集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

通常営業・「武闘派にチャンスを与えよ」

2017-06-19 21:03:57 | 兵隊の道・仕事の話
 まず冒頭、1冊の本をご紹介させていただきます。
 「戦争にチャンスを与えよ」(エドワード・ルトワック著 奥山真司訳 文春新書)。なかなか挑戦的なタイトルですが、その記載内容は実に真理を突いており、非常に目からうろこな名著です。皆様も書店でお見かけの際は、ぜひご一読下さい。

 同著は非常に秀逸なフレーズが多かったのですが、そのなかでヒザを打って「そのとおり!」と最も同意したのは、下記の一節です。
「どの国の軍隊に対しても、武器を与えるのは難しいことではない。訓練を施すのも、それほど難しいことではない。しかし『戦闘する意思』まで植え付けるのは、極めて困難だ。『戦闘する意思』というのは、外から注入できるものではないのだ。」

 このフレーズはもちろん、同著が一貫して主張する「戦争は可能な限り避けよ」「消耗戦をするな」といった、戦争に対する留意事項と一対を成すものであり、「やみくもに『戦闘する意思』をむき出しにせよ」ということでないのは当然のお話です。
 しかし「『戦闘する意思』にもとづく戦闘力」は、「その国の文化や長年の教育の成果としてあらわれる」(同著より)ものであり、「『戦闘する意思』にもとづく戦闘力」を、必要な時にすぐに抜き出すためには、永くたゆまぬ教育と訓練が必要なのです。
 これは当たり前のことのようであって実はそうでなく、モノのわかる人間がつねに気を付けてやらせるべき事項なのです。
 以下、それを「当たり前のこと」と思ってないがしろにし、恥をさらしている職場の話を致します(;´・ω・)。

 私はこの春まで、わが社の瀬戸内海支社というところに勤務していましたが、その支社の社員の9割以上に決定的に欠けているのが、「『戦闘する意思』にもとづく戦闘力」でした。

 私の勤める会社はいわゆる「タイーフォ術」(仮)を行使したり、あるいは「武器」(仮)と呼ばれるものを運用したりできる会社なのですが、この瀬戸内海支社というところは、地理的にいわゆる「外敵」が来ない支社であるため、瀬戸内海支社の社員のほとんどは「戦闘する意思にもとづく戦闘力」を一切持たないアゴマッチョばかりでした。
 瀬戸内海支社の職員はおおむね、「タイーフォ術」(仮)をマッサージの仲間か何かと勘違いしており、「武器」(仮)を持たせれば、前後をさかさまに持つようなバカタレが掃いて捨てるほど存在。「税金ドロボウ」の名に恥じない無知無能ぶりを露呈しておりました。私も何度もその実害を受け、何度ブン殴ってやろうかと思ったかわかりません。
 
 「タイーフォ術」(仮)はわが社の社員なら、その程度の高低はともかく、必ず履修しなければならないもの(わが社の履修認定では、授業を35時間受けることとなっている。なので「知らない」「わからない」という言い訳は通用しない)であり、「武器」(仮)もまた同様です。しかし瀬戸内海支社は、道具を持ち、訓練も受けていながら、それをだれ一人「戦闘する意思に基づく戦闘力」に昇華できていない。

「戦争にチャンスを与えよ」著者は、「戦闘する意思に基づく戦闘力」を持たない国として、アラブや東ヨーロッパ、アフリカにあるいわゆる「難民ずれ」した国家とも言えない国家を挙げていますが、瀬戸内海支社は決してそれらの国の兵隊を哂えないでしょう。ことと場合によっては、それらの国の土人兵より、瀬戸内海支社の社員はレベルが低いかもしれません。

 「戦争にチャンスを与えよ」という挑戦的なタイトルの裏には「戦争は武器を用いる外交のいち手段なのだから、そのアプローチさえ間違えなければ、大きな平和をもたらすチャンスともなりうる。それを偽善・欺瞞に満ちた外力により無理に止めると、戦争をするよりより悲惨な結果をもたらす」という、逆説的でありつつ、実にまっとうなメッセージが隠されています。
 瀬戸内海支社は「うちは口先だけで警備ができる。汗をかいて相手を制するのはバカだ」という、シナ人のような誤った発想を根拠に「戦闘する意思に基づく戦闘力」を涵養することをないがしろにし、バカにし続けてきました。その結果、鉄砲の前後もわからんバカを多数育成するに至り、詳細は話しませんが、そこらじゅうで制圧対象者にナメられ、バカにされています。
 これは私が思い込んでいる話ではなく、私が実際に制圧した悪人がそう言っていましたから、間違いありません。
 その悪党はこうも言っていました。「オマエの会社に、オマエみたいなヤツがいるとは思わんかった。失敗した。」
 この何気ない一言に、瀬戸内海支社の社員の平均的資質が見事に表現されています。

 今の私は、瀬戸内海支社の社員じゃありません。
 しかし、数か月前までそうであった身としては、瀬戸内海支社は「武道派にチャンスを与えよ」を積極推進すべきであり、同支社の社員が一人でも多く「チャンス」の負託に応えるられるようになるべきだ、と祈るばかりです。
 「税金泥棒」と言われないためにも。

通常営業・シナの「捏造史」と片棒担ぎのバカ教授

2017-06-11 19:21:11 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 シナの歴史は易姓革命。滅びた前王朝の遺構は、それを守っていた人間ぐるみすべて抹殺され、新たな王朝の王がその経歴や歴史を正当化する、いわゆる「青史」を編纂する…というのが、紀元前から延々と続くシナ王朝の姿であり、現在のシナの王である「中共」もそのくびきを超えることはありません。
 シナの歴史とはこのように「あとから作るもの」であり、日本のように、為政者がどう変わろうと、歴史資料がきちんと残されているということを求めてはいけないのです。

 さて先日、「話題のアンテナ 日本全国8時です」なるアカい臭いのするラジオ番組において、木曜ゲスト・東大名誉教授月尾嘉男なるオッサンは、「一帯一路の背景」と題し、下記のURL掲載の内容をしゃべっていました。
 URLはこちら↓「森本毅郎 スタンバイ!」HP内「一帯一路の背景」
 https://www.tbsradio.jp/154486

 まず教授は、「一帯一路構想」について、このように説明しました(記載内容は、上記URL記事から抜粋)。
「2014年に習近平国家主席が発表した経済圏構想です。一帯は『シルクロード経済ベルト』とも言われ、中世にヨーロッパとアジアを結んでいた交易路シルクロードの現代版を構築しようという構想です。当時は、せいぜいラクダしか移動手段はありませんでしたが、今回は自動車道路と鉄道です。一路は『海のシルクロード』とも言われ、15世紀後半にポルトガルやスペインが開拓したヨーロッパとアジアを結ぶ航路を現代に復活させようという構想です。」

 このように書くと、なんだかいいことのように見えますが、要するにシナの言わんとしているところは「天下の富を全てシナに持ってこい」という覇権主義丸出しの主張をしているのです。

 たまたまラジオを聞いていて、この出だし部分を聞いた私は、アカい臭いがプンプンする東大名誉教授のシッポをつかもうとマユツバで聞いていますと…この教授は早速尻尾を出しました。同教授は「一帯一路構想」の復活の目的につき、こう発言しています。
「この偉大な復興には、いくつかの目的がありますが、私個人の考えでは、歴史上、地球の陸地の4分の1を占める世界最大の版図を誇っていた『モンゴル帝国』の再現と、世界の海洋を自由に往来していた『明』の再現ではないかと思います。」

 まず、モンゴル帝国(元)は漢民族の国ではありません。その名の通り蒙古人がシナ人を殺しまくって作った国家です。現在の中共との連続性が全くない、異人の国です。その版図を復活させることがはたして「偉大な構想」なのでしょうか。習近平はおそらく、「モンゴルは世界の4分の1を支配していたアル!だから今の中共にも世界の4分の1を支配する権利があるアル!」と言いたいのでしょうが、自国の運営すら危うい後進国に、そんな資格があるか!バカ!
 この教授がそうした習近平の野望を、「壮大な構想」でなく「偉大」と表現しているのも疑問です。要するに中共の野望を手放しでほめたたえているわけです。
 少なくとも国立大学である東大の先生の持つべき歴史・倫理観ではありませんし、この人はシナの歴史を本当に知っているのか、素人の私でも心配になります。
 
 いまひとつ、「本当にコイツは東大の先生なのか?」とクビをひねるのが、上記主張の後半部分「海洋国家・明」の歴史に関する知識と認識です。
 同教授が「海洋国家・明」に関してしゃべっている箇所を引用します。
「(シナの明時代に)編成された(鄭和の)船団は『宝船(ほうせん)艦隊』 と言われ、最大の船は長さ137m、幅56m、8000トン、9本マストの木造船」
「最初の遠征は62隻の艦隊で、乗組員の合計が2万7800人だった」
「中国の白髪三千丈の類(の大法螺)かと思われていましたが、1957年に南京の河口で造船所の遺跡が発掘され、本当だと分かりました」
 それらの艦隊が、アフリカ大陸まで行っていた、ということを得々としゃべっていたわけですね。

 …まず、当時のジャンク船の構造や工程から考えてみましょうか。
 シナの船であるジャンクは明の前、宋の時代にほぼ原形が完成していたとされます。箱を積み重ねたような構造で、横に梁をたくさん渡していたため、比較的頑丈な船体を持つフネであったことは間違いないようです。ただ、平べったい船であるため凌波性は悪く、大洋の航海には不向きでした。
 そんな船が、マラッカ海峡付近までならともかく、アフリカまでの航海に耐えられたのでしょうか?
 また、ジャンクはどんなに大きくとも2000トン(←これでもアヤシイ)以下のものまでしか現存が確認されておらず、長さ137m、8000トンともなると、風を食らったぐらいでまともに進むとはとても思えません。
 ちなみに、戦国時代日本で最大の安宅船と言われた「日本丸」の長さが推定で40m弱。元寇で蒙古軍が使用した船も30m弱くらいですから、その程度の大きさでないと、実用に耐える船とはなりえないでしょう。
 また、木材の破断強度や、木材自体の寿命から考えても、8000トンもの船が木という材質でできるとはとても考えられない。
 また、昭和32年に発見されたというドックの跡もあやしい。中共が天下を取った後にとって付けたように発見されたのがまずもってアヤシイですし、だいたい、8000トンものフネを入れらるだけの、乾ドックじゃないドック…そんなもん、どうやって運営するんだ????
 この教授はいちど、造船工学の初歩でも学んだ方がいいのではないでしょうか。

 また、この教授は「海洋国家・明」の交易範囲に関し、こう言っています。 
「かつて(鄭和の艦隊が)アフリカまで到達したかは疑問とされていましたが、2013年にケニアのマンダ島で、永楽帝が発行した「永楽通宝」が発見され、やはり到達していたことが明らかになりました。
その航路を地図に落としてみると、習近平国家主席が構築しようとしている海のシルクロードに重なっており、13世紀から15世紀の中国の栄光の時代を復活させようという構想であることが推定できます。」
 …平成25年に発見された永楽通宝???怪しすぎますね。
 古ぼけた永楽通宝を、工作員がアフリカに行って埋めて「おお、アフリカから永楽通宝が出てきたアル!鄭和がここに来ていた証拠アル!」なーんてえのはシナの歴史捏造の常とう手段じゃないですか。こんなヨタをうのみにして「栄光の復活」とほめたたえる神経。もう、何が何だかよくわかりません。

 この教授はこの放送の最後を「(一帯一路構想にはシナの)用意周到さが伺えます。安倍総理の地球儀を俯瞰する外交にも、このような長期戦略の立案が必要ではないかと思います。」と締め、シナ礼賛に終始して終わりました。

 シナはその覇権主義の手先として、アホな御用学者を使うのは昔からの常套手段です。日本には残念ながら、そうした「シナの片棒担ぎの御用学者」が大量に存在し、嬉々としてその手助けをしています。今回取り上げたこの月尾なる教授も、その仲間と断じていいものであると思います。

 弊ブログをごらんの諸賢はそうしたデマにだまされることはないと思いますが、中朝の垂れ流すプロパガンダは、よくよく心して、マユにツバしてかからねばなりますまい。

通常営業・或る阿呆黒帯による「マキワラ鍛錬の有用性」

2017-06-05 22:02:04 | 格闘技のお話
 タイトルに関しましては、「段位もないヤツが、空手の話を語るな!」と言われるための予防線として、有段者である旨を記載していることをお許しください。なお、私の所有する段位は、空手は空手でも、フルコンとグローブ空手の2流派における段位(初段と三段のふたつ)であり、修行の機序から言えば、「マキワラ鍛錬」を語る資格はほとんどないのですが…いちおう空手を愛好する有段者の発言、ということでご寛恕下さい!

 「巻藁(まきわら)」という、空手の伝統的鍛錬器具がございます。
 まず、オリジナルの巻藁とは一体いかなるものなのか。
 ベストセラー作家でありつつ、自らも「空手道今野塾」を主宰し、古い沖縄の空手を窮めている今野敏先生畢生の名著「琉球空手、ばか一代」(集英社文庫)によりますと、スタンダードな「巻藁」とは下記のようなものだそうです。
「まず、十センチ四方の粘りのある角材を探す。固く粘りのある材質が望ましい。その一方を、端に行くほど薄くなるように削る。そして、反対側に短い木材を十字架のようにくくりつける。つまり横木だ。横木は長いメインの角材を挟むように二本取り付ける。
 大きな穴を掘り、横木ごと埋めてしっかり固定する。この横木の支えが重要なのだ(中略)。
 上に行くほど薄くなるように削った角材が地面に立った。今度はその上端に縄などの藁を巻いていくのだ。
 さあ、これであなたも空手家の仲間入りだ。」

 ビジュアルイメージとしては、「地面から上に向かって薄く削られた板がひょこっと立っている」でいいのではないでしょうか。
 ちなみに、この「角材」の長さは、地面に埋める部分の長さも併せると、3~5mほど必要だそうです( ゚Д゚)。
 この巻藁なる鍛錬器具、大昔に一世を風靡した劇画「空手バカ一代」のせい…だけでもないのですが、実際にこれを殴って修行した方の意見が顧みられることなく、都市伝説だけが独り歩きした結果、「何やらよくわからない伝統鍛錬器具」という意見と、そのその揺り戻しのような心理作用から「古い因習に煮しめられた、現代のカラテには全く役に立たないもの」という誤解が生じたまま、現在に至っているような気がしてなりませぬ。
 しかし、この巻藁というものは、その設置の意味をよく理解したうえで、方法や設置場所にさせ工夫をこらせば、実はサンドバッグなどに勝るとも劣らぬ、すばらしい逸品たりえるということを、私の如きゴミのような空手修行者を含め、今日の空手家はぜひ知るべきでございましょう。
 
 巻藁などという、ねばりのある材質の、しなる柱状のものを殴り続ける理由とは何か?

 もし、巻藁を殴る目的が「相手の動きに大して正確に追従し、殴る練習」であれば、それはボクシングのミット練習や、パンチングボールの方がよほど優れています。わざわざ動かない柱のようなものを殴る理由とはなりません。
 また、古の空手は一対一の素手の勝負ではなく、一対複数の戦い、あるいは武器を持った相手との戦いも想定した総合格闘技であったことから考えれば、サンドバッグやミット、パンチングボールと言った、「サシで素手で殴り合う」ために必要なトレーニングは、「必要ない」の一言で切り捨てていいものとなります。

 ではマキワラ鍛錬の目的は「拳を鍛える、固くする」ためなのか?
 これもおそらく、違うと思います。
 むろん、巻藁を殴らないより、殴った方が拳の皮膚は鍛えられるでしょう。
 しかし、「拳自体を鍛える」ためには、殴る力をすべて受け止め、逆に拳に向かって反作用を叩き返していくくらいの質量・硬度を持ったものが必要となるはずです。巻藁のように、柱のしなりによって殴る力が抜けてしまうものは、「拳自体を鍛える」という目的を果たすには、造りが弱いように感じます。
 「拳を鍛える」ことを主目的とするなら、「グラップラー刃牙」の愚地独歩のモデルとなった、中村日出夫拳道会総師(故人)のように、作用・反作用が明確な巨大な砂袋を毎日毎日殴るべきでしょう。
 そう考えると、巻藁を叩く目的が「拳自体を鍛える」というのも、的外れな気がします。

 ちなみに、巻藁による鍛錬は、江戸時代後期に「武士(ブサー)松村」こと松村宗棍が、薩摩示現流の立木打ちをヒントに考案したとされており、「ティー(手)」の修行方法としては比較的歴史の浅いものなんだそうです。

 もともと「ティー」の修行方法としては比較的新参者でありつつ、時代を経て「空手の修行になくてはならない」とされるようになった巻藁鍛錬の意味…これはあくまで「私個人の見解」ということをお断りしたうえで…巻藁を殴って鍛えるべきもの、それは「全身の関節を揃え、その力を拳に集中させる」ことを実現するためではないかと思います。

 人間の体は400いくつの筋肉で構成されておりますが、それが各個にバラバラに動いていては、最高のパワーは出力し得ません。
 むろん、型を練ることによって「関節を揃える」ことはかなりのレベルまで可能になりますが、「画竜への点睛」を決めるためには実際にモノを殴る、しかも比較的人体に近い強度(ある程度の固さと反発力がある)であり、かつ幅が狭く、適当に粘度のあるものを殴ることにより、拳を中心として全身の関節を一つにそろえ、自分の身体のパワーを、文字通り拳一点に集中させるということが、巻藁鍛錬の本来意義ではないかと思うのです。

 後年、「関節を揃えて突く」ことと「ヒットマッスルを養成する」ことを二つながら実現すべく、日本拳法空手道(防具組手の日拳とは無関係の団体)創始者・山田辰夫先生が「提巻藁」(巨大な球形のバッグに、自転車のチューブの切れ端を大量にねじり込んだもの)を作成したらしいのですが、これは巻藁鍛錬の本来意義を十分に理解した上でマイナーチェンジを行った、驚嘆すべき鍛錬器具であると思います。
 ただ残念ながら、世の中には巻藁を叩く目的を「拳の皮をめくるため」あるいは「昔の人がやっていたから、仕方なく殴る」と思っている指導者が山のようにおり、「仏作って魂入れず」ならぬ「巻藁殴るが(本当の意味での)拳鍛えず」みたいな状況になっているのは、残念としか言いようがないところですなあ😞。