事によりますと、4人1組8グループを作り、グループごとに安保法制に賛成するか、反対するかという発表をして、説得力があると思った意見に投票するというものです。
 一見まともなことをやっているように思えるかもしれませんが、記事記載内容を丹念に拾い出してみると、極左教師による恐ろしい意見誘導がなされていることがわかります。私が在校していたときと変わらない、クソバカ教師が未だにいるんですね。

 まずこういうことをやる場合、現在の高校生が、どのくらい戦争を多面的、実質的、思想的に知っているかということを考える必要があります。
 私は同じ高校の2年の時、死んだじいさんの薫陶などを受けていたおかげで、ほかよりは左翼思想に染まっておらず、「戦争はやらなければならないから、やるのだ」「殺さなければこっちが殺される」と主張していましたが、やはりガキのことでもあり、また、同校でたった2つだけ好きだったものの1つ、図書室(もう1つは柔道部)には、極左のバイブルである岩波ブックレトや、ほか反日書籍の山が(笑)。
 ですから当時は恥ずかしながら、「大東亜戦争時の日本軍は多少は蛮行をしたのでは?」「大東亜戦争は無謀な戦争だったのでは?」的なことも、考えてはいました。いまは全く違いますけどね。
 実際に戦争に参加した人から話を聞いて育った私でも、高校2年のガキの時分の認識はこの程度です。いまの高校生の爺さん婆さんと言ったら、下手したら戦後生まれでしょう。そんなガキが、戦争についてきちんとした意見なんか持っているはずがないでしょう。単に「漠然と危ないもの」「漠然といけないこと」という感覚以外、持ち合わせなんかあるはずがない。

 記事には「生徒たちはこれまで、日本国憲法や日米安保、自衛隊などについて学んだあと」とあります。
 実際に戦火を交えてきた人がほとんど死に絶え(終戦時ガキだったニセの語り部はまだいる)、自分の祖父母からも戦争の話を聞けない現在の高校生が賛否を判断するネタ元としては、社会の教諭がこれまで教えてきた「日本国憲法や日米安保、自衛隊など」に関する学習しかないでしょう。
 そこで偏向教師が「アンポハンターイ」などと生徒に教えれば、生徒は点数欲しさに、絶対安保法制反対に票を投ずるに決まっています。

 私は安保法制を考えるとき、いつも思うことがあります。
 日本が戦争を放棄しても、凶悪なる隣国や、その他の国は戦争を放棄していないのです。
 韓国は未だに仮想敵国が北朝鮮ではなく日本ですし、現に、先々代の崖から落ちて死んだ大統領の時には、日本の軍事施設への攻撃を企図していた事実があります。
 シナの敵対行為については、いまさらここで言うまでもないでしょう。またサンゴ取りに来たら承知せんぞ!
 シナや朝鮮は、表だって戦火を交える先頭では極めて弱いため、いつも搦手から間接侵略をしてきます。無人島に勝手に居座っていつの間にか占領。バカなマスコミや文化人をオルグしての世論リードなどなど。実例はいっぱいありすぎて、書き出せません。去年のサンゴ密漁だって、間接侵略の一環です。ちなみにいま話題の「沖縄の2紙」ですが、デスクや部長はきっと、シナ人なのでしょうね。沖縄の米軍基地がどかないでいて、困るのはシナだけですからねえ。
 戦争に反対するデモをやっていたら、シナが攻めて来なくなるのか?南朝鮮が日本を仮想敵国と見なくなるのか?そんなことはないでしょう。
 個人的には、現在自民党が審議中の安保法制すら生ぬるいと思っています。
 そのことについては、また後日、機会があればお話します。

 記事の続きを引用します。「指導する○×△教諭(36)は、「現代の政治への関心と18歳選挙権の自覚を高めてもらうのが狙い。」」
 武士の情けで、名前は伏せておいてやります。気になる人は検索してみてください。
 
 18歳選挙権の自覚を高めるのが狙いなら、無理にガキには敷居の高い安保法制じゃなくても、「どの教師が嫌いか」とか、「AKB総選挙」とかでもいいじゃないですか。

 この模擬選挙を指導した○×△教諭の魂胆は、最初から安保法制にイチャモンをつけ、自らの主張を生徒の口から言わせようといういやらしいものです。
 しかも36歳って、後輩じゃないか。バカが・・・・・・・・・。

 我が卒業校は、地元では一応進学校らしいのですが、近年はいいことでマスコミに校名が取り上げられたことはなく、今回のように恥ずかしいことや、どうでもいいことばかりで名前が出ます。本当に恥ずかしい。
 早くどこかの県立高校と統合してくれないでしょうか。

 本稿の意見に関し、柳井高校現役、OB、教師で、文句や意見のある方はどんどん書き込みお願いします。

 

リニューアル・わが青春の吉田道場(はじめにキャラ紹介)

2015-06-26 19:10:45 | わが青春の吉田道場
 前にやっておりましたブログ「兵隊芸白兵」でも、当ブログでも頻繁に名前を出しておりますが、私の格闘技修行歴の「入門編」が、芦原会館中国本部であるとすれば、格闘技の本当の楽しさ、怖さ、奥深さに気づかせてもらったのは、大阪は泉佐野市にある格闘技吉田道場であるといっても過言ではありません。
 同道場での正式な修行歴は満5年。事後、大阪を離れてからも籍を置かせてもらい、チョコチョコと練習に顔を出させてもらい続けているという状態です。
 吉田道場は間違いなく私の格闘技母港であり、そこで習得した技術、であった強豪、教えていただいた師匠は何者にも代え難い、貴重なものです。

 前ブログでも、吉田道場の思い出をサミダレ式に語っていましたが、現在のブログになってから、組織的な記事を書いていなかったことに遅まきながら気づき、今回もういちど、あの思い出を書きおこしてみたいと思い、またまた「わが青春の吉田道場」を書く事にいたしました。
 また、前ブログでは「我が青春の吉田道場」と題していましたので、今回は「リニューアル・わが青春の吉田道場」と題することとします。
 先般亡くなられた、作詞家の山口洋子先生が「女はザブトンを身にまとってでも大人のふりをしたがり、男は年を取っても青春のシッポをかじり続ける」みたいなエッセイを書いておられ、まあ、身につまされるとこ大で多少気恥ずかしくはあるのですが・・・

 まずお話の冒頭に、爾後頻繁に登場するであろう、主要登場人物を紹介しておきます。

・ヨシダ代表
 吉田道場の一番偉い人。レスリング、SAW、サンボ、BJJ、フルコン空手、グローブ空手、本部流空手なんでもござれの達人。
 審判やレフェリーとしても、関西全域で活躍。私の大師匠です。
・タカダヤ選手
 入門時期は筆者よりちょい先輩。もとはサッカーをしていた。体は頑丈だが動きは固く、技術はひたすら努力で練り上げた、本当の努力の人。吉田道場で最も活躍した総合選手。
 吉田道場四天王の1人。
・キタノさん
 先輩。体は小さいが、天才的な動きを見せたグラップラー。だんじりの大工方(屋根の上で踊る人)でもあったため、「だんじり休会」の常連さんだった。女にもモテモテ。
・ジンちゃん
 入門時期は筆者よりちょい遅い。筋力、柔軟性、スタミナ、技術とも非の打ち所のないブラジリアン柔術家。ただ試合では凡戦を繰り返す、典型的な「稽古場横綱」
・ナカニシ先生
 大先輩。元おまわりさん。年齢に似つかわしくない力強く、しぶとい組み技に定評がある。なのにめっちゃ腰が低く、こっちが恐縮する。
・ハブ氏
 入門は筆者の3年後。若い頃の勝新太郎に似ているちょっといい男。スタミナ、根性とも申し分なし。練習では諸先輩にやられるが、なぜか試合ではいい勝負をして勝つという、勝運にも恵まれていた。初期の頃、シューズがちょっと臭かった。
・イマナカ先生
 入門はほぼ同時期。整体の先生。富木流合気道の達人。
・ピンク先生
 入門はほぼ同時期。イマナカ先生と同じく、富木流合気道の名人・・・ではあるが、いろいろと面白い方。
・チバさん
 入門は3年後輩。レスリングのチョー名人、果たしてその正体は・・・!
・ヤマグチさん
 先輩。吉田道場初期のころの指導員。お世話になりました。
・オオキタさん
 先輩。吉田道場初期の謎の名人。取れそうなところで取れず、びっくりするところで取る!
・カワナカさん
 先輩。プロボクサー公務員。パンチのセンスは抜群。殴られて顎が外れかけました。
・私
 格闘技に救いを求めて入門した迷えるオッサン。

 また、ぽつぽつと書いていきます・・・。

そういう人もいるけれど

2015-06-23 21:11:44 | 兵隊の道・仕事の話
 一事が万事、ということで、ひとつのことを極めればなんでもできる、大丈夫、という人がいます。
 それとは反対に、ひとつのことしかできず、ほかのことは何一つ満足にできないという人もいます。
 人間の姿として、一体どっちが本当なのでしょうか。

 このブログで何度も取り上げている、我が社で唯一マスコミの前に出していい「トッキュウ鯛」という、救難専門部隊がおります。
 マンガ「トッキュー!」を読んでいた方(BL系二次創作マンガ除く)はご存知と思いますが、この「鯛」は、入鯛したばかりの初任者に対する強化期間が約半年位あります。 この初任者研修鯛鯛長を、10年もの長きにわたって勤め上げ、「鬼の隊長」の名を欲しいままにした人物がいます。
 当時、初任者研修鯛は、この鬼鯛長の名を冠し「M上塾」と呼ばれていましたので、以後この方を、「M上塾長」と呼びましょう。

 トッキュウ鯛にいたときの塾長は、本当に無敵の存在でした。
 トッキュウ鯛や関係者のみならず、横浜地方本社の職員なら、その名を聞けば誰もが震え上がる、「伝説の塾長」として君臨しておりました。

 しかし平成9年、塾長に一大転機が訪れます。

 なんの因果か、塾長は広島地方本社となんか良くないつながりがありました。本人の出身地だったのか、はたまた奥さんの出身地だったのかは知りませんが、横浜地方本社にいれば、士官を含め、誰もが跪く絶対の存在の塾長が、なぜか突然、広島地方本社に転勤となりました。
 塾長の運命は一転しました。
 塾長は爾後、広島、呉、岡山県の玉野、高松と転々としましたが、どこに行っても「こだわりの強い、扱いに困るおっさん」以外の評価を受けることはなく、特に玉野時代には、それまでとはまったく質の違う仕事とはいえ、「緊急時の呼び出しに応じない。基礎知識がなく、使えない人」という、これまでとは180度ちがう烙印を押されるに至ってしまいました。

 その後、塾長もかつての輝きを取り戻したいと考えたのでしょう。横浜地方本社にある「キドウボウジョ鯛」という、潜水士やトッキュウ鯛の老人ホームみたいな組織に行ってみたり、兵隊養成所の練習船の教官になったりということをしましたが、結局どれもモノにならず、現在、その浪々の身を、4回目の高松支社で横たえています。ちなみにあと数年で定年です。

 このことは、いくつもの複雑な「よくない問題」が絡み合っています。解説は省きますが、その問題を列挙しましすと、こんな感じでしょうか。
①兵隊の特技にまったく理解のない会社風土
②救難へのこだわりが強すぎ、ほかの仕事をまったく覚えようとしない塾長の心根
③②に対する周りの人間の無理解
これらが複雑に干渉しあった結果の、残念な人生。塾長の人となり、その凄まじい技術力を知っているだけに、なんか残念な気がします。

 そういえば、みんなから根性の塊のように思われている、国民栄誉賞冒険家・植村直己さんですが、冒険やその準備以外は本当に根性がなく、何もできない最低の人だったという話を物の本で読んだことがあります。

 「一事が万事」なのか、それとも人は1つのことにしか精神を傾注できないのか。「なんでもこいに上手なし」なのか・・・・
 人間とはまことに、複雑なものであるなあ(詠嘆)。



 

訓練と記録と説教のストロガノフ

2015-06-20 20:55:16 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 ブログ更新を怠っていた間、会社の研修に行ってきました。
 なんの研修かといいますと、まあ・・・「焼肉で焼かれる肉の気分が味わえる研修」ですね(笑)。
 「火消し」というのは何事によらず必要な技能なのですが、我が社は残念なことに、それを研修できる自前の施設を持たないため、防衛省様にお願いして、施設を貸してもらい、懇切丁寧なご指導を頂いております。
 研修が終わって、一緒に訓練を受けた若い士官が、「訓練の動画が欲しい」というようなことを言っていました。
 私はこれに、すごい違和感を感じました。

 
 私の得意な格闘技にたとえてお話をします。
 現在ではユーチューブを開けば、古のすごい名人や強豪選手の動画が、いとも簡単に確認できます。これはこれで素晴らしいことです。私も多大の恩恵を受けております。
 しかし、格闘技修行経験が全くないドシロウトが、ある日名人の動画を見て、その動きをそのままサルまねして、本当に強くなれるのかと言えば、絶対にそんなことはありません。
 先般「探偵!ナイトスクープ」で、「ユーチューブを見て練習して、ボクシングの奥義を体得したので見て欲しい」とかいうアホが出てきましたが、やはりどこからどう見ても、素人そのものの動きでした。テレビ的には面白かったですが、もしそういう奴が近くにいたら、間違いなく厳しく「指導」していたと思います。
 動画はその名人の、その日その時の「影」を残してはくれますが、その人が何に注意して、どこに力を入れて、どんな動きを意図しているかということは、映像を見るだけで分かるものではありません。
 基礎基本を鍛え、辛い目に遭って、時にどつかれ、時に極められ、様々な工夫をこらした結果が、あるときの映像として残るだけですから、その試合映像や、あるいは型などの演武映像をなぞっても、強さなんか身につくはずがありません。
 やはり、きちんとした師匠について学び、それを「手を使って」記録し、それを反復し、自分の中で理解と習得をするというカテゴリを経ずして、身になる技術なんて絶対に身につかないと思います。

 私の泉州支社時代の仕事の師匠は、ありとあらゆる訓練の写真や動画を撮ることを、絶対に許しませんでした。
 特に、基礎基本的なものほど、許してくれませんでした。
 「メモを書け。繰り返して練習しろ。分からければ聞きに来い。そういう手間を惜しむな」
 さらに師匠は、研修期間中の月に1回、メモの提出も義務付けていました。
 師匠に聞いたことをメモしているだけのノートに、朱筆で「ここが分かっていない」「こんなことは言っていない」「理解が甘い」とか、ケチョンケチョンなことが書いてありました。
 若いころには「ひどい、理不尽だ」とも思いましたが、おかげであれから10数年たった今でも、あの時に習ったことはスパっとできますし、こうして得たことが、実際の仕事にそのまま役立ったことは言うまでもありません。

 対して、今回の若い副班長が言った「訓練攻略用の動画が欲しい」という発言から読み取れるのは、目先の訓練を可もなく不可もなくこなすという、まさしく「訓練のために訓練をする」というスケベ心だけです。訓練をすることで何かを鍛えて向上させるという心は、微塵も感じられません。
 幹部学校で4年以上も学んだ結果がこれかよ。ふざけてんじゃない!アホタレが!

 マニュアル、コンプライアンス、動画や画像での証拠残し。
 いずれもあるときの真実を、間違いなく伝えるために必要なものではありましょう。
 しかし、これがこの世の全て、間違いが絶対にないものと軽信することは、人間が人間であることを止めているということに繋がりはしないでしょうか。
 人が鍛える、学ぶ、考える、理解するということを否定し、ただ目の前にあることを「覚える」「こなす」ということだけを推進していることになりはしないでしょうか。 
 
 なおその恥ずかしい副班長は、直後に、防衛省様の施設長様の「訓練講評」で、かなりキツめに、その腐った心根を説諭されていました。当然のことだと思います。
 
 訓練とは、日頃の「鍛錬」を総括的・実戦的に試し、トライ&エラーをするためのものです。訓練で何回も失敗し、「死んで」こそ、本当に役立つものが見えてくるはずですし、本当に役立つ技術が身につくはずです。
 ただ決められたことをやって、可もなく不可もなく終わるだけでは、演劇と一緒です。
 うちの会社は本当に、訓練をなんと心得ているのでしょうか。本当に恥ずかしい・・・・・

 ちなみに本稿のタイトルは、倉山満先生・上念司先生による「説教ストロガノフ」シリーズから無断引用しております。
 オマージュというやつですので、ご理解、ご容赦お願いいたします(汗)。
 

潜水夫研修よもやま物語(その5)

2015-06-12 20:03:36 | 兵隊の道・仕事の話
 最近、ほかの記事が恨みつらみのこもった記事ばかりでしたので(汗)、ちょっと気分を変えるために潜水夫研修よもやま物語です。

 その4でもお話しましたとおり、プール実習の最初は、必ず呼吸停止3セットから始まります。
 肺におけるガス交換は、当然のごとく横隔膜(焼肉で言うハラミという部位ですね)の作用を伴いますので、その下部にある胃に、未消化の食物がたくさん入っていれば、当然息が苦しくなる…ということで、お昼ご飯はなんとなくセーブしてしまうのが常でした。
 潜水夫研修を遡る五年前、語学研修のころには、私も21歳と若く、しかも晩飯を全く食わずにトレーニングに狂っていたため、昼飯はとにかく、バカ食いしていました。当時の幹部学校の食堂ですが、当時の補給長が、後日収賄と横領で人知れず処分されたくらいの食堂だったせいで、本当に雑巾みたいなメシしか出ませんでしたが、若かった私は空腹には勝てず、ノリみたいなゴッチン飯に、雑巾を煮しめたような肉でも、バクバク食っていたものです。
 しかしその5年後、潜水夫研修に来た時には、食堂は一新されていました。
 ふつうのご飯、おいしそうなおかず。最初見たときには目を疑ったものです。

 しかしそんなおいしい昼ご飯も、息を止めるためには、障害物なのでした。
 おいしいビフテキや、おいしい焼き魚を、心を鬼にして半分は残す。ごはんも、山盛りにつげず、プラスチックのどんぶりに半盛り。
 そうしないと、呼吸停止している時に逆流してくるのですから仕方ありません。
 涙を飲んで好物を残したことが、こうして5回くらいあったでしょうか・・・・
 その反動か、週末に実家に帰ったときは、好物を鬼のようにバクバク食っていましたね(汗)。

 単に研修の項目が辛いんじゃない。好きなものが食えないのが辛いんだ。
 そんな私は当時、週末金曜日の実習に向かう時には、研修の数年前に流行っていた「乙女パスタに感動」の一節を替え歌にして歌って、プールに向かっていたものです。

 き~ん曜日~ あしたはや~す~み~ コンビニよってシャラララたくさん買い込んで~
 ど~よ~び あしたにな~れ~ば なんでも買って食って寝れる 日曜~

 いまも某職場の「ききゅうし」として活躍されているK本さんがこの一節をやたらと気に入り、一緒に歌ってましたっけ。